長い一日
だんだんとファンタジックに
「おい、今日はどんな汚い手で勝ったんだ?」
「殺ったのか?」
「客入りはどうだった、満員か?」
「うちのパトロンが来てたかわからないか?」
試合を終え宿舎へと戻ると、他の剣闘士達が一斉に話しかけてくる。
身体の方はさして疲労は無かったが、精神的な疲れから早く休みたかったものの、無下にするわけにもいかず1つ1つ答えていく。
「こっちは騎士道なんかとは無縁だからな。汚い手だろうが必要であれば使うさ。それと幸運にも殺しちゃいない。相手は貴族様自慢のご子息だったそうだ……下手すりゃ難癖つけられてこっちがやばかったな。
客入りはまぁまぁだ。客席の8割方が埋まっていた。午後にあるナバールの試合の影響なんじゃないか?」
そう言うと皆納得したように頷きを返す。
剣闘士ナバールと言えばここフランベルクではちょっとした有名人だ。
剣闘界での最高位であるチャンピオンに現在最も近い人間であり、国家間同士で執り行われる大規模大会の代表者選抜では真っ先に名が挙がる程だ。地球で言うオリンピックの代表選手といった所だろうか。
しかし我々にとって重要なのは、フランベルクにおける隷属剣闘士の訓練教官であるという点だ。ここにいる連中で彼の世話になっていない者はいないだろう。
「まあ相手がどんなのかは知らんがナバールがまた勝つだろう。彼が負ける所なんぞ想像すら出来んよ。ところでパスリー、お前のパトロンは見かけなかったが、アイガン領の貴族が何人か来てたぞ。先週何人かお抱えを失ってたはずだからめぼしいのを探しに来てるのかもしれん。」
そう手を軽く振りながら答えると、パスリー以外の剣闘士からざわめきが起こる。
隷属剣闘士はそのおおよそ半分が剣闘ギルド所属の奴隷だ。
金に困った奴隷持ちが売り払ったか奴隷商から直接買い付けられたかした奴隷は、誰か特定の個人にではなくギルドという組織に隷属する形となる。
そういったギルド所属の剣闘士はろくな装備や食事も与えられず、ただ消耗品として戦わされる事になる。
集団戦ルールに出場する名前も載らない選手のほとんどが彼らだ。
残りの幸運な半分はパトロン付きで、大抵が貴族か金持ちの商人が彼らを養育している。試合ではパトロンの名前が読み上げられるのでいい宣伝になるし、優秀な剣闘士を持っているという事は、優秀な兵を持っているという事にも繋がる。名誉にせよ商売にせよ政治的な意図にせよ、活躍できる剣闘士を持つというのは大きなメリットに繋がっている。
直接賞金が出る試合もあるにはあるのだが、明らかに支出の方が大きい為、それ自体を目的にする者は少ない。
競走馬を持つ感覚に近いのかもしれないが、それゆえ彼らは剣闘士を比較的まともに扱ってくれる。
必要であれば装備を揃えるし、まともな食事だって与えてくれる。
その差は天と地ほど大きい。
今日この後出場が決まっているギルド所属の選手は、どうにか会場に来ている貴族達の目に留まろうといつもより張り切って戦う事だろう。
話題の中心が自分から離れた事を確認すると、水に浸したタオルで全身を拭い、さっぱりした所で席を立つ。試合後にすぐ訓練をするわけにもいかないし、談話室で寛ぐような気分でもない。今日は宿舎で寝て過ごす事になるだろう。
着替えの入ったカゴを片手に宿舎へ向かい歩いていると、角から飛び出してきたこれから試合会場へ向かうと思われる剣闘士と接触しそうになり、思わず悪態をつく。
幸いにも相手は軽装備だった為に怪我をするような事は無かったが、武装した状態で狭い通路を走るのは非常に危険な行為だ。
文句の一つでも言ってやろうと口を開きかけるが、彼は「悪い、急いでるんでな!」との言葉を残し、足早に走り去っていく。
よほど試合時間が近いのだろうと無言で後姿を見ていると、ヘルムから垂れ下がった茶色の塊に気づき、慌てて声をかける。
