不安
いつも読んで頂いてありがとうございます。
物語を進めるにつれ、色々後悔する点もありますが、
とりあえず完結まで頑張りたい所存です。
「よく戻ったな。ご苦労だった」
久しぶりに会った主人の言葉は相変わらずの下目使いと威圧感を伴うものであったが、変わらないままのそれに安堵を覚える。
「例の薬だ。すぐにでもウルに使ってやって欲しい」
くたびれた皮袋に包まれた薬を処方箋と共にフレアへ手渡す。
フレアは中身を確認する事も無くキスカへ預けると、すぐさま医師の元へ行くよう指示を出す。
キスカは薬を受け取るとこちらへ向き直り一礼し、急ぎ足で屋敷へと走り出す。
「よほど飛ばしたんだろうね。早馬が到着したのがついぞ半日前だよ。大体の話は伺っているからゆっくりと休みたまえ」
屋敷へと手を向けるフレアに頷きを返すと、彼女の後ろに従う形で屋敷に向かって歩き出す。
「しかし大げさだな」
薄汚れた自分の服を手で払いながらそう告げると「何がだね?」と本当に疑問に思っているといった顔で聞かれる。
「何がって、こいつらさ。全団員勢揃いって奴か?良く訓練されているな」
感心とも呆れとも取れる溜息を吐き出しながら、左右にずらりと整列した元剣闘士達を指し示す。
全部で百人以上はいるだろうか?定規で測ったように正確に列を成す団員達は、礼装用のブレストプレートとソードを装着し、右手を心臓の位置に当てたフランベルグ流の敬礼の格好を取ったまま、石像のように固まっている。
「君が留守の間さぼっていたと思われるのも何だからね。だがほとんどが元軍人だ。さほど手間はかからなかったよ」
フレアの訓練内容を良く知る自分としては、団員達の苦労が偲ばれ、思わず苦笑いを返す。
「それに大げさというものおかしいだろう。君は仮にも団長だ。出迎えが無い方がどうかしてるさ」
「そんなものかね」
「ああ、組織というのはそんなものさ。決まり事や取り決めを守るかどうかは結局の所、各個人が権威や力を持つ者に従うかどうかという一点に尽きる。私はね……」
かぶりを振るフレア。
「ああいや。今は私の話なんかどうでもいいな。それより君の話を聞きたい。丁度中止になった会食の料理を頂こうとしていた所だ。身を清めたらそれに同伴したまえ」
よほど楽しみにしていたのだろうか。顔はすましているが明らかに早足になっているフレアに遅れないよう急いで付いて行くと、急に彼女が立ち止まり、こちらに向き直る。
「そういえば忘れていたよ。おかえり」
川沿いの村からここフレア領に戻るまでに最大の敵となったのは、魔物では無く、自然だった。
危なげなくアイロナの町に戻ると、ウォーレンに成功の報を知らせ、急いで領へ戻る事にした。はやる気持ちがそうさせたのだろうが、既に冬になりつつあった大地は準備不足のこちらを容赦なく攻め立てたのだ。
道中で何度上着をもう1枚か2枚持ってこなかったのかと自分を叱咤したかわからない。
出立後四日目にウォーレンが手配した早馬と偶然鉢合わせ、余分な毛布を譲ってもらった。それが無ければその後降り出した雪に耐えられなかったかもしれない。
今思うと本当に無謀な事をしたものだ。
「湯加減はいかがでしょうか?」
外の釜で火をくべている使用人から声がかかる。
本来であれば湯は熱いくらいが好きなのだが、手足に出来た霜焼けを治療するには今くらいのぬるま湯が丁度良かった。
それにようやく自由市民になった事で使用を許された屋敷の風呂だ。贅沢は言うまい。
「丁度良いよ。ありがとう……しかしゲームのようにぱっと治ればいいんだがなあ」
体を揉み解しながら治療術というものについて考える。
この世界で治療術と呼ばれているものは、単に傷を治す力といったものではなく、包帯を巻く。傷を縫う。薬を飲ませる。といった、外科、内科問わず治療技術全般についての施術の事を指す。
魔法があればそういった治療などいらないのでは?とはこちらに来た当事自分でも思った事だが、そう万能的な力というわけでは無いようだった。
魔法による回復は、その損傷の度合いに比例して時間がかかる。
つまり傷や何かを消してみせるのではなく、治療の補助をし、効果を高めるといったようなものだ。どういった原理だかはわからないが、傷口付近の時の流れを速める。細胞分裂の速度を増加させる。といった物ではないか?と個人的には考えている。まぁそれだと病気を治せる説明にはならないが。
湯船から腕を上げ、長い間かけて蓄積されてきた傷の数々を見やる。
傷は癒えるだけで、その跡が消えるわけではない。
これからも増え続けるだろう戦いの痕跡を想像すると、うんざりした気持ちで一杯になる。
そのうち内自分の体に傷跡の無い場所など無くなるのではないか?
