アイロナ砦攻防戦
「ウル、準備は出来てるな?」
隣で盾と共に長い木製の棒を構える少女に声を掛ける。「あたぼうよ!」という元気な返事に親指を立てると、自らも同じように棒を構える。
「長距離射程。目標切り株奥」
前進を開始した敵を見据えたまま指示を出す。すぐさま傍に居たウォーレンが「ちょーきょり!! きりかぶおーく!!」と大声で復唱し、外壁上に構える剣闘士達へと周知させる。
――切り株奥は……ここか
木の棒にナイフで刻み込んだ目盛りを目安に、握りの長さを調整する。
「ジーナ、相手の編制!!」
予想はついているが、確認するに越した事は無いと声を上げる。盾に身を隠しながら遠くを見つめるジーナ。
「大盾と弓兵。全部人間です……死霊は後ろに控えたままですね」
彼女の報告に満足して頷く。相手は既に四百メートル近くまで迫ってきており、ジーナからすれば一人一人の見分けが付く距離だ。お互い弓が届かない距離だが、この日の為に用意した武器の最大射程でもある。
「目標正面中央。鉛弾。投射用意」
外壁上で一列に並び、盾を構えながら棒を振りかぶる一同。
――まだだ。もう少し
今だ射程圏外だと油断しているのだろう。ゆったりとした動きで前進を続けている敵兵。ロングボウはこちらを攻撃できるだけの射程を持っているが、丘の上に設置された城壁との高低差からもっと近付く必要がある。
――そうだ。来い。もう少し進むんだ
扇状に展開する二千はいるかと思われる大部隊。
大盾が最奥に設置された切り株を超え、続く形で弓兵が歩みを進める。
「放て!! 奴等の臓腑をぶちまけろ!!」
叫びながら全力で振り切る。
一斉に響き渡る百を超える風切り音。
長さ一メートル程の棒の先に取り付けられた編み紐。"てこ"と遠心力で加速されたそれは、包み込んでいた円錐形の鉛弾をトップスピードで解放する。原理としては敵の使っているトレブシェットと同じだ。凄まじいスピードで飛翔する鉛弾は盾や鎧を通す事こそ出来ないが、弓兵の着ているレザーアーマー程度であれば十分な殺傷力がある。装填する弾を重い物に変えれば、重装歩兵に対して弓よりも効果的な打撃を加えられる。スリングスタッフが弓より長い射程を持つ事はあまり知られていない。
「見ろよアニキ、あいつらの慌てようったらねえぜ。きっと今まで自分らより遠くからやられた事が無かったんだぜ。ざまぁみろだ」
ウルの言う通り予想外の距離から攻撃された事に驚いたのだろう。ざわめきと共に混乱が広がるフランベルグ軍。いくつかの部隊が慌てて反撃してくるが、それらはせいぜい外壁の柵へ突き刺さるに止まる。
「弾丸は腐る程あるぞ! 好きなだけ撃て!」
遠くの敵を狙い撃つ事など出来ないが、幸いにも――それとも不幸にもと言うべきだろうか――標的の数は多く、距離さえ合っていればめくら撃ちでも十分だ。射程に関しては各々が持つスタッフの握りの位置を調整する事で力加減を考えずとも簡単に調節が可能であり、わざと残しておいた平地の切り株が敵との正確な距離を教えてくれる。敵は勇敢にも前進を続けているが、その速度はお世辞にも速いとは言えない。スリングと違って弓は両手を使う必要がある為、盾を持つ事が出来ない。
「鉛弾の補充です! 鉛弾の補充です!」
城壁上をよたよたと走るキスカ。両手でたくし上げたスカートに鉛弾を乗せ、補充の必要そうな兵士の間を行ったり来たりしている。本来であれば野草や花々が似合うだろうそこに、人を殺す為の道具が満載されている事実が不憫でたまらない。少女を従軍させた張本人である自分が言えた口では無いが。
「敵、ロングボウの射程へ到達します!!」
叫ぶウォーレンに「見りゃわかるさ!」と返すと、鐘を鳴らすように指示を出す。一回、二回の拍で打たれる鐘が、城内に矢への警戒を促す。
「馬鹿野郎!! 弓が降って来るぞ!! 紐より外を歩くな!!」
背後下より誰かが叫ぶ声。地面には弓の射角から計算された安全エリアを示す為のロープが地面に張られており、理論上安全に行動出来るとされている。城壁でカバーできないが移動の必要とされる箇所には木のひさしや盾が設けられ、一通りの活動に支障が出ないように工夫されている。敵が四方八方から射撃を行ってくる場合は何の役にも立たないが、丘を作る際に正面以外の勾配を大きく傾ける事で事前に誘導する事が出来た。誰も不利な場所から攻撃したいとは思わない。
「敵、斉射!! 盾構え!! 盾構え!!」
ほんの刹那、設計当時の苦労を思い返していたが、叫ばれた声に我に帰る。咄嗟に左手でタワーシールドを構えると、小さくうずくまる。
「これは、たまらんな!」
