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休息




 消耗品の補給にやってきた後発隊と帰り道で合流すると、必要の無くなった大量の食料をトレントの元へと送り届ける。トレントは困惑した様子でそれを受け取ると、いつか困った時は力を貸してくれると約束してくれた。胸に刻まれた呪いの文字が消える事は無かったが、その効力は失われているとの言葉に安堵する。



「何か変わった事は無かったか?」


 その後何事も無くニドルへ帰還し、東方剣闘士興行団の指揮所として買い入れた屋敷へ向かうと、出迎えたウォーレンに近況を尋ねる。


「おかえりなさい団長。こっちは何も変わりありませんよ。相変わらずのてんやわんやです。その顔を見ますと、そちらはうまくいったようですね」


 にこやかにそう答えるウォーレンに「そいつはまだわからんさ」と肩を竦めると、屋敷の使用人に夕飯を取る旨を伝える。ありがたい事に湯が張ってあるとの事なので、すぐに風呂へ向かう事にする。



「あぁ……生き返るな……」


 湯船につかり、ふうと息を吐き出す。体中にある細かい傷が少ししみるが、それが気にならない程の心地よさが広がる。


「風呂好きなのは日本人の血なのかね……」


 こちらの世界には日常的に湯船につかるという習慣が無い。ここの屋敷にも当初まともな浴槽と呼べる物が無かった為、買い取った後最初に手を付けたのが風呂の改良だった。少なくない身銭を使い、石で出来た浴槽と排水設備。それに誘導管とボイラーによる別室での湯沸し等、ちょっとした有料浴場に近い形にしてある。というよりも実際、時間帯を限定して団員達に安く貸し出していた。温泉では無いが湯治効果を期待しての事だ。


「ふーん、アニキの故郷はニホンってのか。お邪魔するぜー」


 入り口から聞こえた声に、迂闊な独り言は危険だなと思いつつ「あいよぅ」と返事をする。


「前は地球って言ってたじゃねぇか。ニホンてのはなんなんだ?」


 風呂場なので当たり前だが、全裸のウルとミリアがやってきて、体を洗い始める。共に長旅をしていると、仲間の裸を目にする機会など多々ある。裸の二人を目にしても今更どうという事も無いが、こうして改めて見ると本当に見ごたえの無い身体つきだなと失礼な感想が浮かぶ。日によく焼けて引き締まった体のウルと、青白くだらしのないミリアと対照的ではあるが。


「いや、ニホンというのが国の名前だな。チキュウというのは……そうだな。向こうの世界そのものの名前だと思ってくれればいい」


 惑星という概念から説明するのも面倒なので、簡単にまとめる。ウルはさほど興味も無さそうに「ふーん」と答えると、湯船へと飛び込んで来る。ミリアはその長い髪を丹念に洗っているようだ。


「うわ、あっついな今日の風呂。なぁアニキ、明日またすぐに出発か?」


 仰向けになって浮かんでいるウル。そうだなぁと天井を眺めて答える。


「ミリアの話では、輪廻を使った後はしばらく力が落ちるらしい。だが先の戦いで間違いなくネクロもミリアの存在に気付いたろうから、なるべく急ぐ必要があるな。馬で移動するつもりだから、まさか先を越されるとは思わんが」


 それとも四百年という歳月の内に娘の顔など忘れてしまっているだろうか?こちらとしてはそうだと有難いが、ミリアはどう思うだろう。

 シャンプーのCMの様に顔を傾け髪を洗っているミリアが、こちらの視線に気付いて笑みを返してくる。その笑みはなかなかに妖艶なものだが、いかんせん体の発育がそれに伴っていない。アンバランスさがどこかおかしく、つい吹き出す。


「失礼な人ね。見てなさい。後三年かそこらもすればベアトリスなんて目じゃない身体になってやるわ」


 口を尖らせるミリアに「そうか、期待している」と笑いながら返すと、「それにいざとなったら魔法でどうにでもするわ」と付け加えてくる。そんな魔法もあるのかと感心していると、「ミリア、後でちょっと話があるぜ」と真剣な表情のウルが身を乗り出す。

 "ドラゴンよりガブリンを選ぶのは、敵にする時だけ"。いつかフレアに教わった、大きい事はいい事だという意味のことわざが頭に思い浮かぶ。


「それにしてもそうやって堂々と裸を晒してる貴方を見てると、本当に別の場所から来たんだなって実感するわね」


 髪を洗い終えたミリアが湯船につかりつつそう言う。見るとウルも横でうんうんと頷いている。

 ミリアが言っているのは羞恥心についてだろう。男女共にあるものだが、こちらでは男性の方が圧倒的に裸体を晒す事に抵抗を覚える者が多い。例えば街中を裸で走り回れば当然罰せられるが、その罰則は男の方が厳しい物となっている。馬鹿げた話だが、"より風紀を乱す"からだそうだ。男女の絶対数の差から、仕方が無いのかもしれないが。

