デジャヴ
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走っては休み、走っては休む。
馬というのは乗り物だが、生き物である。人間と同じように休憩が必要で、無理に長時間を走らせれば怪我をし、最悪命を落とす。また、乗り主である人間にかかる負担も大きい。
「まじでケツがいてぇ……」
地べたに寝そべりながら、アキラが苦しみの声を上げる。うつ伏せにてズボンをずらし、いわゆる半ケツと呼ばれる状態になっている。かなり情けない恰好だが、誰も攻めはしないだろう。乗馬に慣れているこちらとベアトリス以外は、皆同じような恰好だからだ。
「もっと喜んだらどうだ? 年頃の女性に尻を向けるなど、そうそう出来る体験じゃないぞ」
ジーナの治療を受けるアキラをそうからかうが、返って来るのは弱々しい反応だけ。どうやら想像以上に辛いようだ。追い打ちとして、明日かそこらになれば現れる股関節の酷い筋肉痛について言おうと思っていたが、さすがにそれは取りやめる事にした。
「なぁアニキぃ。あとどんくらい馬に乗んなきゃいけねえんだ?」
うんざりとした声のウル。言い換えるとこの責め苦がいつまで続くのか、という事だろう。
「このペースだと、天候か崩れさえしなければ明日の夜かそこらで到着するはずだ。もうしばらくの辛抱だな」
ウルの尻に軟膏を塗ってやりながら答える。二十センチ程の丸い尻尾がぷるぷると揺れ、邪魔で仕方がない。
腫れ上がった患部へなんとかガーゼを貼り付けると、終わったぞと軽く尻を叩く。声にならない叫び声をあげるウル。
「ニドルへ戻る頃には多少は慣れてるだろう……そうだな。次にフレアの本領へ帰る時は馬を利用しよう。乗馬はいずれ必要になる技術だ。これを機会に覚えるといい」
治療用具を仕舞ながらそう言うと、一斉に不満の声が上がる。
「情けないねぇあんたら。慣れればこんなに便利な生き物もないよ?」
ブラシで馬の手入れをしているベアトリスが呆れた様子で口を開く。
馬は牛と並び、村での貴重な労働力だ。恐らく世話をする機会があったのだろう。非常に手馴れている。
「ベアトリスの言う通りだ。一気に行動範囲が広がるぞ? それに何も作戦行動だけに使う必要も無い。さすがにくれてやるわけにはいかんが、いつでも貸し出してやるぞ」
なおも渋る一同にそう諭すと、「あぁい」とやる気の無い返事が返ってくる。思わず苦笑いをし、自分も乗り初めの頃はそんなだったなと思い出す。
こちらが乗馬をさせられたのは軍隊時代の時で、しかも重武装した上での事だった。戦闘中は興奮で痛みなど感じなかったが、その後真っ赤に染まった下着を見た時は卒倒しかけたものだ。
もう十年近くも前の事になるのかと、遠目に見える山脈の姿を仰ぎ見る。
頂上付近が白く覆われ、見ている分には非常に美しい。残念なのはそこへ行かなくてはならない事だろう。
「山道のように長く険しい十年だったが、無駄ではないと信じたいな」
今までの。そしてこれからの事を考えてそう呟くと、ベアトリスから道具を受け取り、馬の手入れを始める事にした。
アイロナに到着すると馬を厩舎へ預け、宿屋にてひと晩を過ごす。本来であればすぐにでも鉱山へ向かいたい所だが、乗馬初心者組みの筋肉痛が酷く、まともに動ける状態では無かった。薬師から筋肉痛に効くという匂いのきつい薬を山ほど購入すると、各々飢えた獣のようにそれを奪い取っていく。翌日宿屋の女将であるマッジーナに酷く怒られたが、薬の効果は確かだった。
「よし、それでは予定通り行く。封鎖組みは日没と共に町へ戻ってくれ」
出入り口の封鎖を担当する若い団員達は、手にした地図を見ながら了解と発する。地図を受け取った際に封鎖組みのリーダーが下調べの素早さに賞賛の声を送って来るが、素直に喜ぶ事は出来なかった。知っている知識だったので、そもそも下調べなどしていないからだ。
既に数え切れない程繰り返して来たハンドサインの確認を行うと、突入組みを率いて洞窟へと入っていく。前回での反省を活かし、洞窟の外で松明に火を付けてだ。
「すごい湿気……水が溜まってるんでしょうか」
坑道へ入ってすぐにジーナが発する。いつか聞いたものと全く同じ台詞に、少し驚く。
――これが本当のデジャヴってやつか?
