アイロナ砦攻防戦 二
耳鳴りと白く濁った世界の中、必死に撤退の声を張り上げる。自分の声は聞こえないが、各部隊長がジェスチュアを交えた指示を下しており、きちんと伝わっているという事がわかる。
――投石器でダイナマイトを放ったか? いや、ありえんな
自分たちが押さえ込んでいた壁の左手。砦正面の惨状を目にしてそう予想を立てるが、それをすぐさま否定する。そう都合良く狙えるわけが無いし、確実では無い。死者に持たせて突っ込ませたのだろうか?
いくばくかの不気味な沈黙の後、壊れた柵の間からなだれ込んでくる死霊の群れ。素早く陣形を整えた剣闘士がそれを槍で迎え撃ち、後退と迎撃を繰り返す。
「外壁内へ退避!! 慌てず急げ!! 投網頼んだぞ!!」
徐々に聞こえてきた耳に各指揮官の声が飛び込んで来る。城門の上では大きな網を抱えた剣闘士が待機しており、仲間へ応援の声を張り上げている。その内の一人が矢傷に倒れるが、すぐさま替わりの剣闘士が配置に付く。しかしその剣闘士までもがすぐに何かの影に捕らわれ、その姿を消す。
――そういう事かちくしょう!!
影の正体である巨大な鳥は、一度高度を上げてから捕まえた剣闘士を放り投げる。恐らくダイナマイトを投下したのもこいつだろうと当たりを付けると、弓兵達にそれらの迎撃を優先するよう声を張り上げる。すぐさまそれに呼応した弓兵による攻撃が行われるが、既に息の無い巨鳥は矢が何本刺さろうとお構いなしに飛行を続けている。
「あぁ……まずいぞ。また来やがった。誰かあれをなんとかしろ!! 爆薬を咥えてやがるぞ!!」
城門の向こうから飛来する別の死鳥を見つけて叫ぶ。なんとかミリアを始め魔法使い達に届かないかと声を張り上げるが、頭の中では冷静に望み薄だと判断する。すぐさま盾を前に伏せるのが得策なのだろうが、目の前の死霊の群れにそれも難しい。
迫る死の鳥。走る焦燥感。
しかし次の瞬間、何か強烈な打撃でも食らったかのように鳥の頭が爆ぜ、すぐさま下へと墜落していく。耳元に残る乾いた破裂音。死霊の群れに突っ込んだ死鳥はしばらくすると、周辺のゾンビを巻き込んで爆散する。
「……銃?」
事前に聞こえた破裂音の元へ目を向けると、たしかリボルバーと言ったろうか。回転式の拳銃を両手で構えたフランクの姿。
「イヤッハー! 矢は平気でもマグナム弾じゃそうは行かねえだろ! 残り三発だ。二発を何に使ったかは聞かないでくれよ」
にやりと笑うフランク。それににとびっきりの笑顔を返すと、これはチャンスと一気に城門へ撤退する。追いすがるゾンビには城門上より投網が投げられ、力任せに岩が放り投げられる。
「回せ回せ!! 急いで閉めるんだ!!」
下に何かがつかえた場合に備え、自由落下では無く巻き取り機からの動力で閉まる構造の鉄の門。必死の形相でクランクを回す剣闘士の動きに合わせ、ゆっくりだが力強く門が閉まっていく。先の尖った鉄の門は、やがて下にいる死霊達を押しつぶしながらその口を完全に閉ざしきる。
「怪我をした者は地下で手当てを!! 残りはすぐさま上へ向かえ!!」
二重目の門が降り始めるのを確認すると、すぐさま階段を駆け上がる。鉄製の門はいくら破砕用のダイナマイトでも破壊する事は出来ないだろうし、門防衛の部隊がいれば十分に対処可能だろう。それにそもそも多人数が当たれる程門は広くは無い。
「隊長!! 隊長ぉ!! 敵の攻城兵器が動き出しています!!」
階段ですれ違いざまにウォーレンが悲鳴のように叫ぶ。こりゃあいかんと外壁上へと躍り出ると、飛来する矢も構わんとばかりに周囲を一望する。
「堀が死体で埋まったか……梯子兵は左右。攻城塔も同じくか。ウォーレン、塔へ走れ。ミリアへ左をなんとかするよう伝えるんだ。お前ら!! 右のあれを迎撃するぞ!! 火矢を放て!!」
傍にあった死体から盾を受け取ると、城壁上を身を低くして走り抜ける。攻城塔は木の板で覆われた移動式の建物で、兵を外壁上に直接送り込む為の巨大な攻城兵器だ。二~三階建の建物程の高さがあり、壁を倒すとそれがそのまま跳ね橋となる。水際でこれをなんとかできないと外壁は確実に陥ちるだろう。
