海戦
たわんだ弓が返る独特な音。
風を切る矢の飛翔音。
木に木を打ちつける小気味良い響き。
「そいつはもう放っておけ!! 右奥から活きのいいのが来るぞ!!」
ずれた進路からセントフレア号の後ろへと抜けて行く敵船。今までそれに集中していた攻撃を、新たに向かい来る船へと切り替える。
「があっ!!」
すぐ近くから聞こえた叫び声に振り返る。肩を射抜かれた女剣闘士が険しい顔で座り込む姿。
「掴まれ。船倉まで走るぞ」
大盾を片手で持ち上げると、女に手を貸しながら船倉の入り口に向かう。矢が足や何かに命中しなかった幸運に感謝しながら女を船倉に押し込むと、再び船首楼付近へ走り戻る。船倉には治療術師が待機しているので命は助かるだろうが、見たところ矢は骨を傷つけていた。戦力としては期待できないだろう。
「昔だったら必死でなんとかしようと狼狽えたんだろうが……今じゃただの戦力換算か。我ながら嫌になるな」
すぐ足元に刺さった敵の火矢を、樽から汲み出した砂で消火する。
「旦那!! 左のがいい角度で突っ込んできやがる!! なんとかしてくれ!!」
ビスマルクの叫び声に左舷へと急行する。覗き込むように海を伺うと、大きなラムを備えた一隻がこちらへ向い来るのが見える。
「ミリア、フォックス!! あれを狙ってくれ!!」
戦いの喧騒に負けないよう全力で叫ぶと、マストから下がるロープを何度も引っ張る。ロープは見張り台の鈴へと繋がっており、それが彼女らの意識をこちらへ向けてくれる。
「わかったわ!! それより今度から見張り台には鉄板を張って頂戴!!」
ミリアの要請に「そんな贅沢が出来るか」と眉を寄せるが、彼女の価値を考えるとそれも良いかもしれないと頭に留めて置く。
――"FireBall"――
見張り台より放たれる火球。
どす黒く燃え盛るそれは敵の右舷側へと命中し、それと同時に燃え広がる炎が一帯を包み込む。衝撃で甲板にいた数人が海へと放りだされ、全身を火に焼かれた人間たちが自ら海へと飛び込んでいく。
「進路がずれるぞ!! ビスマルク!!」
右舷側にいた漕ぎ手が手を止めた事により、敵のガレー船の動きが徐々に減速していく。「わかってらあ!!」と舵を切るビスマルクに従い、セントフレア号がゆっくりと船首を右へと向けていく。
「うぉぉぉぉおおお、あっぶねえ!! ぎりぎりじゃねえか!!」
敵船からわずかでも距離を取ろうとしてか、仰け反るようにしてビスマルクの背中を叩くウル。彼女の言う通り、互いの船は僅差ですれ違っていく。
「うるせぇ!! 右の漕ぎ手がいねぇんだから左には曲がってこれねぇんだよ! 計算通りだ!!」
すれ違う敵船にはこちらの船尾楼。つまりほとんど真上から射撃が加えられ、遮蔽物のない標的と化した敵兵が次々と射抜かれていく。中には大盾を抱え上げて矢から逃れる者もいたが、そういった相手には容赦無く岩や火炎壺が投げつけられた。
「隊長!! 目標、射程圏内です!!」
地面を這うようにしてこちらへ来た部下が、少し離れた場所から知らせて来る。
――ようやくか
首を巡らせて正面を見ると、少し遠目に敵の大型ガレー船の姿。敵はこちらの進路から逃れるよう、大きく回頭をし始める。
「逃すな!! バリスタ用意!!」
大盾の重さをもどかしく思いつつも、船首へ向かって走る。右舷側からの流れ矢が盾の内側に刺さり、慌てて腰を低くする。
「準備できて……あがっ」
バリスタの射手が喉を押さえて仰向けに倒れる。喉には矢が刺さっており、肺から漏れる空気がごぼごぼと音を立てる。咄嗟に射手へと駆け寄るが、どう見ても助かりそうには無い。
「……仇はとってやるからな」
