地球の残滓
ほら、まぁたまにはこういう事があってもいいと思うんです。
恐らく自然が作り上げただろう広大な空洞は、わずか一五メートル四方程の足場を除き、延々と広がる美しい地底湖が広がっていた。
一体どれ程の高さがあるのだろうか。天井からはまるで雨のように水が降り注ぎ、湖にさざなみを立てている。
本来であれば見とれる程美しかっただろうそれらの景色は、今は禍々しい青い炎の光を照らし、不気味にきらめいている。
四本の不思議な青い炎を上げる松明。
そしてそれに囲まれるた位置で佇む黒いローブ姿の男。
男は間違いなくこちらに気付いているはずだが、特に気にした様子もなく、じっと床を見つめている。
――こんなところで何を?どうやってここへ?ここで何をしている?
様々な疑問が渦巻く中ゆっくりと部屋の中へ足を踏み入れる。
何か声でもかけるべきなのだろうが、敵なのかどうかすらわからない。
続けて入ってきた五人も同様なのだろう。はっと息を呑む声が聞こえてくる。
一体どれ程の時間が流れたのか?男はしばらくこちらへ目を向けると、懐から何かの金属片を取り出し、耳に当てる。
武器かと思い一瞬慌てるが、男は何をするでもなく小さな声でぶつぶつと呟いている。
金属片には細い紐に繋がれた飾りがつけられており、ゆらゆらと揺れている。
いい加減しびれを切らし、なぁあんた、と声を掛けようとした所で、
全身を電流が流れた様な感覚が走る。
――あれは・・・
男は金属片を再び懐へ戻すと、上を見上げる。
――あれは!!
男の体がふわりと浮き上がる。
待ってくれと口を開くが、カラカラになった喉からは声が出ない。
やがて男は力強い魔法の加速により、わずかに光る天井の穴へと向かい飛び去っていく。
ようやく搾り出した裏返り気味の声がむなしく洞窟内にこだまする。
「なぜ……なぜそんな物を持っているんだ!!」
見間違いはありえない。
はっきりと見えた。
あれは間違いなく携帯電話だった。
「この位ありゃいいのかい?」
地底湖と足場との境目にびっしりと生え揃った青い苔を、持ってきた皮袋に詰めているベアトリスの声に「あぁ・・・そうだな」と生気の無い返事を返す。
ようやく目的の物が手に入ったというのに、頭の中は先ほどの男の事で一杯だった。
――いったい何者だ?どこで手に入れた?なぜ使える?
男が去った後、恐らく魔法によるものだったのだろう青い松明の炎は消え去り、洞窟の中は何事も無かったかのように静寂だけが残った。
男が立っていた足元には大きく描かれた魔法文字。誰も読む事が出来なかったので布に書き写しておく。ここから何か情報が得られるだろうか?
「いや、今は考えても仕方が無いか……」
答えの出ない問題だろうと疑問だらけの頭を切り替え、苔の採取に集中する事にする。ここでいくら頭を捻ったところでどうなるとも思えない。
ジーナの祖母はにぎり拳ほどあれば良いと言っていたが、万が一失敗した場合等を考え、多目に採取しておく。どうせ封鎖してしまうのだし、多すぎて困る事もないはずだ。
苔は天井に遠く開いた穴から届く僅かな光と地底湖の水によって生を得ているようで、神秘的な青さで光り輝いている。何十年先か、それとも何百年先かはわからないが、再びここが掘り返される時まで止まった時の中を生き続けるのだろう。
手元に集まった十分すぎる量のそれを満足気に見やると、仲間に礼を言い、「さぁ、帰ろう」と声をかけ、神秘的なこの空間を去る事にした。
帰りの道はいくつかの戦闘があったものの、往路でつけた目印が役に立ち、非常に素早く撤退する事ができた。
地上に出た後は鉱山封鎖組みと合流し、全ての出入り口を封鎖した。補強を失った古い坑道は簡単に崩すことができ、むしろ崩落するそれに巻き込まれないようにするのに注意が必要だった。この様子だとわざわざ手を加えなくても、近いうちに何かのきっかけで自然と崩壊していたかもしれない。
中にいた生物はごく一部を除き、酸欠でそのほとんどが死に絶えるだろう。
ガブリン達が一致団結して掘り起こそうとすればそれも可能だろうが、そんな組織立った行動が取れるか疑問だし、何より他の捕食者達が黙ってそれを見ているとも思えない。
最後の入り口を封鎖すると、塞がった坑道へ向かって手を合わせる。他のメンバーはそれを不思議そうな顔で見ていた。
村へ戻るとまるで英雄を迎えるかのように歓迎された。魔物達に憎しみを持っていたのは何もジーナの祖母だけではない。
しばらくすれば別の場所にまた魔物が住み着き、再び村を脅かすだろうが、そのわずかな間だけでも得られた平和はきっと価値あるものだろう。
帰り道の途中で高熱を出して倒れたジーナを背中から降ろし、村人へと引き渡す。他の4人も途中で具合の悪さを訴えたので洞窟で何か病気でも拾ったか?と不安になったが、ジーナの治療術で治せる事が判明したので大丈夫だろう。
