意外な結末
「怖いか?」
剣闘士団の中でも最も見栄えのする馬。その馬の背にまたがる少女へと声を掛ける。
「怖くないと思うのかい?」
呆れたように、少し笑った声。
「……すまんな」
フルヘルムのバイザーを下ろすと、ちらりとアキラの乗ったラーカへと目を向ける。
――螺旋だ
剣の握りを確かめ、体の隅々に意識を集中する。
――俺は失敗したが、お前は
「城門、開きます!!」
頭上よりかかる声に、漂いかけた意識を元に戻す。城門を開閉する為の鎖がからからと乾いた音を響かせ、徐々に門が開かれていく。跳ね橋が上げられている為に敵の姿は見えないが、すぐ向こうには大盾に隠れた敵部隊が密集している事だろう。
「……予定通り、突撃隊が活路を開く。平野まで到達したら散開だ。城内に残る部隊は最初の援護射撃が終了次第、順次地下から退避して構わん。自殺に付き合う必要は無いからな。ウォーレン、後は任せたぞ」
跳ね橋を制御するクランクに身構えるウォーレン。彼は振り返ると、「本当に?」と言いたげな視線をこちらへ向けてくる。
「どうせ死ぬんなら最後に派手なのがいいやな。早いとこ行こうぜアニキ」
ラーカに騎乗したウルがにひひと笑いながら発する。最後まで明るさを忘れないウルに感謝の笑みを向けるが、それはきっと兜に阻まれて届いていないだろう。
「そうだな……みんな。謝罪は後だ。あの世でいくらでもしてやる。だから――」
右手を上げ、ウォーレンへ向かって頷く。
「だからもう少しだけ俺に付き合え!! いくぞ突撃隊!! 最後のひと仕事だ!! お前らの生き様を見せ付けろ!!」
勢い良く下ろされる跳ね橋。巨大な鉄と木で出来たそれは、静けささえ漂っていた戦場に接地の轟音を響かせる。
「さあ、着いて来い!! 螺旋の勇者を、扉へ!!」
馬の腹を蹴り、城門を飛び出す。呆気に取られている敵兵に構うこと無く速度を上げ、風の様に走る。
「誰か、迎げっ!?」
通りすがりざまに、立ち上がった敵の指揮官の首をなで斬りにする。まさかこの状況で打って出るとは思わなかったのだろう。敵は動揺しており、浮き足立っている。
――誰か、なんて命令はよろしくないぜ
どこか冷静に事態を捉えている自分が、そんな感想をもたらす。命令は簡潔で、具体的なものが望ましい。
「ミリア、あれを頼む!!」
崩壊した西の外壁前。そこに作られた敵の簡易バリケードまで到達すると、馬を止めて叫ぶ。いくらか遅れてきたミリアはすぐに状況を察知すると、馬を走らせたまま魔法の言葉を紡ぐ。
――"Disintegrate"――
ミリアの指先から伸びる黄金の光が、バリケード一帯を素早く一閃する。間髪いれずに効果は現れ、光線に触れたあらゆる物が崩壊していく。鉄は錆び、木は朽ち、人は塵へと姿を変える。
「出し惜しみは無しよ」
障害物の無くなった壁へ向け、再び馬を走らせる。足を取られないよう慎重に崩落地帯を通過すると、そのまま敵の布陣する平野へ向けて駆ける。
――まだ、これだけいるのか
敵の展開する平野は、見晴らしの良いキープから一望する事が出来る。既に知っていた事ではあるが、こうして間近に見ると改めて二万という数字の多さを実感する。こちらを包囲する形で布陣した敵軍は、どこもかしこも人。人。人だ。戦いによって大きく数を減らしたかもしれないが、それがいったいなんだというのだと、自嘲の感情すら沸いて来る。
「私はこのあたりで良いのかい?」
先行したこちらに追いつく形で、フレアが隣へと位置取る。それに頷く事で答えると、予定通りミリアへと手の動きで合図を送る。
――さて、何を言うかな
ミリアの唱える拡声の魔法を聞きながら、何を語るべきかを今更ながら考える。
――別に気取る必要も無いか
諦めにも似た心境の中、そう開き直る事にする。洒落た一言を発するに越した事は無いのだろうが、残念ながらそういった方面の才能は恵まれていない。
「"フランベルグ軍の諸君……あぁいや。ネクロマンサー軍と言った方がいいのかな?"」
魔法によって増幅された大音量の声が、平野の向こうまで届けとばかりに響き渡る。敵軍は何事かとざわめき、味方はその耳を押さえようと無駄な努力をする。兜の上からではそれは難しい。
「"俺の名はナバール。姓はこれから貰う予定だったが、君らのせいで無いままになっちまった。有名人らしいから、きっと君らも知ってるんじゃないかな"」
兜を脱ぎ、黒髪を露出させる。場違いとも呼べる親しげな呼びかけに、仲間の剣闘士達がくっくっと笑い声を漏らす。
「"そしてこちらにおわすはジパングの女王陛下こと、フレアだ。城の中は窮屈だってんでな。こうして外に出てきたわけだ"」
こちらと同じように兜を脱ぐと、その顔を晒すフレア。彼女は呆れた様子でこちらへ視線を送ってくる。
「"本当は長々と語りたい所なんだが、残念ながらあまり時間が無い。単刀直入に言おうか"」
敵軍のいくつかが動きを見せ初めており、後ろからは追撃部隊と思われる敵のざわめきが聞こえて来る。敵を引き付けるには良い頃合だ。
「"俺達はここにいる。首をやるから、かかって来い。ただで渡すつもりは無いが、命を賭ける価値はあるだろうさ"」
