違い
「ねえねえ、あれは? あれは何をやってるんすか?」
引かれた袖に振り向き、質問に答えてやる。
「あれは下水工事だな。下水は詰まり易いからしょっちゅう掃除をしてやる必要があるんだ。かといって使用中止というわけにもいかんから退避線を作ってる所だな。見えるか? ああやって窪みと格子を作って汚物やらゴミやらが溜まるようにしてるんだ。そのうち人が入れる大きさの下水道を作るつもりだが、それは随分先の話になるだろうな」
こちらの説明に「はー、なるほどー」と感心した様子を見せるタロウ。
タロウがこちらへ来てから一週間程が経過した。ここへ来た当初、彼は口こそ達者だったが、実際には疲労や怪我が蓄積しており非常に危険な状態だった。アインザンツから森を通って国境を越え、難民に混じってこちらへ渡ってきたというのだから道中はかなり過酷なものだったのだろう。治療術師の懸命な介護の元、ようやくベッドから起き上がる事が許されたのが昨日の話だ。
「んじゃあれは? あのお姉さんは何を叩いてるんすか? もしかして武器?」
通りの向かい。開いた店の中で狂ったようにハンマーを振るう鍛冶屋の女。
「いや、残念ながら武器では無いな。あれは荷車のフレームか何かだろう。軍が大量に発注してるからそれじゃないかな」
「ちょっと行ってもいい?」というタロウに「邪魔はしないようにな」と笑顔を向ける。
「うわ、すげぇな。剣とかもあるのか……作ってるのは確かにフレームみたいだけど、シンプルだなぁ。タイヤは無いんすか?」
小さな子供のようにはしゃぐタロウ。あぶなっかしいので首根っこを掴み、少し引き戻す。
「鉄片が服に入ると後でしんどいぞ。タイヤは別に専門の職人がいるんだよ。高い技術力が必要とされるからな。荷車ならまだしも、馬車位になると大人数での分業となる。職人たちが設計図を元に部品を持ち合わせて組み立てるんだ。規模は違えどやってる事は地球の自動車と同じだな」
行っている傍から大通りを二頭立て馬車が駆け抜けて行く。すかさずマントで口を覆うが、何も知らないタロウが巻き上げられた砂埃に激しくむせる。
デア・エルデは街中での戦闘を想定して"いない"作りとなっているので、戦時に進軍を遅らせる為に複雑な道を作成している他の町と違い、多くの通りが直線で作られている。その為馬車を始めとした交通は高速で、道路整備もしやすい為にかなり快適だ。ただし現状では道路側の整備が追い付いていない為、今のようにちょっとした不都合が生じる事もままある。
「王都で戦闘が起こるような事態となれば、それは既に敗北しているよ」
街の建設計画を建てている時にフレアが語った言葉だ。もちろん古くからの経験を知る幹部達からは猛反発を受けたが、自分を始めとする軍部からのお墨付きでなんとか説得する事が出来た。常識的に考えれば正しいのは彼らで、実際に大都市を巡る争いが起こる事は実際の所良くある事だ。
常備軍。それが戦略的に町の防衛機能の多くを排除した最もたる理由だ。
急な敵の襲来があった場合、従来のような傭兵や徴兵に頼った軍勢だと、防衛に十分な戦力を整える事が出来ない場合が多い。その為王族や指揮官達は城へと立てこもり、援軍が来るのを待つというのが主な戦略となる。
対して常備軍はいつでも素早く戦力を投射する事が可能な為、敵襲の知らせを受けたらすぐさま迎撃を行う事が出来る。その際には入り組んだ通りなどむしろ邪魔な障害でしか無く、味方の反撃を遅らせるだけのものでしかない。
「その分常に金がかかるのが難点だが、うちの連中は平時でも稼ぐからなあ」
こちらに敬礼をしながら行進していく剣闘士の後ろには、目一杯に荷物を積まれた馬やらラーカやら。そしてそれに付き従う旅の商人達が生気あふれた顔付きで笑顔を見せている。商人達の規模の割に護衛剣闘士の数が多い事から、かなり裕福な商人達であろう事が見てとれる。我々(軍剣闘士)は決して安くは無い。
「まだ出来たばっかなのに向こうとは大違いだなぁ。俺のいた村なんてまじでなんも無かったんすよ。排他的で感じ悪かったし」
村にいた時の事を思い出しているのか、表情を曇らせるタロウ。
「アインザンツはガチガチの農奴制を布いてるし、上からの圧力も強い。寒冷地であまり豊かな土地では無いから仕方の無い所もあるのだろう。だから大陸の台所たるフランベルグの地を狙い、しょっちゅうドンパチやらかしてる。気持ちはわからんでも無いが、まあ、攻められる側からすればいい迷惑だな」
足を職人通りから市場通りの方へ向ける。すれ違う人々が軽く頭を下げ、親しげな敬意を示してくれる。いつもであれば群がる者達が次々と押し寄せる所だが、公務中を表す腕章をつけている為、そういった者は今の所いない。便利そうだからとアイザックのやっていた帝国のシステムを取り入れてみた形だ。正直、非常に助かっている。
「うーん、農奴ってのは農民やらされてる奴隷みたいな感じっすよね? だったらなおさら弱い者同士で仲良くするもんなんじゃないんすか? 村の助け合い的な感じの」
