爆弾が爆ぜて世界は廻る
最近、書いたものを一気に削除することが多いです……。
五〇〇〇字くらい書いたのに、流れが変だから削除なんて茶飯事。
それで書き直したものが大差ないってなると、やるせないです。
では、どうぞ。
生暖かな風が夕暮れの街中を吹き抜けていく。暮れなずみ始めた空は茜色に染まっていた。頬を撫でる風は心地よく、長い前髪がなびいた。
「それじゃあ美鶴。儂らは七彩の許可証を出してもらいに行ってくるぞ」
文蔵のがさついた野太い声が美鶴の鼓膜を揺らした。その言葉に視線を落として、シルバーメタリックのミニバンの運転席側の窓から半身を乗り出した文蔵を見ると、
「あぁ、よろしく。オヤっさんも由佳里も気をつけてな」
「安心しろ。儂はいつでも安全運転を心がけとる」
「ねぇ、美鶴。今日はアパートで夕飯だからね。忘れないで準備しといてよ。帰ってきたら忘れてました、なんてことがないようにね」
後部座席の窓を開けて由佳里が念を押した。美鶴は苦笑するとともに左手を軽く上げて、由佳里の要望をのんだ。由佳里は満足そうに頷いた。ただでさえ人目を引く優美な顔立ちに浮かべられた笑みに、美鶴の鼓動が早鐘を打った。しかし、その横にまるで生きているような幼女よくて美少女が、シートベルトをして座っているのを見て唖然とした。どちらも美しい少女であるが、残念ながら片方はアンドロイドだ。呆れた様子の美鶴に対し、由佳里は愛おしげに隣に座る七彩の頭を撫でた。
「私も整備に精が出るよ。あ、美鶴。七彩は人工皮膚が使われてるんだけど、強化カーボンナノチューブが利用されてるから損傷しにくいって」
「へーそうなのか。まぁ、しないように努めるよ、傷つけたら由佳里に絞め殺されそうだしな」
「今、締めてあげよっか?」
「悪い、ごめん。冗談だってッ」
笑顔で言う由佳里に戦慄が走って、美鶴は思わず数歩後ろに後ずさった。ふいにどこからか着信音が聞こえ、同時に文蔵が慌ただしく動いた。取り出した携帯を耳に当てた文蔵は最初のうちは困惑した顔をしていたが、次第にその表情は暗く翳り始めた。なにやら不穏な気配を感じ取ったものの、電話を切った文蔵が何食わぬ顔を装ったのを見て、これは触れてはいけない話題だと悟った。文蔵は当然何も口にはせず、由佳里を乗せたバンを発車させた。残された美鶴は一度その場で伸びをすると、今晩の夕飯について考えを巡らしながらボロアパートの階段を上がった。
彼らがこれから向かおうとするのは、国際ランカー管理機構のエリア2支部だった。そこに新たな美鶴専用の騎士である《七彩》を持ち込んで、所有許可証を発行してもらうのだ。それを怠った場合、最悪ランカーとしての資格を失う。だが、ボレアースなどのランカーが資格を剥奪されたところで活動を継続できたあたり、さして意味がないといえなくもなかった。表の仕事をしない者の多くは、日頃から非合法な依頼などを行っているために、資格は足枷になるともいえた。
朱色のドアを開けて部屋に上がり込む。部屋の中よりも外の方が暖かく感じ、美鶴は名残惜しそうにドアを閉めた。台所に向かうと、そこに置かれたこぢんまりとした冷蔵庫を開けて中身を物色する。一目で今日の夕飯のおかずが決定した、野菜炒めだ。明日からの食事をどうするかと本気で悩みながら冷蔵庫を後にすると、居間に置かれたテレビの電源を入れた。美鶴の眸に映し出されたニュースは緊急速報を伝えていた。その内容に思わず愕然とし、悪寒がして身震いした。
『現在、世界各地で同時刻に爆発があり、警察関係者および民間人に死傷者が出ています。騎士の大破も相次ぎ、警察だけでなくランカーにも被害が甚大となっています。エリア2では工業区においては、今朝起こった銀行強盗の犯人らを追っていた警察およびランカーが爆発に巻き込まれました。現在、その被害の規模は調査中だということです。警察本部は一連の事件をテロの可能性があるとして、注意を呼びかけています』
