戦いの行方
「聞きたい事がある」
白旗を掲げた男が一言。こっちの台詞だぞという思いを飲み込むと、ひとつ頷く。
「そっちに、食い物はあるのか?」
簡潔な一言。とまどいながらも、まさかという思いでフレアの方を見る。彼女もぎこちない動きでこちらを見ると、任せたという事だろう。深く頷く。
「あぁ……たんまりあるぞ。こちらは篭城側だしな。残念ながらもう取りには戻れないが――」
言い終わる前に、敵軍側へどよめきが走る。何人かが立ち上がって何かをわめき、それを部隊長と思われる者達が押し止める。
「うるせぇ、大人しくしていろ!! ……あぁ、悪いな。皆空腹でちょいと気が立ってるんだ。ちなみにここにいる全員が食えるだけの量があるのか? 今日の晩飯の話じゃなくてだぜ?」
男の言わんとする事を察し、「わかってる」と続ける。
「君らの人数は五千かそこらか? 砦の中だけでもしばらく食い繋げるだけの量があるぞ……あぁいや。このまま行くと砦に火を放つだろうから、残るのは消し炭だけだろう」
こちらにじっと耳を傾けていた兵達が、喜びの表情から絶望へと変わる。
――飢餓か……限界まで来ていたんだな
油断なく相手側へと目を凝らすと、その誰もが痩せており、生気の無い目をしている事がわかる。短い時間でこうなるとは思えず、恐らくフランベルグ自体に慢性的な飢餓が発生しているだろう事が伺える。
「なあ、ジパングは帝国と交易してんだろ。そっちは普通にパンが買えるのか?」
男の後方、話を良く聞こうと思っての事だろう。じりじりと歩み寄っていたうちの一人が発する。男は腰につけた袋をまさぐると、何やら親指大の金属の塊を「なあ、これを見てくれよ」と掲げてくる。
「あんたらが投げた弾丸だ。矢じりもある。なあ、これ銀だろ? 東ってのはそんなに豊かなのか?」
言いながら男はなおもこちらに寄ろうとするが、指揮官と思われる男にそれを制される。
「彼らは、何やら大きな勘違いをしているようだね」
フレアがこちらへ顔を寄せて呟く。フレアの言う通り、別に銀を捨てるように使える程ジパングが豊かというわけでは無い。たまたま銀鉱山の近くが戦場であり、何よりそれが必要だったというだけの話だ。だが――
「そうだな。東は豊かだぞ。考えても見ろ、価値の無い国とあの帝国がわざわざ取引をすると思うか?」
その勘違いをわざわざ解いてやる必要も無いだろう。それに恐らく、現状のフランベルグと比べれば豊かといって差し支え無いはずだ。
「そもそもだ。西の方が豊かなのであれば、我々がわざわざ東へ移住する理由が無いだろう。魔物こそいるが、それを守る我々がいる。土地は広く、豊穣だ」
こちらがそう断言すると、「やっぱりだ!」といった声があがり、奥がにわかに騒がしくなる。これは行けるか?と僅かな希望を見出した時、後ろから聞こえる喧騒に意識をそちらへ向ける。追撃部隊と思われる騎兵が複数騎いるようだが、それが後詰めの連中と何やら押し問答しているように見える。
「話し合いが終わるまでは、邪魔はさせねぇよ」
代表の男はそう発すると、兜を取り、その素顔を晒す。こちらもそれに頷き返すと、兜を脱ぐ事で敬意を返す。まじまじと男の顔を観察すると、痩せてはいるが整った顔立ちだという事がわかる。フランベルグでは珍しい、豹族の男。
「…………カイル?」
驚きのあまり、声が漏れる。男はこちらを不思議そうな表情で眺めると、「俺を知ってるのか?」と小さく発する。
――なんてこった。こいつら!!
もう一度奥へ視線を走らせ、ざわめき合っている男達を観察する。不均一な装備。統制の取れていない立ち振る舞い。その口調。
――間違いない、傭兵だ!
