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正気

 歩きにくい。

 久しぶりに踏んだ大地に対する感想だ。船に乗っている間は常に丈夫な木の板を踏みしめているわけで、陸地の砂はまるで砂漠を歩いているかの如く頼りない柔らかさを感じる。森や動物の立てる物音は懐かしさを覚えるが、同時にやかましいとも思う。なんともまあ、人間とは環境に慣れる生き物のようだ。


「それじゃまたな。海の方はまかせとけ。心配するこたぁねぇぜ? 旦那に従うのが天命ってんだからな。死ぬ気でやらせてもらうつもりだぜ」


 ベルンに到着すると大歓声と共に迎えられるが、余韻に浸る暇も無く慌ただしく出発の準備を整え、翌日には現地を出発する。ビスマルクをはじめとした水兵達に別れを告げると、多数の馬車と共に新都市を目指しはじめる。ビスマルクはカダスの命によりこちらへ忠誠を誓ってくれたようだが、何やら騙しているような気がしていくらか気が咎める。もっとも、我々に協力せずヤークに留まった場合、待っているのは派閥争いの末の毒殺というのだから、彼にとって悪い話というわけでも無いだろう。


「早いうちに街道を整備する必要があるな。これでは急ぐに急げん」


 自然の風化によって荒れ果てた旧街道はお世辞にも使い易いとは言えず、そこら中に水たまりの穴やら大きな木の根やらがはばをきかせている。徒歩であればうんざりする程度の問題だが、馬や馬車では危険な事故に繋がる。

 出発より二日程経ったろうか。馬上にてそんな事を考えていると、風に乗って丘の向こうから何やら聞きなれない物音が聞こえて来る。すぐさまウルに目で合図を送ると、「何か土木工事でもやってんじゃね?」との返事が返って来る。


「既に手配済みってか? 相変わらず恐れ入るな」


 未来知識があるわけでも無いのに、常に先を見据えた行動をする主君。いくらかの畏怖を感じながらも、しばらくぶりにその顔を思い出す。


「隊長、斥候より報告です。この先しばらくで道路の整備を行ってるとの事ですが、驚いた事に工夫は我々の本隊のようです。アキラ殿は上手い事隊を率いてるようですね」


 副官の報告に「そうか」と短く返すと、足場に注意しながら馬を走らせる。ほんの数分もするとさして勾配の大きく無い坂を上り切り、眼下に広がる広々とした工事現場が目に入って来る。乗せているのは砂利や砂だろうか。手押し車や肩掛け袋を手にした工夫達がのんびりとあたりを行き来している。


「急ぎならそっちの道を迂回してくれ。ご覧の通りここは工事中だよ」


 眩しそうに太陽を手で遮りながら剣闘士の女が言う。「ではこいつは預けるよ」と馬の手綱を押し付けると、こちらの正体に気付いたのだろう。口をぱくぱくとさせ驚きの表情を見せる。そんな女を尻目に多数の掘立小屋が立ち並ぶ方へと走り出すと、いくらもしないうちに聞きなれた声が耳に飛び込んでくる。


「走行禁止と厳命したはずだぞ!! 工事の基本は安全第一だ。君はどこの……あぁ、なんてこった!! ナバール!! 戻ったんだね!!」


 指揮台にいたアキラはいかつい顔で注意を飛ばして来たが、こちらに気付くと荷物を放り捨てて駆け寄ってくる。周りにいた労働者達も何事だろうとこちらへと目を向けるが、すぐさま感激の表情に変わり、誰も彼もが大声で将軍。すなわちこちらの帰還をまくしたてる。


「アキラ……」


 子犬のような顔で笑顔を見せるアキラを、強く抱き締める。防具が身体に当たり痛みが走るが、知った事では無い。怪訝そうな顔で「何かあったの?」と聞いてくる彼に「何でも無いよ」と答えると、「ご苦労だったな」と労わりの声を掛ける。笑顔を作ったつもりだが大層ぎこちないものだったろう。


「それはこっちの台詞じゃないかな……ええと、その様子だと交易は駄目だったのかな?」


 残念そうな顔でアキラ。歓声が静まり返り、陰鬱な空気が流れだす。


「いや、帝国との取引は上手くいった。運びきれない程の食糧を約束してもらったぞ。今後はベルンと新都市を中心に各地へピストン輸送だな。魔物の存在があるから輸送は軍が中心になって行う事になるだろう」