しゃがみ込み、射手の頭を両手で持つと、力任せに捻り上げる。頸椎が破壊され、力の抜けた四肢がぐったりと投げ出される。
「俺にバリスタは扱えない。誰か心得のある者は?」
近くにいる水兵に尋ねると、巻き取り機のそばにいた屈強な男が名乗りを上げる。代わりに巻き取り機のクランクへ取りつくと、伸びあがるようにして敵船を見据える。
「君等のタイミングで発射してくれて構わない。出来る事なら一撃で釣り上げて欲しい所だが、無理は言わん。リラックスしてやってくれ」
特に考えもなくそう呟くが、それを聞いたバリスタの射手の体が強張るのがわかり、余計な事を言うんじゃなかったと苦笑する。
「角度良し! 風向き良し! 発射します!」
射手が間髪入れずに木製のレバーを引き、巨大な銛にばねと魔法の力が加わる。スリット上の木を削るようにして発射された銛が、太いロープを引きながら敵艦へ向かって飛翔する。
――だめだ……高すぎるな
銛の飛んでいく速度と角度から、その到着地点を予測する。
「恐らく敵船を飛び越すぞ。着水次第巻き取り開始だ。運が良ければ返しが引っかかるかもしれん。そぉら!! 回せ回せ!!」」
敵船の向こうへと消えて行く銛を確認すると、巨大なクランクを八人がかりで回し始める。滑車の原理を利用したシンプルな構造の巻き取り機が、巨大な木の芯にロープをどんどんと巻き付けて行く。
全身の筋肉を収縮させて、ただひたすらにクランクを回し続けていると、ふとハンドルを握る手に強力な抵抗がかかる。
「かかったか!?」
ハンドルを離さずに後ろを振り返る。が、感じた抵抗はすぐに消え失せ、巻き取り機は再び元の速度で回り始める。
「くそ、なかなかうまくいかんもんだな……いや、待て」
再びハンドルにかかる強い抵抗。銛から巻き取り機へと伸びるロープがぴんと張りつめ、船全体が何かに躓いたかのように強い振動が走る。
――捕えた!!
「よし、死ぬ気で回せ!! 次は無いかもしれんぞ!!」
応の声と共に全身を使ってクランクを回し始める六人。体中の筋肉が悲鳴を上げ、腹の底から唸り声が漏れだす。
「ウル!! ギアを換えてくれ!! 全く動かん!!」
それどころか逆回転を始める巻き取り機。押されまいと体を伸ばし、己が体をつっかえ棒とする。
「うおおおおおりゃあああああああ!!」
巻き取り機本体に足をかけ、全身を使ってレバーを引くウル。ゴトンという重い音と共にギアが横にずれ、回転数の高い物へと差し替わる。クランクが徐々に回転を始め、ロープがぎちぎちと巻き取られていく。相手の船とこちらの船とが互いに引かれあい、緩慢な動きではあるがその距離が詰められていく。
「次射発射します!!」という射手の声に「頼んだ!」と答えると、そばにいた男と持ち場を交換する。さすがに白兵戦前にこれ以上体力を使うわけにはいかない。
「敵船が回頭しましたね。逃げられないと踏んだんでしょうか」
見ると、確かに大きく旋回を始める敵船の動きが確認できる。そうこうしているうちに二本目の銛が発射され、今度は見事敵船の船尾楼へと銛が突き刺さる。
「これでもう逃げられまい……っと、なんだ?」
突然足元に伝わる鈍い衝撃。揺れる船体によろめき、何事かとビスマルクへと目を向ける。ウルが「この下手くそ!!」と叫ぶと「仕方ねぇだろ!!」と怒声が返って来る。
「ロープで互いに引っ張られてんだ。舵なんてほとんど効きゃぁしねぇんだよ。ちぃとばかり船体が削られただけだから、心配しねえで準備してろ!!」
船の縁向こうから聞こえる敵の歓声に「ちぃとばかりね……」と漏らすと、船首楼の内部へと顔を突き入れる。
