終わりの始まり
「五十騎がやられたか……大損害なんてもんじゃあないな」
合流地点となる川べりで各部隊から報告を受けると、予想よりも大きな損害に顔を顰める。対岸に目を向けると、自分の責任は棚に上げ、その原因を作った蟻どもを睨みつける。奴らはまとまった獲物である我々をなんとか捕食してやろうと金きり音を上げるが、目の前を流れる川がそれを邪魔している。理由は知らないが、キラーアントは絶対に川を渡ろうとしないからだ。
「ばらばらに散開しましたから、はぐれた仲間が相当いるんじゃないでしょうか。まだ合流出来ていないだけで生きている方々もきっと」
ジーナが遠方へ目を向けながら呟く。「そうだといいがな」と期待を込めて答えると、腕の治療を受けているベアトリスへと歩み寄る。
「怪我の具合はどうだ?」
蟻か槍にやられたのだろう。右腕の肉が大きくえぐられており、包帯がそこだけへこんで見える。
「たいした怪我じゃあないよ。ちょいと気にはなるけど槍も振れる。それより男三人にかしずかれるってのは悪い気分じゃあないね。医者じゃなけりゃもっと良かったけどさ」
ベアトリスの軽口に治療を行っている術師三人が笑顔を見せる。しかしその笑顔の中にいくらか引きつった物を見つけ、彼女が言う程浅い物ではない事を察する。
「ベアトリス。これを飲んでおけ。腹を壊すかもしれんが良く効くはずだ」
雑多な物が詰まった貴重品入れから丸薬を取り出し、ベアトリスの口に直接含ませる。既に手に入れてから何年も経過している薬なのでいくらか不安になるが、ミリアが言うには問題無いはずとの事だ。大丈夫だろう。
「酷い味だね」と文句を言うベアトリスに肩を竦めて見せると、こちらへ歩み寄るクオーネ卿の姿が目に入る。「御無事で」と笑顔を見せると「そちらもだ」と笑顔を返して来る。
「我々は牛を追い立てる側だったから被害は少なく済んだが、そっちは大変だったようだね。手ごたえはあったのかい?」
卿の言葉に「ええ」と頷いて見せる。
「遠投投石器のいくつかは破壊できました。卿を始めとした諸侯軍が敵を追い立ててくれたおかげで相当数の兵站部隊が蟻の餌食になったはずです。これで当初の目的通り、篭城側が有利になります」
フランベルグからアイロナまではさして通り距離というわけではない。しかしそこを結ぶ補給路は相変わらず魔物の巣窟となっている。恒常的に兵站を維持するのは難しいだろう。さらにこの後は卿を中心に諸侯連合軍が徹底的に後方撹乱をおこなう予定であり、それぞれの部隊には経験豊富な剣闘士がスカウト役として補佐する事になっている。森は地獄と化すはずだ。
「こちらはせいぜいが千で済むが、あちらは万を食わせる必要がある、か。援軍の宛ての無い篭城は愚策とされるが、なるほど。これなら篭る価値が十分にありそうだ」
そう言って満足気に笑うクオーネ卿。状況がいくらか好転したとは言え、絶望的な状況には変わりない。だがそれでも常に余裕を見せている卿には頭が下がる想いで一杯だ。兵や諸侯達が不安にならずに済む。
「決戦はもう近いのでしょうか?」
卿の後ろから聞こえた声。普段見慣れないその姿にいくらかぎょっとしながら「あぁ、そうだな」と続ける。
「恐らくこのままなし崩し的に攻城戦へと繋がるだろう。アインザンツは相変わらず南進しているし、帝国から援軍が来ているという嘘も流してあるから。向こうはさっさと片をつけたいはずだ」
会戦まではもう何日もないはずだと付け加えると、満足気に頷くリザードマンの男。武者震いだろうか。彼は一度ぶるりと震えると、デミヒューマンー―亜人種。エルフやコボルド達だ――で構成された部隊の方へと歩いていく。
「ふむ……未だに慣れないが、新しい国家では彼らのような者達ともうまくやっていく必要があるのだろうね」
去っていくリザードマンを眺めながらクオーネ卿。彼らは今回の戦いに参加する事によって、ジパングに土地を与えられる事を約束された者達だ。中には爵位を受けるような活躍をする者も出てくるかもしれない。言葉が通じるのだから構わんだろうというフレアの言により、彼らは人間たちと変わらぬ待遇をされる事になっている。被差別の対象であった彼らゆえに反対の声も多かったが、戦場で活躍を見せれば文句を言う者もいなくなるだろう。
「使える者は親でも使えという状況ですからね。形振り構っていられる場合ではありません」
