地球人
「死にさらせぇあ!!」
小麦畑に響く、およそ少女らしくない叫び声。手にした棍棒からは新鮮な血がしたたり落ち、少女は獲物を仕留めた喜びに口の端をつり上げる。
「なんというか、シュールな光景ですね。遠い未来、この国はスパルタのような軍事国家として描かれるかもしれませんよ」
横から発せられた声に同意の声を送るが、正直どうでもいい事でもある。国の先行きに若干の不安を感じないわけでもないが、残念ながらそこまで気を回している余裕は無い。近い未来にしくじれば、遠い未来はやって来ないのだから。
「実際に剣闘士や軍人……ジパングでは同じ意味か。まぁ、そういったものになるのは極わずかさ。ボーイスカウトのようなものだと思ってくれればいい。それにこの世界で生きて行くのであれば、最低限こいつらを退治できる程度には武器を扱える必要がある。特に農業でもやろうものなら必須だろうな」
そう言いながら足元に転がる小さな魔獣を足でつつく。耳が長く兎に良く似たボムリというこの魔獣は、人を襲って来るような事はしない。が、雑食性で穀物を食らう。そして繁殖が早い。
ある意味直接人間を襲う魔獣より恐ろしいのが、こういった雑食の魔獣達だ。兎というと聞こえがいいかもしれないが、嫌われ方はネズミかそれ以上といった所だろう。あっという間に繁殖し、畑を食い荒らす。マンティコアやワイバーンといった肉食の魔獣は、せいぜい十人も食らえば満足して帰って行く。しかしこいつらは何千人もの餓死者を出すまで全てを食らいつくすのだ。
「イナゴの群れ、みたいな物なんですかね。退治できるだけまだマシかもしれませんけど」
不思議そうなというか、悲しそうなというか。なんとも言えない表情でポムリの死骸を見つめる細身の男性。
彼はジパングという名前につられてこの国を訪れた地球出身者のひとりで、パン屋。ビジネスマン。デザイナーと来て、ようやく専門的な知識を持つ"当たり"となった者だ。素晴らしい事に職業は小学校教師。出身地はイギリスのロンドンで、ヨークの方へ旅行へ行った際に車ごとこちらへ来たそうだ。名前はライアン。臆病だが、芯のありそうな人物と見ている。
「なんとか元の世界へ戻れませんでしょうか。あっちには家族がいるんです」
始めて会った際に彼が言った言葉だ。こちらが確実では無いが戻れるかもしれない旨と伝えると、彼は喜んで協力を申し出てくれた。丁度"教師の教師"を探していた所だったので、まさに渡りに船という奴だった。現在は教職候補である貴族達に、簡単な自然科学から教壇での教え方を教育する為の準備を行っている。簡単にはいかないだろうが、価値ある挑戦だ。
「おいオメーら! ボサっとしてんじゃねーぞ。次いくぞ次ぃ!!」
少年剣闘団の指導官であるウルが発破をかけると皆一斉に飛び上がり、急いで整列して駆け出していく。彼ら見習い剣闘士にとって、最年少で本物の剣闘団――しかも天下の突撃隊所属だ――であるウルは憧れの存在となっている。
「まあ、考えてみれば平和な光景さ。少なくとも彼らが前線に立つ事は無いんだからな」
地球世界。しかも現代においてだって少年兵というのは世界中に存在していた。こちらの世界においては何をいわんやだ。目の前で剣闘士の真似事をしている彼らのような年端のいかない子供たちも、必要であれば戦わざるを得ない。少なくとも今はそうする必要がないだけましという物だろう。だが――
「いや、あと三ヶ月もすればわからんか……」
カダスの残した手記には、決戦で敗れた後の悲惨な世界の様子が綴られていた。魔物のいるこの世界において、秩序を失くした人々がどうなるかは想像に難くない。壁、堀、火、集団、そして鉄。これら無くして人類は存続出来ないのだ。
「三ヶ月?」と疑問符を浮かべるライアンにかぶりを振ると、次の視察地へ向けて歩き始める。決戦の時まで残り三か月。決して長いとは言えない。
――何もかもが順調にいってるはずだ
デアエルデの成長は著しく、いくつか問題はあるもののおおよそ順調と言っていいだろう。剣闘団の士気は高く、多くの諸侯の協力も得られている。西正規軍の得意とするロングボウに対する対策も有効そうなものが出来上がりつつあるし、アイロナには間に合わせではない、しっかりとした砦が築かれつつある。純粋な戦力差は依然として大きな差があるが、それを覆せるだけの準備は整ってきているはずだ。
――なのに、この絡みつくような不安感は一体なんだ?
