新しい日常
いつも読んで頂きありがとうございます。
なんか決まりきった挨拶みたいで申し訳ないですけど……
「暇ですねえ……」
「あぁ……」
ニドルの指揮官室でウォーレンと二人、だらしない格好で椅子にもたれかかり、何をするわけでもなく天井を眺める。
先日の作戦指揮所での話し合いの後、扉の会とネクロマンサーについての調査を最重要事案とする事が決まったが、いかんせん情報が手元に全く無いため、すぐにどうこうする事が出来ない。
また、フレアが現状以上の領土の拡張を止めた為、それまで行っていた先遣隊の活動も休止。そのほとんどが治安維持活動と、地球由来の植物の分布調査に当てられる事になっていた。
何かめぼしい情報や調査結果が得られればすぐにでも行動できる体制にはなっているが、現状出来る事と言えばそのほとんどが待つ事だけだった。
ネクロマンサーは扉の会を襲っていた。
既に組織が必要無くなったか、組織の内部分裂か、それとも何らかの事故なのか。考えてもわからない事だが、既に準備は整ったという最悪の状況を想定しておいた方がいいだろう。
後手に回るのは癪だが、相手が何か行動を起こすのを待つ他無い。
「七年もかかったんだ。待つのは慣れてるさ」
何の事だろうと不思議そうな顔をするウォーレンを横目に、出かける準備をする。
「ちょっと町へ出てくる。留守は任せたぞ」
一時は町全体へと広がった疫病の被害も治まり、ようやくかつての賑わいを取り戻し始めたニドルの町を、ゆっくりとした足取りで進む。
本当は市場通りを散策してみたい所なのだが、領主の婿という事もあるし、あまりに有名になってしまった為、群がる人々を掻き分けて歩く事になるのは間違い無い。
別に初めての事ではないが、この世界では目立つ黒目黒髪が少し恨めしく思える。
時折丁寧なお辞儀と共に挨拶をしてくる婦人方を、適当にあしらいながら歓楽街の方へと足を進める。
他の東の国の町々と変わらず昼間から営業しているそこは、町の中で最も栄えている場所であり、また、問題も多い。
酔っ払い同士の喧嘩などしょっちゅうだし、スリや強盗などの被害もある。剣闘団が駐屯するようになってかなりましになったが、それでも毎日必ず何件かは被害の報告が上がってくる。
「身内同士で争っている場合じゃないんだがなぁ……」
誰にともなく愚痴をこぼしながら歓楽街の裏通りへと入り、先ほどから聞こえて来る喧騒の方へと向かう。
声の元にたどり着くと、そこには取っ組み合いの喧嘩をする女二人と、それをはやし立てる人だかりが出来ていた。近くで人々からせっせと金を集める男がいる事から、恐らくどちらが勝つかが賭けの対象になっているのだろう。
しばらくそれらを止めるでもなくじっと見ていると、顔を上げた胴元らしき男と目が合った。
男はこちらが誰だかがわかったのだろう、持っていた金を取り落とすと、かわいそうになる程震え始める。まわりの人々も男の様子がおかしい事からこちらの存在に気付くと、ばつが悪い表情へと変わっていく。
やがて喧嘩で争っていた二人までもがこちらに気付いた所で、はぁ、とひとつ大きなため息を吐き出し、声をかける。
「許可を得たものではないな? 本来であれば引っ立てる所だが……まあ、今は巡回というわけじゃない。見逃してやるから今日の所は解散するんだ」
しっしっと追い払うように手を振る。
人々は残念そうではあるが、助かったといった表情で、こちらへの感謝の言葉と共にすぐにその場を去っていく。
やがて誰もいなくなった裏通りを、再び歩き始める。
「娯楽か……」
地球において無数に存在していたそれに比べ、こちらの世界では娯楽が少ない。
さらにその中でも、生活に追われている人が大半であるというのもあるが、最近になるまでまともな行政府すら無かった東の国においては特に顕著だ。
「古代ローマではパンとサーカスと言ったか? 帰ったらフレアに相談してみるか」
頭の中にいくつかの候補を書き留めると、実現できそうな案をフレアに具申する事を決める。いくつか良い案が浮かんだが、他にも無いものかと考えていると、いつの間にか目的地へと到着していた。
歓楽街でもひときわ大きい石造りの建物であるそこからは、まだ日も高い時間だというのに男女の嬌声が漏れ聞こえてくる。まともな防音設備など期待できないので仕方が無い事ではあるが、なんとも気恥ずかしい気持ちになる。
表に立っている武装した警備の者は、こちらに気付くと深々としたお辞儀と共に裏口の重厚な扉を開け、中にいた使用人に声をかける。中に入るとすぐに身なりのいい支配人の男が現れ、応接室へと通された。
「少々お待ち下さい。すぐにお持ちしますので」
支配人はそう言って席をはずすと、入れ替わりで二人の美女が部屋へと入って来る。目のやり場に困る格好をした女達は、こちらを挟む形でソファへと腰を下ろすと、目を見つめ、しなだれかかってくる。
押し付けられる柔らかい感触に、つい鼻の下が伸びそうになってしまう顔をなんとか押しとどめ、支配人が戻ってくるまでの時間をじっと待つ。
別に離れるよう言ってもいいのだが、彼女達も仕事だし、娼館側も必死だ。
たかだか書類を取りに行くにしては長すぎる時間の後、部屋に戻ってきた支配人の顔に、期待はずれの表情が浮かぶのを見つける。女たちが後で叱られなければ良いがと心配にはなるが、そこまで気にしてやる義理も無いだろう。