正面下より飛来する二千近い矢の雨。今まで経験した事の無い数の暴力に、思わず声が漏れる。自分のすぐ近くの胸壁にもいくつか矢がぶち当たり、石の壁を細かく削っていく。どこからか悲鳴なような声が漏れ聞こえ、いくらかの被害が出た事が伝わる。
「隊長、奴ら外周の防御柵を無視してこちらへ射撃をしています!! 何か企んでるのではないでしょうか!!」
胸壁から恐る恐る外を覗き込みながらウォーレン。それに確かにそうだと小さく頷く。砦は大まかに言うと、堀、外周防御柵、堀、外壁、内壁、城という構造になっており、相手側の進撃で最初の壁となるのは防御柵だ。そこを攻略しないというのはありえない。
「考えうる可能性としてはいくつかあるが、単純な答えとして障壁として見なされていないという事だろうな。ネクロ部隊が来るぞ。対ネクロ戦準備!!」
大声で叫ぶと、ウォーレンを始めとした副官達が全力でそれを復唱する。再び鳴らされた鐘が全軍にそれを通達し、城内が慌しくも整然と行動を開始する。訓練の成果が発揮されている事に満足を覚えると、自らもその準備を整える。
「敵、中央部隊前進しました!! 凄い速さです!!」
ジーナが不安気な声色で叫ぶ。とうとう来たかと、装填しようとしていた鉛弾を放り捨て、とっておきの弾丸を手にする。純銀で作られた一発いくらの代物だ。
「ジーナ、急いで内壁へ移れ。グレースと共に銀矢での射撃。スリング部隊、銀弾自由射撃急げ!! ベル!! 出番だぞ!!」
叫ぶと同時に自らもスタッフを振るう。常人離れしたゾンビの一群はあっという間に防御柵近くまで迫っており、速度を落とす気配が見えない事からそのまま死体で堀を埋める作戦なのだろうと見て取れる。
――第一波は外堀で凌ぎたい。頼むぞ!!
祈るようにして何度も銀弾を投擲する。敵軍の中にちかちかと青く光る瞬きがいくつも見え、銀弾が死霊を焼いているのが確認できる。敵の走りすぎた場所には大量の"死体の死体"。
「橋落とせ!! カタパルト砲撃開始!!」
敵の攻城兵器が先行した場合を考え、騎兵で向かい討つ為と残しておいた橋の撤去を命じる。味方のカタパルトが榴弾よろしく大量の石つぶてを吐き出し、ゾンビを物理的に破壊していく。
「ベル!! ベルはまだかっとっ!?」
叫んだ傍で目の前を高速で通り過ぎるベルに煽られ、目を白黒させる。ふざけた野郎だと苦笑いを漏らしながらも、飛んでいく蜂族に気をつけるよう声を張り上げる。
――さあ、どうだ。有効か、それともはずれか
期待と不安を込めて蜂族の後姿を見守る。彼らは矢のような陣で一列に連なり、ぐんぐんと高度を上げながら敵の上へと到達する。やがてゾンビの真上へと到達すると、各々が手にしていたバスケットの中身を盛大にばら撒く。
「……凄い……綺麗」
誰かが発した声に心の中で同意する。戦場に投下された青い粉が太陽の光を反射し、幻想的なまでにきらきらと光り輝く。生意気な蜂族の姿が、今は天使に見えなくも無い。
戦場に撒かれた青い粉は重力に従い、拡散しながら降り注ぐ。やがてそれはゾンビの一群を飲み込むと、その見た目とは裏腹な効果を即座に発揮する。
「見ろ!! あいつら崩れていくぞ!!」
誰かの声に誰かが反応し、次第に歓声となってあたりを包み込む。アイロナで採れた青い苔はゾンビの肉を溶解させ、歩みを遅らせ、その仮初の命に終焉を与える。残念なのは苔がまんべん無く全ての敵に降り注げば良いのだが、そうでない所だろう。死の霧を免れた死霊達が何事も無かったかのように防御柵へと跳び付き、気の狂った借金取りのように木の柵を殴りつけ始める。堀を跳び越す事の出来なかった死霊は叫び声ひとつ上げずに落下していき、視認する事こそ出来ないが底に仕掛けられた杭に串刺しとなっている事だろう。
「死霊共は放っておけ!! 敵の弓兵を黙らせろ!! 俺は下へ向かう!!」
青い苔が十分な効力を発揮した事を確認出来た為、弾丸を再び鉛のそれへと持ち変えるよう指示を出す。飛び降りるようにして階段を駆け下りると、銀の穂先のついた槍を手に城門を駆け抜ける。途中敵の矢を受けた剣闘士が城壁より倒れ落ち、鈍い音と共に物言わぬ躯へとその姿を変える。
「隊長!! 向こうの穴がまずいです!! 御願いできますか!!」
駆ける剣闘士に声では無く方向を変える事で返答とすると、トレブシェットによるものと思われる穴の開いた防御柵で押し合いへし合いしている剣闘士達の元へ走る。
「そこをどけ!!」
叫びながら盾を体の前に出すと、力の限り走る。わずかに開いた剣闘士の隙間へ走り込むと、そのまま穴から身を乗り出したゾンビ達へ突撃する。衝突したゾンビが車に撥ねられたようにすっ飛んでいく。
――くそ、信じられん量だな!!
