未来の有無
「陸だ!! 陸が見えたぞ!!」
見張り台から聞こえる声に、船上の人間が一斉に反応する。手にしていた掃除用具やら何やらを放り出すと、我先にと見張りの指差す方へと走り出す。
「ようやくか……長かったな……」
縁へと群がる男女に混ざり、感嘆の想いで遠くを見つめる。鷹族と違いそれらしき姿はまだ見えないが、ぼんやりとした巨大なもやのような物は見える。
「正直、船はもう金輪際ごめんだぜ。良い事があった試しがねえし、何より暇でしょうがねえ。早くつかねえかな」
腕の中でウルが呟く。両足を骨折していて歩けないので抱えて連れてきた形だ。「俺も出来れば遠慮したい所だ」と眉を寄せて答えると、「だよなぁ」と笑いながらウル。
「しかしヤークの連中には感謝しなくてはいけませんね。彼らのおかげで無事生き残れましたし、フランベルグ海軍はしばらく立ち直れないでしょう」
隣にいた剣闘士の女に「まったくだな」と同意する。
「だが善意だけでそうしたわけでもない。ベルン港の使用許可と領海の通行許可をしっかりと持って行ったからな。海賊行為をするのか、それとも交易を行うのかは知らんが、しっかりと利益を得るつもりだろう。いささか火事場泥棒的ではあるが、逆に信用できる」
フランベルグの私掠船が無くなった事で、アインザンツ含めた北方航路はこれからさらなる発展を見せるだろう。さらに帝国との貿易が始まれば、ベルンは一大経済拠点となる。将来への投資先としてはこれ以上に無く有望なはずだ。
「ヤークの旗艦より連絡船が来ます!」
見張り台の声に従い反対側の縁へと向かうと、黒い海の上を小さな連絡船が向かい来るのが見える。その連絡船は小さいながらも豪華な作りになっており、真っ白に塗られた船体は神聖な雰囲気を感じさせる。船上にある天幕には何か呪術的な文字が大きく描かれており、乗っているのが呪術師。もしくは聖職者である事がわかる。
「まさか……カダスか?」
先日の交渉の場には姿を現さなかった彼だが、何か心変わりでもあったのだろうか?
「カダスと直に会えるなんて運がいいぜ。さすが旦那だな」
皮肉気の感じられない、本当にうらやましいといった様子のビスマルク。想像が付かないこちらとしては良くわからないが、地球で言うとローマ法王と謁見するようなものだろうか?
小舟はセントフレア号へ近づくと一旦その足を止め、連絡員と思われる男が何かを語りかけてくる。しかしその声はあまりにも小さく、何を言っているのか全く聞き取る事が出来ない。
「アニキにだけ会うって言ってるぜ」
ウルの言葉にひとつ頷くと、彼女を仲間に預けて縁を乗り越える。ロープを伝いするすると下へ降りると、横づけされた連絡船へと足を下ろす。
「外へ音は漏れないようになっています。武器もそのままで結構との事ですよ」
出迎えた連絡員はそう言うと、奥の天幕を両手で扇ぐ。大した信用ぶりだなと訝しく思うが、未来を知っているのであればそれも些細な事かと思い出す。
何やら難しい術式のかかれた分厚い天幕の入口を腕で押しやると、「失礼するよ」と中へ足を踏み入れる。完全に遮光された真っ暗な空間の中に、薄ぼんやりとランタンの光が浮かび上がる。
――いかにもそれらしい雰囲気だな
徐々に慣れてきた目が様々な怪しい備品を映し出し、思わず苦笑いを形作る。大量の書物に魔法の品々。何やら植物を干した物やら彫金用の細工道具まで、所狭しと雑多な品が詰め込まれている。当然何に使うのかは不明だ。例えるなら魔女の住処を想像した時に、真っ先に思い浮かべるような感じだろうか?
