逃避
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
仕事が忙しく、なんとも投稿が不定期になりそうです。
こちらの首元目掛けて真っ直ぐに突き出される剣。
身体を横に回転させる事でそれを避けると、剣を握ったままの拳で、こちらに伸びた相手の手の甲を打ち据える。
そのまま相手の懐へ身を寄せると、軸足を払い、密着したまま圧し掛かる様に倒れ込む。
相手はなんとか逃れようと手足をばたつかせて抵抗するが、盾と脚を使ってそれを抑え込むと、その首筋に剣を突き付ける。
「君は体の線が細い。接近されたら終わりだ。踏み込みを強くするのはいいが、すぐ後ろに下がれるよう、重心をもっと安定させた方がいい」
首に突き付けた模造刀を離すと、手を貸して起き上がらせてやる。
「は……はい! ありがとうございました!」
少し潤んだ目でこちらに礼を言う少女に手を振る事で答えると、次に指導を求める男がこちらへやってきて、大きな声で挨拶をする。
「サンレガ騎士団、オウルが息子! ランディッシュ・オウルン! お会い出来て光栄であります!」
耳鳴りがする程の声量に軽く顔をしかめると、頷くことで返礼とする。
順番待ちの列を見やると、全部で三十人はいるだろうか?これからそれら全てに組手と指導をすると考えるとうんざりする。
「なんだか思っていたのと違う流れになったな……」
並んでいるのは誰も彼もがれっきとした騎士だったり、貴族だったりと、いわゆるやんごとなき身分の連中だ。剣闘士に戦闘術を習いに来る軍人や騎士というのは珍しいものではないが、入団希望となると話は別だ。
これらは剣闘団の募集と共にやってきた連中で、興行にも参加する事になっている。死傷率の低い剣闘という事に魅力を感じたのだろう。並んでいる顔ぶれの中にはいくつかフレアの屋敷で顔を合わせた事がある者もおり、中には王国騎士団に所属していた経歴がある者や、貴族の直系の跡取りまでいる。
「家を継ぐのに何か手柄が欲しいといった所か? まあ、同じ戦うなら勝ち馬に乗りたいわな」
ひとりぶつぶつと呟くと、模擬試合開始の合図と共に前のめりに駆け出し、相手の踏み込んだ足を踏みつける。
振り下ろされた剣はそのまま背中で受け流し、左手で相手のヘルムの隙間を塞ぎながら仰け反らせる。余った右手で開いた喉を軽くひと突きしてやると、相手は喉を押さえながら激しくむせてくずれ落ちる。
「家ではあまり習わん戦い方だろうが、戦場ではこういった泥臭い戦い方をする必要に迫られる事も多い。特に魔物相手ではそうだな。あんたいい剣筋をしてるが、もうちょっと慎重になった方がいいだろう。単純真っ直ぐは戦場じゃすぐ死ぬぞ」
なおもむせ続ける男を引き起こしながら、簡単にアドバイスをする。
一度手合せをした位で、急に実力がついたりするなんて事はまず無い。であれば生き残って次に繋げられるような助言をしてやるのが一番効果的だろう。
「しかしフランベルグ国王は何を考えてるんだ。このままだと本当に国が分裂しちまうぞ?」
今この場にはいないが、恭順や共闘を示した少なくない諸侯達の事を考えると、女王として戴冠を受けるフレアという図が現実味を帯びてくる。フレアは王の座など興味が無いと言っていたが、情勢がそれを許さないという事もありえる。
「王配など冗談じゃないぞ。頼むからしっかりしてくれよ王様……」
敵である国王に複雑な気持ちでエールを送ると、次の対戦者へと向かい合う。
こいつは確か子爵の息子だったか?フレアが男爵で俺も同格として扱われるとすると……目上になるのか?どうなんだ?子供は一つ下か?ああもう、くそ、面倒だ!