支配人から渡された書類には、この娼館で働く男女からもたらされた、様々な"噂話"がまとめられている。普段口の堅い者でも、ベッドの上ではそうでなくなる者は多い。この娼館は、いくつかの行政上の便宜を図るのと引き換えに、こういった情報をまとめて提出する約束になっている。
なんらかの情報か、その欠片でも集まれば良いという事で、フレアは町の様々な組織に同様の約束を交わしている。今の所扉の会がらみの情報は得られていないが、こうやってリークされる情報は、他の様々な部分で役に立っている。
唯一不便な事は、こういったやり取りが形に残ってしまう契約ではなく、あくまでフレアと組織との間に交わされた、ただの"約束"である事だ。ゆえにわざわざ俺かフレア。最悪剣闘団の幹部あたりが直接取りに来なくてはならない。
「確かに受け取った。引き続き頼むよ」
受け取った書類と引き換えに、更新された経営許可証を手渡す。
本来許可されていないような幼子を店に並べるような娼館など潰れてしまえとは思うが、仕方が無い事でもある。どうせここを潰しても他が始めるだろうし、そうなるとこちらの管理から完全に外れ、闇に潜る形になってしまうからだ。
支配人に礼を言うと足早に娼館を去り、その後同じ様な用件で二、三の商店を回る。歩きながら書類の内容を確認するが、残念な事に今回も大した情報は含まれていないようだった。
「剣闘を行う? ここでかい?」
二人の私室でソファに寛ぎながら、昼間考えた案をフレアへ説明する。
「ここ、というか君の各領地で、だな。昼間町を見回って思ったんだが、ここは娯楽が少なすぎる。君の治世が始まった事で生活が今までよりも楽になるだろうから、人々は余った労力や金でさらに娯楽を求めるようになるはずだ」
フレアはふむ、と考える様子で手を顎にあてる。一体どこから購入したのだろう?その扇情的な下着姿とはまるで似合わない表情だ。
「剣闘団はその名の通りほとんどが元剣闘士だ。キャストには事欠かないし、いい訓練にもなる。もしかしたらそのまま剣闘士に憧れを持って、将来優秀な団員になってくれる子供達も現れるかもしれないぞ」
ひと通り考えがまとまったのだろう、「確かに悪くない案だな」と頷きが返る。
「今後脅威が減っていく事を考えると、今後民衆が我々を舐めてかかる可能性があるね。そうなると剣闘の興行は首都で行ったそれと同様、効果的なものになるかもしれない……ふむ。剣闘か。悪く無いね」
具申した案がなかなかお気に召したようだ。フレアはにこにこと戸棚から高い酒を取り出すと、二人分を注ぎ始める。きつい度数のアルコールが含まれた酒の香りがあたりに漂う。
「しかしそうなると王都とは違った形でやる必要があるね。事故ならばともかく、大事な団員を次々と死なすわけにはいかないし、何より闘技場が無い。しばらくの間は広場や講堂を使った、どちらかというと移動サーカスのような感じになるのかな」
フレアの言葉に頷く。
「そうだな。重装備での戦闘をメインにして、なるべく負傷者を出さない形にした方がいいと思う。血が流れないのは観客にとってあまり刺激的ではないかもしれないが、そこは剣闘士の腕の見せ所だろう。それに小さな村々では生まれてから全身鎧なんぞ見た事も無い、という者も多い。ほんの少人数でもそういった所を回れれば随分と楽しんでくれるはずだ」
フレアは満足そうに頷くと、机の上にあったベルを鳴らす。
「善は急げだ。早速具体的な検討に入らせよう。しかし君も政について考えてくれていたんだね。てっきりそういった事には興味が無いものかと思っていたよ……ふふ、それに君も再び剣闘士らしい事が出来るね」
楽しそうにそう言うフレアに「そうだな」と苦笑いで返すと、部屋にノックの音が響く。
フレアの「入れ」の言葉に従いキスカが静々と入室する。
「キスカ、副団長に伝えて欲しい事がある。支配域への慰安と威圧を兼ねた剣闘の興行を…………君は一体何をしてるんだ?」
フレアの言に何事かとキスカを見やると、彼女は顔を真っ赤にし、着ている服を半分ほど脱いでいる所だった。
「ふむ。私の格好から"そういう事"に誘われたと勘違いしたのかな? そいつは済まなかったね。残念ながら私はまだ君を混ぜて致す程の余裕は無いよ」
あきれた様子でフレアはキスカに服を着るよう指示をすると、本来の目的である剣闘についての言伝を伝える。
キスカはメモを取ることも無くそれらを覚えると、足早に部屋を出て行く。部屋を出る際の一礼を忘れるなど彼女らしくもないが、相当に恥ずかしかったのだろう。
「フレア、あまりキスカを苛めてやるなよ? というか今日のその、君の格好はどうしたんだ?」
そう言うとフレアは堂々とした様子で立ち上がり、手を広げて見せる。
「お前が娼館に向かったという報告を受けたからな。恐らく欲情してるのではと思い、用意させた。どうだ? なかなか似合うだろう?」
あまりの堂々っぷりに、もう少し恥じらいがあればな、と心の中で呟きつつ、賞賛の言葉を送る。
彼女は得意げな顔でそれを受けると、ゆっくりとした足取りでこちらへ近づいて来る。
扉の会やネクロマンサー。一向に進展を見せない事態にもどかしさは募る。
だが、こういった平和な日々もまあ、
人間には必要だろう。
なんか第36話目にして、ようやく主人公が落ち着いた生活を手にした気がします。読者共々ゆっくり休んで下さい。
キスカかわいいよキスカ。全然登場しないけど。