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ねーさんのお願い

作者: 橘まき

 いとこの遥ねーさんがやってきたのは、その日の夕方のことだった。

 遥ねーさんは僕よりひとつ年上の高校二年生で、今年の春からうちの近所で一人暮らしをしている。おじさんが海外赴任になり、おばさんもそれについていったのだ。

 だから時々うちに夕飯を食べに来ているのだが、今日は少しばかり様子が違っていた。

 ――――いや、まぁ、少しじゃないか。わざわざ僕の部屋にまできて、土下座を披露しているんだから。ふだんは僕のこと「キモイ」だの「オタク」だのって、さんっざんこきおろしてくれてるくせに。

 天気予報、明日は雨だって言ってたけど、台風でもくるんじゃないの?

「遥ねーさん、土下座しているとこ悪いけどさ」

 僕お金なら持ってないよ。

「だ、だれが中学生に金の無心をしますかね!」

 がばっと上体を起して噛みついてくる遥ねーさん。

 てか、今聞き捨てならないことを言ったね?

「……じゃあなんなんだよ。ついでに僕もう高校生なんだけど」

「そうだった?」

「そうだよ、3月に卒業アルバムみてさんっざん大笑いしたくせに」

「別にかわらないじゃん、たった一年でしょ?」

「いやいやいやいや。変わるよ、大っきく変わるから」

「まぁそんなことは置いといて」

 よくある「置いといて」のアクションをして、ねーさんは仕切り直しだとばかりに咳払いをひとつした。僕も反射的に背筋を伸ばす。くそっ。このしみついた下僕根性が憎らしい。

 パン、と手を打ち合わせる音が部屋に響いた。

 合わせた両手を頭の前まで持ち上げて、遥ねーさんは僕に言った。

「お願い徹っ。あんたの老け顔の友達紹介して!」

 ―――――。

 どうしよう、これ、どこからつっこんだらいいのかな。

「面が割れてない男の知り合いっていったら、あんたの知り合いしかいないのよぅっ!」

 面って。

 一体どこの犯罪者だよ。

「一日だけでいいの! スーツ代は出すからさ、ねっ? 私のささやかなプライドを守らせて!」

「あ――――……………なるほど、ね」

 ねーさんの知り合いに面が割れてない男がたった一日だけ必要で、そうしてねーさんの男の趣味は、スーツの似合う年上だ。

 僕は大きくため息をついた。

「守れない見栄はさ、最初からはらない方がいいと思うよ」

「はっちゃったんだもん仕方ないじゃないー!」

「あー、うん、仕方ないね。はっちゃったんだもんね」

「なんなのよそのわかりきった顔ー! 蹴るよー!?」

「なんで僕が蹴られなきゃなんないの。僕お願いされてる側だよ?」

 そりゃ、ねーさんが理不尽なのはいつものことだし、「蹴るよー!?」も決まり文句みたいなもんだけど。

 うぐ、と黙ったねーさんは、うらみがましい涙目で僕を見上げてくる。

 黒い長い髪をポニーテールにしたねーさんは、少しばかりきつい感じもするけれど、身内ということを差し引いても、十分キレイだと思う。運動部に所属しているおかげかスタイルもばっちりだし。これだけ恵まれた容姿を持っているんだからもう少しうまく立ち回ればいいと思うんだけど。

 たぶんねーさんは典型的な内弁慶、ってやつなんだろう。いつもいつもいつもいつも、友達には簡単に転がされてしまっている。

 まったくもう、今回だってどんなやりとりがあったのか、聞かなくても十っ分わかる。

 僕はもう一度大きく息を吐き出して、律儀に座り込んだままのねーさんを見下ろした。

「ひとり、心当たりがある」

 一気に顔色が変わったねーさんに苦笑して、僕は続ける。

「一応、だからね。聞いてみてダメだったら、その時は素直に諦めて」

 首がもげそうなくらいに何度も頷いたねーさんは、立ち上がって飛びかかっ…………もとい、抱きついてきた。

 てか当たってる、当たってるよねーさん。

 どこがとは言わないけどさ。

「ありがとー! やっぱり持つべきものはいとこよねー!」

「ハハハハハハハハ」

 あー、もう、なんなんだろね、この凄いよろこびようは。

 僕まだ『彼氏』の代役が決まったとも、なんとも言ってないんだけど?



