地球から来た剣闘士
「ミリア……?」
倒れ行く彼女を手で支える。
「なぁ、おい。待ってくれ」
流れ出した血が床を染め、ブロックの隙間へと消えて行く。
腰のあたりに感じる、軽い衝撃。
ガラスが割れた時のような、透き通った破裂音。
震える手で貴重品入れへ手を伸ばすと、
その粉々になった宝石の欠片をすくい出す。
――アキラ、その石は彼女の命そのものだ――
「あぁ……」
――落とさないよう大事にしまっておけ――
「あぁああ……」
――それが割れれば彼女も死ぬ――
「貴様ぁぁああああ!!!!」
立ち尽くすネクロ。その短剣を持つ腕を握りつぶす。
「なぜ!!」
その腕を折れるがままに任せて捻り上げ、ネクロの手にしていた短剣で彼自身を貫く。
「なぜだ!!」
勢いのままネクロを持ち上げると、部屋の奥にあった棚にそのまま磔にする。差し入れた剣が棚を貫通し、ネクロの体に手首までが埋まる。
「こんな事をして、何の意味がある!! お前は何をしたいんだ!!」
こちら側へ滑り落ちそうになるネクロの体。それを無理矢理押し戻す。
「答えろ!!」
痛みに顔を顰めるネクロ。剣を持つ右手を捻り、その身体の中をかき回す。
「これで……いいんだ……」
焦点の合わなくなった目で、遠くを見つめるネクロ。
「いいわけがないだろう!! 答えろ!! 何故だ!!」
虚ろな男に向かい叫ぶ。
「あぁ、ネリア……今、行く……君を――」
か細い声。
「君を、愛してる……」
ネクロの四肢から力が抜け、重力に引かれるがままに垂れ下がる。
「何故だ……何故……」
力なく問うも、死人は口を開かず。
もう起き上がる事も無かった。
砂埃の舞う中央通り。涙を乾かす、乾燥した秋の風。
抱き上げたミリアの体は軽く、それを運ぶのに何の苦も無い。
「いい天気だな」
少し灰色がかった青空を仰ぐ。
返事が来る事は期待していない。
「隊長? いったい何が? 術師を呼びますか?」
こちらを見つけたウォーレンが、おろおろとしながら発する。共にいた何人かの仲間も、ウォーレン同様訝しげな表情。
「いや、大丈夫だ。これは俺の血では無い」
そう答えるも、ある意味自分の血かもなと皮肉気な笑みを浮かべる。顔はネクロの返り血で汚れており、表情を変えた際、乾いたそれがぱりぱりと音を立てる。
「い、いや。その、アニキもそうだけどよ。そうじゃなくて、ミリアのやろうがよ。それ……」
こちらの歩くペースについて来れず、少し小走りでウル。
「少し眠っているだけだ。気にするな」
明らかに嘘とわかる言葉。だが、そんな事はどうでもいい。
「気にするなって……あんたら、そいつを見といてくれよ。あたしゃ急いでジーナを呼んで来るよ」
そう言うと、広場の方へ向かって走るベアトリス。その顔に浮かんでいた表情から、彼女も何が起こったかは十分理解しているのだろう。ただ、何もしないでいる事が出来ないだけだ。
「俺はこのまま中央広場へ向かう。すまないが、ひとりにしてくれないか?」
足を止める事なく、真っ直ぐ前を見たまま呟く。ウォーレン達はベアトリスの言葉もあって迷った様子を見せるが、結局は先に行ってくれるようだった。恐らくフレアへ報告をするつもりなのだろう。
「君は、前の俺を知る唯一の人間だった」
歩きながら、ひとり呟く。
「また、独りになっちまったよ。酷い話だ」
孤独というのは、ある意味死と近しい。
「ごめんな、ミリア。俺は最後の最後で、君を守ってやれなかった」
自分を理解出来る人間がいるというのは、それだけで幸せな事だ。
「少しだけ、少しだけ待っていてくれ」
そしてそれを失う事は、何よりも耐え難い。
「すぐ、君を起こしに行く。今度は、真っ先に向かうよ」
何よりも、耐え難い。
「考えてみりゃあさ。始めから無理な話だったんだ」
足を止め、生気を失ったミリアの顔を見る。
「ふふ、だってそうだろう。ここにあのフレアはいないんだ。納得なんて出来るはずがない。俺は奴と一緒だ。最初から、詰んでたんだ」
溢れる涙が止まらず、ミリアを抱えている為に拭う事もままならない。