責任の重さから来る不安感。もちろんそれもあるだろうが、それだけでは無い。何か捕え所のない、漠然とした不安が付きまとう。今までそうした不安や疑問を放っておかなかったからこそなんとか生き抜いてこれただけに、答えの出ない不安が大きなストレスとなってこちらへ圧し掛かる。
「くそっ、いったい何だってんだ」
イライラとした気持ちを落ち着けるよう、久しぶりに気付け用の木片を口に含む。お世辞にも美味いとは言えない苦味が口の中に広がり、少し楽になったような気がする。
あくまで"気がする"だけだったが。
「ゾンビねぇ……M2があればミンチにしてやるんだがな」
アイロナへの道中。揺れる馬車の中でアメリカ人のデザイナー、フランクがそう呟く。彼はまだ四十歳との事だが、二十歳の頃ベトナム戦争に従軍していたらしい。M2とは当時に使用していた機関銃の事だろう。彼が現れた当初は戦術や軍事面で何か有用な手助けにならないかと期待したが、残念ながらただの一兵卒で、高度な軍事教育を受けた訳ではないようだった。将校や特殊部隊であれば色々とありがたい知識もあったろうが、そう都合よくはいかないようだ。
「無限に弾の出る夢のような機関銃なら大歓迎だが、そうでないなら敵を驚かす程度にしか使えないな」
にやりと笑いながらそう口にすると「ちげえねえ」と笑顔が返って来る。彼は馬車の外へと視線を向けると「俺はよ」と続ける。
「この世界でしか見れねえもんを片っ端から見て帰るぜ。今はちんけなデザイナーだけどよ。ここで得たもんを持ちかえれば間違いなくでかくなれるぜ。だってそうだろ? 俺だけが表現できる世界なんだからよ」
そう言うと彼は懐から紙とペンを取り出し、熱心に風景のデッサンを始める。揺れる馬車の中で良く描けるものだと感心して見ていると、思い付いたように「そうだ、お前さんを描いてやるぜ」とこちらへ視線を向け始める。
「肖像画ならもう数えきれない程描かれてる。被写体にするにはあまり価値はないぞ」
少しうんざりした気分でそう答えると「まあ見てろって」とフランク。やがてしばらく無言の時が過ぎると、彼は自信満々に出来上がった絵を見せつけてくる。
「これは……なるほど。"そういうの"は無かったな」
紙に描かれているのは単純な線と陰影で構成された、いわゆるアメコミ風の自分。少しオーバー気味に特徴を捕えたその絵は、写実的に描かれた油絵よりもずっとその人を上手く表現しているように見える。
――ふむ。これはもしかすると貴重な才能かもしれんぞ
かつて地球において日本の浮世絵や漫画が世界中に衝撃を持って駆け巡ったように、こちらの世界でも新しい表現方法として受け入れられる可能性がある。文化がもたらす影響というのは一般に人々に思われているよりもずっと大きなものがあり、時には政治に大きく関わってくる事もある。例えばある宗教が広まった国家において、その宗教の聖地を攻撃するとなったとしよう。誰もが尻込みするだろうし、叛意を持つ者さえ現れるだろう。文化の中心地を持つ者は誰からも尊敬されるし、それだけで巨万の富を築ける。大勢の人々がそこを訪れ、消費していくからだ。
「問題はわずかな時間しか無い事か……三ヶ月かそこらじゃ参考資料さえ作れんな。だめか」
頭の中に浮かび上がっていた楽しい妄想未来を振り払うと、先程から視界に入り始めてきた砦の方へと目を向ける。実用の為の砦は、その存在全てが合理主義と現実主義とで構成された戦いの為の施設だ。妄想とは対極にいるとさえ言える。
「おうおう、おっかねえ城だな。俺だったらだけどよ、ここを攻めろなんてほざきやがる指揮官がいたら真っ先にそいつを撃ち殺してやるぜ」
段々と近づいてくる砦の姿に、フランクがそう声を上げる。
カダスの手記に残された決戦を望むにあたり建設されたアイロナ砦は、アイロナ山脈の持つ双子山に挟まれた丘の上で平野を見下ろしている。このあたりは人が住んでいる場所から離れている為に地名や何かが全く存在していなかったが、建設作業員や実地訓練を行っている兵士達からはビーチェの谷間と呼ばれて親しまれている。ちなみにビーチェとはベアトリスの愛称で、いつか正式名称となった際に由来がどのように伝わるかを想像するとなかなか楽しいものがある。
「総員、敬礼!!」
国旗を掲げた剣闘士達が直立不動で敬礼をし、こちらの到着を歓迎してくれる。馬車を降りると答礼を返し、中へと足を踏み入れる。
――おいおい、こいつはどうなってるんだ?
