螺旋
「ぐっ!」
勢い良く地面に腹を打ちつけ、痛みに顔をしかめる。
――扉は!?
何も見えない暗闇の中、手探りで扉を探す。
――土?
手に残るざらざらとした感触。漂う土の香り。
徐々に慣れて来た目が、森の木々を映し出す。
「ここは……どこだ?」
まさかという思いに、背中から嫌な汗が吹き出る。
這うようにして近くの木々へと向かうと、青々と茂るその葉を確認し、安堵の声を漏らす。
「よかった……地球じゃない」
フランベルグ地方で良く見るポトルの木。特徴である葉の中央から生えた花が、満開に開いている。
立ち上がり、足を進めようとした所で、それを止める。
どこへ行こうというのだ?
これから何をすればいい?
一体俺に、何が残っているというのだ?
近くにあった大きな岩へ腰掛けると、頭を抱え、小さくうずくまる。
次々と溢れ出る涙。
嗚咽。
誰に聞かれようが知った事ではないと、
叫ぶようにして泣いた。
やがて涙も枯れ果てた頃、森の向こうから赤い薄明かりが漏れている事に気付き、火に群がる虫のようにふらふらと足を進める。
もうどうにでもなれという思いが、いっその事その剣で己の胸を貫いてしまえと誘惑するが、皆からもらった命を大切にしろという思いが、それを押しとどめる。
ゆっくりと明かりへと向かい歩いていると、あたりに焦げ臭さが漂い始め、それが火災による物だという事に気付く。
森を抜けると、近くに小さな町があり、そこから火の手が上がっているのが見える。火の勢いは町中を包み込んでおり、恐らく壊滅的だろう被害を受けているのは間違いなかった。
「ネクロマンサーか?」
ふいに口に出した言葉が、全身に強い力を宿らせるのを感じる。
かみ締めた歯がぎりりと音を立て、怒りで全身の毛が逆立つ。
無意識のうちにフレアの剣を抜き放つと、町へと向けて駆け出した。
「な、なんだこいつ?」
目の前にいる、五人の兵士の内の一人が発した言葉だが、こちらも全く同じ心境だ。
――北軍?
兵士の鎧に彫られた氷の紋様から、彼らがアインザンツ軍だという事がわかる。
一体何をしてるんだと疑問に思うが、兵士の足元に横たわる民間人の姿と、手にした略奪品から、それを理解する。
――こいつら、まだこんな事を!!
理解しろという方が無理があるとは思うが、今は人間同士で争っている場合ではないだろうと憤りを感じる。
――いずれにせよわかっている事がひとつあるな。
こちらの鎧の紋様を見た兵士が、そろりと腰の剣へと手を伸ばす。
――こいつらは敵だ。
まだ何かを言おうと、口を開いた兵士の喉を、振り払った剣で一閃する。
崩れ落ちる兵士の襟首を掴むと、横から突き出された槍への盾とし、弓を手にした男の手首を切り落とす。
横に振られた剣を、加速が付く前に体を前に出し、それを鎧で受ける。
左手のガントレットで鎧と挟むようにして剣を叩き折り、男の顔面へと剣を刺し入れる。
返す刀で、もう一人に脇から心臓へ抜ける一撃を加えると、逃げ出そうとしていた男を投げナイフで仕留める。
「おうおう、すげえのがいるな」
後ろから聞こえた声に、さっと振り向き、剣を構える。
男は両手を上げると、「味方だよ」と笑顔を見せる。
「あんた、凄腕だな。どこの部隊だ? クオーネ卿か?」
男は視線をこちらの胸へと落とす。反射的にしまった、と思うが遅かった。
「その紋様……フレアのとこか?」
現在の情勢から見て、フランベルグ軍が味方とは思えない。王都が既にネクロマンサーの手に落ちている事から、敵である可能性もある。
鋭い目つきで相手をにらんでいると、男の口から予想外の言葉が続けられた。
「なんだ。お仲間じゃねえか。はぐれたのか?」
――仲間? どういう事だ?