 それから一週間後。

 僕は遥ねーさんが通う学校の最寄り駅にある、駅ビルの中にいた。ねーさんが待ち合わせ場所に指定したのは駅の改札口だけど、待ち合わせの六時にはあと一時間はあるからだ。

 六時になったのは、社会人と待ち合わせをするのに五時はおかしいだろうという理由からだけど、いくら準備があるからって、こっちもそんなに時間がつぶせるわけじゃない。

 さて、時間までどうしたもんかとビルの案内図をみて思案していると、ケータイのバイブが唸りをあげた。

 ねーさんからだ。

「もしもし?」

『もう駅来てる? 『彼』も一緒?』

「ちゃんと来てるよ、大丈夫だって」

 友達が近くにいるからだろう、小さなヒソヒソ声に苦笑して、僕は隣に視線をやった。

 ねーさんの注文通り、グレーのスーツに伊達メガネ付き。店のウィンドウに映りこむ周囲の人々と比べたって、どこからどうみても社会人……………………まぁ、成りたて、っていったところか。

 少なくとも初々しい高校一年生には見えないね。

「まぁ、ねーさんより年上には見えるんじゃない?」

『上等!』

 それから、僕とねーさんは手順をもう一度確認した。

「駅の改札で待っているねーさんに声をかけて、お友達のお姉さんたちにも挨拶。そこで他の人とは別れて、駅ビルの方に行く。いいね、すぐ別れてよ?」

『わかってるわよぅ。アドリブ苦手な子なんでしょ? 私だってボロが出たら怖いもの、ちゃちゃっと別れるからさ!』

「ほんとかなぁ」

 イマイチ信じられない。

「頼むよ」もう一度僕は念を押す。

「本当、ヒーローみたいにシャイなやつなんだ。みんなの前にいられるのは――――3分間が限度だよ」



 そうしてきっちり一時間スタバで時間をつぶして(スーツ姿でマックはなんだか気が引けた)二階の出口からビルを出た。

 駅ビルの二階出口と駅をつなぐ連絡通路からは、一階の改札口の様子がよく見える。見れば思ったとおり、改札の前で固まって騒いでいるねーさんたちの姿があった。

 紺のセーターにグレーのスカート。ダークトーンの塊のはずなのに、華やかに映るその光景は、僕みたいな人種とははるかに縁遠い場所のようで気が重い。

 あの中に突入させるとか、それなんて罰ゲーム?

 思わず詫びてしまったが、伊達メガネはわずかに苦笑しただけだった。

 ネクタイを少しだけなおし、メガネのずれを人差し指でそっとおさえて。大人の余裕を感じさせる微笑を浮かべて静かに言う。

 高校生が到底出せない、腰に響くバリトンで。

「それじゃぁ、いってくるよ」

 がんばれ。

 3分間だけの社会人に、僕はそっと、心の中で健闘を祈った。



 彼はすらりと背を伸ばして人の波をすり抜ける。背を向けている遥ねーさんはまだ気がついていない。もちろん、遥ねーさんの友達も同様だ。

 手を伸ばせば届く距離まで近づいてから彼は声をかけた。

「遥」

 声にびくりと肩を震わせて振り返ったねーさんの両の目が、面白いぐらいに開いていくのが見て取れた。あー、もう、そんなに驚かなくっても。

 てか、彼女がそんな態度じゃ、友達にウソだってバレちゃうよ?

「ごめん。遅くなった」

「おっおじっ」

「おじさん、じゃないだろう? ……まったく。友達の前だってのに」

 戦慄くねーさんの腕をさりげなくつねった伊達メガネは、きゃーきゃー騒いでいるねーさんの友達の方へと向きなおる。

「遥の友達だよね? いつも遥がお世話になっています」

「いーえー! もー、遥ったらこんなかっこいい彼氏ずーっと黙ってるなんてー!」

「ほんとほんと。ひどいよねー?」

「だ、だって、ほら、お、おじさんだからっ?」

 ひきつった顔で弁解するねーさんの額をげんこつで軽く叩いて、『おじさん』は笑う。

「だから、おじさんっていうなって。これでも気にしてるんだからさ」

 それからねーさんの前に腕を差し出すと、軽く首をかしげた。

「じゃぁ、行こうか」

「う、うん」

 真っ赤になったねーさんは、おずおずと伊達メガネが差し出した腕に手を添えた。きゃあきゃあとはやし立てる同級生たちに噛みつくねーさんを宥めて「それじゃあ、また」と歩きだす。

 うん、ちゃんと年上のおにーさんって感じじゃない?

 思わず感心してしまう。どうなることかと思ったけど、なかなかやるじゃないか。

 駅ビルの方へと歩きながら、ねーさんは器用にも呆けた顔で彼を見上げ続けていた。……だから、そんな顔してたらさぁ。てか、それでよくこけないね?