頭から湯をかぶり、馬鹿な考えだと自分に言い聞かせると、風呂場を後にする。
タオルも着替えも持ってきている。
大丈夫だ。少しずつ進んでいる。
「薬が十分な効果を上げるのはおよそ3ヶ月から半年といったか?なんとももどかしいものだね」
銀のフォークで生野菜をついばみながら複雑な表情でフレアが言う。
「その間医者以外近寄れないっていうのもな。正直治療の前に一度顔を見ておくべきだった」
まったくだ、と不機嫌そうに同意が返る。
「命の水などという大した名前をしているのだから、飲んだその場で起き上がる位の奇跡でも起こして欲しいものだね」
前菜を食べ終わった旨を手振りで伝えると、すぐに次の料理が運ばれて来る。
こちらはテーブルマナーなどさっぱりわからないので、フレアの真似をしてなんとかやり過ごす事にする。
「しかし東の国の状況は想像以上に悪い事になっているようだね」
何の料理だろうか、魚の切り身の様なものをフォークで切り分ける。
「あぁ、ある程度大きな町はなんとかなっているようだが、小さな村はほとんど絶望的だろうな。薬の村も魔物に脅かされていた」
ジーナやベアトリスの事を思い浮かべながら答える。あの国であの村が特殊な事例だとは考えにくいだろう。
「ふむ……そのあたりを考えると馬鹿正直に不可侵条約など守らずに、さっさと侵攻してしまった方がいいかもしれんな」
「侵攻?東の国へか? 長い間手を出さずにいたのに?」
フレアは果実酒で口を潤すと、少し考える様子を見せる。
「手を出さなかったというより出せなかった、が正しいね。東の国の崩壊で打撃を受けたのはその国そのものだけではないよ。昨今ようやく力が戻ってきたという所で先の北南戦争だ」
それに、と続ける。
「四十年手を出さなかったのだ。もう前王家への義理は果たしたと言えるだろう。もしかしたら自力で復興できるのではという思いもあったが、君らが持ち帰った話から判断すると難しいと言わざるを得ない」
そうだろう?といった顔に頷きを返す。
確かにアイロナの様子を見るに、あれ以上町の規模が拡大するには途方も無い時間がかかるだろう。魔物がそこら中をうろついている以上、町を大きくするには城壁を拡張するしかないからだ。
「しかし義理だの見栄だのと貴族ってのは大変だな」とありきたりな感想を返し、考える。
正直あの無政府状態が今後良くなっていくとは思えない。
そこに治安をもたらすというのであればこれもまた堂々としたものだろう。
しかし……
「俺は反対だ」
予想外の言葉だったのだろう。普段滅多に見ることができない驚きの表情を浮かべるフレア。
「ほぅ、それはどういう事かね?」
何かおもしろいものを見つけたとでも言うような、興味深げな声だ。
「いや、政治云々の話は俺にはわからない。反対なのはもっと現実的な理由だよ。侵攻は恐らく失敗する」
ふむ。続けてくれ、の声に従う。
「今回の旅で改めてわかった事だが、俺たち剣闘士は魔物について知らない事が多すぎる。東に攻めるのであれば相手は魔物どもだろう? 人間相手ならなんとでもなるが、魔物相手では相当な苦戦を免れないと思う」
フレアは顎に手をやると、しばしの間テーブルの一角を見つめ続ける。
やがて考えがまとまったのか、こちらを見てゆっくりと頷く。
「そうだな。確かに君の言う通りかもしれない。どうやら少し急ぎ過ぎていたようだ。現場の貴重な意見、感謝するよ」
微笑を浮かべたまま、こちらのグラスに酒を注ぐ。
「しかしフランベルグ王家の力が回復する前に事を起こしたい。そこでこの問題の解決を君の団の新しい任務としよう。知識だけで足りない部分を補って欲しい。できるだけ魔物についての実地調査を行ってくれ。それに君の故郷についての調査も合わせて行えるだろうしね」
「……つまり?」
「また調査の旅に出ろという事だね。」
おおう、と声を上げ、大げさに背もたれに寄りかかる。
どうせ他にやれる事など無いので、どういう流れだろうがそうなる事はわかってはいたが、こうはっきり言われると疲れがどっと溢れ出る。
しばらく天井を見つめ今後に思いを馳せていたが、はっと気付きフレアに向き直る。
「そうだ、フレア。炭鉱で居合わせた男の足元にあった魔法文字だ。読めるか?」
炭鉱で書き写した布を懐から取り出すと、フレアに広げてみせる。
フレアは一瞬険しい顔でそれを見つめると、驚いた顔になり、しまいにはあっはっはっと大声で笑い出す。
何がそんなに?と訝しげな目で彼女を見ていると「すまんすまん」と涙を拭きながら口を開く。
「いやね。君の見かけた人物は……その、なんだ。非常に大それた事をしようとしているようだね。そこに書かれているのは魔道を志す者が最初に習う伝承に現れる文字だね」
なおもおかしさが収まらないのか、笑いの余韻を残しながら続ける。
「現在伝わってる魔法体系の創始者というのはだね。よほどの狂人だったらしい。この世に魔王を呼び出そうと本気で考えていたようなんだ。いいかい? 魔王だよ? その文字はこの世界に破壊の魔王を呼び出す呪文として始祖魔道書の最初に書かれた文字となっているね。もちろん今までに何度も検証され、試されてきたがそんな力はないという事が確かめられているよ。」
というか悪魔だの魔王だの、よほど想像力の逞しい御仁だったのだろうねと、フレアはなおもおかしそうに笑う。
「魔王か……さすがにそんなものはいないとは思うが……」
魔法や魔物なんてものがある以上断言もできないのでは、との言葉を飲み込む。
これは地球人であるこちらの感覚でしかないだろう。
それにフレアの反応からすると悪魔や魔王といった存在は、こちらの世界においても完全に空想の産物のようだ。
しかしなんだろう。この漠然とした不安は。
あの携帯電話を持っていた男も同じような狂人なのだろうか?
ただ、確信を持って言える事がある。
それはもし魔王なんてものが存在するのであれば。
剣などではどうしようもないだろうという事だ。
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