魔物
結構はしょって飛ばして、としてるんですがなかなか。
「ふむ。それで帰れなくなっていたというわけですね」
ウォーレンが眼鏡を中指で押し上げつつ言う。
ゴロツキを叩きのめした後に現れたジーナは、覗き見ていた事を謝ると同時に、村までの護衛をしてくれないかと頼み込んできた。
詳しい話を聞きたい所ではあるが、俗世に不慣れな自分に理解できない。もしくは勘違いでもあったら堪らないので、ウォーレンを援軍に呼び、マッジーナの宿のフロアで話す事にした。
「はい、しばらくは色々な方に話をしてみたりもしたんですけど、手持ちのお金だけではとても引き受けてくれそうもありませんでした」
当時を思い出しているのだろうか、少し俯きがちに語る。
「こっちに出稼ぎに来てしばらくの事だったと思います。北の森に魔物が住み着いたって話は聞いたんです。でも割と近い場所だしすぐに退治されるんじゃないかなって思ったのが失敗でした……考えてみればそうですよね。ほとんど交流が無い村との道が塞がったからって誰も気にもしません」
顔を上げ、こちらを見て続ける。
「そうしたらいつの間にかみんな近寄る事すら避けるような有様になってしまったんです。元々森でしたから魔物も住み易かったのかもしれませんけど、あっという間に増えてしまいました。それからはなんとかお金を溜めて傭兵を雇おうと、ずっと診療所で切り詰めながら働いてました」
再びしょげかえるジーナ。しかし下を向いたかと思うとやおらテーブルを叩き、立ち上がる。
「そんな時に現れたのがアキラさんです! 凄く強いです! 剣闘士だとおっしゃってました!」
何バラしてんですか……というウォーレンの目線に、すまん。とこちらも目線で答える。
「それに命の水についても知りたがってました! 本当に本の編纂をされてるのかは……その、聞きませんけど。でもそれなら村に行ってみたいはずです。そうですよね!」
普段の比較的お淑やかな雰囲気から打って変わった彼女に少し圧倒される。
「ま、まぁ。確かに君の言う通りではあるが。しかし危険な魔物がいるんだろう?一人で行くならともかく君を連れてというのは……」
だよな?という視線にウォーレンがうんうんと頷く。
「平気です! ずっと狩りをして育って来ましたし、治療術の心得もあります。それに案内が無いと森を抜けるのは難しいと思います。道なんてきっともう残っていません」
ふむ、と腕を組み考える。
案内云々は正直どうでもいいと言える。森の中に村があるのであれば話は別だが、森を抜けていくのであれば斥候の経験からどうにでもなる。
しかし治療術が使えるというのは魅力だ。診療所でアルバイトの様な事をしていた位だから大した腕ではないのだろうが、簡単な切り傷を治してくれるだけでも十分にありがたい。感染症にかかる可能性がぐっと減るからだ。
どう思う?とウォーレンに視線で問いかけると、向こうも迷っているのか考え込んでいる様子だ。
「お願いします! きっとこんな幸運もう無いと思うんです。お金は……大した額じゃないけど持っているだけお支払します。足りなければ働いて返します。どうか、どうかお願いします!」
腕を組み、祈るようにこちらへ頭を下げるジーナ。これはもう仕方が無いだろう。
「なぁウォーレン、お前木彫りの熊は買ったか?」
やれやれといった様子でウォーレンが応じる。
「えぇ、最初にここへ来た時に。最初の一体は僕のですよ」
「なら決まりだな。都合のいい日時を教えてくれ。近いうちに君の村へ行こう」
こちらへ抱き着いて礼を言うジーナを引きはがし、近日中に準備を整える旨を伝えると、ウォーレンに寮まで送らせる。
翌日、準備出来ましたと訪ねて来た彼女に軽い頭痛を覚えつつ、こちらの準備がまだだと追い返すが、さらに翌日。翌々日と家の前で待機している彼女に根負けし、すぐに出発する事に決定。新人の連絡員をフレアの元へ報告に向かわせると、ウォーレンに留守を任せ二人で村へ向かう事に。
かなり慌ただしい出立に、正直とんだ足手まといになるのではないかと不安で一杯だ。
しかし予想はいい意味で裏切られた。
「すさまじいな……君は一体どんな目をしてるんだ?」
兎を見つけましたとの声と共に放たれた矢を追い、獲物を見つけたその場所までの距離に驚きを隠せない。
また、その類稀な視力を用いたスカウト技術は軍の斥候も舌を巻く程で、追跡術や遊撃の技術を覚えさせたら恐ろしい存在になりそうだった。何せ五百メートル近く離れた場所を歩いている人間の表情さえ見えるのだ。これはとんだ拾い物かもしれない。それとも鷹族はみんなこうなのだろうか?