 静まり返った空気が一点。お祭り騒ぎのような歓声が溢れ出す。アキラは歓声に負けないよう「だったらどうしてそんな顔してるのさ」と叫ぶように問いかけてくる。


「もっとしっかりしなきゃならんなと思っただけさ。そしていい弟を持ったなとね……俺はこのまま真っ直ぐフレアの元へ向かう。お前もひと段落ついたら新都市へ来てくれ。カダスについて知らせたい事がある」


 そう言うと、アキラの顔を見ずに預けた馬の元へと歩き出す。経験してきた人生が違えば、それはもはや同一人物とは言えないだろうとは思う。だが、それでもやはりカダスの姿がちらついてしまい、胸が締め付けられるような思いがするからだ。

「すぐ後を追うよ!!」と声を上げるアキラに手を振る事で答えると、足早に馬の元へと急ぐ。


 ――俺の人生は


 流れそうになる涙を、帽子を深く被る事で遮る。


 ――どれだけの犠牲の元に成り立っているんだ?


 足をかけようとしたあぶみが親しい誰かの手に見え、慌てて後ずさりする。

 夢と現実は、それほど違っているわけでは無いのかもしれない。




「壮絶の一言に尽きるね」


 海や帝国での出来事。そしてカダスについて報告を終えると、腕を組んで天井を見上げながらフレアが言う。それに「まったくだな」と隣に座るアキラの肩を叩くと、彼は一体どう反応したらいいのか迷った様子で首を傾げながら口を開く。


「うーん、実際に俺がやったわけじゃないからなあ。正直どう受け止めればいいのかわからないよ。でも、まあ、実際そんな状況になったらそうするかもなあ」


 カダスが経験した未来。すなわち俺が死に、アキラが単独で扉を目指す事態を想像しているのだろう。眉間には皺が寄り、重く固い表情だ。


「でもこれで自分が螺旋の勇者だって事がいくらか実感できたよ。今までいくらか半信半疑だったからね……それにしても、やりなおせるってのは良い事だか悪い事だかわからないね。やり直す必要があるってのは、それだけ酷い状況になったって事だろう?」


 アキラの言葉に大きく頷いて同意を示す。まったくもってその通りだ。


「それでも」ミリアが人差し指を立てながら言う。


「私は大きな力だと思うわ。世の中に溢れる悲劇を想像して御覧なさい。あなたにはそれを覆す力があるって事よ? 全てでは無くても、少なくともやり直せない者よりは多くの事が出来るわ。事実、未来のあなたはナバールを救ったじゃない」


 ミリアの答えに「かもね」と苦笑いのアキラ。


「ひとつ確認しておきたい事がある。君が死に、食糧の補給も出来なくなった状態でだ。一体どうやってカダス……アキラは扉へ辿り着いたというんだ?」


 フレアはそう言うと、手で覆いを作って耳元で「君の時は相当苦労したと聞いた。そう何度も確実に成功させられるようなものなのか?」と囁いてくる。俺が明である事をアキラへ伝えていない為だろう。


「いや、扉へ触れる事に関しては呆れる程簡単なようだぞ。もうしばらくするとだが、ネクロは扉をフランベルグの中央広場に設置するらしい。理由はわからんが、恐らくアキラ以外の人間が触れても何も起こらんからだろうな。カダスは王都に潜入して何食わぬ顔で歩いて扉へ触れたようだぞ」


 内心で「羨ましい限りだ」とぼやきつつそう答える。「そんなものかね」といった様子のフレアと、ふてくされた顔付きのミリア――彼女も当時の事を覚えている――。そしてアキラは明らかにほっとした表情をしている。


「だがカダスは"決して鍛錬と決意を怠らない事"とお前宛てに注意を促してるぞ。王都への侵入経路やら何やらメモが残ってはいるが、変わった未来でどれだけそれが信用出来るかはわからない。安心するのはいいが気は抜かないようにな」


