価値観
あわわわわわ、日間8位になっとる・・・あわわわわ
「そんでそんで、その後どうなったんだよ!」
目を輝かせたウルが乗り出し気味に聞いてくる。
「どうもなにも。そのまま軍に入って戦争。その後はご覧の通りの剣闘士さ。」
礼装用のブレストプレートに入ったフレアの刻印を指先で軽くはじき答える。
ウルは「ほえぇ」と変な声を上げつつ、感心と驚きの目で見てきている。
「でもよでもよ、アニキは色々知ってるし頭もいいだろ? なんでわざわざ戦士になんてなったんだよ。文官の真似事くらい出来そうじゃねぇか。俺アニキが算術できるの知ってるぜ?」
フォークでこちらを指すウル。フレアが答える。
「今ならそれも可能かもしれんがね。当時はそうもいかんよ。何せこちらの事を"何も"知らないんだ。いいかい、何もっていうのは比喩ではないよ?何せ厠の使い方から教えなければならなかったんだ。殺し合い以外に何が出来るというんだね」
あまり触れられたくない話題を出され、思わずそっぽを向く。
思えばキスカやナバールには相当の迷惑をかけたものだ。
フレアの言う事は正しい。
軍隊生活と剣闘士生活という偏った場所ではあるが、この6年の間に少しはこの世界の常識に順応する事ができたが、もし当時軍ではなく、少しの報奨金と共に外へ放り出されていたら、間違いなく野垂れ死んでいただろう。
この世界は何も知らない少年が一人で生きていくには厳しすぎる。
それに事故の様なものとは言え、既に人一人殺してしまっていた。
ただでさえ目立つ黒目黒髪だ。あの場にいた敵兵に俺の事を覚えている者がいたかもしれない。
事故かどうかなんて相手側からすればどうでもいい問題だ。
もし復讐に来られた場合、それに抵抗する力が必要だった。
フレアに拾われたのはかなりの幸運だったと改めて思う。
当時こそ奴隷という事でどんな扱いをされるのやらと不安になったりもしたが、そんなに酷い扱いを受けるわけでもなかった。
この世界において、奴隷とは靴の様なものだと思う。
物言わず使われるがままであるし、かかとを踏む者もいれば、無頓着に履き潰す者もいる。出番の無いまま捨てられる靴もあるだろう。
だが必ず必要なものであるし、意味も無く切り刻んで捨てる様な真似をする者は普通はいない。気に入れば大事にするだろうし、壊れれば修理をする。履いているうちに足になじむ靴だってあるだろう。
兄弟や親のお古として譲り受けられ、尊敬され、敬愛される幸運な靴だってある。
ろくでなしの主人に付く事があればかなり悲惨な事になるだろう。
明日の希望も無くただただ働く者。悲惨な扱いをされ、命を奪われる者もいる。娼館に売られた奴隷はまだ幸運だろう。
だが一方、奴隷の身から自由になる事に涙を流して反対する程、主人との間に強い絆を持つ奴隷がいる事も確かだ。
試しにその辺の店番に「私、奴隷なんです。」と言ってみるとする。
恐らく「あぁそうですか。で、何をお求めですか?」といったものや、「私もですよ。ところでいい天気ですね」といった返答が来るだろう。
それが良いかどうかは別の問題だが、奴隷制度というのはこの世界において不幸の象徴ではなく、実に当り前のものなのだ。
ふいに首元に熱気を感じ振り向くと、
内緒話の要領でキスカが耳元に口を寄せていた。
「大丈夫です。あの事は内緒です」
小さな、かすれた声でそう言うとにっこりと笑う。
あの事とは何の事だろうと思ったが、厠についてのくだりだと思い当たり、キスカもそんな冗談を言うのだなと少し驚く。
このやろう、と照れ隠しに後ろ首を掴み引き寄せると、目先に来た耳をプルプルと指先でくすぐってやる。
