童顔と過去形と過去完了形
「僕の愛しのベビーフェイスッ!! 会いたかったよ~」
肥満体型アンドロイドが両腕を伸ばして美鶴に迫り、唇が妖艶に突き出される。
「いきなり気持ち悪いなッ!! せめて童顔って言ってくれ!! てか自分の娘にいう台詞だろッ」
「私ベビーフェイスじゃないよ」
「そっちじゃねー!!」
美鶴は心労に目頭を揉んで、嘆息した。ドッと疲れた。
「全く美鶴君はいつも無愛想だね。あ、少し待っててね。人間モードに切り替えるから」
キビキビとした足取りで研究室の奥に消えるアンドロイド。本物の人間であの体型なら、あそこまでの動きは再現出来ないだろう。すれば膝を痛めそうだった。
一分もせずに今度は長躯の男がやってきた。不清潔に伸ばされた茶髪、身長一八二センチの男。黒縁眼鏡の奥に人懐こい眸が覗いた。
彼が本物の羽城誠だ。
「いやー、ごめんごめん。アンドロイドで作業していたほうが眠くならなくて、仕事が捗るんだよね。肥満だったのは、ほら僕は身長があって痩せてる体型だから、ああいうのに憧れちゃって。どうすることも出来ないよね、僕の身長が高いことは」
「厭味か?」
美鶴は不機嫌そうに誠を見上げた。羨ましいほどの身長だった。出来れば五センチ譲ってもらいたいと思う。
「お父さん、長時間の精神転送は危険だよ」
由佳里が腕を前に組み、頬を膨らませてる。心配よりも怒り気味の様子だった。とりあえず怒っているのは分かるが、全く怖くもない。美鶴は逆に可愛らしさを感じてしまった。
「うぅ、ごめんね由佳里。気をつけるから機嫌を直して」
娘に弱い誠が力なくうな垂れた。
「許す」
由佳里が即答。早いなッ、と美鶴は心で突っ込みを入れた。
「誠さん、んじゃ美鶴をよろしく頼むぞ。儂と由佳里は少し見学でもしたいんじゃが」
「いいですよ、竹山さん。最近、技術革新がありまして、騎士の安全性が一歩前進する技術を発見しました。それと《鎌錐》のデスサイスをより軽量化して、性能を変えないものの試作品も造りましたよ。おーい、ペロッキー、二人に研究結果の説明してあげて」
ペロッキーと呼ばれた中肉中背の冴えない男性研究員が小走りでやってきた。その口端から棒付きキャンディーの白い柄が覗いている。あれは商名『ペロッキー』だ。
「二人に試作品の精神回帰システムとデスサイスを見せてあげてね。あとこの二人の要望には出来る限り答えてあげてよ。この僕の一人娘と恩人なんだから」
「あ、はいッ!! 分かりましたッ」
ビシッと敬礼するペロッキー。一つ気になることがあったために、美鶴は質問した。
「えーっと、ペロッキーさん?」
「はい、何でありますか?」
ビシッと敬礼。足も綺麗に揃えられたその姿は、どこぞの部隊の隊員かと思わせた。その顔が酷く冴えないことを除けばだ。
「えっと、今舐めている味は何ですか? パッと見、茶色く見えたんですが……」
「これでありますかッ、この味は『納豆チョコレートバニラクリームカスタード味』であります」
「そうですかわかりました……」
──宇宙人がここにいたぞ。前代未聞の大発見だ。
美鶴は無表情になって「へぇースゴそうですね」と言うだけにした。
「うんじゃ、美鶴君。向こうに行こっか」
誠の指示に素直に従って、研究施設の奥へと進む。熱く意見交換を交わす研究員の傍を通り過ぎ、陳列した名の知らない機材の間を縫っていく。そして誠の背中を追って、一つの小部屋に入った。まるで病室のような部屋。一つ違うのは白いベッドの代わりに転送装置が鎮座していたこと。
「それじゃあ、ベッドの上に腰かけてね」
「転送装置なッ」
美鶴が大人しくそこに座ると頭に脳波計を付けられた。広げられたA4サイズの端末に波線が表示され始める。
操者には定期的に脳神経の破損や障害がないかの診断が義務付けられている。
擬似脳への精神転送はある程度の安全が確立されてきているものの、長時間、長期間においての転送で不測の事態が起きないとは断言出来ないためだ。
また、転送には限界転送時間が定められている。人によって多少前後するが、一日六時間以内と決められている。
この診察自体はひどく簡単なもので三〇分程度で終わる。
「美鶴君が操者になってもう一〇年が経つんだよね。そして由佳里が君の補助者になって二年か」
誠が物思いに耽ったように翳りを浮かべた表情で、端末のディスプレイを眺める。
「そうだな。もう二年にもなるんだな」
美鶴も誠の纏った雰囲気が移ったように感慨深げな顔をした。膝の間で手を交差させる。
「僕は今でも君に感謝してるよ。君のおかげで僕は平和な日常を手に出来た。君が僕に対しての憎悪を報復という形にしないでいてくれたことには万謝してるし、これからも命一杯の技術提供もしていくつもりだよ」
「……あんたは相変わらずだよな。研究に没頭して、熱狂して好き放題やって、後から相手を心配する性分だ」