タロウと二人、屋台で買った原始的なリンゴに似た果物をかじりながら歩く。口の中に広がる強烈な酸味は甘い二割の酸っぱい八割といった所か。値段が去年の五割増し程になっていたが、現在の食糧事情を考えると良心的な値段と言えるだろう。
「それはいささか世の中を良く捕えすぎだな。実際はむしろその逆だ。領主からすれば農奴が反乱を起こしたり、結託して何かやられるのが最も困る。だからあの手この手で農奴同士がよろしくやらないよう、お互いを監視させるように仕向けるんだ。農奴側からすれば目をつけられないようおとなしく、他人と関わらないように生きていくしかないわけさ。逆らえば手酷い罰が待ってるし、連帯責任を課されてるから仲間からも見放される。恐怖政治ってのはそんな感じだな」
あまり世の中を恨まないように――彼はまだ一六で、世の中に絶望するには早い――とそう返し、「転移した場所が悪かっただけさ」と付け加える。
剣闘でも見て行くかと声を掛けようとするが、いつの間にか足を止めたタロウが少し離れた場所でじっとこちらを見ていた。
「この町見てれば違うってわかるけどさ。その、アキ……ナバールさんもそういう風な事、やったりするんすか?」
不安、というよりも微かに見えるのは怯えだろうか。かつて彼はこちらの頑強さを称えてくれたものだが、今はそれが彼を威圧しているのかもしれない。
「必要ならな」
そう一言返すと、足の向きを帰り道へと向ける。慌てて追いすがって来るタロウと、しばらく政治についての話をする事となった。
「おかえりなさい団長。どうでした、同郷の彼との散歩は」
出迎えたウォーレンが書類を手渡しながらそう発する。「どうもこうもないさ」と答えながら書類の中身をぺらぺらとめくると、思ったよりも数が少ない事に安堵の息をもらす。文官達が無事に育ってきている事の表れだ。
「あの年頃は難しい。アキラもいくらかそうだが、理想と現実のギャップを埋め切れていない頃だ。自由主義や平等精神ってのは確かに素晴らしいが、それが望まれてるかと言えば微妙なんだよな……なぁウォーレン。俺やフレアが王権を民衆に返すといったらどうなると思う?」
眼鏡を指で押し上げながら「そうですねえ」とウォーレン。
「泣きながら辞めないでくれと懇願するでしょうね。少なくとも私ならそうします。もしくはどこからか新しい王を連れてきて、それを擁立するというのも有りかもしれませんね。もし団長の仰ってた民主主義とやらを実行したとしても、結局民衆の中から新しい王が生まれるだけでしょう」
ウォーレンの出した答えに「だよなぁ」と溜息を吐く。
「民衆が自分達だけでなんでもこなせるだけ成熟すればいいんだろうが、現状では難しいと言わざるを得ないな。それに絶え間なくまともな指導者を輩出できるだけの人口と社会基盤。それに教育も必要か。一体何百年かかるんだよって話だな」
ほとんど独り言のようにそう呟くと「こんな面倒な立場を好き好んでやる奴は少ないだろうしな」と苦笑いを浮かべ、手元の書類をぺしぺしと小突く。
「私もこうして団長を直に見ていますから、とてもやりたいと思う気にはなれませんね。ですが権力のいくらかを民衆にも"負担させる"というのは賛同します。今まで通り政治決定の場に代表者を集うという方向でよろしいのでは?」
負担とはまたネガティブな物言いだなと、少し笑い声を漏らす。
「まあ、そうだな。だが次の指導者が彼らをないがしろにしないとも限らない。早いところ明文化して制度に組み込んだ方がいいだろうな。問題は彼らがその権利を命がけで守る気があるかどうかだが……まあ、難しいだろうな」
せめて大がかりな教育機関や日本の寺子屋のようなシステムが確立されていればそういった権利の大切さを教える事も出来るのだが、現状の社会は徒弟制度――簡単に言うと、親方と弟子による関係――が専ら主流となっている。専門家を育てるのには申し分無いが、一般教養となるとお手上げだ。
「いっそ実際の寺子屋のように、教会や貴族の婦人連中に教師役を頼んでみるか? 金……はもちろんだが、それだけでは動かんな。何かこう、教育者である事が名誉に繋がるようにする必要がある。何か良い案でもあるか?」
ウォーレンは「名誉ですか」としばし思案すると、「貴族達に新しく名誉を用意する方法は、太古の昔からある元手のかからない良い方法があります」といくらか悪辣な笑みを浮かべる。
「あまり酷い物はよしてくれよ」とその笑みを眺めながら任せる旨を伝えると、少なくなったとは言え十分な質量を誇る書類の束へと手を伸ばす。伸ばした手に昼間食べた果物の色素が付着しているのに気付き、昼間の事を思い出しながらそれをじっと見つめる。
――境遇。そして年齢があまりに変わり過ぎたか
前に会った時でさえ年上だったが、今では一回り近くの差となっている。さらには同じ奴隷剣闘士だった身から、こちらは王配だ。同じようにというのはさすがに無理があるだろうか。
「……ふむ。まぁいい。好かれるのが目的じゃあないしな。どう思われようと、やるべき事をやるだけさ」
ウォーレンに聞こえないよう、口の中で呟く。
強がりなのか諦めなのかは、自分でも良くわからなかった。
偉い人は偉い人なりに悩んでいます