思ったよりも抵抗が無いので、なんだ?フレアを見やると「アキラ。獣人族というのは者によって耳で感じたりするらしいぞ」と実に楽しそうな笑顔で言われ、慌てて手を離す。見るとキスカだけではなく、ウルまで顔を真っ赤にしている。
「そ、そいやよ。アニキって浮いた話聞かねぇけど女っていねぇのか?」
既に原型を留めない程に穴を開けられ続けた果物を、引き続きフォークでぶすぶすと差しながら聞いてくる。
特に隠す事でも無いので正直に答える。
「女ねぇ。娼館で遊ぶ程度の相手ならいるが、特定の相手ってのはないな。剣闘士の女になって泣いた女を沢山見て来てる。
明日死ぬかもしれない状況じゃあちょっとな。惚れた女ならなおさら悲しませたくないと思うんじゃないか?」
思い出すように少し遠くを見やり、「それに」と続ける。
「さっきも話したろう?故郷に恋人を残して来てるんだ。もう6年も経ってるから向こうは忘れてるかもしれないけどな」
皮肉めいた笑顔を作ったつもりだが、うまく笑えただろうか。
真面目だねぇとはフレアの言だが、ウルは納得しないようで、いい加減えげつない事になっている果物を刺しつつ言う。
「んー、アニキがそう言うならそうなんだろうけど。なんかなぁ。
別にいいじゃねぇか。あっちはあっちで可愛がってこっちはこっちで可愛がりゃあさ。好きなら好きでいいじゃねぇか。なんだかんだ理屈はあるんだろうけど、結局アニキは今気に入ってる女がいないってだけなんじゃねぇの?」
再びフォークをこちらへ向けてくるウルへ、お前はシンプルでいいねぇと新しい果物を放ってやる。
至近であるにも関わらずウルは中空で器用にそれをフォークで刺し取ると、むぐむぐと食べ始めた。やはりげっ歯類に近い気がする。
しかしウルの言う事も、もっともかもしれない。
地球へ帰るというのは生きる希望として今でも諦めていないが、最悪一生こちらという可能性もある。また、よしんば帰れたとしても、6年もの間行方不明だった男をわざわざ待ってるだろうか?
それにそもそもこちらの6年が向こうの6年という保証も無い。
相対論的世界観から見ればこちらの六年が向こうの六十年だという可能性だって十分に考えられる。
今ここでばったりと彼女に会い、そのまま恋人同士に戻れるか?と聞かれたら恐らくいいえと答えるだろう。
色々な意味であまりに遠すぎるし、あまりに環境が変わり過ぎた。
だが何かすっきりしないのも確かだ。裏切っているのではないか。
約束を破っているのではないか。そんな具合にだ。
そして何より
故郷との繋がりが絶たれてしまう気がする
思考が暗くなって来たので、「でもまぁ、もしかしたらそうなのかもな」と努めて明るく返すと、「そうに決まってるぜ!」と得意げにウルが返してきた。
その後もしばらく他愛のない話を続けていたが、夜も更けて来た為、名ばかりの快気祝いは終了した。
あてがわれた使用人の個室でベッドへ横になると、今日話した事や何かを頭に思い浮かべる。
――剣闘士となって本当に良かった
浅くないため息と共に改めてそう実感する。
うんざりする事や、全てを投げ出したくなる事も確かにある。
だが今日この日は胸を張って楽しかった、と言う事ができる。
幸せだったとすら言えるかもしれない。
もしフレアの元に付かずに外へ出ていたらと思うとぞっとする。
今日のキスカの耳への悪戯についてもそうだ。
例えば年端の行かない幼子をあやすつもりでああしていたら?
問答無用で豚箱行きだろう。もちろん親や住人の袋叩きの後でだ。
水飲み場でのルールは?
町を歩くときの注意点は?
お偉いさんを前にしたら何をすればいい?
どこまでが犯罪でどこまでが自由だ?
誰かに騙されたら誰に相談すればいい?
騙された時にそれに気づけるか?
間違っているのは自分ではないのか?