卿にそう返すと、味方となった亜人種達の姿をまじまじと眺め、ジパングの将来について想いを馳せる。間違いなく混沌とした世界となるだろうが、それは決して悪い事では無いはずだ。
「さて、では私は失礼するよ。次に合うのは戦後かな?」
優雅に敬礼をする卿。それに「そうなりますね」とこちらも敬礼を返す。攻城戦が始まってしまえば城へ近付くのは不可能となる。諸侯軍はアイロナ防衛軍とは完全に別に動く形となるだろう。
「御武運を」
二人の声が重なり、それぞれの戦いに向けて歩き出す。
足取りは軽いものでは無かったが、それでも進み続けるしかない。
前へ、前へだ。
「見ろナバール。なんとも壮観な眺めじゃあないか。我々を殺そうとこれだけの人間が集まってきてる。普通であればまずお目にかかれる光景じゃないぞ」
砦の外壁の上。胸壁へもたれかかるようにしてフレアが発する。それに「人気者は辛いね」と軽口を返しながら、改めて敵の陣容を眺める。
――あれと戦うのか。馬鹿馬鹿しくなってくるな
丘の上に建てられた砦から見下ろした先。砦の建築へと伐採され尽くして平野と化した土地へと陣取る、総勢二万のフランベルグ軍。千程の塊と思われる部隊が十前後、扇状に展開してこちらの様子を伺っている。その後方ではそこかしこで攻城兵器が組み立てられており、工兵達が慌しく動き回っている。
「死霊部隊は……中央のあれらだな。奴らだけ全く動きが無い。どう使ってくるかな。飽和攻撃を狙った突撃。いや、それとも兵器運用かな?」
どこか他人事のようにフレア。この量であればそれも仕方ないかとこちらも呆れた様子で返す。
「両方だろう。俺だったら破城槌の中身は死体だけで構成させるかな。人間よりずっとしぶといだろうから、それだけで脅威となるだろう。おいベル!! ベルはいるか!!」
慌しくも戦闘準備を行う城内へと大声を発する。しばらくすると特徴的な羽音と共にベルが現れ、不機嫌そうに「なにさ」と返して来る。
「君らの目標は中央に見えるあれらだ。約束通りあれに一撃を加えたら戦場を離れてもらって構わない。ただ、確実にやって欲しい」
胸壁の向こうを指差しながらそう発すると、じっとその先を見つめ続けるベル。彼女は「上からで見分けつくかな」とぶつぶつ呟くと、何か思いついた事があるのだろう。仲間の名前を呼びながら去っていく。
「もっと蜂族の全面協力が得られたら良かったんだがね……いや、贅沢を言ってる場合では無いか」
蜂族はいくらかの協力を申し出てくれてはいるが、一族の存亡を賭けてというわけではない。彼らはその気になれば、その翼を持ってどこへでも逃げる事が出来るからだ。
「そうだな。今は出来る事をやるべきだろう。それよりあれはやはり動かないのか?」
敵軍から目を転じ、砦の後方奥へ陣取る部隊を指し示す。そこには騎兵を中心とした大軍が陣取っており、こちらを油断無く観察している。彼らはジパングに付くともフランベルグに付くともしなかった中立の諸侯達で、軍は派遣しているが戦闘には参加しない。
「日和見の諸侯達か。まあ、そうだろうね。ある程度の勝敗が見えた頃に参戦してくるだろう。敵となるか、それとも味方となるか。全てはこれから次第だね。頭には来るが、仕方ないだろう。軍のいない後ろを荒らされるよりはましさ」
フレアはさして興味も無さそうにそう言うと、ふんと鼻を鳴らす。
「全てが単純に敵か味方か、というわけにはいかないか……っと、敵に動きがあるな」
敵軍の方から聞こえる何やら騒がしい声。何が起こっているのかを確かめるべくウルとジーナを呼びつけようとするが、目に入った光景にその必要が無くなる。こちらへ向けて設置された四台のトレブシェットが、その長く伸びた腕を後ろへ引き始めたからだ。
「……トレブシェットが来る……動く。とうとう動くぞ!! 全員戦闘態勢に入れ!! 敵が来るぞ!!」
大声で叫びながら階段を駆け下りる。やがて警戒要員が鐘を打ち鳴らし始め、砦全体に敵襲を知らせ始める。
誰もが呆けたように鐘の音へ耳を傾けている。
わかっていたはずなのに、信じられないといった表情。
「貴様ら何をぼけっとしてやがる!! 敵だ!! 訓練通りやれ!!」
傍にあった木材で壁を殴りつけながら怒鳴る。はっと我に返った剣闘士達は、一斉に行動を開始し始める。
敵軍が包囲を開始してから十日目。
とうとう最後の戦いが幕を開けようとしていた。