二人の皇子
静まり返った応接間の中、そわそわとした文官達の視線が皇子へと集まる。
「サー・ナバール。ひとつ聞きたい事があるんだけど」
呆れた様子でソファへと深くもたれかかる皇子。「なんでしょう」と口にすると、こちらもわずかに姿勢を崩す。
「あなたは自分の頭の出来が良く無いと言ったけど、あなた自身以外でそんな事を言う人がいるんですか?」
甚だ疑問ですといった様子の皇子。彼に「いますよ」と答えると、「どこのどいつですか」と返る。
「私はただ勘がいいだけです。頭の出来に関しては先ほど述べた通りですし、フレアに比べれば子供みたいなものです。たかだか15かそこらの小娘相手に癪ではありますが」
苦笑いと共にそう答えると、「それは恐ろしいね」と乾いた笑いを漏らす皇子。
「ちなみに君の部下はね、どうしても必要な事以外一切口を開かなかったそうだよ。恐るべき忠誠と掌握力だ。きっと僕に足りない物なんだろうな……うーん、出来れば師事願いたい所だなぁ」
腕を組むと天井を仰ぎ見る皇子。何か人心掌握について悩むところがあるのだろう。その理由の一端が今も垣間見える。
「皇子。我々の忠誠は本物ですよ?」
まわりの文官の申し訳なさそうな顔。きっとその通りなのだろうが、当の皇子は懐疑的な表情を向ける。
「どうだかな。僕は伊達や酔狂で忍び歩いているわけじゃない。巷で話を聞けば、誰もが目先の利益の事しか考えてないじゃないか。腐敗に次ぐ腐敗だ。君等だって次の俸給の事しか考えていないんじゃないのか?」
皇子から語られる帝国の内情とも呼べる内容に、外部の人間へ聞かせて良いような話なのかと嫌な汗をかく。
「アイザック皇子。そういった話は内々で行った方が良いでしょう。選挙が近いのであればなおさらです」
そして巻き込まれるのは御免だぞと心の中で発する。アイザックは少しむっとした様子だったが、「君の言う通りだな」と返して来る。
「はぁ……今度の選挙はね。事実上、僕と兄の一騎打ちなんだ。兄は人当りも良いし、頭もまわる。何より武勇に関しては帝国一と謳われてる。今のままだと間違い無く次期皇帝は兄になるだろうな」
どこか遠くを見つめたままのアイザック。「やめてくれ!!」と叫びたい衝動に駆られるが、場の雰囲気と自らの立場がそれを思いとどまらせる。
「だが僕の方が帝国にとって有益なんだ。皇帝に必要なのは武ではなく知のはずだろう? 知があれば帝国を豊かに出来るが、武があった所で何が出来るさ。せいぜい目の前の何人かを斬って捨てれるだけじゃないか。戦争だって必要なのは知のはずだ。みんなそれがわからないんだ!」
少し興奮気味の皇子に「耳が痛いですね」と苦笑いを返す。皇子は慌てた様子で「君ほどに突出してれば別さ」と手を振る。
「正直君が羨ましいよ。僕は人気を集める為に様々な事をやったが、結果は燦燦たるものだ。それに比べ君はどうだ。町へ到着するやいなや途端に稀代の英雄だ。少し煽っただけで町中があんな様子になるんだよ? もう今頃は隣町まで君の噂が届いているかもしれないね。君が候補者じゃなかった事が幸運だよ」
元々ラフな姿勢ではあったが、ついにはソファへ身を投げ出す皇子。あれはあんたの仕業かと非難めいた視線を送ると、口を開く。
「皇子の仰る通りだとは思いますが、時には非効率と思える事こそが正道だったりするものです。極論を言ってしまえば知も、武も、優秀な部下がいれば必要無いものでしょう。ですがそれだけでは誰も着いて来ません。あえて言うのであれば、魅力や勇気。そういった物が王者には必要なのでは無いでしょうか。帝国の事はあまり詳しく存じませんが、人である以上、南も北も同じかと思います」
こちらの言葉を、天井を見つめながら聞く皇子。しかし納得がいかないのか、ううんと唸り声を上げる。
「そうかもしれないけど……事実、君は武を以て民に受け入れられたじゃないか」
口を尖らせてそう発する皇子に「そうですね」と続ける。
