別れ
「おい、そう拗ねるな。あれは仕方が無かったんだ」
フランベルグへ向かう隊列の中、隣を歩く馬上のアキラへ声を掛ける。アキラはむすっとした表情のまま、こちらへちらりと視線を寄越す。
「寝て起きたら全てが終わってたなんて、締まらないにも程があるよ。そりゃ暴れた僕だって悪かったけどさ……けど」
尖らせた口を元に戻すと、こちらへ向き直るアキラ。
「全部、終わったんだよね?」
少し寂しげなアキラの声。
「そうだな。これで終わりだ。あとは扉へ行くだけだな」
こちらの言葉を聞くと「そっか」と俯くアキラ。そんなアキラへ馬を寄せると、その肩へそっと手を乗せる。
「今のうちに挨拶を済ませておくんだな。別れは早い方がいい。時間を置くと辛くなるぞ」
眉を寄せ、唇を噛んだアキラ。彼を一人にするべく、馬の速度を少し上げる。
「ねえ、ナバール」
かけられた声に振り向く。アキラは少し離れた距離のまま続ける。
「僕さ、帰ったら本を書くよ。フランクさんが絵に描くようにさ。この体験を本にするんだ。思い出の中に閉じ込めておける程、小さい体験じゃないからさ」
どこか遠くを見通すような視線のアキラ。それに「本なんて書けるのか?」と冗談めかして答える。
「ははっ、別に誰に見せるというわけじゃないよ。それに昔書いた事があるんだ。まさに僕らが経験したような英雄譚をね……まあ、それは完全に妄想の産物だけどね」
笑ってそう答えるアキラ。それに「そんな事やったっけか?」と記憶を探る。
「もう五年も前だからうろ覚えだけどね。中学生……って言ってもわからないか。ともかく学生だった頃に書いたんだ……あれ、そういえば」
何かを思い出したように目線を動かすアキラ。
「そういえば、その時書いた物語の主人公の名前。確か"ナバール"だった気がするなあ。偶然って――」
「アキラ!!」
続けようとするアキラの言葉を遮り、大声で叫ぶ。
――ナバール
声に驚いたアキラが、じっとこちらを見つめる。
――建国、妖精
「すまない。少し気分が悪い。一人にしてくれ」
――ネクロマンサー。砦の攻防
馬の速度を上げると、隊列から逃げるように距離を取る。
「あぁ……」
息苦しさを覚え、胸を掻き毟る。
「あぁああああああああああ!!」
遠く、どこまでも。息の続く限りの叫び声。
豊穣の秋が近付き、どこもかしこも浮かれた様相を見せているはずの王都。かつてアキラだった時に剣闘士として戦い、ウルやキスカ。そしてフレアと共に過ごした思い出の地。
「酷いものだ……町が死んでいる」
通りの至る所に死体が溢れ、人々は家に閉じこもっている。こちらの存在に気付いた多数の浮浪児が裏通りへと逃げ惑い、薄汚い娼婦や男娼が油断の無い視線を送って来る。城壁に守りは無く、ただ鳥の止まり木として使われる存在と化していた。略奪の対象となったのだろうか。城壁のそこかしこが解体されており、場所によっては完全に崩落してしまっている。
「隊長、事前報告通り軍は存在しません。こういってはあれですが、王都は完全に放棄されています」
報告に来たウォーレンが、戸惑いと共に発する。さして興味も無いと首を振ると、「扉は?」と短く質問をする。
「中央広場です。今突撃隊が固めています。言いつけ通り、決して近寄らないよう徹底させています」
ウォーレンの答えに満足を覚えて頷くと、先導する彼に従い続く。見覚えのある通りを過ぎ、かつてそこの一員として過ごした町の賑わいを思い出す。今や誰もいなくなったそこは、崩れ落ちた廃屋の連なるスラムと化していた。
「…………」
自分の中の、何か大切な部分を犯されたかのような感覚。今まで意識してこなかったが、やはりここは第二の青春時代を過ごした思い出の場所だという事なのだろう。知らないうちに歯をかみ締めていたらしく、あごを手で揉み解す。
「あぁ、ナバール。フランクさん達はもう行ったよ」
扉の前。親しい仲間達が集合しており、その輪の中央にいるアキラが声を上げる。
「そうか。もう挨拶は済んだのか?」
馬を下りてアキラへ歩み寄ると、その背後に鎮座する巨大な扉を眺める。
――全てはこいつから始まったんだよな
ゆっくりとその周りを歩き、禍々しくも美しいその威容を目に刻む。
「うん、ナバールの言う通りね。あまりうじうじしてると後ろ髪引かれるから、簡単に。でも心は込めたよ」
にっこりとした笑顔。そのさわやかさにいくらか眩暈を感じながらも「そうか」と続ける。
「目出度い別れをするにしちゃあ、辛気臭い場所だがな。向こうでもしっかりやれよ。お前なら大抵の事は頑張れるはずだ」
アキラを引き寄せると、強く抱きしめる。
「あまり構ってやれなくて済まなかった。自分からお前を引き込んだくせにな……これを持って行け。そっちの事はよく知らんが、さして価値はかわらんだろう」
