涙
久しぶりの戦闘シーンでござる!
既に使われなくなって久しい丈夫な石造りの噴水を挟む形で、マンティコアと対峙する。
マンティコアは突然躍り出て来たこちらに気付くと、警戒するようにうなり声をあげる。
「いいか、殺そうなどと考えるな。時間を稼げればそれでいい」
マンティコアがそうするように、こちらも噴水のまわりをゆっくりと回る。
やがてしびれを切らしたのだろう、翼を大きく二度羽ばたかせると、噴水を飛び越える形でこちらに飛び掛ってくる。
それを前に飛び、体の下をくぐる形で回避すると、振り向きざまに投げナイフを投擲する。
マンティコアは驚いた事にそれを尻尾で叩き落とすと、転回する体もろとも地面をその巨大な手でなぎ払ってくる。
反射的に後ろへ飛ぶ事で避けるが、爪先が少しひっかかったのだろう、ブレストプレートがベルトを引きちぎりながら吹っ飛んでいく。
――あと数センチで内臓がやられていた!!
横への衝撃から不恰好に着地すると、すぐさま再び横へ飛ぶ。
反対側から繰り出されていた爪が先ほどまで自分が居たその足元を抉る。
マンティコアは手ごたえの無さに腹が立ったのか、頭を下げこちらへ飛び掛る姿勢になる。
「こっちだぜドラ猫!」
噴水の脇から投げられたウルの投げナイフがマンティコアの前足に突き刺さる。
それは軽く針を刺した程度にしか感じなかっただろうが、注意がウルの方へと逸れる。
――今だ!!
飛び掛るようにマンティコアに向かって走ると、全力で頭目掛けて切り付ける。
しかしネコ科の持つありえない反射速度で後ろへ飛び退かれてしまい、前足を切り付けるにとどまる。
「くそ! なんて固さだ!」
あわよくば首を切断するつもりで放った一撃は、その分厚い皮に阻まれ、軽い傷を負わせる事しかできない。
マンティコアの切り返しに警戒して姿勢を低くした所で、ようやく配置についた射撃部隊による攻撃が始まり、こちらへ飛び掛る様子を見せていたマンティコアの機先を制してくれた。
矢が刺さり叫び声を上げるマンティコアを警戒しつつ、ウォーレンがいる噴水の後ろ側へと回り込む。
「隊長! 自分には五分持つと思えないのですが!」
叫ぶウォーレンに短く「そうだな」と答えると、再び投げナイフを投擲する。
マンティコアはその巨体からは想像できない素早さでそれを横に避ける。
「正直想像してた以上だ。まともにやるなら弓兵が五十は欲しい」
相変わらず不気味なうなり声を上げるマンティコアはこちらをじっと見つめると、大きく牙を剥き、姿勢を低くとる。
その顔は笑っているようにも見える。
「気をつけろウォーレン! 何か来るぞ!」
嫌な予感を感じ、叫ぶ。
ウォーレンは何かを叫ぼうとしたが、凄まじい轟音と共に放たれた突風によりその声は掻き消される。
――何だ! 魔法か!?