 あとでしっかり注意しなくちゃと思っていた矢先、あんぐり口を上げたままねーさんが言った。

「…………おじさん?」

「だから、」

 答えようとした伊達メガネが、一瞬言葉に詰まって舌打ちする。



 ――――あぁくそ、限界だ。



 だから、違うっていってるでしょ。

 ため息混じりで吐き出された言葉に、ねーさんの目がますます大きく見開かれた。

「とぉるぅ!?」

 3分間だけの社会人――――もとい、僕は軽く眉をしかめてみせる。

「だから、父さんじゃないって言ってるじゃんか」

「え、うそ、本当に? 本当に徹なの?」ねーさんはかなり動揺しているらしい。僕だってわかったのに、いまだに腕を放そうとしないところからも、それは明らかだった。

「だって、声、さっきまでと全然違うじゃない!」

「まぁ、短い間ならね。あれぐらい声をつくったりはできるんだよ」

 …………歌ってみたをやってみたくて練習していたのは内緒だけど。

 それだって維持できるのは3分ぐらいが限度だし、まさかこんな風に身内に披露する羽目になるとは思ってもみなかったけど。

「髪は!?」

 確かに? 髪はずーっとのばしっぱなしで、一括りにしていたけどね?

「美容院でカットしてもらっただけだよ」

「めっめがっ」

「メガネを指定してきたのはねーさんでしょ」

「スーツ!」

「スーツは父さんのを借りた。……てか、スーツ指定してきたのもねーさんじゃないか」

 駅ビルに入り、並んでエスカレーターに乗ったところで、ようやくねーさんは落ち着いたようだ。

 ほうと息をついて、それでもやっぱりあんぐり開いた口は、なかなかふさがれることはなかったけど。しばらくして、ねーさんは呆れたようにしみじみ言った。

「あんたって、おじさんそっくりだったのねぇ」

 僕はねーさんにわからないよう、けれどもしっかりと奥歯をかみしめた。

 あぁもう、だからこの格好したくなかったんだ。そんなこと、わざわざ言われなくてもよくわかってるっつーの!

 ちらりと視線を横にやる。

 いつもいつも無茶苦茶で理不尽で、人のことをさんっざんこきおろすくせに友達には弱いねーさんの、初恋の相手はほかでもない僕の父さんだ。

 昔父さんにかまってもらった幼いねーさんは、若づくりの父さんを『優しい親戚のお兄ちゃん』として淡い憧れを抱いたようだ。

 事実父さんはおじさんの年の離れた弟だったし、僕は体が弱くて入院していたこともあってほとんど親戚の集まりに参加したことがなかった。

 だからねーさんは、ずいぶんと長い間、父さんが子持ちであることを知らなかったらしい。

 初めて会った時思いっきり敵視されたのも、今となってはいい思い出だ。

 ……ムカつくけども。

「それで? ご満足いただけましたか?」

 八つ当たり気味な意趣返しもかねて、声を低くしてねーさんの顔を覗き込んだ。

 けれども、顔を真っ赤にして唇を戦慄かせるねーさんに、今度は僕が目を見開く番だった。目を見開いて、凍りついている間にエスカレーターが上の階に到着し、躓きそうになって慌てて体制を立て直す。

 その隙にフロアの奥へ歩いていってしまうねーさんへと手を伸ばすと、とんでもない速度でふりはらわれた。

「けっ蹴るよー!?」

「いやだから、なんで蹴られなきゃなんないの」

 いつものように返してから、やっぱりねーさんの顔が赤いままであることを確認する。

 背中を向けて歩いていくねーさんの背中を見ながら(あれ?)都合のよい仮説が頭をよぎった。

 そりゃ、さっき改札口で『フリ』をしていた時も顔を赤くしてはいたけれど、今は中身が僕であることを知っているわけで、それなのにやっぱり顔が赤いっていうのは、ねぇ?

 この顔のおかげか、はたまた練習の成果が効いているのか。

 それともスーツにメガネの相乗効果?

 ――――あぁもう、なんでもいいや。

 考えるのはひとまず止めにして、急いでねーさんのあとを追う。

 ねーさんがもしも僕の顔だけに反応していないのなら(……まぁ、きっかけは誰かさんゆずりの顔だとしても、だ)これを逃さない手はないってもんでしょ。男ならさ!



 ねぇ、ねーさん。

 少しは考えてみてくれないかな。

 たとえば、なんで僕が嫌いな顔をさらしてまでこんなことをしているのかとか。

 老け顔の友人がいるだなんて適当なことを言ってまでねーさんの『代役』を確保した、その理由とかさ?



 僕は早足で歩くねーさんに追い付いて、そっと後ろから囁きかける。

「遥」

「っ!」

 びくりと肩を震わせ声をあげようとするねーさんに最大級の笑顔で返して、そっと後ろを指さした。「あそこにいるの、さっきのお姉さんたちじゃない?」

「えっうそ」

 まぁ、もちろんウソなんだけど。

 ほんとほんとと嘯いて、そっと腕を差し出した。

「さぁ、行こうか。遥」

 顔か声かスーツかメガネか。

 見極めるためだと(なぜか)自分自身に言い訳しながら、僕は再び、3分間だけの社会人に変身した。

pixivより転載。

「3分間のボーイ・ミーツ・ガール」がテーマでした。

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