まさかという思いと、期待。希望。様々な感情が胸に押し寄せる。震える手で気付け用の木片を取り出すと、それを口に含む。
「君らの、降伏の条件は何だ?」
逸る気持ちを押さえ、ゆっくりと発する。
「身の安全と、当座の食料だ。あんたらに用意できるか?」
少し疑り気なカイルの声色。それに「無理だな」と返すと、失望の声と動揺が広がる。
「見ての通り、砦は敵の手の内だ。中枢はまだ残っているかもしれんが、まわりには死霊どもがたむろしている」
砦の方を手で仰ぎ、皮肉気な笑みを浮かべる。
「だが……そうだな。君らが協力してくれるというのならば話は別だろう」
カイルへ向き直り、その目を見る。
「……俺達を雇おうってのか? まだ敵軍だぞ? 俺達は信用が商売だ。裏切る真似なんてできるわけがねえ」
何を言ってやがるという表情のカイル。それにごもっともだと深く頷くと、続ける。
「もちろんわかっている。だが考えてもみろ。フランベルグが今後存続すると思うか? 失われる国家に信用を売った所で何になる。アインザンツの南下を知らないわけではあるまい?」
低くうなり声を上げるカイル。もう一押しかと、さらに続ける。
「我々に協力してくれるのであれば、君らの評判が下がらないように全力を尽くさせてもらう。秘匿しても良いし、寝返るのに適当な理由を発表してもいい。給金ももちろんはずむぞ。いくらもらってるのかは知らないが、上乗せしても構わん。というより、フランベルグの貨幣なんぞ近いうちに何の価値もなくなるだろうよ。こっちは地金決済だ。悪い話では無いだろう?」
話を聞き、兵の大多数は決断を下したのだろう。「そうだそうだ!」という掛け声がいくつもあがり、兵達がにわかに活気付く。
「な、なぁ。戦いが終わったらよ、やっぱりこれ返さなきゃなんねえのか?」
先ほどの銀塊を手にした男がおずおずと発する。それに笑顔を向けると、「いや」と続ける。
「拾った物は君らのものにして構わんよ。給金は別に出す。それとこの際だが言っておくが、我々はこの後焦土作戦に出るつもりだ。東が豊かなのであれば奪えば良いという考えは捨てた方がいい。どこまで行っても、何も手に入らんぞ。そもそもネクロは君らを生かしておくつもりとも思えん。死んだ方が何かと扱い易いだろうしな」
そう発すると、あたりは完全にパニック状態に包まれる。恐らくネクロに対する不信は強烈なものがあったのだろう。追い詰められた敵の首領がその場しのぎの為に騙っているという可能性を、まともに考慮している者がいるようには見えない。
――まだ、か。いったい何を望んでるんだ?
相変わらず渋い表情のままのカイル。何かヒントになるものはないかと、過去のカイルを回想する。彼は確か――
「なあカイル。このまま我々に協力してくれるのであれば、君は間違いなく"救国の英雄"だぞ」
ぴくりと揺れるカイルの耳。
「義をもって悪を討つんだ。外法を用いたフランベルグに正義なんぞ無い。君は"正義の味方"になるんだ」
カイルの目が揺れ、そしてこちらを真っ直ぐに見据える。
――嘘じゃあ無いだろうな?
彼の目がそう言っているように見え、大きく頷く。
「おい、やろうども」
後ろへ振り返るカイル。
「ひとっ働きするぞ。向こうには食い物がたんまりあるらしい。夜には宴会だ」
ほんの数十分前には、死を覚悟していた。
それが今やどうだろう。
見知らぬ兵に囲まれながら、指揮を飛ばしている。
「人生、何が起こるかわからんもんだね」
疲れ切った表情のフレア。だが、どこか力強さを残した顔。
「同感だ。だがこういう忙しいのは勘弁してもらいたいな」
ぼんやりと、激戦が続いている前線へと目を向ける。傭兵はそれにあるまじき事に、飢餓から救われるという事実から士気高く、戦場に必要な十二分の働きを見せ付けている。
「結局俺達が戦ってたのはさ、王軍の連中だけだったんだろ?」
ラーカの上であぐらを組んだウルがのんびりと発する。それに「そうだな」と続ける。
「今も砦の内部に立て篭もってる連中がそうだろう。恐らく王家共々ネクロ派についた連中なんじゃないかな。これは予想だが、その他の諸侯は派兵できるだけの余力が無いんだと思う。混乱と食料不足でな」
どこか遠くで爆発音が連続し、それをぼんやりと眺める。砦の外壁付近に大きな火の玉が複数個出現し、タワーやバリケードを木っ端微塵に破壊する。間を空けずに破城槌が外門の格子をひしゃげさせ、開いた隙間から傭兵達がなだれ込んでいく。
「お前んとこのアレはなんだ。化け物か?」
いつの間にか傍へ来ていたカイルが、呆れた表情で発する。
「そう言ってやるな。見た目は華奢な女の子なんだ……被害は大きいか?」
統制の無い死霊との戦いは、軍よりも剣闘士に近い傭兵には組し易い相手だ。三倍近いという数の差もさることながら、退避せずに残っていたウォーレン率いる中枢防衛組みとの挟撃により、戦況は圧倒的有利に進んでいる。
「死んでなんぼの連中だからな。まあ、約束通り家族への見舞金と東への移住権を出してやりゃあ文句も出ねえさ」
カイルの言葉に「そうか」と短く返す。
「ナバールさん、見て下さい。中立諸侯が動きます」
戦闘の開始から今に至るまで、常に傍観を続けていた中立諸侯軍。それらがついに動き、残り少なくなった死霊軍へ向かい突撃を始める。
「勝ったか」
真っ直ぐ前を見据えたままのフレア。
彼女の肩へ腕を回すと、発する。
「あぁ。勝ったな」