「返す言葉がないね……」
侘しそうに笑う誠。が、すぐに表情を一変させた。
「そう言えば、君の義腕を人工皮膚で覆い隠す考えはないの? 今の技術ならカーボンナノチューブの擬似神経が通ったものもあるし──」
「ない」
にべもなく美鶴は却下する。誠は「君も相変わらずだ」といって肩を竦めてみせた。
この義腕の設計者は誠だ。美鶴自身がこれを望んで頼み込んだ。
美鶴はこの義腕を見るたびに嫌でも過去を思い出している。首の傷は撫でる度にまるで焼けるような痛みを錯覚させる。
誠を含めたごく少数の人間しか知らない過去。由佳里はその過去を知らない。そしてこれまで一度もそのことを訊ねられた覚えはない。クラスメイトに至っても同じだ。
皆、知りたそうな顔をしていたが、さすがに右腕が丸々機械だ。その内容に怖れを抱くのも無理はないだろう。
美鶴は太腿の上に肘を載せ、頭を置いた。
──いつかは話したほうがいいんだろうな。けど、話せば由佳里は俺をどう思うかな。
美鶴は暫し、まどろみかけた。それを誠が妨害する形でふいに訊ねた。
「──由佳里には告白したのかい?」
「ごふぉッ」
美鶴はたまらず喉を詰まらせた。咽て空咳を繰り返す。
この男は唐突に何を言い出すのだろう。本人は臆面もなく、興味津々といった様子だ。
そういえばつい最近にも似たやり取りをした覚えが、あぁそうか瑠璃も同じようなことを訊ねてきたな。
「そろそろ進展があってもいい頃合じゃないかい。君が由佳里に気があるのは知ってるし、由佳里も君に好意を抱いてるだろう。何より二人はお似合いだ」
娘のいない所でよくもそんなことが言えたものだ。いや、いた場合は非常にまずいだろう。
美鶴は首を横に素早く振りながら、同時に顔の前で手を左右させた。
「……告白するつもりはねぇーよ」
「それはアレかい。自分の見た目にコンプレックスを抱いていて、由佳里と並ぶと姉と弟みたいな図になっちゃうことが嫌なのかい」
「茶々いれんなよッ」
「ごめん、ごめん。でも君は恐いんだろ? 想いを告げてフラれることよりも、由佳里に知られて怯えられることが。告白する前から、最悪場合のことを考えてしまって、竦んでしまうんだろ? 言葉に出来ないんだろ? 君が歩んできた道は茨の道だし、これからも似たようなもんかも知れない。だけど、怖れてばっかじゃ、いつか足元を掬われるよ。立つべき足場さえ失うかもしれないよ」
誠は一息もつけずに最後まで言い切ると、自嘲気味に嗤った。美鶴は滅多にない誠の雄弁に面食らった。核心を衝かれて、言葉を見失った。息苦しささえ覚えた。
「だけど……まだ俺は、由佳里に許されてねぇよ。あの日から変らないままだ」
美鶴は呟いた。視線の先で誠は悲しそうな顔をしたが、今度は何も言ってこなかった。
美鶴は視界を手で覆い隠し、目を閉じた。
「それじゃあ、同調率の検査を始めようか」
美鶴は転送装置に深く収まり、身体の力を抜いた。この検査では実際にアンドロイドを操りはせず、用意された擬似脳との同調のみを目的とする。
「転送開始、三、二、一」
次第に目蓋が重くのしかかってくる。美鶴は不快な無重力感を感じた。
操者はアンドロイドと視覚、聴覚、痛覚などを同調させることで、アンドロイドをまるで自分の身体のように感じている。
アンドロイドを通じた世界の鮮明さの度合いは、その同調率の高低で変わる。高ければ高いほど、より正確に世界を認識することが可能だ。同調率の高さもランカーの強さを左右する。
大概の操者は六〇から七〇%台だと言われ、優秀なランカーでも八〇%にやっと手が届く程度。九〇%の壁を越えることは非常に困難だと考えられている。いや、通常の人間にはその領域は不可能と言われていた。
だが人間は悲しきことに知能を持った生命体だった。
大崩壊直後、世界企業はアンドロイドを生み、世界の再生を目指した。大崩壊の直後は、日本の国土を徘徊するプレデターを抑えこみ、人間の可住区画の確保することが最優先され、アンドロイドが盛んに開発された。そして世界は完全自律型兵器に対抗しうる、より強い戦士を求め始めた。
替えの利く凡庸アンドロイドを常に強力に扱える存在のために、人類未踏の領域が目指されたのだ。
結果、壁を越えるための技術が生まれた。神の領域に足を踏み入れるための禁断の果実。だが、その頃企業間の関係に軋轢が生じ、研究プロジェクトは凍結された。研究は失敗したと情報が偽られ、多くの研究関係者は各企業に買収されたか、殺害された。
「本当にごめん」
誠はほとんど泣きそうに顔を歪めていた。情報端末に表示された数値は微動だにせず、止まったままにあった。
『同調率96%』
驚異的な数字がそこに表示されていた。
誠は電子カルテを開き、美鶴の診断表を開いた。診断当初から並ぶ90台の数列の最後尾に新たに96を足した。