一体何がどうなっているとまごついていると、他のフランベルグ兵士がこちらへと歩み寄ってくる。
「どうしたナバール。そいつは誰だ?」
指揮官用のマントを付けた男の発した"ナバール"という言葉にぴくりと反応するが、彼とは似ても似つかない風貌だ。ナバールと呼ばれた男が「どうもはぐれたみたいですね」と答えると、二、三のやりとりをした後、こちらへと向き直る。
「フレアというと、あのお嬢ちゃんのとこか。予定より随分早く到着したもんだな。お前先遣隊か?」
男の質問に「あぁ……」と、肯定の意を示す。男の様子からすると、もしかしたらフレアは離れていた数ヶ月の間に、フランベルグ国軍と何かしらの繋がりを作っていたのかもしれない。
「ふむ、そうか。この辺りはあらかた片付けたから、お嬢ちゃんと合流するまで俺の所に来るといい。腕が立つ奴は大歓迎だ」
――フレアと合流? 彼女はもういないよ
自嘲気味に短く息を吐き捨てると、焼けた町の方を手で仰ぐ。
「……ここはどのあたりなんだ?」
指揮官は肩眉を上げると、鼻で笑いながら答える。
「なんだお前、そんな事もわからずに来たのか。ここはアノーだ。いや、元アノーだったと言った方がいいだろうな」
未だ燃え盛る炎を見つめる指揮官。こちらも同じように炎を見る。
アノーというと、フランベルグ北部にあった町の名前だった記憶がある。随分遠くへ飛ばされたようだ。
――いや、それだけじゃない。何か他に、その名前に覚えがあった気がする。
なんだったろうかとしばし考えるが、思い当たる節が無い。喉元につかえた様な気持ちの悪さを覚えるが、今はどうでもいい事だと忘れる事にし、ついて来いと言うナバールに従う事にする。
焼けた町を、二人で歩く。
「巡回ったってよ。こんな焼けた町、敵さんだって欲しがらねえだろ」
うんざりした様子の言葉に「そうだな」と適当な相槌を打つと、まわりを見渡す。
先ほどから降り出した雨は、やがて町の火を消し去るだろうが、既に町は痛々しいまでに焼き尽くされており、復興はどう考えても絶望的だろう。
「なぁあんた。どこの出だ? あの動き、ただもんじゃねえだろ」
ナバールの質問に、心の中で「地球さ」と答え、かぶりを振る。
そんなこちらの様子を伺うと、にやにやとした顔付きで彼が答える。
「はーん、言えねえってか? んじゃ名前はどうだ? それもだめか? なるほどね。んじゃおめぇさんも俺と同じナバールだな」
何を言ってるんだ?という顔で彼を見ると、したり顔で続ける。
「俺の故郷の言葉さ。ナ・バアル。過去を無くした人って意味だ……っと、なんだ?」
少し離れた場所から聞こえる剣戟の音。「ちょっと行ってくるぜ」という彼を止めるでもなく見送ると、近くの瓦礫に腰を下ろす。
――過去を無くした人か
今の自分にぴったりだなと、自嘲気味な笑みを漏らす。
地球にいた頃の自分はもちろんの事、こちらに来てから自分を作り上げていたまわりの全ては、今はもう無い。
ため息を吐きつつなんとなしに顔を巡らせると、雨の中、焼けた家の前でひとり佇む少女の姿が目に入る。
――戦災孤児か
戦場ではさして珍しい物でも無い。
年の頃は十代前半もいい所だろうか。雨に濡れた栗色の髪がしっとりと垂れ、うなだれた猫の耳が大きく飛び出している。
その左耳は――
「…………キスカ?」
――三分の一ほど欠けていた。
振り返る少女。
驚きと困惑。そして期待の表情。
心臓が、跳ねる。
「まさか…………」
顔を巡らし、森を見る。
「ポトルの木に花が咲くのは春先……あの日はもう夏だったはずだ」
焼けた町。
ナバールという名前。
北軍と、友好的なフランベルグ軍。
「アノー……そうだ。キスカの生まれ故郷だ」
欠けた耳を持つ少女を見やる。
「君の名は……キスカと言うんだね?」
頷く少女。
「あぁ……そんな……」
頭の中に渦巻く、最悪の可能性。
「……もう一度繰り返せというのか!?」
フレアやナバール。そしてミリアが言っていた螺旋の意味を、ようやく理解する。
「嫌だ! もうあんな思いはしたくない!!」
膝を突き、懇願するように自らの体をかき抱く。
七年だ。
七年も頑張った。
血と、鉄と、涙に埋もれる日々。
死に行く仲間達。
あれをもう一度繰り返せというのか?
フレア……ウル……みんな……
顔を上げ、もう一度少女を見る。
――違う
遠くに聞こえる戦いの音。
――もう一度じゃない
鉛のように重くなった体を持ち上げる。
――螺旋だ
視界の隅にわずかに捕えた動き。
――円環ではない。螺旋だ!!
少女へと腕を伸ばし、
本来であれば彼女の喉を貫いたであろうその矢を、
掴み取った。
よくあるテンプレを描いたら―― という趣旨の小説ですので、皆さん予想通りの展開だったかと思います。
もしわかっていながらも、多少のドキドキが届けられたならば、これ幸いです。