小休止
「状況はどんな感じかね」
内壁の城門上。治療を受ける仲間達の中でフレアが問う。機密性も何もあったものでは無い場所だが、あたりはうめき声やら何やらの喧騒に包まれており、少なくとも会話を聞かれる心配は無い。
「見ての通り手酷くやられたよ。物資はまだまだあるが、人的資源の消耗が激しい。武器はあっても使う人間がいないんじゃ単なる見本市になっちまう」
半年もの間貯めに貯めた各資材は、備蓄庫に唸る程詰め込まれている。スリングの弾丸や矢じりといった物に使われている貴重な金属はすぐ近くのアイロナから直接運び込まれており、今こうしている間にも次から次へと補充が追加されている。
「搬入終わりました。木材関係はもう少し時間がかかりそうですが」
地面から生首のように顔だけ出した土竜族の女。手を振る事でそれに応えると、彼女は一礼と共に地中へと消えて行く。
「アイロナと砦が地下で直接繋がってると知ったら敵は憤慨するだろうね。敵がここを無視してアイロナへ向かう可能性はあると思うかい?」
手にした地図へと目を落としてフレア。「どうだろうな」と再び距離の空いた敵軍を見下ろす。
「ゼロでは無いが、まず無いだろう。軍は移動するだけで資材を消耗するし、組み立てた攻城兵器を解体する必要もある。捨てて行く程余裕があるとは思えないし、ゆっくり運ぶなんて以ての外だ」
こちらの答えに満足したのだろう。「うん」と頷くフレア。
「攻城戦が何か月も続く様であれば補給の切れない相手に疑問も持つだろうが、現状では問題なさそうだね。いざ地下道が見つかった場合は崩落させれば良いだけか……彼らを味方に引き込めて本当に良かったよ」
砦の修繕にそこら中を走り回る土竜族の姿。長大な地下トンネルを掘るなど、彼ら無しでは考えもしなかっただろう。
「情けは人の為ならず、という奴だな。この手柄はアキラのものだ」
土竜族に助けを求められた際、自分だけであれば間違いなく拒否していただろう。あの時は非合理なアキラ達を面倒だと思ったものだが、世の中何がどう転ぶかわからない物だ。
「陛下、それに隊長も。こちらにいらっしゃいましたか。ちょいと気になる事があるんですが、お時間よろしいでしょうか」
我々を探して走り回ったのだろう。少し息を切らせたウォーレン。促されるがままに外壁へと移動すると、敵陣を遠目に眺める。
「なるほど。確かに敵の士気は高く無いようだ。というより酷い有り様だな。何があった?」
ジーナを呼んで確認するまでも無く、乱れた敵の陣容が良く見える。てっきり波状攻撃を仕掛けて来ると思っていた相手だが、いつまで経っても動きを見せて来ない事に何か関係があるのかもしれない。
「わかりません。我々に恐れをなして、というのであれば一番ありがたいのですが、きっとそうでは無いでしょうね。我々も善戦しましたが決して一方的というわけでは無かったですし」
ウォーレンの声に頷きつつも、唸り声を発する。死者は既に二百を超えており、野戦であれば敗北とされる量だ。その数倍の相手を倒してはいるだろうが、それでも苦しいものは苦しい。
「ふむ。他に戦場で士気に影響を与える物となるとなんだろうね。本国で何かあったか、指揮官が死んだか。もしくはお先が真っ暗か、だね」
にやりと笑うフレアに、二人で疑問符を浮かべた表情を向ける。
「連中、我々の想像以上に深刻な物資不足なのかもしれんぞ。というよりも、恐らく食糧だな。見ろ、森からの灰に気を取られて気付かなかったが、敵陣からいったいいくつの煙が上がっている?」
フレアの言いたい事が伝わり、なるほどと遠目を見やる。これから攻撃するにせよ、日をまたぐにせよ、時間が空くのであればまずは腹ごしらえというのが鉄則だ。ところがどうだろう、敵陣から昇る煙はそれこそ数える程しか見えない。連中は火を通す必要の無い、それこそ最後に使用される携行保存食に手を出しているという事だ。最悪それすらも無いという事も考えられる。