「ですが、別に武に長けている必要は無かったと思います。もちろん生き残る為の力は必要ですがね。クラーケンとの戦いにしても、もし私が倒れたとしても誰かが後を継いでやってくれたものと思います。後に続けと思わせる事が出来るかどうか。それが最も大事な点ではないでしょうか」
一般常識的な回答ではあるが、思った事を語る。脳裏には木材を片手に海へ飛び込んだ際の事が思い出され、我ながら良くやったものだと呆れ半分で誇らしく思う。勇気と無謀は紙一重とは良く言うが、もしかしたら無謀の割合の方が大きかったかもしれない。
皇子は話を聞いたままの姿勢でじっと考え込む様子を見せていたが、「よし!」と気合の入った声と共に勢い良く立ち上がる。
「決めたぞ。僕は今回の選挙を辞退する!」
拳を握りしめ、凛々しい表情の皇子。対して、言葉も無くただ呆ける文官達。
――おいおい、こいつは思ったよりもアレな奴だな
思い付きで決める事じゃあ無いだろうにと、引きつった顔で皇子を眺める。ひと口に選挙といっても皇帝を決める大がかりな物のはずだ。相当な労力と財を使用したに違いない。辞退するというと潔いとも取れるが、臆病者だと罵られる恐れも十分にある。例え負けるにしても今後に繋がる方策を取るのが当り前だろう。
「純粋真っ直ぐはこれだから……そういやうちにもそんなのがいたな」
アキラの事を思い浮かべながら、ぼそりと呟く。こういう輩は良い方へ進むと力強いが、方向性を間違えると悲惨だ。「何か言った?」と首を傾げる皇子に「いえいえ、独り言です」とかぶりを振る。
「私は部外者ゆえ、そのあたりの事は身内で良くご相談なさると良いでしょう。それより皇子。交易の件について話を進めましょう。それがお互いにとって最も有益なはずです」
皇位継承についてなど知った事かと、話の軌道を元に戻すべく発する。皇子は聞いているのかいないのか。自らの握った拳を見つめながら口を開く。
「そうだね……うん、その通りだ。僕はもっと広い世界を見て、学ぶ必要がある。偉大な師がいれば、きっと僕に足りない物も見つけられるだろう。大臣、兄と交渉して船を用意してもらおう。辞退する見返りとすれば兄も文句は言わないはずだ」
やはり聞いてはいないかと、心の中で溜息を付く。そんなこちらの様子を察したのか、皇子は「あぁ、食糧の事だったね」とこちらへ向き直る。
「もちろん提供させてもらうよ。財貨に見合った量はもちろん、足りなければ積めるだけ積んで行こう。なぁに、これからの友好を考えれば安い物さ」
先程とは打って変わり、上機嫌な様子の皇子。その言葉に一抹の不安を覚えながらも、最上級の感謝の意を伝える。
――だが、それだけではないだろうな
今皇子がどういった心境で何を考えているかは知らないが、帝国に益をもたらそうという気持ちは本物に見える。であれば、些細な事案であっても相手側に有利過ぎる取引をするとは思えない。
皇子はきらきらとした眼差しでこちらを見つめると、おもむろに手を握って来る。動揺の中不審な目を向けると、彼が口を開く。
「ただし、ひとつだけ条件があるんだ。先生」
皇子の発した"先生"という呼び名にぞわりと鳥肌が立つ。
何か、嫌な予感しかしない。
「どうかアイザックをよろしく頼みます。ですが遊歴の身として送り出す以上、何があってもそちらに責任を押し付けるような真似は致しません。念書を用意させましたのでこれを」
アイザックの兄であるロバートから、羊皮紙で作られた書類を受け取る。そこにはアイザックの身に何が起ころうと、帝国及びフレアの国が責任を取る必要は無いという文面が書かれていた。
――こりゃ捻くれもするわな
目の前にいる気品に溢れた顔立ちの男をじっと見据える。
ロバートの第一印象は、こいつこそまさに皇帝だと思わずにはいられない男だった。整った顔立ちに、鍛え上げられた肉体。何か人を惹き付けて止まないその眼差しや、凛とした雰囲気。知識は豊富で、政治にも長けている。こんな兄がいたら弟としては堪ったものでは無いだろう。一四かそこらのアイザックと比べ、ほぼ倍の年齢というのも色々と想像を掻き立てられる。