貴族の習わしなどさっぱりわからないし、考えるのも面倒だ。こちらは入団を希望されている側の団長なのだし、別にかまわないだろう。
とりあえず全員叩きのめす事に決めると、なんだか非常にすっきりとした気持ちになった。
「で、本当に全員叩きのめしたんですか?」
呆れ顔のウォーレンにうむ、と頷く。
「正直、体育会系……と言ってもわからんか。直情的な連中は苦手だ。単純で扱いやすいが、どうにもしつこくてな。動けないようにしてやらんと何度でも向かって来るんだよ。あいつら何考えてるんだ?」
何を考えているかはわかりませんが、とウォーレン。
「それだけうちの団も団長も大人気なんですよ。僕なんか女性にモテた事なんて今まで一度もありませんでしたが、今じゃ毎週のようにプロポーズの手紙が届きます」
嬉しそうではあるが、どこかうんざりしたような表情。受けるにしろ断るにしろ、恐らくきちんとした返事を書かなければならないような相手なのだろう。
ウォーレンは「考えてもみて下さいよ」と続ける。
「先の戦争における救国の英雄であるフレアの夫にして、フランベルグ周辺にその名を轟かせる無敗の剣闘士アキラ率いる剣闘士傭兵団。ですよ?言葉だけ聞くと、まるでおとぎ話の世界での話です」
「そりゃまあ、そうかもしれないが……ちょっと待ってくれ。俺は別に無敗じゃないぞ?確か八回かそこら負けてるはずだ」
ウォーレンにそう反論すると、「個人戦じゃ負けなしじゃないですか」と返され、言葉に詰まる。
「それにもう噂や評判がひとり歩きしてますからね。実態がどんなだろうと、もはや関係無いんだと思いますよ。団長はそういうのお嫌いでしょうが、まあ、諦めて下さい」
ウォーレンはそう言うと、こちらに何かの書類を差し出してくる。
「本日お誘いが来ている食事会です。全部で四件ありますから、全部まわるのでしたらひとつ目の会場で食べ過ぎないように注意して下さい」
ウォーレンから受け取った招待状を手に、どうしたものかと途方にくれながら廊下を歩いていると、「よう、アニキ! 元気……は、なさそうだなぁ。どした?」というウルの声。
「どうしたも何も」と手にした招待状をトランプのカードのように扇状に広げると、ウルは引きつった笑みを浮かべる。
「偉くなるってのはいい事ばっかじゃねえんだな。まあ、"そんな事"どうでもいいじゃん。どっか遊びにいこうぜ! みんな忙しそうでつまんねえからさ!」
ウルのあっけらかんとした様子に言葉を失う。
――そんな事、か。
手元の招待状に目を落とし、しばし考える。
「ふむ……よし、それじゃ変装して町へ出るか。こんな物は放っておこう」
持っていた招待状をその場に投げ捨てると、悪そうな笑みで「いいのかよ」と言うウルに「フレアに怒られる時はお前も一緒な」と返し、諜報員の詰所へと二人で走り出す。あそこなら変装用の衣装が山程あるだろう。
小さい頃いたずらをした時のような、何か懐かしい高揚感。二十五にもなって何をやってるのかとは思うが、"そんな事"今はどうでも良かった。
「へへ、なんかどきどきすんな。悪い事してるみてぇでよ」
頭からすっぽりと被ったローブの隙間からうきうき顔が覗く。
「頼むからばれないようにしてくれよ。面倒な事になるぞ」
昼時の市場は活気で溢れ、新鮮な肉や果物。それに各種穀物が所狭しと並べられている。
手近にあった肉屋の屋台を覗いてみると、地球のそれに比べ、ずっと多くの種類の肉が売られている。その大半が何の肉だかすらわからないが、屋台脇に添えられた肉焼き窯からは食欲をそそる匂いが発せられている。頼めばその場で焼いてくれるようだ。
パンタという豚に似た味の肉を串焼きにしてもらうと、二人でこそこそと道端へ寄り、屋敷から持ってきた塩とハーブを振り掛ける。塩は高価なので、あまり人に見せない方が良いだろう。