「馬鹿みたいだよな。ははっ、無理だとわかっているのに、不可能だとわかっているのにあんなに努力して……君は女々しい男と笑うかい? 過去を引きずるつまらない男だと。でも仕方ないじゃないか」
再び足を踏み出し、広場へ向かう。
「ここは"ファンタジーの世界"なんだ。どうしようもない事でも何とか出来るんじゃないかと、期待するだけの要素が十分に揃ってる。それに縋らない奴なんているか? いるとしたら、それは本物じゃない」
生活音の無い街は静まり返り、自分の足音だけが響き渡る。
「どうせ終わりが無いのなら」
最後の角を曲がり、中央広場はすぐそこだ。
「せめて次は、もっと上手くやるとしよう」
扉の待つ、その場所へ。
「……どこだ?」
がらんとした中央広場。見張りをしているはずの突撃隊の面々が、所在なげに動き回っている。
「扉は……」
事態に理解が及ばず、思考が停止する。
「扉はどこだ!! どこへいったんだ!!」
誰へともなく、叫ぶ。
先ほどまで扉があった箇所には、その形に沿った大地の窪み。
他には、何も無い。
「し、将軍。申し訳ありません。例の扉ですが、つい先程忽然と姿を消しました。理由は不明です。誓って、誰も触れてさえいません」
傍にいた剣闘士のひとりが発する。茫然としたままそれを聞き流すと、扉があったはずの場所へと歩みを進める。
「そんな……」
確かにそこにあったのだぞと主張する、地面の窪み。ミリアを傍へ下ろすと、その窪みを指でなぞる。
――いや、まだだ
腰に差したミスリルの剣を抜き放つ。
――まだ方法はある
柄を地面に固定すると、その切先を喉に当て――
「あきれた人。貴方、本当に欲張りなのね」
下からかけられた声。
驚きのあまり力が入り、刃を掴んだ手から血が滴る。
「……ミリア?」
ゆっくりと、その目を開く蛇族の少女。
「君は……君は確かに」
頬を撫で、その首に流れる脈動を感じとる。
「まさか、まだ持っていたなんて思いもしなかったわ。あいつはきっと知っていたのね。貴方に似て、嫌な性格ね」
ミリアの腕が上がり、腰につけた貴重品入れに優しく触れる。
開かれたそれから漏れる、暖かな光。
「割れたのは、ふたつめ」
ミリアの手には、赤い宝石。
「これは、最初に貴方へ託した物。まだナバールを名乗る前の貴方に」
虹色のうねりを発する、命の石。
「なんでも……とっておくもんだな」
語りかける言葉が見つからず、出てくるのはどうしようもない一言。
「えぇ、そうね。本当にあきれた人……あぁ、体が軽いわ。ひとつの体にひとつの心。なんて素晴らしい事なの!!」
伸ばされた腕。小さな体を強く抱きしめ返す。
これでもかという程涙が溢れ、こびりついた血を洗い流していく。
「さぁ、行きなさい。貴方を待ってる人がいるわ」
優しい笑み。細い手が、後ろを指し示す。
何の事かと疑問符を浮かべる。
「忘れたの? 魔女はひとり。もう私は魔女ではないわ」
血と涙で汚れた顔のまま、茫然と振り返る。
「ふむ。まるで長い夢を見ていたかのようだ」
その小さな体に似合わない、独特な下目使い。
「あぁ、君。自害などという暴挙を私が許すとでも思ったのかね? 君は"私のもの"だ。勝手は許さんよ」
歩み寄る、懐かしい気配。懐かしい声色。懐かしいその表情。
声にならない声を噛み殺し、やっとの思いで言葉を紡ぐ。
「……おかえり。おかえりフレア。俺は、ずっと君を待ってた」
涙はもう、出ない。流す必要が無い。
それは視界を遮るだけの、邪魔者だ。
「ただいま、アキラ」
心が満たされていく。
円環が解け、再び螺旋になるのを感じる。
「ただいま。私の愛しい、地球から来た剣闘士」
終
長い間お付き合い頂き、本当にありがとうございました。
未熟な処女作ではありますが、皆様の暇を潰す一役を買えたのであれば幸いです。
2013/07/06追記 新作はじめました。こちらも楽しんでやって下さい。
http://ncode.syosetu.com/n9463br/