ストーリーテラーの憂鬱
西徳大学付属高等学校の屋上で、小柄な人影が揺れていた。
ずんぐりとした体型には、ほとんど首のないような頭部が載せられ、ぎょろりとした目玉がそこにある。まるでカエルのような容姿の老人だ。
「なんじゃい。もう動き始めるのかのぉ。些か気が早すぎはせんか」
ウィッチマンはしかめ面をつくり、苦々しそうに歯軋りする。
握り締められた手には、各地で起きた戦闘の場所が地図で描かれている。
それらが示すのは、一つの可能性。
ヨルムガンドを名乗った者たちは各地に現れていた。彼らが襲ったのは、どこも簡単に知り得ない場所だった。ニーズヘッグの操者が精神転送している場所など、どうやったって知りようがない。内部の人間が情報を漏らすか、裏切りがない限り。
それに。ここも襲撃された。
表向きはとある高等学校だが、その敷地内には地下にボレアースの研究施設がある。
小規模ではあるが、騎士の開発などを行い、これまでボレアースの活動を支えてきた場所だ。もちろんその存在は極秘とされている。ゆえに多くのボレアース関連施設が閉鎖されたなか、これまで発見されずにいた。
それがどうだ。
ニーズヘッグはここの情報を握っていたらしい。そしてあのラパニールという男も。
いったい誰が。
ニーズヘッグの中にこちらの情報を握る人間がいたというのが最有力だろう。
まさかあの男が生きているなどという非現実的なことがあるはずがない。
あってはならない。
*
世界は壊れつつあった。日常は狂いつつあった。
もう修正することは出来ない。
「ひさしぶりじゃのぅ、マコト。それに懐かしい気配がするのぉ。そこの騎士の操者は、アインスか」
老体は見た目に不釣合いな甲高い声で喋ると、身体を折って笑う。その笑い声に腹の底が妙に冷える気がした。自然と身体が震える。
「まさかと思いましたが、あなたはプロフェッサーですか?」
流線的なフォルムの騎士がけたたましい金属音を響かせて動いた。装甲の大部分が損傷し、グロテスクなアートを成している。研究棟の壁に叩きつけられて中破されたオルカが、ペロッキーの苦痛を伝えた。痛みをかなり鮮明に伝えるオルカで、あれほどまでの損傷を受ければ普通は気を失うだろう。後遺症も出ることは必至だろう。操者が常人であればだが。
左腕を捥がれ、左脇腹を切り裂かれたオルカはまだ戦意を喪失していないらしい。全身を軋ませ、金属音を響かせながらオルカが立ち上がる。
「ペロッキーも彼を知ってるのかい?」
「はい。心当たりがあります。ニーズヘッグの開発主任、グレゴールという男。直接会うことはなかったですが、あの顔には覚えがあるです」
まさか、ニーズヘッグとは。
ますます嫌な予感しかしない。
「おぉ、そうか。アインスは記憶が残っておるのか」
意味深な言葉を発して、老人は笑う。さも面白そうな様子に、誠は得体の知れないものを見る心地がする。この男は人間をモルモット同然に扱うことを躊躇わない。それを当然のように平然とやるだろう。
実際、そんな光景を嫌というほど見た。
「ペロッキー、彼は人間じゃないよね」
「えぇ、二人ともアンドロイドであります」
誠は信じきれない現実に頭を押さえて苦笑した。矮躯の見た目、モノクルをかけた老人は、白い顎鬚を数十センチ程度に伸ばしている。猫背であるらしく、余計に背が小さく見えてしまう。どこから見ても、本物の人間そのものだ。生命の躍動を感じさえする。それが偽者。作り物だと到底信じられない。
老人の隣に並んだ大男は、ちっとも疲れた様子を見せず、退屈そうに現場を見回している。丸刈りの頭、筋骨隆々の体つき、太い眉と眉間の皺で厳格そうな顔つきをしている。ここに来てから彼は一度も言葉を発していない。誠が最凶と称したオルカと数分間の死闘を繰り広げ、無傷であることが非現実的すぎる。操者のペロッキーは、かつてニーズヘッグのNo.1だった男。序列二桁の強者なのだ。
そんな最強ペアが全く歯が立たない。