「死霊共は放っておけ!! 梯子と塔だ!! 梯子と塔を狙え!!」
混乱と喧騒の中、必死に叫びながら走る。城壁上の武器置き場から弓と矢筒を引っつかむと、壁に添えられた松明の傍まで移動する。松明の前では緊張からか、震える手で火を付けようと努力している剣闘士の姿。それを押し退けると、ライターで素早く火を灯す。
――やっぱりなんでも取っておくもんだ
火が十分に燃え上がったのを確認すると、布の巻かれた矢先を油壷へと浸し、松明から点火する。火のついた矢を胸壁の隙間から立て膝で狙い、それを放つ。
「あれを近づかせるな!! 火矢を撃てる者は塔を! 他は牽引している馬や何かを狙え!」
塔を引いているのは多数の馬や人だが、そのどれもが既に死を迎えた者達だ。矢はほとんど効果が無いだろうが、矢じりが銀であれば別だ。
右手が悲鳴を上げ始める程矢を放ち続けていると、やがて接近した梯子兵達が外壁へと梯子を立てかけ始める。弓を手放して後ろへ積んである岩を手にすると、梯子の上からそれを放り投げる。梯子を昇ろうとしていた女と目が合うが、次の瞬間には後ろに続いていた兵もろとも下へと落下していく。
「手伝ってくれ!! ロープを引くぞ!!」
声の方へ目を向ける。外壁にかけられた梯子の先に結びつけたロープと、それを手にする剣闘士の姿。無言でロープを手にすると、掛け声と共にそれを横へ引く。
「お呼びじゃないのさ!! おととい来な!!」
ロープに引かれた梯子はバランスを失い、それに取り付いていた敵兵もろとも横へと倒れていく。その傍では木の棒を使って梯子を奥へと押しやる者や、敵が梯子を昇りきる瞬間を待ち構え、槍で迎撃する者等。誰もがありとあらゆる方法で敵の接近を拒み続ける。矢で喉を撃たれた剣闘士が死なばもろともと敵を巻き込みながら落下していき、敵の登壁を許してしまった場所では油壷を火炎瓶として登壁地点ごと焼き払う。
「まるで地獄だな……パスリー! ここだ! 来てくれ!!」
外壁上で見つけた一際巨大な盾と戦斧を持つ友人に声を掛けると、油壺をすぐさま手渡す。攻城塔がいくらも無い距離にせまってきており、一刻の猶予も無い。
「ナバール、無事か!! こいつをどうしろって……あぁ、なるほどな」
手渡した油壺を見ると、納得したように頷くパスリー。彼はその狼の目で攻城塔をまっすぐ見据えると、大声で叫びながら油壺を投擲する。投げられた壷は攻城塔の壁面へ激突し、その中身を盛大にぶちまける。撒かれた油は塔にいくつも刺さった火矢から引火し、瞬く間に巨大な炎を燃え上がらせる。
「おいナバール、もっとしっかり防いでくれ!」
眼前をかすめた矢にパスリーが怒鳴る。それに「図体ばかりがデカいお前が悪い!」と悪態を返しつつも、飛来する矢からパスリーを盾で守る。
「死にさらせっ!! ナバール、あれはもう十分だろ。次に行こうぜ!!」
勢いよく燃え盛る攻城塔は、とても人が飛び出せる状態とは思えない。どうやら敵もそう判断したようで、攻城塔はその動きを止め、内部にいたと思われる兵達が次々と外へ逃げ出して行く。
――あっちは派手にやってるようだな
背後からストロボのように発せられる眩しい光。何の魔法を使っているのか見当も付かないが、地上で空中でと激しい閃光と爆発が繰り返されている。時折不完全燃焼を起こしたかのように消えて行く魔法がある事から、敵の魔法使いの存在が伺える。
「上陸時の露払い役か……道理に適っているな。俺だったら攻城塔の上に――」
呟きの途中、攻城塔のてっぺんより顔を出した男と目が合い、怖気が走る。
「パスリー!! 伏せろ!!」
体格差から力任せに引き倒す事は出来ないと判断し、足をかけ、捻りこむように倒れる。髪を焼き切りながらかすめていく火球。それに続く爆発音。砕けた石やら何やらが盾を激しく打ち、鎧の隙間から熱波が飛び込んで来る。
「あづぅっ!! ちくしょう、殺してやる!!」
右腕の体毛に引火した火を懸命にはたきながらパスリーが叫ぶ。盾を背負いながら背中の方にまわった火をはたき消すと、上に乗った誰かの臓物を放りながら煙をかき分けるようにして前へ出る。
――くそっ、ニッカあたりを連れてくるべきだった!!