十分に味が乗った所で、それを頬張りながら、市場通りを練り歩く。時折訝しげな表情で見られる事もあるが、巡礼者に見えない事もないはずだ。こちらの世界に巡礼という習慣があるのかどうかは知らないが。
「うわ、なつかしいなこれ!」
そういってウルは小さな小物売りに並べられていた木の人形を手に取る。
「おっちゃん、これフリード王の人形だろ? ちっちゃい頃かーちゃんに買ってもらった事があるぜ。失くしちまったけどな」
懐かしむ表情で、ドラゴンスレイヤーの伝承の主人公を模した人形を見つめる。
「買わないのか?」
人形をそっと敷き布に戻したウルに問う。
「うん、いいんだ。買ってもらったのと同じだけど、同じじゃないからさ」
その時ウルがどんな表情をしていたのかは、深く被ったフードが邪魔でわからなかった。
「うひょおー!! パイオツでけぇな! ベアトリスよりあんじゃねえか!?」
「しっ! おい、あんまり目立つな。お前はただでさえ小くて子供に見えるんだ。巡回が来たらまず誰何されるぞ」
胸を押さえて「うるせえ! これからデカくなる予定なんだよ!」と喚きたてるウルに「胸の話じゃない」と口を押えて黙らせる。
「しかしなんで女性劇場の方なんだ? お前一応女だろうが」
目を爛々と輝かせてダンサーを見つめるウル。
「なんでって、男の方行ってもアニキつまんねえだろ? おわ、あいつすげぇぞ。なんかもう色々見えてんじゃねえか」
確かにその通りだが、同性の裸体など見て楽しいのだろうか?
「うへぇ、耳ってああいう使い方もあんだな……」
ウルの言葉に釣られて舞台の方を見る。
これは……うむ。あれだな。凄い。
「っと、まずい。巡回が来た。行くぞウル」
入口を見ると、巡回中の顔に憶えのある団員二名があたりを見回していた。確かイーセルとフッカだったか? 真面目に仕事をしているようだ。
「おいウル、いい加減にしろ。ここで見つかったらバツが悪いなんてもんじゃないぞ」
なおも食い入るようにダンサーを見入るウルを、無理矢理引っ張る。
「えぇー、もうちょっといいじゃん。最近むらむらすんだよ。もうすぐ時期だからしょうがねえけどさ」
ウルの言葉に、そういえばもうすぐ春かと思い出す。種族によってまちまちだが、兎族は確か春が発情期だったはずだ。
「気持ちはわからんでもないが駄目だ。ほら行くぞ……って、まずい!」
こちらの不審な様子が目に止まったのだろう、他の客をかき分けてこちらへ向かう団員の姿が目に入り、急いで外へと向かう。
後ろから「そこの二人! ちょっと待て!」と声がかかるが、無視して全力で走り出す。
裏道を通って職人通りへ出ると、住宅街をかすめる形で再び市場通りへと戻る。しばらくは追って来ていた彼らだったが、市場通りの人混みに紛れてしまうと、さすがにやる気を失くしたようだった。
「へへ、あいつらダメダメだな。へたばってやんの」
まるで疲れた様子の無いウルに、俺もだよと息を切らせながら苦笑いを返す。
その後しばらく市場でぶらぶらした後、適当な酒場で軽く酒を飲むと、屋敷へと戻る事にする。夜通し遊ぶわけにはいかないし、あまり遅くなるとさすがに大問題に発展する恐れがある。
「この後アネゴに怒られると思うとアレだけどさ、今日は楽しかったな」
頭の後ろで手を組み、いかにもご満悦な様子のウル。
「そうだな。また行こう。実に楽しかった」
夕日が差し込み始めた道を、二人でゆっくりと歩く。
やがて屋敷が近づいてきた所で、ふと足を止める。
「なあウル。これから色々あるだろうが。それでも俺達は……その……」
逆光の中、こちらを振り返るウル。
「おう。ダチこうだぜ。あたりめえじゃん!」
凛々しい笑顔。
――ダチ、か
なんともむずがゆいが、暖かい気持ちだ。
そしてこんな気持の時は、
あの時の事を思い出す。
続く