不幸
「旦那ぁ、あいつら本当に大丈夫ですかね?」
修理されたセントフレア号の甲板上。無愛想に疑問を発するビスマルクに、港に集まった人々へと手を振りながら答える。
「さあな。だが自分達の生活がかかってるんだ。死ぬ気でやるだろうさ」
ビスマルクが言っているのは、再軍備された帝国海軍の事だ。ロバートとの会談から二週間。彼らは剣闘士達と共に、対クラーケンの訓練をずっと続けてきた。海軍が解体されて久しい為にまともな船乗りがいない帝国だったが、河川や湖で行動する内地の船乗りを徴収する事で間に合わせの海軍を編成した。
「重りで沈めちまうって教えた時の、あの連中の情けない顔ったらなかったな」
横でにししと笑うウル。「そうだな」と笑顔で返すと、奴隷の支える台の上で手を振るロバートをゆっくりと眺める。
「良き皇帝になれるといいな……クラーケン討伐がうまくいけばお前の兄貴が勝つのだろう?」
横で不安そうな顔で手を振っていたアイザックが振り返る。
「いや、だからさ。僕が辞退したから兄のひとり勝ちだって」
美少年の顔がいかにも呆れたといった表情に変わる。その仕草は非常に自然で、一瞬自分の考えが間違っているのではないかという疑念さえ沸き起こる。
――大した役者だな
アイザックの頭へ手を乗せると、その柔らかい髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「なぜ王宮から一切出られないのかと疑問だったんだ。諸外国に力を見せつけるのであれば街を見せるのが一番だからな。そんなにも知られたく無い何かと考えると、答えはそう多くないだろう。隠したいのは選挙に関する情報で、君ら兄弟はグルだ」
段々と離れて行く帝国の街並み。きっと石材が豊かなのだろう。教会や何かの大型建造物がいくつも建ち並んでいる。
「いつから気付いてたんですか?」
申し訳ないというより、感心した様子の声。しかし「最初の交渉からさ」と返すと驚きの表情を見せる。
「確信を持ったのはロバートと話した時だな。こう言っては何だが、やはり君とは格が違い過ぎるよ。あれではクラーケンの対処による上乗せがあったとしても、まず君に勝ち目はあるまい。大方我々が到着した後、咄嗟に思い付いた設定という所だろうさ」
曖昧な表情で頷くアイザックを横目に、船の縁へと腰かける。
「君らは何とかクラーケン対処による票を得たかった。だが相手は南の大陸から来た謎の新興国で、敵か味方かもわからない。金を積みたい所だが、欲しがっているのは食糧。政治に深入りする気が無さそうなので、正々堂々と頼み込むのは愚策だ。逃げ出してしまえば海軍のいない帝国にはどうしようも無いから、軟禁せざるを得ない。混乱していたのは我々だが、君等も同様だったんだろうな」
ミドイという四枚の羽を持つ白い海鳥が、キキキと高い鳴き声を発する。一匹や二匹であれば美しい声だったかもしれないが、こう何十と集まるとやかましい事この上ない。
「だから食糧を与え、情報の政治的価値を下げたように見せかけ、軟禁する理由をはぐらかし、監視と報告の出来る手段を捻り出したんだ。若気の至りといった感じで国を飛び出したように演じたが、その実、君は我々に対する監視という所だろう。帝国と敵対するようであれば間者として動けるし、味方になるようであれば帝国との仲を取り持てる。持ち運んだ財貨からその価値があると判断したんだろうな」
一通り語り終えると、短く溜息を付く。
「というわけで君は何者だ。弟というのも嘘だろう」
いつの間にか話を聞きに集まって来ていたウルやミリア達。何があっても対処できるような立ち位置におり、ウルに至っては背中の後ろで投げナイフを手にしている。頼もしい限りだ。
「うーん、君がそれだけとなると、フレアさんに会うのが怖くなるな」
度胸が据わっているのか、それとも諦めなのか。取り囲まれながらも余裕の表情。
「ナバールさんが言った事は大方その通りだね。間違ってるのはただ一点。僕は本当にロバートの弟だって事だね」
アイザックの言葉にウルが「まだ言うか」といった視線を送る。彼はその視線を気にする風でも無く肩を竦めると、笑顔のまま口を開く。
「ただし皇帝には五十六人の子供がいるからね。あぁいや、この前一人死んだから五十五かな?まあ、僕の政治的な価値なんてゴミみたいなものさ。ロバートもそう思ってるし、もちろんまわりもそう思ってる。王宮に入ったのも今回が生まれて初めてだったしね」
そう語るアイザックは、いつもの純粋そうな笑顔では無く、皮肉めいて歪んだ笑みを浮かべている。
――あえてではなく、ああするしか無かったのか
頭の中に謁見の間でのアイザックの行動を思い出し、一人納得をする。
いくら気さくな性格であっても、権威をないがしろにするような振る舞いをするような皇子などまずいない。自分が実際そう思ったように「この国は大丈夫なのか?」と思われるのは国にとって大きなマイナスとなるからだ。規模が違えどフレアの言った事と同じ。つまり舐められたら終わりという奴だ。
「まあ、貴族としては珍しい事でもないな。不憫には思うが、同情するつもりも無い。こちらは仕掛けられた側だし、君も望んでいないだろう……ふむ。とりあえずは納得出来る内容か。よし、解散だ。これ以上の尋問は必要無い」
手で空を払いながらそう言うと、自らも船室へ向けて歩き出す。皆はあまり納得のいかない様子だったが、とぼとぼと命令通りに歩き出す。