頭の中に次々と疑問が浮かんでは消えていく。
この世界のありふれた住人としてのごく当り前の生活は、経験と成長、そして子供だからこそ許される失敗によって得られる莫大な量の"常識"というものに支えられている。
長い時間をかけて良く教育し、慣らせばいいのだが、一体どこの誰がそんな真似をしてくれるというのか。
どんどんと沈み込んでいくマイナス思考にいい加減うんざりして来た頃、助け舟だとばかりにノックの音が聞こえて来る。
開いてるよと声をかけるより先にドアが開かれ、部屋にフレアが入って来る。
ナイトガウンにネグリジェと思われる薄着がランタンの光に照らされ、妖艶な雰囲気を醸し出す。
「随分と色っぽい恰好だが、襲いに来たわけじゃないんだろ?」
だるい身体を無理矢理起こし、ベッドに腰掛ける。
「襲うつもりならノックなどせんよ。それより思った通り起きていたな。またろくでもない事でも考えていたんだろう。悪いクセだ。何の益も無かろうに。」
さして興味もなさそうにそう言うと、ランタンをテーブルへ置き、椅子へと腰かける。
「性分というのはそう簡単には変わらんさ。飲むか?」
枕元に無造作に転がしておいた蒸留酒を差し出す。
「いや、やめておこう。明日用事が入ってしまってね、早くにここを発たなければならなくなった」
酒瓶を床に置き、答える。
「なるほど。てことは地球についての話を今しようって事か」
「お察しの通りだ。それともう一つ」
「もう一つ?」
「襲いに来たといったらどうする?」
おいおい、と言いながら逃げるように及び腰で立ち上がると、「冗談だ。しかし君は本当にいい反応をするな」と笑いを殺しながら座るよう促してくる。
「自分で振っておきながらなんだが明日は早い。手短に話そう」
急に真面目になった顔にこちらも心の準備を整える。
「恐らくだが、君と同様の境遇の者を見つけた」
はっと目を見開く。
「半年ほど前に隣国にやってきたらしいが……」
聞いて驚け?と前置きをして続ける。
「当時見たこともない格好をしたおかしな奴が街中で暴れているという事で、そのまま衛兵に引っ張られたらしい。罪状はわからんがそのまま奴隷になり現在剣闘士だそうだよ。まるでどこかで聞いた話じゃないか?」
驚きのあまり言葉が出ずに固まる。
六年もの間古い文献を調査してもらったり、調査員を雇いそれらしい情報を探してもらったりもしたが、どれもこれといった情報を得る事は出来なかった。
何か根本的なやり方を変えなくてはと思っていた矢先にこれだ。
「なにせ隣国の事だからね。半年も時間が空いたのは察して欲しい」
そんなことはどうでもいいとばかりに素早く頷き、尋ねる。
「確かに有力な情報だとは思うが、本当に地球から来たやつなのか? なんでもいい、何か特徴とかそういうのは無いのか?」
フレアに限ってそんな事はないだろうとは思うが、話だけを聞くとただ単に頭のおかしい奴が暴れて奴隷になったというだけの話にも聞こえる。
とりあえず落ち着けといった身振りをし、フレアが答える。
「それを確かめに来たというのもある。男は黒目で黒髪。名前はタロウとか言ったか。興味深いのは半年前は金髪だったのが、徐々に黒髪になっていったという」
「当たりだ!!間違いない!!」
フレアの言葉の終わりを待たずに、立ち上がり叫ぶ。
彼女はやれやれと言った様子でかぶりを振るが、優しい表情で続ける。
「そうか。そいつは良かった。ところでまだ続きがあるんだ」
ゆっくりと人差し指を一本上げると、口を開く。
「近いうちに北領国との親善試合が開かれる。君ら隷属剣闘士が国外に出る事が出来る三つの理由のうちの一つだな。
しばらく戦争は起きないだろうし、国別選抜大会は3年先だ。だが残念な事に参加の締切は一か月も過ぎてしまっている。」
そんな……と一度もちあげられた興奮が嘘のように引いていく。
がっくりとうな垂れるが、構わずにフレアが続ける。
「そして最初に出たもう1つの件だ。君に謝らなければならない事がある」
こちらへゆっくりと近づくと、顎を持ち上げ目を近づけてくる。
驚きと共にこちらの意識がしっかりとした事を確認すると、意地の悪い笑顔を浮かべ口を開く。
「申し訳ないが先月、君の許可を取らずに勝手に参加申請を出してしまっていたんだよ。
断らないのであれば出立は明日の夕方。装備は重装備限定だ。いいかい?」
視界一杯に青い目が広がる。
「行くなら絶対に勝て。無様な恰好を見せる事は許さん。今後二度と我らフランベルクに楯突く気にならないようにしてやれ。わかったか?」
嬉しいやら小憎たらしいやらがごっちゃになった俺は、
いい加減にしろと怒られるまで抱擁する事で、
その返答とした。
キリが良くまとめられず、少し長くなってしまいました。
申し訳ありません。次で久しぶりに戦闘シーンかな?
感想にキスカprprとありましたので、プルプルさせてみた