「おぇ……という事は近い内に決着が着きそうですね。まともに動けるうちに兵を進めるでしょう。ネクロも持て余す程の死体はいらないでしょうし、数日の内といった所でしょうか?」
泥水を飲んだ方がマシと形容される携行食料の味を思い出したのだろう、ウォーレンが軽くえづきながら発する。それに「どうだろうな」と曖昧に返すと、沈みかけた太陽を遠目に見ながら立ち上がる。
「いつ来ても戦える準備をしておけばいいさ。それより夜が来るぞ。松明をどんどん焚いちまおう。短期決戦となるならなおさらだ」
どこからか聞こえる悲鳴。それにはっと目を覚ますと、素早くあたりを見回す。見慣れた石壁に、粗末な寝台。
――またか
声の元はわかりきってはいるが、念の為にと外へ向かう。手近な剣闘士に声をかけると、何度も繰り返されたやり取りだ。向こうもいくらかうんざりした調子で「またですよ」と答える。
「お、アニキ。丁度いいとこに来たぜ。風呂入ろうぜ風呂」
声に目を向けると、素っ裸で着替えを頭に乗せたウルの姿。夜番に備えてもう一度寝ようかとも考えたが、ここは誘いに乗る事にする。城の中は強い日差しのせいで蒸し風呂状態となっており、汗で張り付いた服が不快感を催す。
「ちょいと外の様子を見てからな。先に行っててくれ」
見張りのひとりに着替えを運んでおくように頼むと、叫び声の聞こえた方向。外壁の方へと歩みを進める。砦の内部はどこもかしこも工兵達が補修作業に当たっており、巨大な工事現場と化していた。
「やあボス。裏手側に来るのは珍しいですね。さっきの声でしたらあれですよ」
外壁上をゆっくり歩いていると、七つ子の誰か――今だに見分けがつかない!!――が後ろを仰ぎながら発する。促されるように顔を向けると、外壁向こうのゴミ捨て場に倒れる、矢を生やした一人の死体。手には大きな麻袋が握られており、何かを集めていた様子が見てとれる。
「……向こうはいったい何を考えてるんだ? 正々堂々なんぞ口が裂けても言うつもりは無いが、これではあまりに酷すぎるだろう!」
怒りのあまり胸壁を殴りつける。敵に情けをかけるつもりは無いが、こうもぞんざいな扱いを受けているのはさすがに納得が出来ない。
「わざわざ敵軍の生ごみを漁りに来る様な状況なんて、どう考えても普通じゃないっすよね。向こうは飢餓が発生してるんですか?」
アインだかツヴァイだかが眉を顰めて発する。それに短く「わからん」と答えると、踵を返す。
――何をしてる? 何を待ってるんだ?
先程はわからんと答えたが、状況から察するに間違いなくフランベルグ軍には飢餓が発生している。今しがた射抜かれた男のように、こちらの捨てた食べ残しを漁りに来る敵兵の姿はここ数日間、昼夜を問わずに現れている。一部の兵種。例えば傭兵達にのみ食糧の供給が止められているという可能性も一時期は考えられたが、それはミリアのマインドハックによる捕虜からの情報によって否定された。軍は飢えている。
――いや、半分は飢えを知らない連中か
晴れているはずなのに、森からの煙で燻った太陽。少しでも陰鬱な気分を振り払おうと、足早にウルの元へと急ぐ事にする。
「おうアニキ、こっち空いてるぜ」
内壁の堀に身を浸し、ぷかぷかと浮かぶウル。防御柵のそれとは違い、内外の堀には水を流し込んである。毒を流し込まれた場合を考えて堀の水の利用は原則禁止だったのだが、土壇場になって現れた優秀な水質検査員の登場により、内堀は一躍憩いの場と化した。
「御機嫌よう将軍。水に異常はありません。流れの下に行けばいくらか汚れてはいますが」