頭に浮かんだ考えに乾いた笑いを浮かべると、かぶりを振る。
「そうだな……地下深くに大きな地底湖がある。大きな水脈があるんだろうな」
前を見据えたままそう答えると、感心した様子の溜息が聞こえる。
「あんた、前にも来たことがあるのかい? えらい余裕じゃないか」
後ろから少し怯えた様子のベアトリスの声。恐らく落盤を気にしているのだろう。
「いや……これはあれだ。ミリアの魔法さ。透視の魔法ってやつだな。派手な爆発でも起こさなきゃ落盤の心配は無いよ」
「なんだ、そうかい。魔女様のお墨付きなら安心だね」とベアトリス。なんとなしにそう言ったが、これは便利な逃げ口上だなと今後も使っていく事を決める。ミリアが小走りに先頭を歩くこちらへやってきて抗議の視線を向けてくるが、それは無視する事にする。
「ここから先はぬかるみで足場が悪い。注意しろよ」
昔の記憶を頼りに最短ルートをどんどんと進んでいく。途中四匹程のガブリンに遭遇するが、即座にジーナの矢とウルの投げナイフの餌食となる。ここに人がいないだろう事もわかっているので、動く影があれば一声掛けた後すぐに攻撃するよう指示を出している。
「なあ、ここに出るのはこんな小物ばっかなのか?」
死体からナイフを回収してウルへ手渡すアキラが、こちらへ質問してくる。「いや」と首を振ると、天井を指差す。
「この通路が埋まる程のでかい蜘蛛が出る可能性がある。遭遇したら火炎瓶で時間を稼ぎ、ミリアの魔法で片をつける。火をまたいで来るようなら俺とアキラとが食われないように壁になるしかないな」
笑顔と共にそう言うと、蜘蛛という単語に反応してベアトリスが小さく悲鳴を上げる。そういえば彼女は蜘蛛が苦手だったなと懐かしく思う。
「あたしゃ蜘蛛は苦手だよ。そんだけ大きいとなるとギガントスパイダーだろう? 会いたくないねえ……ところであんた。思ったよりケチくさいんだね」
ベアトリスの言葉に「何の話だ?」と首を傾げる。彼女は鼻の前を手で仰ぎながらこちらを指差す。
「その松明さ。魚油の松明なんて安物使うもんだから酷い臭いだよ。うちの団はそんなに資金不足なのかい?」
――魚油?
今手にしている松明は冒険者が使う為に作られた高級な松脂性だ。何を言っているんだとベアトリスの表情を伺うが、冗談を言っているようには見えない。
――俺達の他にも誰かいるという事か?
腕に軽く鳥肌が立つ。
夜目が利くガブリンやオーガが松明を使うとは思えない。また、ここは海から遠く、自然に魚の油の匂いがする事などまずありえないだろう。
「魚油の匂いか……よし。全員良く聞け。作戦を変更する。我々以外の何者かがいる可能性がある。人影があれば念の為に敵ではないと確認してからの行動とする」
少し押さえ気味の音量でそう言うと、アキラ達は無言で頷く。
「もしかして"あの人"かしら」
ぼそりと呟くミリアに視線が集まる。まさかという思いから焦燥感に駆られるが、それをぐっと抑える。
「いや、まだそれはわからない。もしかしたらただの冒険者かもしれないし、森のエルフが迷い込んでる可能性もゼロでは無いだろう。だが警戒しておいた方がいいな」
先ほどと同じ様に頷く一同。だが、その表情はずっと真剣なものとなっている。
――大丈夫か?
実の母親と戦う事に抵抗感がないだろうかとミリアの顔色を伺う。彼女はこちらの視線に気付くと、真剣な表情でひとつ頷く。一体どういった心境なのか想像すらつかないが、素直に"強いな"という感想を持つ。自分であればとても戦う事などできないだろう。
「さて、それでは先へ行くとしよう。何が出るかはお楽しみだ」
自らを鼓舞するように明るくそう言うと、足を踏み出す。
目的地はひとつであり、道もまたひとつ。
どうせ前に進むことしか出来ないのだ。
それにあいつがいるというのであれば、願ったりだろう。
何度でも蘇るというのであれば、
何度でも死をくれてやる。
知らないうちに浮かんでいた口元の笑みをあわてて消すと、
フレアの剣を強く握り締めた。