「カースベルト卿、一体なんのつもりですか? あなたは死んだはずだ。なのにこうして生きている。いや、身体を機械に変えて、完全な自分の複製をつくった。あなたは不老不死になって、神にでもなるつもりですか」
「あながち間違ってもおらんのぉ。我が目指すのは、完全なる存在になることじゃ。そのための計画じゃったからの」
「計画?」
「なにゆえ、我がボレアースを設立したと思う? なにゆえ、ニーズヘッグが現れたと思う? 誰がヨルムガンドの存在に気づいた? 全て我の計画通りだ」
カースベルトは薄気味悪い微笑を口元に浮かべて、目を細めた。
背中に脂汗が滲み出るのを誠は感じた。圧倒的な存在を前に、自分に何が出来るだろうか。まだこちらのカードを出す尽くすわけにはいかない。が、出した尽くしたところで勝機はあるのだろうか。
「全部、あなたが計画したことですか」
「ひょっひょっひょ、そうじゃのぅ。全て我が計画したことよ。ヨルムガンドという完全なる存在を完成させるための計画だ」
「ッ!?」
「九〇%以上の同調率を目指し、限りなく一〇〇%に近づけるために、我にはどうしても多くの実験結果が必要だった。そのためのボレアースとニーズヘッグよ。互いに敵対視すれば自然と研究は飛躍していく」
誠の頭の中でひとつずつパズルのピースが嵌っていく。徐々に形作られるものは、世界の終末の模様。自分たちはまるで誘導されていたらしい。引き返せない場所にまで来ていた。
「まさか、あの大崩壊もあなたが計画したなんて言わないでくださいよ」
「ひょっひょひょ、悪いのぅ。全ては我の計画通りと言ったじゃろ? 大崩壊によって我はマシナリーの戦闘データを採ることが出来た。大崩壊があったからこそ、我は新たにニーズヘッグという研究材料を手に入れられた」
「あなたは確かに死んだと、検査結果で確認されてた。いったい、どうやって──」
言いかけて、誠は口をつぐんだ。
どうやってだって。そんなの決まってる。目の前にいる存在が答えだ。
「あの時、既に。あなたは精神の器を入れ替えていたんですね。その機械の身体に」
「ひょひょ、そうじゃな。おかげで我はめでたく死人扱い。身分を改めて、ニーズヘッグの開発主任というポストに滑り込めた」
「ニーズヘッグもあなたが設立したとでも?」
「じゃなければ、あの組織も上手く操れんじゃろ?」
そう言って不敵に笑ってみせるカースベルト。
彼こそ災厄と呼ぶに相応しい存在だろう。人類はこの一人の男にとって、研究対象でしかない。彼に良心は備わっているのだろうか。
「あ、あなたはッ。人々の先頭に立って、機械による抑止に抵抗運動をしていたのに。全て、演技だったんですか」
プロジェクトラグナロク、機械による戦争根絶、平和維持行為。人間が干渉できない存在を生み出し、それを中立の者として人間の社会を監視させるもの。
それに対して、警告を発し続けたのが他でもないカースベルト卿だった。
機械による抑止によって、人間の発展は阻害されると言っていたはずだ。
全ての元凶はこの男だった。
脱力して倒れこみそうになるのを堪える。逃げ出したい恐怖心と必至に戦う。
恥ずかしくも彼と双璧と呼ばれた科学者の自分が逃げるわけにいかないだろう。誰よりも先頭に立たなければならない。
何よりも、この男の思い通りにさせるわけにはいかないのだ。
「さて、マコトは我が何故、かのようなことを計画したか腑に落ちないじゃろう」
納得どころか、全くもって理解できない。
カースベルトがここまで大それた計画を企てた理由に検討がつくわけがない。大崩壊すらまだ起きていなかったあの頃に、彼が何を思ったのか。
「──人間はいつか衰退する。ある日我は気づいた。人類は繁栄を続けてきたが、そう遠くない未来に劣化していくじゃろう。そして、消えゆく種族になる。世界中を巻き込んだ戦争かもしれぬし、疫病かも知れぬ。じゃが、人類は長らく繁栄を続けられぬ、とな。
なんとしてでも、それを回避せねばという使命感に我が追われたのもその頃じゃ」
退化しゆく文明の延命措置。