 どこかお調子者の気がある自らの分身に釘を差すと、話題を今後の対応についてに切り替える。


「カダスから得た未来絵図についてだが、少し気になる点がある。こいつを見てくれ」


 懐に入れてあった地図を取り出すと、乗り出すようにして会議用の長机へと滑らせる。それを覗き込むようにして「このバツ印は?」とアキラ。


「アイロナ方面の地図か……ふむ、なるほど。カダスの経験した会戦が起こった場所か。ほとんどがそこへ集中しているね。何か理由が?」


 腕組みをしたままフレアが興味深そうに発する。よくもまあ、ざっと見でわかる物だと呆れながら「そう、そこだ」と答える。


「フレアの言う通り、この印は近い先に起こるだろう会戦の位置だ。見てわかる通り全てアイロナ周辺に集中してる。会戦が起こらなかった未来もあるようだが、起こった場合は全てがここで起きている。何か"ここでなくてはいけない理由"がありそうなものじゃないか?」


 アイロナ自体はフレアの主な資金源となっている銀を産出している為、戦略的には大きな価値がある土地と言える。だが険しい森と山々に囲まれた鉱山付近は、守るに易く、攻めるに難い。すなわち戦術的にはかなりこちら側に有利な場所だ。戦う場所を選べる攻撃側がここを戦いの場所とするには、何か強い理由でもなければ納得がいかない。


「先に言っておくけど、地脈の封印は完璧よ。少なくとも向こう三十年は利用させない自信があるわ」


 まわりからちらりと向けられた視線にミリアがそう答える。魔法の事は詳しく無いので確認のしようが無いが、彼女がそう言うからにはそうなのだろう。


「単純に目先の利益に釣られて鉱山を狙うってのは……無いか。無いね。別のとこで勝った後に堂々と進駐すればいいだけか」


 自己完結したアキラに「我々の軍はそう簡単に補充できないからね」とフレアが補足を入れる。


「死者の使役。限りなく忌まわしい存在であるのは間違いないが、現状を鑑みると羨ましいと言わざるを得ないね。従順にして強力な軍を簡単に作れるというのは、古から為政者達に望まれ続けてきた事だろう」


 嫌悪感を顔に出しつつも、溜息まじりの声。人心や倫理を考えなければ、確かに羨ましい存在と言える。残念な事は我々の敵であるという事だろう。


「そんな外法で手に入れた平和なんて長く持つとは思えないわ。それよりもう一度アイロナ周辺を調べて見る価値はあるんじゃないかしら。敵にとって犠牲を払ってでも手にしたい"何か"があるのかもしれないわ」


 ミリアの声に各々賛同の言葉がかかる。


「ではアイロナ周辺についての調査を念入りに行う事としよう。何が出るかはわからんが期待して待つのも悪くないだろう。目下の目標は東部の安定と発展。戦いに勝ったはいいが、国は亡びましたじゃジョークにもならんしな」


 俗に言う「手術は成功したが患者は死にました」では困る。地図を畳みながらそう言うと、フレアがこちらへ顔を向ける。


「それはもちろんだが、実利の面もあるよ君。目下の所我々に恭順する諸侯もいるが、そうでない者も多い。東に発展の兆しがあれば更なる助力を得る事も出来るだろう。半年やそこらで素人からまともな兵に育て上げるのはいささか無理があるからね。既に戦える者を引き入れるのが最も効率的なはずだ」


 フレアの言葉に「まあ、そうだろうな」と返すと、しまいかけた地図へ再び目を落とす。何も無い空間となっているベルンとニドルの中間。つまり現在我々がいる場所をぼうっと見つめ、今後の事に想いを馳せる。これから作られる地図には新しく町が追加されている事だろう。


 ――今まで貴族の見栄やはったりを散々馬鹿にしていたが


 どうやら考えを改める必要がありそうだ。今後はその見栄やハッタリをできるだけ利用し、味方を増やさなければならないのだから。


「各地諸侯が注視しているこの町を、短い時間でどれだけ発展させる事が出来るか。もしくはその兆しを見せつける事ができるかがひとつの大きな鍵となるだろう。ただ単に生きて行くのに必要な設備を整えるだけでは今一つと言わざるを得ない。さあ、今後もやるべき事は多いぞ」


 フレアの言葉に応の声を返すと、さらに具体的な方針を決めるべく書類の束を机へと乗せて行く。


 どうやら今後も忙しくなるのは間違い無さそうだ。

 だが忙しいというのも悪い事ばかりでは無い。

 少なくとも、正気を保つのにこれほど効果的な事は無いだろう。




長らくぶりにお待たせしました。

ようやく私生活が落ち着きを見せ始めてきましたので、

再び投稿を再開したいと思います。

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