「おい、ヘルムから"耳"が出ているぞ!」
小柄な剣闘士はぎょっとした様子で足を止めると、手探りで兜からはみ出た自分の耳を探り当てた。
ヘルムから十五センチ近くはみ出た兎族特有の長い耳は中々ヘルムの中へと収まらず、押し込んでは垂れ、押し込んでは垂れを繰り返していた。
そのまま放っておいても良かったのだが、声をかけた手前そういうわけにもいかず手伝ってやる事にする。
「一度脱げ、そのままじゃどうやっても耳当てには収まらんだろう」
「悪い、助かる!」
首元のベルトをはずし兜を外すと、短いウェーブのかかった栗色の髪を跳ね除け、40センチ近くある耳がぴょんと直立する。
年の頃は10代半ばといった所か、かなり若い剣闘士だ。
ヘルムの両サイドに設けられた耳当ての大きなくぼみを確認すると、中にあるバンドに引っ掛けるように耳を誘導してやる。
「この時間だと次は第三試合か? まだまだ時間があるはずだが」
ヘルムを被せつつ疑問を口にする。
「や、第一試合が思ったより早く片付いちまったらしくてさ、試合時間繰り上げだとよ!」
首元にある2か所のバンドを止めてやり、兜がしっかりと固定された事を確認する。
大きな耳も無事中に収まった様だ。
少年は自分でも再び手探りでヘルムを確認すると「すまんな、借りは必ず返す!」との声を残し、現れた時と同様慌ただしい様子で走り去って行った。
なんとなしに姿が見えなくなるまで見送った後、自分も宿舎へ向かう事にする。
たまの人助けというのは悪くないものだなと足取りも軽い。
なお、第一試合が自分のそれだった事は忘れる事にした。
剣闘士は原則として外泊を認められていない。恵まれていない境遇でありつつ兵器について習熟しているという、最も凶悪犯罪を犯しやすいとされるカテゴリに含まれる人種にあたる為、管理せざるを得ないというのが理由だろう。
戦時や貴族の庇護といった例外はあるものの、基本的な剣闘士達は当然宿舎暮らしとなる。宿舎は個室、相部屋、大部屋と3つに分かれており、大部屋以外は有料となる。
幸運にも自分のパトロンは気風が良かった為、個室を宛がわれている。
もっとも、最初の頃は惨めな大部屋に居たし、個室になったのはある程度活躍するようになってからだ。
長い廊下を抜け、鼻歌まじりに自室の扉の鍵を開ける。
この鍵というのも個室の重要な点だ。普段の生活の大部分を管理されている剣闘士にとって、唯一のプライベートな空間と言える。
あまり気分は良くないが、金のない剣闘士仲間に連れ込み宿代わりに貸してやる事もある。
そういえばグランの奴が近々また貸して欲しいと言っていたっけか。
万年金欠で有名だがなぜかモテる剣闘士仲間の事を思い浮かべつつ地球に居た頃良く聞いていた歌を口ずさみながら扉を開ける。
「ふむ、聞いた事の無い歌だな。お前の故郷のものか?」
と部屋の中から声がかかる。
一瞬の硬直の後うんざりした表情で見やると、いつものように腕組みをしたまま、見下げるようにこちらを見るパトロンと、それに付き従う猫族の少女の姿が目に入った。
「やあキスカ。久しぶりじゃないか」
声をかけられた少女は俯き気味に深々とお辞儀を返してくる。
キスカは戦場で迷子になっていた所をフレアが拾った奴隷で、世話係としていつもフレアと共に行動している。
迷子になっている際流れ矢に喉と声帯をやられ、声がほとんど出ない。
傍に治癒の術が使えるフレアがいなければ確実に死んでいただろう。
また、左耳が三分の一ほど欠けており、よくからかわれると嘆いていた。
「主人より先に召使に挨拶とは随分な事だな」
少し不機嫌そうにフレアが答える。
「すまん。本来人前で歌う歌じゃないんだ。そいつを聞かれちまったからな」
プライベート空間を侵された事に対する抗議を遠巻きにしてみるが、「そうか、そいつはすまない事をした……」と素で落ち込みかけたのであわてて話題を変える。
