悪夢
この巨体相手に盾は意味を成さないだろうと、走りながら放り捨てる。
恐怖を押し殺しながら両手で剣を掴み、力任せにその胴体へと叩き付ける。
鋭い金属音。細かい何かがはじけ飛び、ヘルムにぶつかる軽い音がする。
――鱗!! こいつは硬い!
密集した鱗が斬撃の力を吸収し、剣は深くまで到達しない。ぬらりと光る鱗は、まるで金属の様な光沢を放つ。まさに天然のスケイルメイル(鱗状の金属片を縫い付けた鎧)だ。
痛みの為か咆哮をあげるサーペント。大蛇は体を捻り、その巨体に見合わぬ速度でこちらへ大顎を突き出す。
左手でその顔を叩き付けるようにしてなんとか横へ避けると、水面の音に反応して真上へ飛び上がる。
薙ぎ払われた尾は足元を通過し、硬い岩盤で出来た地面を削り取る。
――これは、人間がなんとかできる相手なのか?
不格好に着地すると、すぐさま起き上がり反撃しようとするが、踏ん張った足が滑って体勢を崩す。一体何だと足元を見ると、めくれるように剥がれた青い苔の塊。
「足元に注意しろ!! 苔が濡れて最悪な状態だ!!」
仲間に注意を促すも、これは思ったよりまずい状況だぞと舌打ちをする。
サーペントはこちらの様子を伺うように水上でゆらゆらと身体を揺らし、時折ごぅっと巨大な送風機さながらの呼吸音を上げている。
「ベアトリス!! 予備の槍をくれ!!」
フレアの剣を鞘にしまうと走り出し、ベアトリスの放る槍を掴もうとする。
――おいおい!!
放たれた槍はてんで見当違いの方向へ飛び、慌てて急ブレーキを踏む。どうやらまだ麻薬の影響が残っているようだ。
「ベアトリス!! ウルと二人でミリアの護衛を!!」
振り下ろされる尾による一撃を飛び退る事で避けると、地面に転がっていた槍を掴む。顔を上げると、持ち上げる尾に対してアキラが一撃を加えていた。
「ダメだ!! 刃が通らない!!」
先程のこちらと同じような結果になったのだろう、アキラが叫ぶ。
「切っては駄目だ!! 突いて攻撃しろ!!」
アキラへ返答を返しつつ、こちらへ襲い来た大蛇の顔目掛けて槍を突く。槍は鱗の隙間を潜るようにして内部へと穴を穿つが、反作用によるすさまじい衝撃により吹き飛ばされる。
――くそ、質量がでか過ぎる!!
左手で地面を叩くように起き上がると、槍が折れなかった幸運に感謝しつつ、次の一撃を加えに走る。本当は様子を見ながら慎重に戦いたい所だが、下手に間を開けてしまうとミリアの方へ攻撃が行ってしまう可能性がある。
首元へと駆け寄ると、加速そのままに胴へと槍を突き立てる。深々と突き刺さる穂先が手応えを感じさせるが、同時に焼石に水ではという思いも膨れ上がる。
――続いてもうひとつっ!?
しっかりと踏ん張っていたつもりだったが、急に体を動かした大蛇に持ち上げられる形で重心が上がり、槍を軸に回転するように転倒する。
「くそっ!!」
悪態をつきながら起き上がろうとするも、ぬめった苔により上手く立ち上がる事が出来ない。
サーペントが巨大な顎を開き、こちらへ向き直る。
「ナバール!!」
アキラが差し出してくれた槍を掴む。
引かれるがままに床を滑ると、たった今自分がいた場所を大蛇の顔が通過する。
「ひとつ貸しだぜ!!」
槍を持ち直し、サーペントへ向かい走るアキラ。
その膝を足で引っ掛け、転ばせる。
何をするんだという表情でこちらを見るアキラ。その頭のすぐ上を、丸太のような尾が轟音と共に通過する。
「返したぞ」
素早く起き上がり、青い顔をするアキラを強引に立たせると、彼のバックパックから油壷を抜き取る。
「しばらく引きつけてくれ」
意味があるかはわからないが囁くような声でそう言うと、松明の元へ走り導火線を火にあてる。
湿気でなかなか付かない火。アキラは大声で大蛇を挑発しながら、なんとかその攻撃を凌いでいる。
――いつの間にか一丁前の戦士となってるな
緊迫した雰囲気の中、どこか呑気な感想を抱く。
やがてアキラの動きが疲れから緩慢になりはじめた頃、ようやく鋭い閃光と共に導火線に火が灯る。
「こっちだ化物!! お前にくれてやる物があるぞ!!」
出来る限りの大声を出し、サーペントの注意を誘う。アキラもこっちの意を汲んだのだろう。荒い息遣いを抑え、その場で動きを止める。
「どうした!! ここだ!! 俺はここにいるぞ!!」
大蛇は窺うように上体を揺らした後、素早い動きでこちらへ大口を向けて来る。
――岩盤爆破用のダイナマイトだ。受け取れ
地面に対し横へと開いた大蛇の口。
あえて口に向かい走ると、上へ飛び、口の中へ油壺を差し入れる。
「ぐうう!!」
肘が牙に捉えられ、反動で右半身に激痛が走る。
なんとかそのまましがみ付いてやろうと左腕を伸ばすが、大蛇のとった行動にそれは頓挫する。
――そんな機動ありかよ!!