もう一人の自分から身を離すと、馬に括りつけてあった袋を手渡す。中身は大量の金貨と宝石だ。
「重いねこれ……ありがとう。それじゃあ行くよ。元気でね……へへ、楽しかったなあ。本当に楽しかった」
いつの間にか流していた涙を、必死に袖で拭うアキラ。良くまわらない口で何度も何度も楽しかったと繰り返す。
「俺もだ。良く出来た弟を持てて誇りに思うよ。お前は間違いなく螺旋の勇者だった。胸を張っていけ」
アキラの手を取ると、強くそれを握る。
「それじゃ。みんな」
歩み寄るアキラに合わせ、光と共に開かれる巨大な扉。その場にいた誰もが涙を流し、嗚咽に肩を震わせる。
「ありがとね。兄さん」
扉はアキラを光で包み込むと、
音も無く再びひとつに合わさった。
「……行っちまったな」
すぐ隣に歩み寄ってきたパスリー。こちらの肩へ腕を回すと、小さく呟く。
「そうだな……あいつの事だ。向こうでも上手くやるさ」
喪失感に苦しむ胸を押さえると、大きく息を吐き出す。
「うぅぅ、あぎらざんいっでじまいまじだぁ」
ベアトリスにすがり付きながら、どうしようも無い位にぐずぐずになったジーナ。仕方の無い子だと優しい笑みで慰めるベアトリス。
――見ろ、お前の別れを悲しむ者がこれだけいるぞ
空へ向かってそう念じる。届くわけが無いだろうが、もしかしたらと考えれば悪くは無い。時を司る扉がある位だ。何が起こったって不思議じゃあない。
「おい、ナバール。傷心の所悪いな。城は無人だぜ。王族の死体や何かがごろごろしてたな。この目で見るまで信じられなかったが、お前の言う通りだった。王はとっくに殺されてたんだな」
傭兵の護衛数名をつけたカイルがこちらへ歩み寄る。カイルが言っているのは、ここへの道中彼に聞かせたいくつかの可能性の話だ。ネクロマンサーがこの国を手中に収めるにあたって、恐らく採っただろうと思われる方法。すなわち、王を含めた中枢の死霊化だ。
「それが一番効率的だろうからな……ご苦労だった。引き続き城の占拠にあたってくれ。あるかどうかはわからんが、略奪品があるようならかき集めておいて欲しい」
カイルはこちらの言葉を聞くと「いくらかちょろまかしてもいいか?」と言いながら笑みを浮かべる。それに「将軍候補にあるまじき行動じゃないか?」と返すと、彼はしぶしぶといった様子で城へ向かって引き返していく。
今のジパングには、フランベルグを併合統治するだけの国力は無い。というよりこんな惨状の王都を手に入れた所で、経済的にも地政学的にも何の価値もない。せいぜい略奪できる品があれば良い方だと考えていたが、カイルのあの表情から察するに、思ったより多くの財宝が残されているのかもしれない。
「ねえ、貴方。ちょっといいかしら」
カイルが場を離れたのを見計らい、ミリアが小走りで近付いてくる。
「どうした。ネクロの事か? わかってるよ。行こう」
この段階でミリアの気にする事はひとつだろうと、当たりを付けて発する。ミリアはいくらか驚いた表情をすると、「知っていたの?」と首を傾げる。
「そりゃあ、わかるさ。皆は戦場で命を落としたと思ってるだろうが、そんな単純な相手じゃあない。何より君がそれに気付かないわけが無いからな。アキラの為に黙っていてくれたんだろう?」
馬にまたがると、ミリアを引き上げて自分の前へと乗せる。ミリアはされるがままに馬上へと収まると、振り返るようにしてこちらへと目を向ける。
「そうね。何があるかはわからないけれど、この後の展開によってはアキラにとって納得の行かない展開になる可能性があるわ。せっかく彼が地球へ帰る条件が整ったんだもの。邪魔をする道理は無いわ」
そうよね?と言いた気なミリアの視線。それに頷く事で応える。
「そう……なら良かったわ。ところで貴方。いつかマインドハックを使って欲しいって言ってたけど、それはもういいの?」
ゆっくりと歩く馬上から見える、新しく出来た死の都の風景。我々と戦った死霊の軍勢を作るために、いったいどれだけの人間をここから犠牲にしたのだろうか?
「あぁ。それはもういいんだ。全部、とは言わないが、必要な事は全て思い出した」
中央通りを抜け、当時と何も変わらない道筋をゆっくりと進む。去来する思い出と共に、沈んでいく気持ち。
「どこへ向かってるの?」
視線を前に戻したミリア。
「……剣闘場だ」
こちらの答えに疑問を持ったのだろう。「なぜ?」と発するミリアに「"俺達"の思い出の場所だからさ」と答える。
「貴方達? まるでネクロと知り合いかのような言い草ね」
再びこちらへ向けられる視線。
「そりゃあ、そうさ。あいつは――」
申し訳ないという気持ちなのだろうか。それとも仕方が無いのだという言い訳の気持ちなのだろうか。自分の中に渦巻くどす黒い感情を、言葉に乗せる。
「あいつは、俺だ」