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前哨戦 二



「いいか、絶対に馬の足を止めるなよ。十分に余裕がある場合を除き、補足された仲間を助けようとも思うな。とにかく逃げに徹しろ」


 口が酸っぱくなる程に繰り返した言葉だが、それを改めて口にする。あたりを見回して各々の頭の中へしっかりと染み渡った事を確認すると、作戦開始の号令をかける。「応」の声と共に騎乗の得意な先発隊がキラーアントの縄張り目掛けて駆け出し、それに続き、重い鎧を脱ぎ捨てた諸侯連合軍が左右へと展開していく。


 ――焼け付くようだ。もうそんな季節か


 うなじへと降り注ぐ太陽の強烈な日差し。うっすらと汗がにじみ出るが、それは暑さの為だけというわけでは無いだろう。

 やがて森を駆けてしばらくすると、少し離れた場所から角笛の音が長々と響き渡る。それに続き爆破音があたりに轟き、いよいよかと覚悟を決める。


「団長、こっちにもありやしたぜ。やりますか?」


 傍にいたジーベンの指し示す先には地面にぽっかりと開いた大穴。「角笛を」と答えると、ジーベンが目一杯笛を吹き鳴らし始める。


「投げると同時に走りだせ! 行くぞ!!」


 角笛の音に負けないよう声を張り上げると、岩盤破砕用のダイナマイトに火をつける。いくらもしないうちにそれを穴へと放り投げると、すぐさま馬を走らせる。

 くぐもった爆破音。それに続く、あちこちからの不快な金切り音。


「おいでなすったぞ!! 散開!!」


 草木を揺らすようにして現れる無数の巨大な黒い塊。それらはどこから沸いたのか、やがて地面を埋め尽くすかの如く群がり始める。


 ――なんてこった。こいつは想像以上だな


 逃げるこちらを追い立てる巨大な蟻の群れ。何百、それとも何千だろうか。振り落とされたらまず助からないだろうなと、強く手綱を握り締める。


「あっ!」


 前方より聞こえた声にはっと顔を向ける。見ると何かに躓いたのだろう。馬と共に激しく転倒する仲間の姿。


「掴まれ!!」


 馬から身を乗り出して手を目一杯伸ばす。

 すんでの所で届かない手の先。触れた指先がぱしんと乾いた音を残す。


「あぁ、くそっ!!」


 体勢を整えて後ろを振り返る。頭を抱えて小さくなった仲間は、やがて馬もろとも黒い波に飲み込まれていく。


「少し速度を落とすんだ!! 引き離す必要は無い!!」


 追われる恐怖感からだろう。森の中を駆けるにしては早すぎる速度に注意を促す。


「団長!! 左は道が駄目です!! 迂回して下さい!!」


 左手より現れた剣闘士が叫ぶ。返事を返すでも無く手綱を右へ切ると、同じく引き返してきた騎馬にぶつからないよう、慎重に馬を走らせる。


 ――これは、早まったか?


 再びそう遠くない位置から聞こえる叫び声に、新たな犠牲者が生まれた事を知る。自分の取った作戦が愚策だったのではと不安が走るが、すぐさまそれを打ち消す。賽はもう投げられた。


「時間があれば蜂族に陽動を頼みたかった所なんだが……おい、なんだ? どこへ行ったんだ?」


 蟻との距離を見ようと振り返った所で、その姿が見えない事に気付く。馬の上で伸び上がるようにして遠くを伺うと、がさがさと下草を揺らしながら右手方向へと進んでいく黒いもや。


「あぁ、まずい。諸侯連中の方へいっちまうぞ……挑発だ!! 矢でも石でもなんでもいい!! 向こうへ行かせるな!!」


 叫びながら馬を下りると、手近にあった石を掴んで投擲する。弓を持たない他の剣闘士達も同様にあたりをうろうろし、石だの木の枝だのを思い思いに投擲し始める。


「こっちだ!! こっちにきやがれ蟻ども!!」


 何度かそれを繰り返した頃。何が功を奏したのかはわからないが、再び進路をこちらへ向ける蟻の群れ。慌てて馬へと飛び乗ると、急いで駆け足に移る。


 ――なんだ!?


 ふと視界の上隅に見えた黒い影。反射的に拳を振るう。

 確かな手ごたえと、地面を転がっていく黒い塊。


「ぐっ、腕が……気をつけろ!! 上からも来てるぞ!!」


 恐らく先ほどの場所で静止している間に木の上へと昇ったのだろう。たかが蟻と舐めていたが、驚くほどの知能を持っているらしい。進路の変更も連中側の陽動だったのだろうか?

 背負った盾を構えると、上へ下へ後ろへとせわしなく視線を動かしながら駆け続ける。すぐ隣を走っていた仲間へ空から降ってきた蟻がしがみ付き、悲鳴と共に馬上で暴れ始める。すぐさま馬を寄せると蟻の首を掴み、力任せにその頭をねじり取る。


「目が!! あぁ、目が!!」


 食いちぎられたんだか何だかはわからないが、目を押さえて蹲る剣闘士。「しっかり掴まってろよ!」と声をかけると、剣闘士の乗っている馬の首を数度叩く。これでこの馬は仲間の馬を追尾していくはずだ。


「軍馬で良かったな……あぁ、くそ。まだ着かないのか?」


 再び速度を上げ、蟻との距離を引き離す。つかず離れずの距離を保ったまましばらく行くと、やおら森の奥から響き渡る角笛の音。


「来たか! 全員抜刀!! 合流地点に変更は無し。現地で会おう!!」


 森を抜けて開けた草地へ出ると、素早くあたりを見渡す。左右へ伸びる道には先が見えなくなるほどの長蛇の列が連なっており、ほとんどが兵站を担う人夫達だが、中にはまとめ役と思われる武装した兵士の姿も見える。急に森より飛び出してきた我々に驚いたのだろう。奇襲による混乱が広がり騒然としている。


 ――歩兵と輸送の混成か。面倒だな……工兵はどこだ?