 そんな事を考えながらくつろいでいると、ちらちらとこちらへ向ける二人の目付きがいやらしいもの――変な言い方だが――となっているのに気付く。さすがに居心地の悪さを感じるので、早々に上がる事にした。


 脱衣所で着替えを済ませて廊下へ出ると、着替えを持ったジーナとベアトリスがやってくる。これはもう少し湯船に居座るべきだったかと舌打ちをすると、向こうは向こうで何か思う所があったのか、聞こえてきた舌打ちに思わず苦笑する。正直ジーナが少し怖い。



「これが現在までに溜まっている事案となりますが、明日までに片付きますか?」


 執務室にて、ウォーレンとニッカが持ってきた大量の書類を前にため息を付く。


「無理だな。やれるだけはやるが……ウォーレン。俺が留守の間お前に全権委任するというのはどうだろう」


 ウォーレンはうやうやしく礼をすると「お断りします」と冷たく言い放つ。


「まぁ冗談はさておき。半分位は受け持てるでしょうが、残りはサー・ナバール本人の許可が必要な物です。よほどの事情が無い限り難しいでしょう」


 ウォーレンの言葉にうんざりとしながら「まあ、そうだろうな」と返すと、貴重品入れから指輪を取り出し、決済の印を押していく。ロウと樹脂を混ぜ合わせた物を紙の上に垂らし、そこへ指輪を押し付ける昔ながらの方法だ。詳しい事は知らないが、本人が身に着けて押し付ける事で魔法的な力がこめられるらしい。強固な個人証明と言えるが、解析できる者が少ない事がネックだろう。


「お、ゼクスとジーベンが入団したか。これでベルク一家が揃ったな」


 報告書の中に見つけた入団者の名前に、思わず声をもらす。アキラだった時に先遣隊として活躍してくれた七つ子一家が揃った事に、懐かしさと、何かコレクターじみた嬉しさを感じる。


「ナバール様がぜひにと仰ってましたからね。高待遇で迎えてあります。しかしベルク家と何か過去に面識でも?」


 印を押された書類を受け取りながら、ニッカがそう尋ねてくる。するとウォーレンがわざとらしい咳払いをし、話題はそこで打ち切られる。「聞くな」という合図だ。

 ニッカは「失礼しました」と一礼すると、次の書類を差し出してくる。


「ニドル周辺の街にいる治療術師の一覧と、呼び掛けに応じてくれそうな人材のリストになります。それとこちらは術師養成所から追加の資金要請ですね」


 なんでそんなものをわざわざ、と書類を受け取る。これ位ならウォーレンでも十分対処できるだろうと決済印を押そうとした所で、ふと手が止まる。


「ウォーレン、これは桁をひとつ間違えてないか?」


 養成所からの資金要請として記されていた金額は、試算していたよりもはるかに多い物だった。


「いいえ、そこにある通りです。普通にやるのであれば試算した金額と大差無いでしょうが、一年かそこらで病魔の治療ができるようにとなるとどうしても。単純に三年から五年かけて消費される金額が圧縮されますからね」


 ウォーレンの言に唸り声を上げる。

 一度に全ての額を支払う必要があるわけではないが、要請されている額は百人の兵に十分な軽装備を。もしくは十人の優秀な兵に重武装をさせられるレベルだ。質の良い軍馬を十頭買う事もできる。

 だが、来るべき死病による大量死に対する備えとしては、ぜひともやっておきたい事業だ。治療術師は何人いても困る事はない。


「わかった。しかし他にも色々と使ってしまっているだろう。興行による収入で賄いきれるのか?」


 こちらの質問に「無理ですね」と笑顔で答えるウォーレン。もったいぶった様子の彼に何かあるなと先を促そうとするが、食事の準備を告げる声に一旦作業を中止する事にする。


「ウォーレン、続きは食堂でやるとしよう。必要な書類があれば持ってきてくれ」


 自らもいくつかの書類を手にすると、「俺は補給と"休息"の為に帰ってきたはずなんだがな」とぼやきながら、食堂へ向かう事にした。




久々のほっと日常。

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[気になる点] 貴重品入れから指輪を取り出し、決済の印を押していく。 決済→決裁
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