「ちょっと待って。ナバールさんは騙されてるってわかってたんだよね? だったらなんで言われるがままにしたのさ」
後ろから聞こえたアイザックの声へ、肩ごしに振り返る。若干言うか言うまいか悩んだが、そのまま口を開く。
「他にどうする事も出来なかったし、する必要も無かったからさ。君等がどんな政情でどういった相手と戦っているのかは知らない。政敵に情報を渡した方が色々とメリットがあったのかもしれないな。だが、それがどうしたというんだ?」
口をぽかんと開けたままのアイザックに続ける。
「我々に必要なのは食糧と、君の国との友好だ。その両方をくれるというのだから、わざわざリスクを冒してまで断る必要はないだろう。相手が誰であろうとな。そして俺が騙されているかどうかなんぞは、それこそ犬のクソ程度にどうでもいい事さ」
アキラのように正義感に溢れた人間であれば、怒りと共にその不正を糾弾したかもしれない。それこそ自分の事で無くとも、義憤を持って立ち上がるなんてこともありえる。それが悪いとは言わないし、時には大きな効果を生む事もあるだろう。
――だが、それは俺の役割じゃない
脳裏に、焼けたニドルの街を思い浮かべる。
きっと長い目で見れば得と思える事を、気付かぬ内にも数多く失っているのだろう。帝国との取引についても、もっと多くを求めればそうなっていたかもしれない。しかしそれらはきっと、贅沢な悩みというやつだろう。
残された時間は、あまりにも短い。
「ひーまーだーよー」
人の膝を支点に、ぐったりとエビ反りになるウル。短く切ったシャツが大きくめくれ、かなり際どい状態に。
「ベアトリスあたりだったら素晴らしい景観だったろうに……なぁウル。暇なら釣りでもしてきたらどうだ。見ての通り俺は忙しい」
手にした金属片を敷布の上に置くと、次の金属片を取り出す。モロウという牛のような動物から取れる固形化した油を布で少量取り、金属片へと丁寧に磨きをかけていく。
「潮風ってのは鉄を錆びさせるんだっけ? アニキみてぇな重鎧着てる奴は大変だな」
床すれすれまで頭を落としたウルが、こちらを見上げながら発する。「なんなら手伝ってくれてもいいぞ」と誘いをかけるが、「なぁアニキ。またイカ野郎出るかな?」と聞こえないフリをされる。
「どうだろうな。複数いるのは確からしいが、海へ出れば必ず襲われるというものでもないらしい。しかし撃退法がわかった以上、さして恐れる必要も無いだろう」
魔物と呼ばれる生き物達が最も恐ろしいのは、その正体がわからない時だ。身体能力では人類を圧倒している為、人が生き残るには知恵を絞る必要がある。 逆に対処法のわかった魔物というのは、脅威の度合いも激減する。二十一世紀の日本でも、人里からさして遠くは無い山の中に猛獣である熊がいるものだ。時折被害も出るが、熊を見かけ次第片っ端から皆殺しにしているわけでも無い。それでも普通に人々が生活を送っているのは、何らかの対処法を知っているからだ。森へ近づかない。鈴を付ける。犬を共にする等々。必要であれば撃退する為のハンター達もいる。
「もう少し詳しい生態でもわかれば良いんだが……さすがに無理か」
鎧のジョイント部分にあたる次のパーツを取り出すと、少し強めに擦って錆と汚れを落としていく。
魔物への対処法で最も良いとされるのが、遭遇自体を避ける方法だ。
魔物といえどひとつの生き物であり、生態系を構築している。人間がやっきになってある種の魔物を狩りつくせば、もしかしたら根絶させる事も出来るかもしれない。だがそうした所で、結局は別の魔物の数が増えるだけで生活の脅威は変わらないだろう。狩れば金になる魔物も数多くいるが、そうでないものも多い。優先順位としては、会わない。やりすごす。逃げる。戦わない。撃退するの順だ。何か特別な事情でも無い限り、戦闘になった時点で失敗とも言える。
「実地を伴った魔物に対する知識は、どんな黄金よりも価値がある。だっけか。あいつはいつでも正しいな」
クラーケン対処用の大量の石材と共に積まれた、穀物を中心とした各種食糧。石材の重さのせいもあるが、無かったとしても一度ではとても運びきれない量の食糧が我々にはある。交渉の末に獲得した食糧は莫大な量であり、そのかなりの割合は魔物の対処法という知識と交換で得た物だ。
「ん、なんだろ。見張りが他の船を見つけたって言ってるぜ」
ウルが扉を見つめながらぼそりと呟く。水密加工された部屋越しに良く聞こえる物だと感心すると、ウルを抱えて表へ向かう。
「旗を良く見やがれ!! どこの船籍だ!!」
外へ出るとビスマルクの上げた声が飛び込んでくる。「敵か?」と尋ねると「わからねえ」と不機嫌そうに。
「相手は二隻! 旗は上がってませんが、こちらの進路と交差しています! 信号にも反応しません!」
鏡を手にした見張り台の鷹族の女が声を張り上げる。彼女の向く方に目を凝らしてみると、遠目に白く浮かび上がる何かがぼんやりと見える。
「南大陸の方でクラーケンにやられたという話は、ついぞ聞いた事が無い。他の船がいるし、そろそろ南大陸に近い距離だ。もう奴の行動範囲から抜けたのかな?」
誰にともなくそう口にすると「わかんねえが、そうであって欲しいな」とビスマルク。
「まあ、相手が誰であろうとクラーケンよりはマシだな。念のため総員戦闘準備だ。鎧の留め金はゆるく付けておけよ。海に落ちたらすぐ脱げるようにしておくんだ」
部下に指示を投げると、自らも準備を始める。
せっかく整備したばかりの武具だが、万が一を考えると致し方ない。
それに、使ってこその道具だ。