「君が……その、すまない。立場的に何と呼んだらいいのかわからないが、カダスだな?」
さして広くは無い天幕の奥。天蓋付きのベッドの上で横になるひょろ長い男性。
「まずは礼を言いたい。君達のおかげで我々は助けられた。何か協力できる事があれば惜しまないつもりだが、残念ながら今は出来る事も少ない。港の使用の他にも望みがあれば落ち着き次第便宜を図らせてもらうよ」
出来る限り人当りの良い笑顔を浮かべてそう語るが、カダスはこれといって反応を示さない。寝ているのだろうかと天蓋の奥を覗き込むと、暗がりに光るひとつの眼がじっとこちらを見ているのに気付く。
――こいつは……酷いな
薄手の服から見えるカダスの体は痩せ細っており、露出しているいかなる所にも大きな傷跡が見てとれる。腱を痛めたのだろうか、ぶらりと垂れ下がった手首が力なく揺れ、まるで手招きしているかのよう。顔には頭頂部付近まで達する大きな火傷の痕があり、頭髪はほとんど見当たらない。光の無い眼窩は暗く落ち込み、残った片方の眼も濁り淀んでいる。
――軍人だった事があるか、もしくは手酷い拷問を受けたな
無数に刻まれた傷からそう推測すると、ベッドの傍に添えられた椅子へと腰かける。こちらが呼びつけたわけでは無いので何かアクションがあるだろうとそのままじっと彼を見続ける。
「…………たかった」
ほんの僅か。擦れるような声。「すまない。良く聞き取れなかった」と返すと、カダスはゆっくりと手を差し出して来る。なんとか体を起こそうとしている様だが、自力で起きる事もままならないのだろう。ぎこちなく身体を動かすカダスに「そのままで」と手で制しながら身を寄せると、身を起こす手助けをする。
「会いたかった」
震えた声でそう呟くカダス。そいつは奇遇だねとジョークを発しようとするが、ふと違和感を感じて口を閉じる。
――どこかで
「ずっと会いたかった。ナバール」
――どこかで聞いた事が
「あの日からずっと。ずうっと」
思い出せそうで出せない、なんとも歯がゆい気持ちに身をよじる。カダスはそんなこちらを気にするでもなく腕を回して来ると、弱々しい力で抱き寄せてくる。
「ナバール。俺だよ」
記憶の中にある膨大な情報の中から、聞こえて来る声と合致する人物を頭に思い浮かべる。見た目から言えばほとんどゼロに等しいが、声だけを見ると明らかに近い人物が"二名"いる。
――いや、まさか
驚愕の表情でカダスを見つめると、彼はこちらへゆっくりと頷き返して来る。
「俺は……失敗したんだな?」
絞り出すように発すると、首を横に振るカダス。彼は「わからない。でも帰って来なかった」と思い出すように下へ俯く。
――違う? ということは……あぁ、なんてこった
頭を抱えたくなる衝動を抑え、傷つけないようゆっくりと彼を横たえさせる。
「お前は……アキラか」
疲れ切った傷だらけの顔に僅かに浮かぶ笑顔。
「そう。やり直したんだ……螺旋に乗って、何度も、何度も……ナバール。これを」
アキラは枕の下から何やら巻物状の書類を取り出すと、こちらへ震える手で差し出して来る。それを両手でしっかり受け取ると「これは?」とそれを開く。
「これから起こる事……といっても全てが同じじゃ無いんだ。誰にも読めないよう、日本語で書いてあるよ」
見ると懐かしい日本語でびっしりと年代と可能性が書かれている。これを作るのに一体どれ程の労力が必要だったのかを考えると、軽い数枚の紙がまるで鉛のように重く感じる。その価値を考えると黄金と言った方が良いかもしれない。
「こいつは凄いな……なるほど。俺は船出の後ほぼ確実に行方知れずとなっていたわけか。状況から見ると国軍に殺されたんだろうな……いや、クラーケンに食われてた可能性もあるか」
頭の中でその様子を想像し、なんとも形容し難い居心地の悪さに襲われる。
「ナバールやウルを助ける為に、何度も何度もやり直したよ。どれも上手くいかなくて、今回でようやく……国のトップに立つってのは難しいね。改めてナバールを尊敬したよ」
変わり果てた姿のアキラに寄り添い、感謝の言葉と共に肩に手をかける。
「いや、俺の場合は運による所がほとんどだ。対してお前は目的の為に自ら勝ち取ったのだろう? 尊敬するのも感謝するのもこちらだ。本当にありがとう。お前を誇りに思うよ」
嘘偽りなくそう答える。未来の知識があったとしても、現在の地位に付くまでにはそれこそ血反吐を吐くような苦労があったはずだ。この疲れ果てた体がそれを証明しているだろう。
「だがそうすると……どういう事だ? 今この世界は誰を主軸に動いているんだ? いや、そもそも時間の主体をどう捕えるべきなんだ……パラドクスをどう回避してるのか気になる所だな」
未来の巻物を手にぶつぶつと一人ごちる。アキラはそんなこちらを優しい笑みで見つめると「さあ、難しい事は良くわからないな」と言う。
「難しいかどうかはさておき、そりゃそうだろうな……ふむ。ミリアと相談すれば何かわかるかもしれんぞ。そうだアキラ、これからどうする。共同して事に当たれるのか?」
ヤーク連合の軍が味方になるとすると、少なくともこのあたりの海において敵はいないと言って良いだろう。水兵が陸で全く役立たずというわけでは無いはずだし、決戦への期待も持てる。
「いや、残念だけどそれは出来ないんだ」
きっぱりとした答え。どうしてだろうと首を傾げるが、考えて見れば仮にも一国の主だ。立場的な問題から自由にならない事も多いだろう。
「そうか……まぁ、仕方あるまい。最低限の協力だけでもしてくれると助かるが、どうだろう?」
フランベルグをこのままのさばらせた未来がどうなるかはアキラも良く知っているはずだ。色々とままならない事もあるだろうが、こればかりは優先事項として扱ってもらわねば困る。
何か、諦めたような表情で視線を落とすアキラに「何かもっと優先すべき事があるのか?」と尋ねる。アキラは視線をこちらに戻すと、寂しげに口を開く。
「俺はもう、長くないんだ」
一瞬、時が止まる。語られた内容にショックを受けつつ「何か病気を患ってるのか?」と尋ねる。しかしゆっくりとかぶりを振るアキラ。
「違うよ。病気なら治せるさ」
アキラは自らの腕を差し出すと「凄いシワだろう?」と皮肉気な笑みを浮かべる。
「寿命さ」