突進の勢いのまま一瞬穴から顔を出すと、眼前を埋め尽くすかの数の死霊達の姿。傍にいた一体の足を槍で払い穴へ突き落とすと、慌ててその身を引く。
「塞ぎます!! どいて下さい!!」
大きな板を抱えた工兵がこちらへ走り寄る。巨大なタワーシールドで穴を塞ぐようにして身をずらすと、工兵がそれを打ち付ける間、添えられた板を全力で押さえつける。盾をどかすように叫ぶ工兵に「盾ごと固定してしまえ!」と言い返すと、別の穴に向かって駆け出す。流れ矢が兜をかするように飛び、火花と焦げ臭さが鼻をつく。もう少し柵に近づければ安全なのだが、所々に開いた穴から手だの槍だのが突き出されており、迂闊に近寄ることが出来ない。
「駄目です!! 奥の区画持ちません!! 退避!! 退避!!」
走り寄ろうとした先の防御柵が死霊達の体重に押され、ゆっくりと傾く。今まで柵を乗り越えようとするゾンビやら何やらと格闘していた剣闘士達が一斉にこちらへ向かって駆け出してくる。こちらも慌ててたたらを踏むと、城門前の区画へと走り出す。
「橋を落とすぞ!! 急げ急げ!!」
破壊された防御柵からなだれ込んでくる死霊の群れ。剣闘士達は持っていた武器やら何やらを後ろへ投げつけながら必死に逃げる。
「あいつらはもう間に合わん!! 閉めるぞ!!」
最も奥で戦っていた剣闘士の数人は既にゾンビに飲み込まれかけており、残念ながら間に合いそうも無い。傍にいた最後の剣闘士が橋を渡り終えるや否や、即座に橋を落として木の門を塞ぐ。渡り終えた剣闘士達は死霊達の突進に備え、防御柵へ体を当てて押さえつける。
地震のような衝撃。悲鳴を上げる柵の支柱。勢いに任せて突き出されたと思われる槍が柵からいくつも飛び出し、何人かの剣闘士がそれに貫かれる。
「これは……くそっ!! ミリア!! 頼む!!」
柵から離れ、ミリアがいる塔へ向かって大きく槍を振るう。塔からはちかちかと明かりが瞬き、こちらの意図が伝わった事がわかる。
「全員そこから離れろ!! 魔女の魔法が飛ぶぞ!!」
柵に取り付いていた剣闘士達がほうほうの体で走り出す。間髪いれずに塔の窓から光の矢が放たれ、柵の向こうへと消えていく。
衝撃。爆風。そして火炎。
防御柵が吹き飛ばなかった事に感謝しつつ、再び柵の門へと駆け出す。吹き飛ばされたゾンビの腕やら頭やらがそこら中へ勢い良く飛散し、あたり一帯を地獄へと変貌させる。
「押さえ付けろ!! 敵を倒そうと思うな!! 時間を稼げばそれだけ弓で刈り取れる!!」
破損した柵から伸ばされた腕を無理矢理ねじ切ると、仲間の死体から奪った盾でその穴を塞ぐ。砦の中枢から放たれる矢が間断無く柵の向こうへと放たれ、死霊達の怨念の篭った叫び声がいくつも木霊する。時折柵を乗り越えてこようとするゾンビを後列の剣闘士が槍で押し返し、それでも飛び越えてきた相手を剣で仕留めていく。後方では補修用の木材を手にした工兵が必死の形相で走り回り、穴を空けられてはそれを塞ぐを繰り返す。その中にはアメリカ人であるフランクの姿もあり、工兵と共に重い資材を懸命に運搬している。初陣の割りに落ち着いて行動しているのは、ベトナムだかなんだか知らないが同様の経験があるという事だろう。
そのフランクが空を指差しながら何かを叫ぶ。
視界の端に動く、幾条もの筋。
「盾構ぇ!!」
叫びながら自らも盾を空に掲げる。柵、地面、そして人間へと降り注ぐ大量の矢。
――野郎、標的を変えやがったな!!
盾に刺さった矢をへし折ると、工兵に大盾や予備の盾を取りに行くよう指示を出す。声色にいくらか喜色が混じる。
「ざまあ見やがれだ」
外壁から防御柵側へ射撃を振り向けたという事は、相手側が想定していた戦術に不都合が生じた事を意味する。局所的に見れば戦闘は過酷になったが、戦いは有利に運んでいるはずだ。
思わず浮かんだ笑みを、隣にいる剣闘士達と交し合う。
しかしその笑みが続いたのも、
爆音と共に砦正面の柵が砕け散る瞬間までの事だった。