思うに彼女はもっと自分の能力を傭兵たちにアピールするべきだったのだ。危険そうな獣がいればかなり遠くから警告を発してくれるし、道なき道であるにも関わらず、目的地まで迷う事なく真っ直ぐと進んでいる。こんなに楽な護衛もないだろう。
道中最も危険だった事といえば、枝から垂れ下がってきたヘビや、実に五十センチ程の大きさもある巨大なコガネ虫だかカブト虫だかが襲い掛って来るといった、せいぜいそんな物だった。ヘビはダガーで一閃できるし、巨大な虫は盾を使いハエ叩きの要領で叩き潰せる。もっとも、三匹も叩き潰した頃には鉄で出来た盾がぼこぼこになってしまっていたが。
夜は交代で寝る事にし、寝ず番をした方は昼に仮眠を取る形で移動を続ける。歩いて2日ほどの場所だという事なので、この進行速度であれば3日から4日もあれば到着するだろう。
「しかし魔物らしい魔物は全く見かけなかったな」
森を抜け、もうすぐ村が見えてくるはずですとのジーナの声に答える。
「おかしいですね……前に様子を窺った時は確かに魔物の気配がしましたし、被害に遭った方がいるという話も聞いたんですが」
はてなと首を傾げるジーナ。森での暮らしが相当長かったのだろう、結構な強行軍にも関わらず疲れはほとんど見えない。
やがてしばらく歩くと、畑や狩猟小屋といった文明の香りがちらほらと見え始める。それらは長い事使われていないのかどれも荒れ果てており、自然に飲み込まれようとしていた。
「変ですね。クローナさんの畑だったはずですが……どこか別の場所に移ったんでしょうかね?」
きょろきょろと辺りを見回しながら先へ行こうとするジーナ。こちらは農作業の事などさっぱりわからないので、そんなものかと気にもせずに歩く。
だが荒れ果てた小屋の横に見逃せない痕跡を見つけ、慌てて彼女の腕を引く。
――矢だ
ショートボウ用の矢だろうか?かなり細く小さい。だがそれでも木で出来た家の壁を貫いているのを見るに十分な殺傷力があるものだ。
念のため「君の村ではこんなに細い矢を使うのか?」と聞くがいいえの答えが帰ってくる。だろうなと返しながら家のそばの雑草を漁ると、さらに何本かの矢が見つかった。苔具合や痛みの状態からどれもかなり前に使用された物であるのは間違いないが……嫌な予感がする。
ジーナに頷くことで意思を伝えると、小走りで村の中央へ向かう。
やがて村が一望できるという小高い丘まで辿り着くと、予想外の光景が広がっていた。
「……バリケードか?」
決して狭くはない村の外周は、木組みで出来た粗末な防壁でぐるりと囲まれており、穏やかな村とは言い難い物々しい雰囲気を発している。
「戦ってる……」
ジーナが呟く。目を凝らして見ても遠すぎて何が起こっているか確認できないが、確かに金属音や雄叫びの声がときおり聞こえて来る。行かなくちゃ、とおもむろに駆け出す彼女についていく形で村に向かう。
段々と近づく村の状況を目で確認し、安堵する。
相手はどうやらガブリンとオーガの様だ。ガブリンは身長大体一メートル程の臆病で残忍な知性のある魔物で、武器を用いたり罠を張ったりする程度の知能は持ち合わせている。織物を発明する程では無かったようで、大抵が裸だったり毛皮だったりを纏ったりするが、お目にかかった事はないが稀にどこからか奪ったのだろう鎧を着ている者がいたりする事もあるらしい。
対してオーガは三メートル近い巨人の様な肉体を持ち、大抵の場合そこらで拾っただろう木の枝や、岩石で武装している。知能はいま一つで、今回のようにガブリンと協力して狩りをしている事がある。共生というよりは一方的に利用されている形だろう。
両方とも軍籍時代に森を進軍している最中に出会った事があるが、大した脅威では無かった。オーガはともかくガブリンはかなり臆病なので、少し数を削ってやれば慌てて逃げていくからだ。
まさに今も村人の抵抗により逃げ出していくガブリン達が見える。破られたバリケード近くに倒れている村人を見るに、損害はせいぜい二,三人といった所だろう。後はオーガをゆっくり始末してやればいい。
安心していいぞ、とジーナに声を掛けようとしてはっと固まる。
――いったい俺は何を考えてるんだ?