自分も下手すれば爆発に巻き込まれていたのかもしれないと思うと、背筋が凍る思いだった。美鶴はテレビからニュースを流したままにして、台所に戻った。冷蔵庫から僅かな食材を取り出すと、料理の準備を始める。途中で時計を見れば、時刻は午後六時三五分を示していた。
フライパンを火にかけ、刻んだ豚肉を炒め始めた頃に部屋のドアが開けられた。
「帰ったぞ、おい飯にするぞ。ほれ、いい酒が手に入った」
上機嫌な文蔵は片手で日本酒1斗瓶を掲げていた。見たこともない銘柄だったが、とりあえず高級そうだった。文蔵の後ろに由佳里が続き、そこで美鶴は思い至る。
「とりあえず未成年に酒を勧めんなッ。それと七彩はどうしたんだよ」
美鶴の言葉に文蔵はさも当然だと言いたげに胸を張って、
「バンの後部座席で寝ておるから、起こすのも可哀想だと思ってな。仕方ないから日本酒だけ持ってきた」
「さすがに私じゃ運べないから、可哀想だけど置いてきた」
文蔵と由佳里が言いたいことは結局のところ、バンにあるということだった。由佳里の言い分は納得出来るが、文蔵の場合は無理がある。いい訳にしか聞こえなかった。
「酒のツマミはないからな。自分の部屋からもってこいよ。由佳里、あとで手伝ってくれ」
運ぶのは食事の後で構わないだろうが、酔いが回った文蔵に手伝わせるのは危険だと判断。結局自分でやるしかないのか、と美鶴は料理の手を止めて嘆息した。幸いなことは七彩の重量が軽いことだろう。あの錆び付いた階段を踏み抜くことはないはずだ。
「あ、今晩は野菜炒めなんだ。別に私の好みに合わせなくてもいいのに」
由佳里が嬉しそうな顔で美鶴の肩越しに、フライパンの中を覗き込んだ。まさか残っていた食材で作れるものがこれだけだったとは言えない。美鶴は乾いた笑いであいまいに返事を返した。
夕飯を食べ終えた美鶴たちは未だにニュースで流れる、爆破事件の動向を心配していた。美鶴と由佳里で運んだ七彩は現在、鎌錐が本来あった場所に天井から下がったケーブルと連結されている。まるで生きているような精巧な造りは、何度見ても驚愕させられる。唐突に文蔵が重々しく口を開き、美鶴の注意を引き付けた。
「この爆破事件はどうも計画的な犯行だったらしいな、小埜崎から連絡があった。銀行強盗犯は、盗んだATMを爆弾が仕掛けられた場所に置いていたらしい。あの作業用アンドロイドが国道を逃走していたのは、警察やランカーを引き寄せるためだったらしい」
ぽつりぽつりと語りだした文蔵の話の内容は、美鶴に戦慄を走らせた。それでは犯人は、金よりも警察やランカーのほうを目的としていたようなものではないのか。それもニュースによれば、世界規模で同じような事件が発生している。何か大きな陰謀のようなものを感じ、美鶴は背筋がゾクリと震えた。
「コトはこの爆破事件だけでは済まぬかもしれん。明日は日曜か……二人とも、出来れば外出は控えておけ。最低でも今週一週間は警戒しておいたほうがいいだろ。犯行組織があるならば声明があるかもしれんからな」
そう注意を促す文蔵は、犯人についての確証があるようだった。その眼差しは鋭く、まだ姿を見せぬ敵を睨んでいるかのようだった。部屋に重々しい沈黙が訪れて、美鶴は耐え切れずに口を開いた。
「分かったよ。オヤっさんが由佳里と出かける前に受けた電話はその話だったんだろ? 別に俺は明日とか用事はないしな。由佳里は?」
「私も特に用はないからマンションで暇してるかな。何か外にいると恐そうだしね」
そう返事を返す由佳里の表情はどこか怯えた様子で、強がって浮かべた笑みも弱弱しく見えた。だからこそ、守ってやりたいと思う。
「あッ」
時計を見た由佳里が突然、頓狂な声を上げた。何事かと思って美鶴も時計を確認すれば、時刻は午後八時を回ったところだった。そろそろ帰宅した方がいいだろう。腰を上げると由佳里に声をかける。
「そろそろ帰ったほうがいいんじゃね? 俺がマンションまで送るよ。オヤっさんに飲酒運転をさせるわけにはいかないしな」
