自分
「こんなもんでいいだろう。ウル、本隊の方に完了の言伝を頼む。」
「おっけい!」と元気良く走り出すウルを見送ると、腕に刺さった矢の痛みに顔をしかめつつ、赤く染まった大地を見渡す。
「ナバール隊長。どうします? 追撃しますか?」
死体なんぞ既に見慣れてしまったが、こうも大量に折り重なっていると、やはり気分のいい物ではない。
「隊長……?」
聞こえていますか?といった様子でこちらの顔を伺う部下に、ようやく自分が呼ばれていたのだと気付く。
「あ、あぁ。いや。相手はほとんどが傭兵だ。劣勢になれば勝手に消えていくから止めを刺す必要は無い。正規軍の方は今頃、フレア本隊の真正面に出くわしてるだろうさ」
それを聞いた彼は、さすがですねと感心したような表情で頷くと、走り去ったウルの方を見やる。
「あれだけ若いんじゃすぐ死ぬかと思いましたが、頑張ってますね。例の兎族。よほど勘がいいんですかね?」
いいのは勘ではなく耳だけどな、と心の中で呟く。
「さぁ、全員撤収するぞ。これで敵を元の国境線まで押し返した事になる。しばらくはにらみ合いが続くだろうから、ゆっくり休むとしよう」
その後フレアの本隊と合流し、宿営地となっている町へと戻ると、英雄の凱旋の様に迎えられる。実際にフレア軍は各地のアインザンツ軍を撃退し、次々と占領地の解放を続けているわけだから、英雄と言って間違い無いだろう。
「凄いですね。町中の人が駆けつけてますよ」
眼鏡に撒かれた花びらをつけながらウォーレン。集まった人々に進行を邪魔されて中々進むことが出来ないが、ようやく隊列が動き始める。
「おい、見ろよ! 突撃隊だ!」
こちらに気付いた町の人が声を上げると、途端に大きくなる声援。
「あれがナバールか? もっと大男を想像してたが、とんだ美男子じゃねえか」
「ねえ見て、黒目黒髪よ。ナバール様だわ! 間違いないわ!」
「救国の英雄フレア様万歳!! ナバール突撃隊万歳!!」
フレア軍の中でも精鋭を集めた突撃隊は、目下の所最大の活躍を見せている。アキラだった頃の記憶から、目ぼしい人材を片っ端から青田買いしたわけだから、それも当然だろう。
口々に叫ばれる賞賛の声に、どこか居心地の悪さを感じながらも、手を振る事で応える。内心はともかく、アキラだった時のように無愛想な真似はしない。一人でも多くの民衆の目に焼き付けてもらった方が良いだろう。
前回の北南戦争では、国境線まで押し返すのに十二ヶ月を要した。今回のそれはまだ半年足らずに過ぎず、多少のイレギュラーはあったものの、理想的な形で進んでいる。このまま行けばかなり早期に決着が付くはずだ。
早期に決着が付くという事は、フランベルグ軍、フレア軍共に失う損失が少なくて済む。フレア軍は元より、国軍もネクロとは敵対関係となるわけだから、きたるべき戦いに向けて、大事な要素と言える。保険は多いに越したことは無い。
「なあアニキ。俺も結構活躍したよな?」
横を歩くウルの言葉に、少しどきりとする。
「そうだな。情報伝達は部隊運用の要だ。目立たないが非常に大事な役割だぞ……それよりそのアニキってのは何だ?」
あごに指をあて、上の方を見やるウル。
「なにって……なんだろな? わかんねえけどなんとなくだな」
あっけらかんとした様子のウルに「そうか」と返すと、再び笑顔を振りまく仕事へと戻った。
「ただいまキスカ。いい子にしてたか?」
臨時指揮所として明け渡された屋敷に戻ると、出迎えに出てきたキスカの頭を撫でてやる。
「はい。皆さんには良くしてもらっていますし、フレア様。ナバール様共にご無事で何よりです」
最近笑顔をよく見せるようになってきたキスカに、安堵を覚える。こちらは生活の面倒を見てやる事はできるが、心の傷をどうこうする事など出来ない。フレアとの生活や、仲間達との交流の中で徐々に癒していく事だろう。
「そうか。ありがとう……しかしその"様"ってのは、やはりどうにかならんか?柄じゃないだろう」
もう何度も繰り返したやり取りだが、彼女は頑としてそれを譲らなかった。
「いいえ。ナバール様はナバール様です。それよりそろそろ例の日時が近づいてきていますが、大丈夫でしょうか?」
キスカの言葉にはっと息を呑む。
――もう半年も経つのか
ついに来るべき日が来た事に、覚悟を決める。
「わかった。それじゃフレアに二、三日留守にすると伝えてくれ」
キスカにそう告げると、最低限必要な物だけを手にし、現地へと向かった。
鬱蒼と茂った森。
差し込む月明かり。
全てが止まったかのような静かな世界。
かつての思い出を頭に描きながら、その時をじっと待つ。
あの日の様に草陰に忍んだ兵士達がいるわけでは無いが、それ以外は全てあの日のままだ。
――さて、どうしたもんかな
もう間もなく"俺"がやってくるはずだ。だが何を語りかけるべきだろう?