これから数百年の年月をかけて大成されるかもしれない研究の完成を早める。完全なる存在、不死身の肉体。
今の世界は、緩やかに滅びの道を歩んでいる。それを防がなければならない使命感。
全くもって、バカバカらしい。
繁栄と衰退が人類の歴史だ。
「あなたは狂ってる。永遠の命は、終わらない生は気を狂わせる。誰もが生きることに飽きる。あなたのしようとしていることは、結局、人類の衰退に繋がるんだ」
「そうかもしれぬ。じゃがな、少なくともこの文明を延命させることは出来るじゃろう」
カースベルトは無言で頷いて、連れの男に指示する。険しい顔つきの男は冷ややかな視線でオルカを一瞥すると、カースベルトの横に並んだ。
「我は二ヵ月後に日本を再び訪れよう。その時、そなたらには選択してもらう。不死身の者、臨界を超えた者となり永遠を生きるか、今すぐに死ぬかをな。既に各エリアの総裁に通達をしてあるでの。
それまでどれほどの人類が生き延びておるか、見物でもあるがの」
最後に意味深な言葉を吐いて、カースベルトは甲高い声で笑い始めた。同時に地面が上下に激しく揺れ始め、立っているのが困難になる。研究機材が床を転がる騒々しい音が鼓膜を揺らす。
誠は必死にカースベルトの姿を視線で追った。
ここで逃せば取り返しのつかないことになることは、簡単に予想できた。全世界が混乱の真っ只中に放り込まれることは必至だろう。
ここはいわば自分にとってのホームだ。施設内には迎撃用のシステムが幾重にも施してある。現状ではそのシステムの大半が故障しているが、残ったものでも足止めぐらいは出来る。
だが、誠の視線は突然天井を突き破って落下してきた影に遮られた。
ズズズズズズゥゥゥゥズズゥゥゥン。
低く轟く地鳴りが、砂埃を巻き上げる。突風が施設内を駆け抜け、倒れた機材を吹き飛ばす。
突如として出現したのは、銀色の体躯をした巨大な鷲だった。
「さらばじゃ、マコト。おぬしらの健闘を祈っておるからのぉ」
機械鷲の背中に飛び乗ったカースベルトが見下ろす。
目の前にいるのに。この手は彼には届かない。
世界を救えなかった。
機械鷲は銀色の翼を羽ばたかせ、その巨体を宙に浮かべた。砂塵が吹き荒れ、誠が咄嗟に閉じた目を開ける頃には、機械鷲の銀色も矮躯の老人の姿も見当たらなかった。
残されたのは破壊しつくされた研究施設の有り様と、大破したオルカ、この身に余るほどの絶望感だった。
絶望感に打ちひしがれた自分に発破をかけ、これから自分に出来ることを探しはじめた誠はさらなる絶望に言葉を失った。
世界各地で巨大マシナリーが暴走を始めているという情報が飛び込んできた。旧日本国内の各エリア内でも複数のマシナリーの暴走が確認されているという。多くがニーズヘッグやボレアースのシンボルマークが描かれているそうだ。
カースベルトならあれら機械に細工を施すことも造作ない。
マシナリーたちはほとんど無差別な攻撃を周囲に加えているらしく、多くのランカーがその破壊に向かっているようだ。
そして、各地で戦闘を行っていた警察の警備ロボにも次々と不具合が生じているらしい。同じように暴走を始めたり、動作しなくなったものが出ているとのことだ。
まるで大崩壊の再現。
かつて世界中を破壊しつくした機械たちによる蹂躙が再びなされようとしていた。
二ヶ月後にカースベルトは日本に戻ってくる。それまで自分たちは生き残れるだろうか。
今更になって、不安が大きく膨れ上がる。
ふいに白衣のポケットで震える音に気づく。慌てて携帯を取り出すと、表示される名前に救われる思いがした。通話ボタンを押して、携帯を耳に押し当てる。やがて聞こえてきた声は、泣いているようで震えた声だったが、娘である由佳里の声そのものだった。
絶対に守らなければならない。
折れかけた闘争心が立て直る。
あの男の思い描いたストーリー通りには、運ばせない。悪いが自分が書き換えさせてもらう。
どこか遠くで聞こえるサイレンの音が、けたたましく施設内に響き渡る。
突き破られた天井から見えた空は、燃えるように赤かった。