――損害?せいぜい二,三人?
――くそっ!彼らは戦士ではなくただの村人で、やられたのは彼女の仲間だぞ!
頭を振り、村人達をどこか他人事の様に思っていた考えを捨てる。冷静な思考は最も効率的な答えを出してくれるが、それが正解かどうかは別問題だ。
そしてなにより、危険だ。
村人達の元へ駆け寄るジーナを援護すべく、手にした矢をオーガに向けて放ち、注意を引く。二射目に命中したそれに反応したオーガは、こちらへ向き直ると大きく吼える。
――いいぞ、そうだ!来い!
ダメ押しにもう一射放ち、ソードを引き抜く。
村人達が事前に攻撃していた分も含め、体中から矢が飛び出したオーガは、全身から血を撒き散らしながら棒を振り回し、突進してくる。
「こいつをまともに食らったら死ぬな……」
地面を揺るがすド迫力の突進に思わず呟く。一応ブレストプレートを付けてきてはいるが、何の役にも立たず紙のように粉砕されるだろう。
だが、カイルの方がずっと恐ろしかった。
射程距離だと判断したオーガが棍棒を振り上げた瞬間、その腕の下を潜るようにして腹を切り付ける。
オーガの身体から飛び出た矢が顔を傷つけるが、構わずそのまま後ろに抜けると、左足を全力で踏ん張り、切り返す。
切り返されたソードは予想違わず、振り返されて来た棍棒を持つ手首を切断する。
残った方の手で殴り掛かってくるのを、あえて身体を密着させる事で防ぎ、そのまま突き上げるようにして喉笛をソードで貫く。
「ふむ。馬鹿で裸ってのは楽でいいな」
盛大に血を浴びながらソードを引き抜く。
と、その瞬間強烈な力で締め上げられ、ソードを取り落してしまう。
――こいつ!!?
どうにか逃れようと全力で押しやるがビクともせず、締め付けはより強くなっていく。やがてブレストプレートが耳障りな悲鳴を上げ始める。
なんとかもがいて左腕を引き抜くと、ダガーを振るい、耳から脳へ達する一撃を加える。
「くそ、化け物が!! どうだ!!」
間違いなく脳へ達しただろう手応えに吼える。しかし依然腕の力が弱まる気配は無く、締め付けはどんどんと強くなる。プレートの前と後ろを結ぶ留め金がぴんとはじけ飛び、勢い良く地面を転がる。
「おいおい! 冗談だろ!!」
残った力でもう一度ダガーを振おうとした所でようやくオーガの血走った目がくるんと白目をむく。
不格好に並んで倒れる形になり、あまりの重量に這う這うの体で抜け出す。
「はぁ……くそっ……訂正だ。馬鹿ってのはなかなかに脅威だ」
全身返り血まみれのまま大の字に寝転がると、誰にともなくそう呟いた。
大型のモンスターと一戦やらかせば、
間違いなく全身血まみれでしょう。
旅の途中でこうなったら最悪ですね。
不衛生極まります。水って大切ね。