正直"本格的な野戦陣地"という程度のものを想像していたし、予算もそれに見合った額しか用意していないはずだ。しかし目の前にあるのは堅牢強固な城塞であり、どう考えても用意した額を軽く超越している。
「おいパスリー、こいつは一体何だ。いったいどんな魔法を使ったらこうなる」
こちらを出迎えに歩み出てきた責任者であるパスリーを見つけると、少しオーバー気味にそう声をかける。
「ようナバール。驚いたろ。何を隠そう俺もだ。設計責任者に任しといたらよ、なんかすげぇのが出来上がってたんだ。がははっ」
いかにも楽しげに笑うパスリー。監督責任はどうしたと突っ込みたくなるが、悪い方に転んでるわけでは無いのでぐっと我慢をする。
「いやあよ、今後ろで銀を掘ってるじゃねえか。岩盤だのなんだのが大量に出るらしくてよ、使えるもんは使っちまえってんで全部こっちに運びいれてんだ。細けぇのは基礎や砲弾に使えるし、でけえのはそのまま石垣行きだ。元々そういうとこに使う予定だった石材が全部戦闘施設の方にまわせたって流れだな」
パスリーの説明に合わせてまわりへ目を向ける。なるほど、確かに石垣は日本の城のように細かい不揃いな石材が多く使われ、逆にキープや塔には遠く石切り場から運ばれて来た、大粒の綺麗な物が使われているようだ。石は高い金を払って石切り場から購入、運搬していただけに、パスリーの判断は英断と呼べるかもしれない。
「嫌味を言うつもりは無いが、良く気付いたな。それとも優秀な参謀の入れ知恵か?」
肘で小突きつつそう言うと「おうよ。あいつは使えるぜ」と隠すでもなく肯定するパスリー。
「コストダウンと流通の合理化は経営の基本ですからね。普段なら迂回する岩盤も、出来るだけ破砕して持ってきてもらうようにしたんです。その手間も石切り場からの輸送を考えれば安い物ですから」
声の方へ目を向けると、きっちりとした七三分けにした日本人男性の姿。礼儀正しくお辞儀をし、周囲の不思議そうな視線を買っている。
「やあサカイさん。ジャパニーズビジネスマンの名は伊達じゃあないね。助かるよ。これなら良く戦えるだろう」
傍にある物見の塔の壁をぺちぺちと叩き、その重厚さを感じ取る。
「ここの連中は地球の比じゃない程に伝統と流儀。その他ローカルルールに凝り固まってる。これからも何か思いついた事があれば頼むよ。どんな石頭も俺やパスリーの名を出してくれれば動いてくれると思う」
日本の高度経済成長期の時代からこちらへと飛ばされてきた酒井庄之助。彼は戦後日本の経済戦争において、海兵隊のように世界中を飛び回っていたやり手ビジネスマンだ。八十年代からこちらへ来たようで、バブル崩壊から続く不況の事を知ると残念そうな顔をしていた。
「任せて下さい。こちらに世界初の株式会社を立ち上げて見せますよ。ついでに世界最大の会社にするのも良いですね。嫌な上司はいませんし、ここは天国ですよ」
にこにこと、顔に張り付いたような笑顔でそう言うサカイ。地球にいた頃は気にもしていなかったが、なるほど。こうして異文化に染まりきってしまうと、いつも笑顔の日本人というのは少し不気味に見えるかもしれない。
――しかしこの言い様からすると、彼は地球へ戻る気がないのか?
あまり考えていなかったが、確かに帰りたくないと思う地球出身者がいてもおかしくは無い。向こうの世界で恵まれない境遇に合った者や、自分がそうであるように、こちらの世界の比重の方が重くなった者もいるだろう。
「とすると、残った者の境遇も考えないとか……しまったな。迂闊に傍へ置きすぎたか」
今現在地球出身者に与えられている特権とも言える様々な優遇措置。いわゆる身びいきというやつだが、それに対してまわりが不満を持っていないのは、ひとえに彼らがいずれ帰還すると思われているからだ。それが居残る人間が出るとなれば、色々と複雑な感情を巻き起こす事だろう。
「あぁ、もう。考えたらずの俺が悪いんだろうが、人間社会ってのは面倒だな」
誰にというわけでもなくぶつくさと愚痴を言うと、キープへ向かって足を進め始める。
前途は多難だが、希望が無いわけでもないはずだ。
前へ、前へだ。
じわじわと