アイザックと別れた後、無事クオーネ卿らと合流した我々は、帝国側と実務レベルでの話し合いを開始した。双方共に急いでいた事もあり、交易自体は滞りなく終了しそうだった。裸一貫で来たかのような、完全に不利で危険な交渉を考えていた我々にとって、ほとんど拍子抜けとも取れるものだ。それらがただひとつ。クラーケンを倒したという点によって得られた物と考えると、あの戦いで亡くなっていった戦友や苦労に、それに見合うだけの価値があったのだろうという気概を持つ事が出来る。
「いえ、無下に扱うような真似はしませんよ。何か学びたい事があるというのであれば、自由にそうしてもらうつもりです。ですがご説明した通り、南は戦火に覆われています。できればご遠慮したいというのが本音ですが」
「だからこそですよサー・ナバール。あれを人として成長させるには最も適した場所と言えます。もし戦地で果てるような事があれば、それまでの器だったという事でしょう」
「しかし万が一という事もありますよ?」
「その為の念書です」
先程から繰り返される押し問答。ロバートが暗に何を言いたいのかがわからないわけではないが、面倒事は極力避けたい。万が一アイザックに何かあった場合、帝国自体は何も反応を起こさずとも彼の身内は違うだろう。それにこんな紙切れひとつ、いざとなれば如何様にもできるはずだ。
「そう警戒なさらずとも大丈夫ですよ。我々兄弟には、その。色々とありまして。できればしばらくの間、アイザックには帝都から離れていて欲しいんです」
そう言いながら、ほんの僅かだけ視線を動かすロバート。
ロバートの視線が動いた先には、いわゆる帝国の重鎮達が立ち並んでいる。誰もが優秀そうではあるが、同時に腹に一物持っていそうな気配もしている。完全に想像でしかないが、内憂。ないしは、彼ら兄弟に害する第三の勢力があるのかもしれない。
――そう単純な話では無いという事か
いずれにせよ深入りするつもりはないし、したくもないので、曖昧に頷いておく。アイザックの話では、選挙はホワイトネイル兄弟の争いに終始すると言っていた。しかしアイザックの辞退が確定的となった今、選挙そのものに問題があるとは思えない。という事は選挙自体が問題なのではなく、その後に何か問題があるという事なのだろう。腐敗の一掃でもするつもりだろうか?
――それとも"そういう事"か?
「それよりナバール卿。クラーケンに対する対抗策を教えて頂けるとの事ですが、本当でしょうか。それが本当であれば、帝国は往時の勢いを取り戻す事が出来るでしょう。帝国は貴方に大きな借りを作る事になる」
真剣な顔をしたロバートに、今度はしっかりと頷く。
「秘匿していても、恐らく我々は解放されませんでしょうしね。選挙で貴方の勝ちが決まった今、クラーケン対処法は政治力として小さくなったはずです。であれば、我々が巻き込まれる心配も同様でしょう。それより閣下。ナバール卿とは?」
ナイトに与えられるサーはともかく、爵位持ちに与えられる卿は聞きなれぬ呼び名だ。今後正式に立国すれば何らかの爵位を持つ事になるかもしれないが、今はただの平民にすぎない。
ロバートは感激の笑顔と共に「念書だけでは不安でしょうから」と、懐より書類と指輪を取り出す。
「フレア殿に南大陸守護者の位と、ナバール殿には帝国南部守護者の位を。帝国は昔ほど周辺国に影響力があるわけではありませんが、諸同盟国や諸部族には十分効果を発揮する事でしょう。皇帝の兼任する位と同等の物ですから、フレア殿と我々の間に上下が付く事もありません。帝国が本気であるという証です」
人の良い笑みと共に差し出された書類と指輪を、なんとも言えない表情で受け取る。
――東の守護者が、今度は南か
また名前が長くなったと、ひとつ溜息をつく。
帰ったら何と言い訳をしようか。