術者本人が自分に対して病気の治療をする事は出来ないが、他にも治療術を使える者はいるとの事なので問題はなさそうだ。
満足そうな笑みで待ち受けていたジーナの祖母に苔を届けると、体を拭くのもそこそこに倒れこむように横になる。
色々あったが結果だけを見れば大成功だったと言えるだろう。
アイロナに戻り、成果を持ってフレアの元へ帰れる。
また長い旅をする事になるが、きっと足取りは軽いはずだ。
だがそれも全部明日からの話だ。
今はゆっくりと休もう。
目を閉じると気絶するように眠りに落ちた。
「なぁあんた、起きな」
まだ明け方なのだろう、窓からは薄明かりが見えている。
「ベアトリスか?何の用だ。できればもう少し寝かせて欲しい」
気だるげにそう返すが、ぐいぐいと引っ張られるように連れ出される。
「あんた今日には帰るんだろう? ちょっと付き合いなよ」
まだ薄暗く、静まり返った村を二人で歩く。聞こえて来るのは風でざわめく木々の音と、にわとりに似たインタという名の家禽のぎょーぎょーという不気味な鳴き声だけだ。
「おいベアトリス。あまり村から離れると危険だ。」
どんどんと森の方へ行くベアトリス。お互い護身用の武器は携帯しているが、あくまでその場しのぎの物だ。
いいからいいから、と続けるベアトリスに仕方なくついていく。どこか連れて行きたい場所があるのだろう。足取りは真っ直ぐだ。
「さ、ついたよ。ここさ」
森を少し行った先でベアトリスが足を止める。
少し開けたそこは村が一望でき、昇り始めた朝日が地平線に美しい景色を作り出していた。
「あちゃー、昇っちまったね」と残念そうなベアトリス。これを見せたかったのだろうか?
確かにここで見る日の出は美しそうだ。
「なんもない村だからね。あんたにくれてやれる物なんてこん位しか無いのさ。どうせ大したもん貰ってないんだろう?」
言いながら地面をぽんぽんと叩くベアトリスに従い、腰を下ろす。
「いや、目的の物は手に入ったからな。それで十分なんだ。だがこれはこれでいい景色が見れたよ。ありがとう」
そう言うとベアトリスはふふん、と自慢げに鼻を鳴らす。
「いつか村を出てこうとは思ってるんだけど、愛着もあるからね……なぁあんた、剣闘士やってたって事は大きい町にいたんだろう?町のことを聞かせておくれよ」
町に憧れでもあるのだろうか、朝日を見つめたまま言う。
ろくな物じゃないし、何より大して知らないぞと前置きをして口を開く。
話は町の事から剣闘士の事。フレアやウルの事へと続く。
元々そんなに話をする方ではなかったはずなのだが、饒舌になっている所を見ると、思ったより向こうが恋しくなっているのかもしれない。
「へぇ。それであんたはその娘を救う為にわざわざここまで来たってわけかい。男だねぇ」
彼女はからかう風でも無くそう言うと、立ち上がる。
そろそろ戻るのかとこちらも腰を浮かせた所で、ベアトリスに押し倒される。
おいおい何の冗談だと肩を押し返すが、力ずくで唇を奪われる。
「あたしはタフな男が好きなんだ。あんた何でも言うこと聞くって言ったろ? 今日には帰っちまうんだからね、今聞いてもらうよ」
こうなる要素がどこにあったのだろう?と体をまさぐられながら考えるが、特に思い当たるフシは無い。彼女も村の一員としてお礼のひとつをという事だろうか?しかし彼女もまた最大の功労者の一人であるはずだが……
混乱の中色々と考えるが、目の前に晒された巨大な双球を見やり、思考を放棄する事を決める。なんでデカさだ。
力任せに引き離す事もできるが、まぁ、その、なんだ。
たまにはこういうのも悪くないだろう。
日も昇りきった頃二人で村へ戻ると、ジーナに疑いの目で見られつつ帰りの準備をする。祖母にはいらないと言われたが、押し付けるようにして礼と共にいくらかの金貨を渡し、薬を受け取った。
直径二センチ程の小さな丸薬は、魔法によるものだろうか。うっすらと淡い光を発している。これを水に溶いて飲むとの事だ。
ウルに服用する分を明らかに超えた量があったが、「何かあった時にでも使いな」との事なので、有難く貰っておく事にする。
「また会えますよね?」
涙を流してそう言うジーナに、どうだろうなと曖昧な返事を返す。
この世界で他の領へ行くというのは、地球で言う外国へ行く様な感覚に近い。何か目的があれば別だろうが、恐らく今後会う事はないだろう。期待を持たせる言葉をかけるのは良くない。
共に戦った仲間達一人一人と固く抱擁を交わすと、別れの言葉と共に歩き始める。
「また楽しませてやるから遊びにでも来るんだね!」
叫ばれたベアトリスの声に騒がしい言い合いの声が響き始める。
苦笑しながら手を振る事で応えると、後はただ歩き続ける。
別れの時はいつも切ない気持ちになるが、
懐にしまわれた薬の存在を感じると、自然と足に力が入る。
一歩。そしてまた一歩。
力強い足取りで、森へと足を踏み入れた。
まさかのベアトリス