水の中より頭を覗かせたリザードマンが独特な声色で発する。「皆助かっているよ。ありがとう」と礼を言うと、彼は笑みと共に再び水中へと潜って行く。
「お邪魔するよ。なるほど、上を入浴。下を洗浄場としたのか」
堀の水は付近の川から地下を通り、この砦を経て再び川へ帰るようになっている。ゆっくりと流れる堀の水は決して澄み切っているというわけでは無かったが、浄化すれば飲み水として使えるし、洗濯や行水として使用するのには申し分無かった。今も城に近い上流では剣闘士達が血と汗で汚れた体を清め、その向こうでは服や鎧の洗濯、洗浄が行われている。疫病でも流行った日には即全滅の恐れがある為、衛生に気を配れるというのは大変ありがたい。
「はあぁ……たまらんな。傷はしみるが、生き返る」
冷水ではあるが、強い日差しの中では丁度良い。若い女剣闘士達が下心丸出しの目でこちらをちらちらと覗き見ているが、あえて気付かない振りをする。一応薄手のシャツは着ているし、生き死に以外の事に気を向けられる余裕があるというのは良い事だ。
――向こうと比べればこちらは天国だろうな
真夏の戦場というのは、戦闘による死傷者よりも病死者が勝る事が度々ある。鎧とはいわば鉄板であり、太陽の光で簡単に熱せられる。衛生的とはほど遠い環境に何日も身を置き、食事はどれもあっというまに痛む。今までに何度も経験してきた事ではあるが、あえてその環境に身を置きたいとは思えない。
「ふむ。気持ちはわかるし楽しんでいる身でなんだが、ちょいとやりすぎだな。水門を後で元に戻しておけよ」
いつもより低くなった水位に、足が着くようにと水量を調節しているのだろうとあたりを付ける。城内のバルブを開ければ水位はすぐに戻るので、そう心配する必要は無いのだろうが、何でも用心しておくに越した事は無い。
「将軍。水門は開いていますよ。数日前からなので、天候の影響では?」
落ち着いたリザードマンの声。それに対し、「そんな馬鹿な」と発し、続ける。
「多少日照りが続いた位で万年雪の雪解け水が無くなってたまるか。どこかで水流が変わったんだ……全員口を閉じろ!! その場で止まれ!! 一切物音を立てるな!!」
予感めいた物を感じ、大声で叫ぶ。しばらくの後、しんと静まり返る砦内。ウルを手招きすると「何か聞こえるか?」と尋ねる。「何かって言われてもよ」と言うウルだが、やがて何かを聞き取ったのだろう。その目が一点を見据える。
「何か固いものをぶっ叩く音がする……下だ。地面の下だ!」
ウルの耳が下を向き、それと同じように誰もが首を傾ける。沈黙の中じっと下を見つめていると、やがてどこからか地震のような、微細な振動が伝わってくる。
――連中が待っていたのはこれか!!
飛び跳ねるようにして水から上がる。再び訪れる振動。
「ウル、音の聞こえる場所を特定してくれ! おまえら仕事だぞ! 鐘を鳴らせ! 警戒度を引き上げろ! 寝ている者は叩き起こせ!!」
装備を整える為にキープへ戻ると、警戒厳を知らせる鐘の音を耳に急いで身支度を整える。
大きい振動。そして叫び声。弾かれるようにして窓から顔を出す。
「……やられた」
砦の東に位置する外壁の一部が大きく傾き、地すべりを起こしながら崩れて行く。もうもうと上がる土煙が敵味方へと異常を知らせ、両軍共に慌ただしく動き始める。
「やはりまだ潰せていない穴があったんだ……くそっ、外壁を飲み込む程だと? どんだけ馬鹿でかい穴を掘りやがったんだ、ふざけやがって!!」
外壁が崩れたという事は間違いなく堀も無くなっているはずだ。時間があれば補修も出来ようが、敵がそれを見逃すとは思えない。区画防御の指示を怒鳴りながら急いで鎧を身に着けると、矛を手にする。
キープの軒先に彫られた女神の彫像がちらりと目に入るが、
とても祈る気にはなれなかった。