なんとかその場に留まろうと地面にしがみ付くが、ずるずると後ろへと押しやられる。
勢いよく飛ばされていくウォーレンを横目になんとか前を見やると、何の事はない。マンティコアはその翼でこちらを扇いでいるだけだ。
「くそ! そんなのありかよ!!」
やがて翼を収めると、噴水より引き離されたこちらへ向かい走り来る。
まずい!となんとか体勢を戻して逃げようとした所で、なぜかマンティコアはその場で止まると、上半身を地面に押し付けるようにして尻を上に突き出す。
まるで矢のようにこちらへ向く尾先。
反射的に盾を構える。
強い衝撃と共に親指ほどもある大きな棘が盾へと突き刺さる。
「報告書ってのは読んどくもんだな……」
尾より投射されたその棘先からゆっくりとしたたる猛毒に触れないよう、急いで盾をはずすと、こちらへ走り来るマンティコアに投げつける。
足止めにならないかと期待したが、顔で振り払うように弾かれてしまい、突進の速度を殺す事が出来ない。
衝撃に備えて歯を食いしばり、その突進力を利用してやろうと剣を槍のように構える。
だがマンティコアは大きく翼を羽ばたくと、頭上を跳び越し、近くの家屋へと突っ込んで行く。
「まずい……グレース!!」
突っ込まれた木造の家屋は、マンティコアのその大きさも重さも支える事ができず、圧し掛かられた部分が削り取られるかのように崩壊する。
ずるずると滑り落ちるように降りてくるマンティコアの口には、肩口を腕ごと咥えられたグレースが、なんとか助かろうともがいている。
マンティコアは雨に濡れた犬がその身を乾かす時の様に激しく頭を振るわせると、その急激な加速度に耐えられなかったグレースの全身の骨が砕ける音が響く。
「あぁ……ちくしょう……ちくしょう!!」
急激に頭に上った血が、意思とは裏腹に体を前へと押し出す。
マンティコアは事切れたグレースを放り捨てると、こちらへ向き直り、その牙を剥く。
「こいつをくれてやる!!」
衝突する寸前に左腕を突き出し、全力で上へ飛ぶ。
マンティコアの牙に捕えられた左腕を支点に、縦へ回転してマンティコアの背中に叩き付けられる。
急制動をかけたマンティコアに振り落とされないように、なんとか動く左手で牙を掴み、足でその首へとしがみ付く。
次の瞬間ガントレットごと左腕が噛み砕かれ、激痛が走る。
「頼むから……飲み込むなよ!!」
右手に持った剣を逆手に持ち返ると、持て得る限りの力でマンティコアの首へと突き立てる。
固い皮を突き破った剣先が、噴水のような血飛沫を上げる。
痛みに大きく吼えたマンティコアにより左腕が開放されたが、既に腕は全く動かない。
狂ったように体を激しく動かすマンティコアに、なんとか片腕で剣にしがみ付くと、振り落とされまいとその太いたてがみに歯で食らいつく。
――さっさとくたばりやがれ!!
とめどなく溢れ出る血が全身を濡らし、生臭い鉄の臭いで溢れる。
やがてしばらく動きまわったマンティコアは、振り落とすのは無理だと思ったのか、その動きを急に止める。
――なんだ? ……まさか!
目線を後ろに向けると、こちらへ狙いを定めた尾先が目に入る。
――もう少し!もう少し待ってくれ!!
焦燥感と共に尾先を見つめていると、「うおおおお!!」と叫び声を上げたウルが尻尾へと掴みかかり、ウォーレンが横腹へと槍を突き入れる。
狙いが外れた毒針が髪をかすめ、あらぬ方向へ飛んでいく。
なおも逃れようと激しく動くマンティコアにしがみつく3人。
3人を引きずりながらも狂ったように暴れ続けるマンティコアだったが、やがて2歩3歩と足を進めると、前のめりに崩れ落ちるようにその身を横たえる。
下敷きにならないよう剣を離し飛び退くと、口の中に残ったたてがみの毛と、噛み締めすぎて砕けた自らの歯を吐き出す。
「人間がいつまでも餌でいると思ったら大間違いだ。」
ウォーレンから槍を受け取ると、化け物の額へ目掛け、
一気に槍を突き入れた。
「アキラ様、お加減はいかがですか?」
砕けた手の治療をしながらジーナがこちらの顔を窺う。
「あぁ、悪くないよ。随分楽になった。それより様付けは本当にやめてくれ。柄じゃない」
本当はまだかなり痛むが、部下達の前で醜態を晒すわけにもいかず、強がる。
マンティコアとの戦いに勝利した我々は、住民達の熱烈な感謝の言葉を受けながら拠点へと引き返した。
途中途中で集まった住民により道が塞がれてしまい、あまりの腕の痛みに何度か意識を失いかけたが、気の利く何人かの男達と、合流した増援部隊が道を空けるよう先導してくれ、無事に帰還する事ができた。