船首楼ではじきに始まる戦いに備え、引き締まった顔付きで戦いの時を待つ剣闘士達の姿。慣れない海上での戦いに戸惑いもあるはずだが、さすが戦いのプロとでも言うべきか。各々いつも通りのリラックスした様子。
「突っ込むぞぅ!! 全員掴まれ!!」
ビスマルクの声に、互いに掴まり合って腰を下ろす剣闘士達。やがて鈍い音と共に衝撃が訪れると、慣れ親しんだ突撃ラッパの音が響き渡る。
緩む鎖の音。繋がれていた船首楼の壁が倒れ、暗い楼内に太陽の光が降り注ぐ。
「全隊、攻撃開始!!」
何か敵船の縁か船首にでも突っかかったのだろう。傾いた跳ね橋と化した壁をよじ登り、さっと向こうを伺う。
敵船の甲板上には白兵戦に備えた水兵達が集まっており、混乱の中でも対突撃用準備を進めている。奥からはひっきりなしに矢が放たれ、時折閃光が走るのが見える。恐らく魔法使いがいるのだろう。跳ね橋の一部が爆散し、あたりに木片が飛び散る。
――海も陸も、こうなったら同じだな
眼前にタワーシールドを構えると、仲間と共に敵船甲板上へと飛び降りる。着地と同時に前へ進み、隣の剣闘士と盾を重ねるようにして構える。やがてそれは巨大な一枚の壁を作り上げる。
「全隊、前へ!!」
逸る気持ち抑え、揺れる船上を慎重に進みはじめる。壁に隙間を作らないようにし、乗り込んだ船尾から船首へ向けて壁を押し進める。敵から放たれる矢やら石つぶてやらが襲い来るが、それらはどれも盾の壁に阻まれる。
「第一隊停止!! 第二隊、攻略せよ!!」
船尾楼への入り口を過ぎたあたり。後ろを剣で指しながらそう指示すると、後ろを付き従って来ていた剣闘士達が船尾楼内へとなだれ込む。甲板上は相変わらず船同士の射撃合戦が続いており、こちらの鉄の壁に肉薄してくる敵は誰もいない。恐らく、見慣れぬ戦い方にどうすれば良いのかわからないのだろう。
――出来ればそのまま大人しくしてて欲しいな
鉄で補強された盾と言えど、魔法や何か衝撃に耐えられるわけでは無い。盾が無事でもそれを持つ手や腕が折れるなんて事もある。
ぶつぶつと一人呟きながら祈っていると、船尾楼から鉄同士がぶつかる音と悲鳴が漏れ聞こえ、それはいくらもしないうちに静かになっていく。
「船尾、制圧しました……こいつら素人ですぜ。まだ北の連中の方がマシでさぁ」
剣闘士の中でもかなり古株の男が、実につまらなそうな顔でそう報告をしてくる。「まあ、そう言ってやるなよ」と苦笑いしながら答えると、再び前進の命令を発する。
「目標、船倉の入口奥!! そろそろやっこさん達もかなり手狭だからな。向かって来るだろうから気を付けろよ……全隊、進め!!」
再び全身を開始する盾の壁。突撃に備えて槍を構えていた敵兵達が、追いやられるようにして船首へと後ずさって行く。
「な、なんだよこいつら!! 聞いてねえぞ!!」
「突撃してくるって言ってた馬鹿はどこのどいつだ!!」
盾の向こうから聞こえてくる声に「どいつだろうと別に構わないじゃないか」と突っ込みを入れる。今はそんな事をしている場合では無いだろうに。
鉄の壁はすぐに船体中央部へと到達し、そこで再び前進を停止する。
「おい!! 上はどうなっ……がっ……」
船倉入口から飛び出してきた男の喉を一閃の元に切り裂くと、足蹴にして階段を蹴り落とす。そばにいた松明を持つ剣闘士に目で合図を送ると、彼はすぐさま火炎壺を取り出し、船倉内へと放り込む。火炎による殺傷は期待できないが、入口を作る良いスペースにはなるだろう。
「ふむ……まさかこのままという事は……」
あまりにも平穏に進む展開にぼやきとも取れる台詞を吐こうとするが、船の縁へかかる複数のロープ付きフックに思わず笑みを漏らす。
そうだ。
そう来なくちゃな。