決戦前夜
「どうだ、見えるか?」
森の奥深く。ひときわ背の高い木の天辺近くにしがみ付きながら、遠くを見やるジーナに尋ねる。擬装用にと顔中に塗られた泥が、精悍な顔付きを際立たせている。
「はい。数や規模まではわかりませんけども、凄い数の歩哨が見えます。真っ白に光ってますから、スケルトンでしょうか」
囁くような声に、よしよしと頷く。
スケルトンは、そのまま歩く骸骨の死霊で、自然界では最も頻繁に見る機会のあるアンデッドだ。しかし量が量ゆえに自然発生したものとは考えにくい。ゾンビが時間と共に腐敗していき、骨だけになったと考える方が自然だ。
これは恐らく"当たり"だろう。
「ミリア、気付かれた様子はないな?」
がたがたと震えながら腕にしがみ付くミリアが、目を閉じたまま答える。
「ないわ。少なくとも魔力的な意味では。直接見られてるならどうしようもないけど」
「それより早く降りましょう」と震えた声で言うミリアに従い、首都遺跡の偵察を切り上げる事にする。この偵察の第一目標は見つからない事であり、詳しい情報を得る事では無い。せっかくこちらを無視してくれている相手だ。わざわざ注意を引く必要は無いだろう。また、高所恐怖症のミリアにこれ以上長居させるわけにもいかない。
ロープを伝い、音を立てないように慎重に地面へ降り立つと、木のうろに隠れていたウルとベアトリスに目配せをする。二人の問題無いという頷きに安堵すると、すぐさま撤退の指示を出す。
足音を立てないように慎重に歩を進めると、ひとつの痕跡も残す事の無いよう、注意深く森の中へと消えていく。
"探し物は見つかった"
アイロナに戻ると、各町へそれだけを伝える為に団員を派遣する。ネクロマンサーはこちらに興味が無いようなので大丈夫だとは思うが、念の為に他の情報は一切持たせない。
団員達に残った武器をかき集めさせ、機に備えてその整備をさせる。動きを悟られないようあまり大々的に行動するわけにはいかないが、不自然にならない範囲で最大限の努力をする。
往時の三分の一程になってしまった人々の負荷にならないようにと、保存食の作成から包帯等の消耗品の作成に至るまで、剣闘士団の団員達が自らの手でそれを行う。今まで待つ事に飽き飽きしていた団員達は、慣れない手作業に戸惑いながらも精力的に作業へと打ち込んだ。
やがてそれからふた月が過ぎた頃、ようやく待ち人からの連絡があった。
ウォーレンよりフレアからの手紙を受け取ると、震える手でそれを読み、機密保持の為にすぐさま焼却処分する。
「ウォーレン。決戦だ」
短く告げた言葉に、車椅子のウォーレンは驚きの顔で背筋を正し、敬礼をする。
「総力戦ですか?」という質問に頷いて肯定する。
「先の事は考えなくていい。ありったけの装備品を持っていく。兵站についての心配もいらないとの事だ。他に方法など無いから、短期決戦に持ち込む腹だろう」
部下の前で戦略に選択の余地が無い事を口にするのはどうかと思うが、本人達も十分にわかっている事のはずだ。
「了解しました団長。丁度みんな魔物退治には飽き飽きしてた頃です。十分な働きをしてくれる事でしょう」
ウォーレンはそう言うとすぐに隣の部屋へと向かい、指示を飛ばし始める。扉越しに声の様子を伺うと、話を聞いた団員達は動揺した様子も見られず、威勢のいい声を上げていた。
士気がまだ保たれていた事に安堵の息を漏らすと、長い間世話になった部屋をぐるりと見渡す。
使い込まれてすっかり磨り減ってしまったソファ。角の削れた執務机。蝶番の調子が悪く、いつもきーきーとした音を立てるクローゼット。安っぽくみすぼらしいが愛着のあるそれらを、ひとつずつ思い出と共に眺めていく。
「これが見納めになるかもしれないな」
