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建国

「おい見ろ、水だ! 本当に来たぞ!!」


 ひとりの男がそういって皆が見つめる先を指差す。工事現場に集まった町の人々が一斉に歓声を上げ、喜びの手を打ち鳴らす。勢いよく流れる水は飛沫をあげながら水道管を伝い、街の中心目掛けて突き進んでいく。近くの湖から引かれたそれは、やがて噴水や堀。浴場や一般家庭――幸運にも工事代金を払う事が出来、高い税金を払える者のだ――に達し、下水管を通じて再び川へと戻される事になる。


「凄い……いったいどんな魔法を使ったんですか? 水は高い所から低い所に落ちるのが世の理だと思ってましたが」


 人々と共に水道管を流れる水を、信じられないといった表情で見つめるジーナ。彼女は視線を水から上げると、水道管が引かれている小高い丘へと目を向ける。何の動力も無しに丘を登って来る水というのは、原理を知らない人間からすれば確かに魔法に見えなくもないかもしれない。


「魔法ではなく、科学だな。それに水の特性が変わったわけでもないよ。ここと湖の間は起伏に富んでいるが、湖と蛇口との高さに高低差があれば関係が無いのさ。サイフォンの原理というんだが……まあ、そういうものだと思ってくれればいい。呼び水は確かに魔法を使ってるしな」


 大気圧やら重力やらの説明をしてもわからないだろうと、簡単な説明をする。ジーナはきょとんとした顔でこちらを見ていたが「なるほど。凄いですね」と視線を再び水へと戻す。まず間違いなく理解していないだろうが、する必要も無いだろう。それと凄いのは俺では無く、本当に実用化してしまった技師たちだ。


「ナバール、よければもう少し詳しく教えてくれないかな。これは魔女殿がいなくては出来ない芸当なのかい?」


 ふと声の方に顔を向けると、いつの間にいたのか。真剣な顔で覗き込むようにして水を眺めるアイザックの姿。「そっちに上水道は無いのか?」と尋ねると「丘を越えて来るようなのは無いよ」と返ってくる。


「ふむ? しかしそうなると、帝国では一体どうやって水を引いてきてるんだ。まったいらな平野部だけというわけでもないだろう」


 こちらの問いに「どうやっても何もないさ」とアイザック。


「山があれば切り開くか迂回するし、谷があれば橋を架ける。帝国ではって言うけど、こっちでも同じだろう?」


 特に水道について詳しいわけでも無いので「どうなんだ?」とフレアへと視線を向ける。彼女はあごに手をやり、いくらか思案した後で口を開く。


「フランベルグでもアインザンツでも同様だよ。サイフォンとやらを導入する決め手になったは単に安上がりだったからさ。我々には巨大な水道橋をつくるだけの時間も余裕も無いからね。模型で問題無く動いたのだから……っと、ふむ。考えて見ればこれは良い商売になりそうだな」


 フレアの言葉に引きつった笑みを見せるアイザック。苦笑いと共に「だ、そうだ」と言ってやると、彼は大きく溜息を付く。


「はぁ……それじゃ本国に掛け合ってみるよ。実現出来たら相当な額の節約が望めそうだしね。もっとも、兄が選挙に勝ってたらの話だけど」


 そういって肩を竦めて見せるアイザック。まあ、そりゃそうだろうなとこちらも曖昧な表情を見せる。万が一ロバートが負けるような事があれば、彼はただの浮浪児に逆戻りだ。

 アイザックがここへ来てから、およそひと月が過ぎた。元々頭の良い少年だったようで、しばらくすると素人外交官とは思えぬ働きぶりを見せるようになっていた。目下の仕事は帝国との貿易の摺合せや調整を行う事で、我々の生命線を握っていると言っても良い。だからといって媚びるような真似はしないが、一目置かれる存在となっているのは確かだ。


「そう言えばそろそろ結果が出る頃だったか。まあ、彼自身の魅力や家臣の反応を見る限り、まず負ける事は無いだろうよ。強いて言えば若いという点があるが、捕えようによってはプラス材料だしな」


 我々の国は未開拓である東の地が広々と残されており、海外との貿易や関係が国家の成長に必須というわけでは無い。膨れ上がったエネルギーは新境地へと向ける事が可能であり、それらは数年から数十年でどうにか出来るレベルでは無いだろう。開拓できる土地は余る程ある。

 しかしだからといって放っておいて良い問題というわけでも無い。こちらに用がなくとも、相手がそうとは限らない。ロバートやアイザックとはかなり良好な関係を築く事が出来たのだから、出来れば末永く大事にしていきたい。クラーケン討伐による恩を最も強く感じてくれるのはこの二人だろう。


「あぁ、そうそう。昨日報告書を書いてて思ったんだけど、この国の名前はまだ決まってないのかな。民衆は気にもしないだろうけど、対外向けには格好が付かないんじゃないかな」


 アイザックのごもっともな指摘に、フレアが「名前は既に決まっている」と答える。周囲と共に驚きの顔を向けると、彼女が得意気な表情で続ける。


「王の座は私が貰う事になるからね。せめてナバールとアキラには名をとってもらう事にしたよ。君らの故郷は極東にあると聞いたが、ここも同じように東に位置している。それに驚く程発展している国だ。あやかるには最適だろう」


 嫌な予感と共に引きつった笑みを向けると、何を勘違いしたのかさらに得意気に胸を反らすフレア。


「新しい国の名はジパング。王都となるここはデア・エルデかグランドーキかどちらかになるだろう。エルデの方が親しみやすいのだが、国号より町の方がスケールが大きいのはどうかという意見があってね。確かにちぐはぐな――」