騒ぎを聞きつけたタウンギルドの人間が治療術師を寄越すと言ってくれたが、町の人の治療を優先してくれとこれを断る。ジーナの腕だと治療が済むまでにかなりの時間がかかるが、まぁ仕方ないだろう。
「それよりウォーレン、グレースの遺体はどうなった?」
悲しそうな笑みを作るウォーレン。
「はい、町の人が英雄として責任を持って埋葬してくれるそうです。狼族の葬儀ですから、明日はきっと派手な祭りになるでしょう」
「そうか……目一杯派手な化粧をしてやってくれ。彼女はそういうのが好きだったからな」
「グレースに」と杯を上げると、その場にいる全員が「グレースに」と返す。
杯を一気に飲み干すと、すかさずジーナが次を注ぎ足す。
何もそこまでとは思ってしまうが、一般的な農村出身者の娘からすれば、貴族やそれ同等に比する立場の人間というのは、得てしてそういう扱いなのかもしれない。
「アキラさん……グレースは百人を救いましたよね?」
グレースと仲の良かったジーナが赤く腫れた目をこちらへ向ける。
「……あぁ。少なくとも俺はあいつに救われた。であればだ。今後俺が救う誰かは全部グレースが救ったようなもんだ。百人どころじゃなく、もっとやってやるさ」
しばらくしんみりとした空気の中ゆっくりとした時間を過ごしていると、何やら入口の方が騒がしくなってくる。
どうやらあの戦いを見ていた町の人が、ぜひお礼をと押し掛けてきているようだ。
「おーい、アニキー。町の人からの贈り物これ以上容れるとこねえぞー」
「丁重にお礼を言って帰ってもらえ」
「隊長、タウンギルドの方がさっそくお見舞いに来られてますが」
「丁重にお礼を言って帰ってもらえ!」
「団長、入団希望者が宿前に詰め掛けてます」
「ちくしょう! 丁重にお礼を言って帰ってもらえ!! ウォーレン、後は頼む!」
なかば癇癪を起したようにして離れの個室へと逃げる。
腕は痛むし、全身くまなく痣と擦り傷だらけだ。傷は塞がっても痛いものは痛い。ウォーレンには悪いが先に休ませてもらう事にする。
防犯用に厚く作られた扉の鍵を二つともかけると、すぐさまベッドへ横になる。
「はぁ……しかしフレアはあんなのを毎日捌いているわけか」
俺には無理だな……だがフレアの夫となるからにはこういった事もこなせるようにしなくてはならないのだろうか?
朝から晩まで客の対応や行政判断を下す自分を想像し、げんなりする。
「いや、そういう方面では期待されてないか。残念というか幸いというか」
重力に引かれる腕に痛みを感じ、寝返りを打つ。
一体どこから、そしていつからいたのか、すぐ隣で同じように横になっていたジーナと至近で目が合う。
活きの良いサバの様にベッドの上で飛び跳ねると、痛みも忘れて床へと転がり落ちる。
「ジ、ジーナ!? 一体いつから……いや、何でここにいるんだ?」
「何故って……治療です。それよりそんなに動いてはいけないと思います」
にこやかにそう返され、思わずそうですかと納得してしまいそうになる。
「いや、それは有難いが……ジーナ? 大丈夫か?」
何やら遠くを見たままぶつぶつ言い出したジーナに不安を覚える。
「フレア様のご命令です。ですから大丈夫です。悪い虫が付かないように見張っていろとの事でした」
じりじりとにじり寄るジーナに、思わず後ずさりそうになるが慌ててその場でとどまる。
――これは……違うな
俯いた顔で歩み寄るジーナをじっと見つめる。
「少しくらいならつまみ食いしても構わないと仰ってました……」
やがてこちらの胸に寄りかかるようにして頭を預けると、静かに泣き始める。
「うぅ……グレース……」
何か気の利いた言葉でも掛けるべきなのかもしれないが、言葉が見つからず、黙って頭を撫でてやる事にする。
考えてみれば当たり前の事だ。
彼女はついこの間まで小さな村で狩りをしていただけの普通の村娘だ。
魔物はいれど、家族と信頼のおける人々に囲まれて生きてきた。
それがここ最近の短い間で切った張ったの世界に連れて来られ、人を殺し、仲間を殺される日々。
普通は耐えられるはずがないのだ。むしろ良く今まで頑張ってくれたと言っていい。
床に染みをつくるジーナを見やり、
腕は痛むし、身体の芯まで疲れ切ってはいるが、
今夜は好きなだけ胸を貸してやる事を決める。
フレアもきっとそうしろと言うはずだ。
人を殺すのも仲間を殺されるのも、相当しんどいと思います。
世の中純粋な悪人なんて滅多にいません。
だから悪魔や魔物という存在が重宝されるんでしょうね。