世界を獲らんとする軍団と、一地方の手勢。
来たる戦いは無謀としか呼べない物だ。帰ってこれると考える方がどうかしているだろう。
だが、それでもやらなければならない。
既に話は個人の考えやどうのこうのを超越している。
戦って死ぬか。
戦わずに死ぬか。
ただそれだけだ。
決戦についての報を出した日の夜。部屋でひとり武器の整備を行っていると、ノックの音が響く。「入ってくれ」との言葉に従い現れたのは、寝巻き姿のジーナで、珍しく酒瓶を手にしている。
「備蓄庫の中にあった年代物だそうです。もったいないからってウォーレンさんから頂きました」
舌を出してウィンクをする彼女に、そうか、と笑いながら引き出しから杯を取り出すと、ベッドへ腰掛け、椅子へ座るように促す。彼女は一度椅子に座ったものの、座りが悪いのか少し考えた様子を見せ、結局隣へと腰掛けてきた。
器へと注がれた深い赤みのある酒は、その色に相応しい芳醇な香りを放つ。どうやら質の良いワインのようだ。
乾杯の習慣がないこちらに習い、注がれた傍からぐっとあおると、彼女の目を見つめながら口を開く。
「村へ帰らなかったのか?」
ジーナは「はい」と短く答えると、自らもワインをあおり、はあっと息を吐く。
「ベアトリスと相談して残るって決めました。まだ村にはいくらか人が残っていますけれど、見知った人はみんな本領の方ですから。もう帰る所は無いんです」
少し遠くを見つめた彼女に「そうか」と答える。
疫病と魔物から逃れ本領へ向かった判断が間違っていたとは思わないが、結果的に見ると村の寿命を短くしてしまっただけだったのかもしれない。ネクロマンサーがどういった統治を行うつもりなのかはわからないが、ニドルでの惨状や送られて来たわずかな情報を見る限り、絶望的だろう。
素朴ながらも美しかった村の様子を思い出し、胸が痛む。
足早に一杯目を飲み干すと、すぐに次の一杯が注がれる。
「次の戦いが最後になるかもしれないんですよね?」
少し震えた声。
天井を仰ぎ、答える。
「……まあ、そうだろうな。勝っても負けても次が最後だろう。フランベルグ含め、この辺にはもう勢力と呼べる勢力は残っていない。ネクロマンサーを取れればこちらの勝ち。負ければ世界は奴の物だ」
既に誰もが理解しているわかりきった答えだが、真剣に頷くジーナ。
「私なんか大した価値も無い。それこそただの村娘ですけど……でも、世界を救う為に戦えるのなら、それって立派な事ですよね?」
こちらを見上げるジーナに強く頷く。これで立派でないとしたら、一体誰を立派と呼べというのだ。
空いていた彼女の器にワインを注いでやる。
しばらくの間、考え込むようにじっとそれを見ていた彼女だが、何かを決意したかのようにそれを一息に飲み干す。大丈夫だろうかと心配して見ていると、懸念通り目を回してベッドへと倒れこむジーナ。仕方の無い奴だと苦笑いをすると、強く袖を引かれる。
「立派なら……ご褒美が必要だと思います」
じっとこちらを見つめる、大きな瞳。
彼女が何を求めているのか、それが解らない程こちらも子供では無い。
手にした器をそっとテーブルへ置くと、優しく口付けをする。
目の前に迫ったその瞳を、感謝と愛情を持って見つめる。
自分には世界を救うだとか何だとか、そういった大きすぎる話は良くわからない。人々は強者だ英雄だと言うが、俺は自分をそんな大げさなものだとは思わない。
見ず知らずの人の為に命を捧げられるほど崇高では無い。
だが、目の前にいるこの娘のような、
愛すべき人達の為だと言うのであれば、
英雄にだってなんだってなってやる。
いよいよ、といった感じでしょうか。
迫る絶望的な戦いを、アキラはどう戦うのか。