言葉を区切ると、相手の反応を待つ。何やらざわめきが起きているようだが、積極的に動き出す様子は見えない。当たり前だし、予想通りの展開だ。
「"おいおい、もったいないな。来ないってのか? それじゃあ――"」
手にしたミスリルの輝きを、高々と掲げる。
「"こちらから行ってやろう。くたばれ、ネクロの犬ども"」
馬へ駆け足の合図を送ると共に、鋭く剣を振り下ろす。すぐに剣闘士達が小さな集団ごとに四方へ散開し、勢いのまま敵へと向かい突き進んでいく。
――主な戦闘集団は……あいつらか
平野に集う敵軍はそのほとんどが裏方の兵士達だ。それらはこの戦闘では無視して良い存在であり、注意を引く必要も無い。用があるのは騎兵を迎撃する能力を持つ部隊だけだ。
「大部隊だからって、おたくら安心しすぎじゃあ無いかい!!」
手近にいた敵の弓兵部隊へ進路を取ると、その中央へとなだれ込む。すぐさま敵による迎撃射撃が行われるが、いくらもしない内にそれはぴたりと止む。当然だろう。後ろには敵の追撃部隊が迫ってきており、はずした矢がそれらに当たる危険性が大きい。それにこちらの多くは重装騎兵であり、矢はあまり効果を期待できない。
――追ってきたのが死霊でなくて助かったな
馬上から振るう剣で何人かを切り捨てると、逃げ惑う敵兵を狩りのように追い立てる。フレアを固めるこの集団は僅か三十騎に過ぎないが、紛れも無いてだれであり、戦場の花形こと重騎兵だ。いくらもしない内に大地を血で染め上げ、動かぬ躯を量産する。
「仲間ごと射抜くのが正解だ、素人が。というか騎兵対策をしていないのか?」
逃げ惑う弓兵達が、弓意外にまともな近接武器を持っていない事に呆れ顔で発する。いくら攻城戦と言っても、普通は篭城側による奇襲を警戒するものだ。
――もっと積極的に打って出るべきだったかね?
あっという間に狩られ尽くしていく敵兵に哀れみを覚えながらそんな感想を持つが、死霊がいた以上それも難しかっただろうと思いなおす。奴らは馬など恐れずに向かってくる。撥ねられて死ぬ人間とは条件が違いすぎるだろう。
「すぐに移動するぞ。ここに敵しか居なくなれば、構わず矢を射ってくるはずだ。派手に動こう。それだけアキラが無事になる」
手綱を引くと、敵の剣兵部隊へ向かって突進する。たった三十の騎兵が敵陣へと割って入り、一直線の道を作っていく。もし砦に残る味方がまだいるならば、とても壮観な絵に見える事だろう。
「ミリア!! 邪魔なのがいるぞ。派手に頼む!!」
眼前に並んだ、敵重装歩兵の横列。対騎馬用に槍を構えて待ち受けるそこへ、ミリアの電撃が襲い掛かる。電撃は進路上にいた敵兵を吹き飛ばし、黒ずみへと変える。
「おっと、くそ。敵さんもやる気になってきたかね」
視界に入った、無数の黒い影。盾で馬の顔を守り、矢の進路を塞ぐ。
――お前らの倍は仕留めてやるぞ。先に行って待っててくれ
恐らく馬を射抜かれたのだろう。派手に転落する仲間が数騎。それを一瞥すると、敵の歩兵をかすめるように馬を走らせる。
「フォックス達は無事に突破できたかね」
どこか他人事のようにそう発すると、遠くをじっと眺める。敵は混乱しているが確実にこちらの動きへと注意を注いでおり、アキラ達のそれかはわからないが、別の集団の通過にはあまり意識を払っていないように見える。もっとも、それは願望から生まれた虚像なのかもしれないが。
――この奥は……後詰め部隊か?
何やら浮き足立っているが、さしてやる気の見えない部隊へと注意を向ける。大方後詰めだと思って油断しきっていたという所だろうか。右往左往しているが、とてもこちらを仕留める為の努力をしているようには見えない。
「こりゃあやろうと思えば簡単に敵陣突破できちまいそうだな。まあ、逃げた所でどうなるわけでも無いが……おい見ろ! 敵さん殺し合いの仕方を知らないらしいぞ! ちょっとばかり教育の必要があるんじゃないか?」
あえて馬を止めると、大声でそう叫ぶ。並走する仲間達はこちらの声に笑い声を上げると、手にした武器を掲げて雄叫びを上げる。
「さあて、行くか。フレア、まだ動けるな?」
ほんの短い時間にも関わらず、既に肩で息をしているフレアへ語りかける。彼女は青い顔のままこくこくと頷くと、バイザーを上げ、引きつる顔に笑みを作る。
「君の隣で戦うという、私の願いのひとつが叶った所だからね。もう少し楽しんでもバチは当たるまいよ」
してやったりという表情を作るフレアに、心からの親しみを込めた笑みを向ける。
――俺は幸せな奴だな
溢れそうになる涙を無理矢理押し止めると、敵軍へと目を転じる。戦闘に集中しないと、今にも大声で泣き出しそうだ。
「ようし、それじゃあいつら……を……?」
矢への壁として。そしてかき回すにはもってこいの相手と思われる後詰め部隊だが、その予想外の行動に呆気に取られる。
――何の真似だ?
敵の部隊長だろうか。一騎の騎兵がゆっくりとこちらへ歩みを進めて来る。混乱と共にざわめいていた敵兵達がいつの間にか静まり返り、こちらをじっと凝視している。
――罠か? なんなんだ?
男にさしたる特徴は無い。
軍人にしては覇気の無い顔だが、そんな事はどうでもいい。
「そんな馬鹿な」
男が手にしていたのは、
降伏を示す、大きな白旗だった。