「まぁまぁ、それはともかくとして。それより何の用だ。まさか遊びに来たというわけでもないだろう?」
顔を上げ、再び見下すような視線でフレアが答える。
「残念ながらそんなに暇ではないよ。だがあえてこれといった目的が無いのは同じだな。強いて言うのであれば慰問といった所か。」
「慰問ね……そのテーブルの上に広げられている料理もその一環というわけか?」
人が三人もいるとかなり窮屈になる小さな部屋で、二人の間を縫うようにしてキスカが料理の配膳を行っている。
「そうだ。遠慮なく食べるといい」
得意げな顔でフレアが応じる。
自分が作ったわけじゃあるまいにと心の中でぼやきつつも頂くことにする。
「最近目覚ましい活躍を見せているな。私としても鼻が高いし、領民の受けもいいぞ」
鉄骨でも入っているんじゃないかと思う位真っ直ぐに背筋を伸ばしたまま、薄汚れたベッドに腰を下ろし、茶を飲んでいる。
背景とキャラクターがどうしようもない程のミスマッチだ。
「先日の戦争で相当数の奴隷が生まれたからな。解放してやりたいのはやまやまだが、立場上そういうわけにもいかんし、放っておけば間違いなく餓死するような状況で放り出す事もできん。お前さんは彼らにとってちょっとした希望なんだろうよ」
今日も貴族のドラ息子を完膚無きまでに叩きのめしたじゃないか、あれは私も胸がすいたものだと豪快に笑い声を上げる。
その同じ貴族を目の前にどう反したものかとまごついてしまうが、恐らくここで貴族について罵詈雑言を並べた所で、彼女は全く気にもしないだろう。
このフレアという女は筋金入りの武人である。
元は小さな穀倉地帯の地方領主として目立たない生活を送っていたが、先の戦争でふがいない王国軍に腹を立て、発破をかけるべく出兵。
民族、国籍、位を気にせず奴隷だろうが傭兵だろうが片っ端からかき集め、あれよあれよという間に戦線を押し返してしまった。
俺もその際にフレアに拾われた口だ。
結局は両者開戦前の構図に戻り何も求めずという形で戦争は終わったが、フレアにはその活躍を認められ男爵の地位が贈られる事になった。
たかだか16かそこらの小娘に対してである。
本来であれば子爵が下るはずだったのだが、領地の広さと年齢が爵に見合わないとやらで棚上げになっているらしい。本人はあまり興味が無いようなので、そのうち表情1つ変えずに「どうやら子爵になった様だ」とでも知らせてくるのだろう。
「さて、そろそろ私は領地に帰る事にするがお前さんはどうする。私が監督していれば町へ出る事もできるだろう。娼館にでも行ったらどうだ?」
淑女の嗜みもへったくれも無く、開けっぴろげにそう尋ねてくる。
「いや、遠慮しておこう。今日は部屋でゆっくりするつもりなんでな」
そう答えると何やらしばらく考え込んだ様子を見せる。
「そうか、ならキスカを置いて行く。好きに使うといい。キスカ、明日の朝までアキラがお前の主人だ。良くしてやれ」
至って真顔でそう告げると、さっさとドアに向かって歩き出してしまった。
小さく頷き、跪いて足に口付けをしようとするキスカを慌てて制止し、主人の後を追わせる。
「冗談なのか本気なのか未だにわからんな」
ため息と共に一人になった部屋でそうごちていると、少し離れた所から「ほぅ、アキラ殿は随分とお早いようだ!」との声が聞こえて来た。
明日には間違いなく剣闘士仲間に冷やかされる事を想像してげんなりするが、寝れば全て忘れるさと頭から布団を被る事にする。
随分と忙しい一日だったと今日を振り返り、もったいない事をしたかな?などと考えていると、騒がしい声と部屋をノックするいくつもの音がやってきた。
「明日ではなく今日だったか・・・」
娯楽の少ない剣闘士にとってゴシップは大きな楽しみの一つ。
どうやら今日はまだ寝れそうにない。
長すぎるのでページを分割するべきなのだろうか?