「うん、そうしよっかな。それじゃあ、よろしくね」
美鶴の言葉に同意した由佳里は立ち上がると、着ていた作業服の裾をはたいた。由佳里はその上にもっていた黒のコートを羽織って身支度を済ますと、最後に七彩の頭を撫でて玄関の方へと向かう。その後を追おうとした美鶴を文蔵の声が引きとめた。
「──お前さんには言っとく。今回の事件には、邪龍が関わっとるかもしれん。学校が始まったら、放課後はなるべく由佳里と一緒にいろ……気をつけとけ……美鶴」
邪龍という言葉に度肝を抜かれて振り返った。が、美鶴の眸に映し出されたのはいびきをかき始めた文蔵の寝顔だった。とうとう酒で酔い潰れたらしい。そんな文蔵に苦笑したが、告げられた言葉が重く心にのしかかっていた。
邪龍──ニーズヘッグ。化学兵器を好んで用いた集団だった。彼らが出現した後には、必ずと言っていいほど人が死んだ。対人に特化された彼らの兵器は、存在すら赦されないシロモノであった。彼らとボレアースが戦闘行為に及んだことはなかったものの、その悪名はよく耳にした。しかし、ニーズヘッグの活動期間は短かった。理由は彼らが人類にとって危険視され、蛇狩りの風潮を強めたためだった。
もし文蔵の言葉が真実であるならば、この事件はこのまま終わりはしないのだろう。彼らがボレアースと同様、未だに存在しているならば、死傷者の数はこれからさらに増加するだろう。物思いに耽り始めた美鶴の意識を呼び戻したのは由佳里の声だった。急かすようなその声に慌てて玄関に向かう。案の定、頬を膨らませた由佳里が美鶴が来ることを待っていた。
美鶴は一抹の不安を抱きながら、星が光る夜空の下へと飛び出した。
その日の翌日。犯行グループからの声明が発表されることはなく、警察による現場検証が続けられ、エリア内での警備の強化が図られていた。駆け足に巡る日常の中、美鶴は文蔵に釘を刺された通りに、アパートに篭って一日を過ごしていた。いや、過ごすしかなかったのだ。朝食を終えた頃から頭痛が止まなくなり、吐気さえ催す疼きに何も出来なくなった。とうとうしまいには、視界に映るモノが常に蠢き、色褪せて見えるまでに至った。動作に関しても思考と手足の動きが一致しないような違和感を覚え、生身の肉体であるにも関わらずラグが生じているようだった。
美鶴はこんな時期に自身を追い詰め始めた現実に憤りを感じた。今のままでは由佳里を守れない。彼女との日常が壊れてしまう、焦る気持ちは時間とともに大きくなった。
願わくば、もう少しだけ由佳里の隣にいさせてほしい。それが三ノ瀬美鶴の願いだった。
この日は結局、何もする気力が湧かないままに美鶴は眠りにつこうとした。そして布団に潜り込んでも頭の中を巡るのは、例の少年の姿であった。綺麗に剃られた頭髪、少女のような小顔、着ていたのは黄緑色の患者服。その姿は美鶴の脳がかってに作り出した幻であり、実体をもっていたわけではない。けれども、あの少年は確かに存在するのだ。三ノ瀬美鶴本来の記憶野に形成された人格として。次第に重くなる目蓋に抵抗することなく目を閉じる。
文蔵は組合の委員会に出席したために、その眠りが妨げられることはなかった。日が沈む頃には頭に響く疼痛が引き、美鶴は死んだように眠りに耽った。
その夜、夢に出てきた少年が寂しげな笑みを浮かべて、
「時間がナイ。ゴメンな、ミツル」
消え入りそうな声で言うのが印象的だった。
美鶴の頬を伝った雫は布団を濡らして、誰にも気付かず乾いた。
どこからともなく響いた鈴の音は美鶴を深い眠りへと誘った。
昔々、二人の少年がいました。
一人はとても人見知りで
一人はとても寂しがりでした。
一人はとても乱暴で
一人はとても優しかった。
一人は女性を愛し
一人は少女を愛しました。
一人は大勢の血の中で笑い
一人は大勢の血の中で泣きました。
一人は愛する人を殺し
一人は男の命を守りました。
一人は消えて
一人は残りました。
二人は二つで一つの人間でした。