サーペントは口を閉じた瞬間、その重量からは考え難い程の急制動をかけ、再び口を突き出す姿勢を取る。
加速した車から放り出されるように宙を舞う身体。
牙に引っかかったままの右腕が強引に引っ張られ、一度聴いたら忘れられない鈍い音がいくつも響く。
本来であれば泣きわめきたくなる程の痛みが走っているのだろうが、向こうに見える大蛇の大口を見た脳が、今はそんな"ささいな事"に構っている暇はないと警告を発する。
――早く爆発してくれ!!
無様に地を転がりつつ神に祈っては見たものの、爆発までの正確なカウントを知っているので、完全に願望にすぎない。
頭の中で現在とりえる数少ない選択肢を必死に捌いていると、ふと大蛇の横顔に大きな金属片が突き刺さる。
――ベアトリスか!!
巨大な戦斧は大蛇の目だった箇所へと突き刺さっており、その衝撃で軌道のずれた大蛇の体がこちらとは離れた場所をすべり行く。
「全員伏せろ!!」
力の限り叫ぶと立ち上がり、ミリアの元へ走る。
途中で捨て置いた盾を拾い上げると、膝を付き、ミリアの盾となる。
耳を破壊する衝撃音を覚悟したが、思ったよりも小さく、くぐもった音が洞窟内に響き渡る。だがそれでも鼓膜にダメージを与えるには十分な力が加わったようで、目の前の視界がぎゅっとすぼまる。
盾にぶつかる幾つもの肉片。シャワーのように降り注ぐ青い血。
あまりの生臭さに顔をしかめながら大蛇の姿を見る。
丁度喉のあたりで爆発したのだろう。大きな穴が開き、頭と胴は皮一枚で繋がっている状態だ。しかし驚いた事にまだ生きており、その体をばたつかせ、洞窟内に巨大な太鼓のような音を響かせ続けている。
さすがにもう大丈夫だろうとほっと息を吐き、思い出したように後ろを見やる。
――儀式は!!
振り返ると、茫然と立ち尽くすミリアの姿。松明の炎は半分消えかけており、まわりにあった儀式道具は無くなってしまっている。
「……駄目……だったのか?」
一抹の希望と共にそう口にするが、こちらを見て首を振るミリア。
「ちくしょう!!」
手にした盾を床へ叩き付ける。
ミリアと駆け付けたジーナがこちらへ向かって何かを言っているが、酷い耳鳴りのせいで良く聞き取れない。深刻そうな顔でおたおたするジーナの姿に、ようやく自分の右腕がどんな状態になっているのかに気付く。
千切れそうになっている右腕を見やり、出来れば知らないままでいたかったなと薬入れから睡眠薬を取り出す。重いこの身体を運ぶのはしんどいだろうが、これから来る激痛にとても耐えられるとは思えない。アキラとベアトリスがいればなんとかなるだろう。
「すまんが寝かせてもらう。最低限の治療が済んだら起こしてくれ……何がいるかわからんから……部屋の外に…………運んで……」
段々と薄れゆく意識の中、なんとか声を発すると、ミリアが耳元へ来て叫ぶ。
「ナバール! 耳鳴りが酷くて何を言ってるのかわからないわ! 儀式は成功したわよ! ねえ、聞こえてる?」
増幅する痛みと共に聞こえてきた、思いがけないミリアの言葉。
驚きと共に少しだけ笑顔を返すと、襲ってきた強い睡魔に身を任せる事にする。
てっきり悪夢を予感していたが、
どうやらいい夢が見れそうだ。
いだいいいいいいい