――いっそ全てを話すか?
頭の中に浮かんだ手っ取り早い案を、すぐさま打ち消す。
「平和な日本で育った若者に、とても耐えられる様な未来図じゃないな……」
これから彼に待ち受ける運命――そんなものクソったれだが――を思うと、とても話してやる気にはならない。断片的な部分だけを伝えても良いかもしれないが、そうしたら間違いなく全てを聞きたがるだろう。
それもまた面倒だなと腕を組み、考える。
いずれにせよ決まっている点は、アキラには強くなってもらわなくては困るという事だ。今後どういった経緯を辿るのかは不明だが、最悪の可能性を想定しておく必要がある。
今回も、失敗した場合だ。
その場合、アキラには再び扉へたどり着いてもらう必要がある。その過程において俺も死ぬ事になるかもしれないが、後を継ぐ者がいれば、少なくとも希望を抱いて死ねる。
一体この螺旋がどれだけ続いてきたかのか。
そもそも螺旋を終わらせる事が可能なのか。
どこかで途切れた場合の可能性。
新たな螺旋が生まれる可能性。
考えてみればわからない事だらけであり、自分が向かっている先が、どうしようもないほど不確かな物だという事がわかる。
――だがそれでも。進むしかないんだろうな
どうせ他にやれる事などないしな、と自嘲気味の笑みをもらすと、ふと季節外れの凍えるような冷気が肌を撫でる。
「はじまったか」
見上げると、いつの間にあったのだろう。月を後ろに、宙へ浮く巨大な扉。
複雑な想いでそれを見つめる。
既に隙間が開いている扉からは、真っ黒な闇が覗いている。
何かアクションがあるのかとじっと見つめていたが、特に何があるわけでもなく、扉は忽然と姿を消す。
あまりの呆気なさにぽかんとしていると、扉の足元に白い塊がある事に気付く。そしてその上には一人の人影。
ゆっくりと人影に近寄ると、その姿を確認する。
白い円形の雪に、よく映える黒いダウンジャケット。
まだ若々しく、傷ひとつ無いかつての自分の顔。
「そういえば俺はあんな顔をしていたな」
度重なる戦闘による傷と、その壮絶な人生により、すっかり人相の変わってしまっただろう己の顔に触れる。前のナバールの様に、フルヘルムでも被って顔を隠すべきだろうかと考えたが、もう遅いだろう。
「あ、あの……すいません。ここってどこでしょうか?」
混乱した様子の少年。
いくらかの迷いと共に彼に歩み寄ると、手を差し出す。
「ようこそフランベルグへ。なんとも変わった所だが、お前はなかなか気に入る事になるだろうさ」
こちらの手を握り返しつつも、目を点にしたままのアキラ。その握った手のあまりの細さに驚く。やがてヘラクレスの様な肉体になるだろうそれは、青白く、少し捻っただけで簡単に折れてしまいそうだった。
「色々と混乱してるだろうが、まぁ時間はいくらでもある。何が起こってるのかはついてくればわかるさ…………あぁ、そうだ」
まごつく彼を無視し、ダウンジャケットのポケットに手を入れる。
「スポーツドリンク。ひとつ貰うぜ」
こう見るとアキラ君・・・・・・随分やさぐれましたよね