 フレアの言葉を遮るようにして「デアエルデで頼む!!」と叫ぶ。グランドーキとはグランド、オオキ。つまり偉大なる大木という意味だ。冗談では無い。


「そうか。グランドーキも気に入ってたんだがな……わかった。ではデア・エルデを王都に抱くジパング王国だ。国王は私ことフレア・フランメ。後ろ盾と承認は帝国と扉の会で良いだろう。最悪承認は無くとも良いと思っていたんだが、あるに越した事は無いからね」


 彼女はそう言うと、ついでとばかりに集まった人々へ向けて国号の発表を行う。やがて万雷の拍手と共にそれは受け入れられるが、こちらとしては「本当にそれでいいのか?」と突っ込みたくなる気持ちで一杯だ。


 ――だがまあ、悪い気はしないか


 フレアや幹部達なりに気を使っての事だろうし、代案があるかと言われれば思い付くかどうかも怪しい。さすがにジパングはどうかと思うが。


「それに名前にどうこう言える立場じゃないか。既に一度名前を捨てた身だ」


 ぼそりとそう呟くと、水道管の埋め立て作業を再開する事にする。やるべき事は多く、余裕も無い。

 素晴らしく晴れ上がった日差しを軽く仰ぎ見ると、現場担当者の元へ向けてゆっくりと歩き始めた。



 しかしその後しばらくしてから、このジパングという名前が思いがけない効果を生む事となる。



「隊長、ネドルランドという名前に聞き覚えがありますでしょうか?」


 国号の決定からしばらく後。ようやくそれらしくなってきた執務室で書類の決裁をしていると、ウォーレンが訝しげにそう尋ねてくる。


「ネドルランド……ネーデルランドの事か? なんてこった。次はオランダ人か」


 フレアが国内外へ向けて国号と国家の成立を発表して以降、驚くべき事に、各地に溶け込んでいた地球出身者達が次々にここへ尋ねてくるようになった。ジパングという名前から地球の残滓を感じ取ったのだろう。今回のを含めれば既に五人目となる。同郷出身者だからといって特別扱いするつもりは無いが、先進国出身者であれば間違いなく義務教育を受けているし、途上国の人間でも専門技術を持っていたり、比較的こちらの環境に応用しやすい生活の知恵を持っていたりもする。文官や技術官としては最適だ。


「わかった。すぐ行く」と席を立とうとすると、「あぁ、それともう一人いるんです」とウォーレン。


「もう一人は隊長と同じ日本人だと言っているんですが、虚言である可能性があります。隊長と同じく黒目なのですが、不思議と髪が金髪で――」


 ウォーレンの言葉に、はっと息を飲む。


「歳を一六と申告していましたが、とてもそうは見えませんでした。名前は……ええと、イチジョ・タロウとありますね。タロウ・イチジョかもしれませんが後で確認を……って、隊長?」


 急に走り出したこちらへウォーレンが何か言っていたようだが、気にせず階下へと急ぐ。


 ――タロウ。まさか、お前なのか?


 身分の低い者達用の待合室へ足を運ぶと、ノックもそこそこに中へと足を踏み入れる。そこにいたのは金髪碧眼の白人男性で、驚きの表情をもってこちらを見ている。


「もう一人はどこだ?」


 低い声でそう問いかけるが、しばらくしても返事が無い為、もう一度同じ質問をする。何事かと固まっていた係りの者が「と、となりであります!!」とどもりながら慌てて答える。「わかった」とすぐさま隣へ移動しようとするが、一度足を止め、振り返る。


「ええと、アムステルダム出身かい?」


 念の為にこちらも確認しておこうと、そう声をかける。相手はかっと目を見開くと、口をわなわなとさせながら「デン・ハーグです。デン・ハーグです!!」と涙を流しはじめる。


 ――本物か。何かの専門家だとありがたいな


 何やらわめきながらこちらへ駆け寄ろうとするが、係りの者に体で押し留められる。恐らくオランダ語なのだろうが、何を言ってるのかは全くわからない。「後でもう一度来るから」とくしゃくしゃになって泣き崩れる彼をなだめると、すぐに隣の部屋へと移動する。


「だから本当だって!! この髪は染めたんだよ。ほら、見てここ。根本黒いっしょ!!」


 手をかけた扉の中から漏れ聞こえる声。なんと表現して良いのかわからない、罪悪感とも喜びともつかない感情が渦巻く中、その扉をゆっくりと開く。


「本人に会わせてくれれば絶対わかるって。日本語が話せるから……」


 部屋の中で係員と揉み合うようにしていた小柄な青年の声が、こちらの顔を見るなりぴたりと止まる。


 ――あぁ……神よ。あんたには色々文句を言ったが


 そこにいたのは、遠い記憶の中にある、コロシアムの中で月明かりに照らされていたかつての青年と全く同じものだった。


 ――今この場で謝罪と感謝を送らせてもらうよ


 誰も動かず喋らない、奇妙な空間の中。ゆっくりと彼の元へと歩み寄る。ぼろぼろになった服と痩せ衰えた体が彼の境遇を伝え、恐らく死にもの狂いでここへと逃げ込んできたのだろう事が察せられる。


「一条太郎君……だね? 俺は大木明。君と同じ日本人だ……その、安心するといい。ここは安全だし、誰も君に危害は加えないよ」


 うっすらと浮かぶ涙を無理矢理押し戻し、笑顔を作る。


「色々言いたい事や語りたい事があるだろうが、大丈夫だ。時間はいくらでもある。君の事を聞かせてくれ」




再登場

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