時間との勝負から慎重さを欠いていた自分を叱咤しながらも、勢い良く下ろされる跳ね橋へ向けて駆ける。跳ね橋から続々と現れる重装歩兵。隙間からは攻城塔の中にある梯子を登る敵兵が連なる姿が確認できる。
「邪魔だ、失せろ!!」
頭の上で半回転させた槍を正面にいた敵兵の横っ面に叩き付ける。防ごうとした敵の槍をへし折りながらそのまま振り抜くと、体を入れて城壁から追い落とす。槍兵の正面に立たないよう、集団の中へと身を躍らせる。
――なんとか水際で!!
地面に転がる砂利を手にすると、相手の顔目掛けて放り投げる。通りすがりに膝を砕き、喉へナイフを押し込み、加速のついたまま敵を乗り越えるようにして前へ向かう。乗り込んだ側であるのに震える手で槍を構える男へ、盾による強烈な一撃を見舞う。
――思ったより弱兵だ。傭兵か?
覚悟していたよりもずっと少ない抵抗。このまま攻城塔に乗り移ってやろうかなどと欲張りな算段を立てるが、思わぬ敵の動きに急停止をかける。
「なんだ? 何が起こった?」
せきを切ったようになだれ込んでくると思われた敵だが、いくら待てども後続が姿を現さない。不審に思い攻城塔の様子を伺うと、先ほどとは逆。下へ向かって階段を降りる兵の姿が確認できる。
――何をしてるんだ? 何かの罠か?
何が起こっても良いようにと腰を下ろし、盾を前に身構える。城壁上に残った数人の敵兵に殺意を籠めた視線を送ると、驚いた事に武器を投げ捨て始める。
「こ、殺さないでくれ!! 降伏する!!」
素早い動きで跪く男を呆気にとられたまま見下ろす。こちらを殺そうとしておきながら虫のいい奴等だとは思うが、捕虜を獲れるのは望ましい事でもある。
「おい、ナバール。ナバール! あれを見ろよ!!」
血の登った頭をなんとか抑えると、パスリーへ振り返る。彼は敵軍の方を指差しながら口元に笑みを浮かべている。指先に広がるのは――
「敵が……退いてる?」
まるで押し寄せた波が引くかのように砦から離れて行く敵兵達の姿。何かから必死に逃れるという風では無く、部隊毎にまとまった動きを見せている。
「撤退の指示を出したのか……はは、助かったな」
酷使による震えが出る腕を抑えながら、乾いた笑いと共にその場に座り込む。相手の指揮官がどう判断したかはわからないが、情勢的によろしくないと思ったのだろう。あのまま攻城塔から突入されていたら外壁が陥ちていた可能性が高い為、こちらとしては有難い限りだ。
「態勢を整えたらまた来るだろうな」
遠くを見つめたままパスリー。「そりゃそうだろう」と返すと、差し出された手を取り立ち上がる。退却していく部隊だけを見てもこちらの全軍より多いのだ。まだ動いていない部隊を合わせ、圧倒的戦力差にいまだ変わりは無い。
――とりあえずの小休止といった所か
眼前に広がる、死体。死体。死体。そしてわずかな生者。相当運の良い一握りを除けば、彼らもそう遠く無い内に死者の仲間入りをする事だろう。
「おらぁよ。敵の撤退に神様を崇めたくなったが、取り消しだな。こんな光景を地上に作っちゃいけねえよ。まあ、戦の度に言ってるけどな」
パスリーの言葉にふんと鼻を鳴らす。
「これを作ったのは人間さ」
吐き捨てるようにそう呟くと、茫然と立ち尽くす仲間達へと向き直る。
「さあ、勝ちどきをあげろ!! お前らなんて取るに足らんと見せつけてやれ!!」
剣を掲げ、高らかに叫ぶ。
それに続き、砦に篭る全ての人間が雄叫びを上げた。