 飛び出した勢いのまま進路上にいた敵兵の腕を切り落とすと、隊列を編成しようとする敵の動きを油断無く観察する。


 ――厚く固めているのは、左か


 敵が集まろうとしている先。左手を見据えると、森から飛び出してきた他の剣闘士の姿を見つける。


「ジーナ、ベアトリス、着いて来い!!」


 森の奥に蠢く影を視界に入れながら手綱を左に切り、一箇所に集まろうとしている敵を次々と抜き去っていく。何度か勇気のある敵兵の槍が突き出されるが、盾と鎧とを駆使してそれらをなんとか受け流す。


「あ、蟻だあぁ!!」


 後方より聞こえる悲鳴。確認するまでもなく、キラーアントが敵兵と接触したという事だ。


「ナバール様、あれ!!」


 馬上より弓を操りながらのジーナが叫ぶ。ヘルムの隙間から大きな布で覆われた荷車を確認すると、馬の進路をそれに向けて微調整する。


 ――確か尻の上部だったか?


 過去の記録を思い出しながら、先程首をへし折った蟻の胴へとダガーナイフを一気に突き入れる。剣先から流れ落ちる白い液体。口元に笑みを浮かべながらダガーナイフを荷車へと投擲すると、流れ出る液体が身体にかからないよう、蟻を慎重にぶら下げる。


「ここはもういい。じきに蟻がわんさか押し寄せるぞ。次……を見つけてる余裕は無さそうだな。急げ!」


 後方から聞こえる怒号と叫び声にちらりと視線を向けると急いで馬を走らせる。ぐずぐずしていては黒い波に飲みこまれてしまうだろう。


「隊長!! あれを放っといていいんですかい?」


 ばらばらと森から現れる剣闘士達。先程ナイフを投擲しただけの荷車を指差す一人が発したそれに、手にした蟻の死骸を掲げて見せる。蟻は頭部を失ってもなお手足をばたつかせており、凄まじい生命力だと感嘆はするが、不気味な事この上ない。


「フェロモン……といってもわからんか。じきにここら一帯は蟻どもの縄張りになるはずだ。大事な荷物があっても取りに戻る気にはならんだろうさ」


 逃げ惑う敵兵を追い抜く形で先を急ぐと、大きく円を描くように敵補給部隊の前方へと走り続ける。馬達は敵兵をかき分けるように進んでおり、少なくとも矢を撃たれる心配は無い。


「おっと、ナバール!! こっちは駄目だ。うじゃうじゃきてるぜ!!」


 前方より大きく手を振りながらパスリーが現れ、大きく手を振りながら叫ぶ。右手で手綱を強く引くと、進路を蟻とは逆側の森へと向ける。


 ――こりゃ急がんと俺達が蟻に包囲されちまうな


 馬上で振り返りながら黒い波を確認すると、馬の負担を考慮しながら速度を上げる。後ろからは蟻と戦うフランベルグ軍の叫び声が流れ聞こえて来る。あれらとまともに戦おうする彼らは一見愚かに見えるが、キラーアントの生態について知らないのであればそれも仕方が無いだろう。フランベルグの方には生息していない魔物だ。


「パスリー、こっちは一つだ。そっちは?」


 蟻との距離を保つ為に少し速度を落とすと、辺りを警戒しながら並走しているパスリーに声を掛ける。彼は無言でピースサインをこちらへ寄越し、口端から大きな犬歯を覗かせる。


「ひとつは蟻に飲まれちまったから確実じゃねぇけどな。もう一つはニッカが魔法で爆散させた。間違いなく使い物にならねえよ」


 ぐふふと低い声で笑うパスリーに親指を立てる事で応えると、手にしていた蟻の死骸を無造作に放り投げる。


「とりあえずは三機か。こうバラバラでは被害がわからんから喜ぶべきなのかどうかすらわからんな……まあいい。合流地点へ向かおう」


 度重なる激しい運動に荒い息を吐く馬を見やり、撤退の判断を下す事にする。あまり無理をすると馬が潰れてしまう上に、自分の体にはわずかばかりではあるが蟻の体液が染みついている。このままではどこまで逃げても追い立てられてしまうだろう。


「しかしこれで道が一つ駄目になってしまったな」


 フランベルグとジパングとを繋ぐ主要道路は、この一件で魔物の住処となり、使い物にならなくなってしまった事になる。道はいくつもあるが、最も安全に行き来できる道路だっただけに、戦後の経済に影響が出そうだ。


「また探せばいい」


 無表情のままフォックスが呟く。それに「そう簡単に行くかね」と苦笑いを返すと、馬の限界を超えぬよう、合流地点へ向けて急ぎ始めた。




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