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イロナキシ-Discolored death-  作者: あきの梅雨
凄惨な日常に花束を
56/66

追憶と終焉への片道便

 戦闘は次回に持越しです。

 

────転がり始めたら止まれない。賽は投げられた。




 誠は美鶴たちが帰った後、柴川重工の特別研究・開発棟にある診察室に戻ると再び美鶴の電子カルテを開いた。





 三ノ瀬美鶴診断カルテ

                    担当医 羽城誠


・強化薬『グノーシス』による体内汚染率二五.一%

・体内汚染率前回の診断時より〇.二%減少

・ニューロチップに対する拒絶反応が顕著

・元の人格の存在が認められる






 誠はオフィスチェアに深く座り込むと、目頭を押さえて呻き声を上げた。美鶴の状況の悲惨さは想像以上だった。すでに手の施しようがないほどに、症状は悪化の一途を辿っている。いつ最期が来ても不思議じゃないほどに、美鶴の状態は危険だった。

 投薬による汚染率の低下にも遅れが生じ、拒絶反応までも併発。誠は自分自身の罪の大きさに打ちひしがれた。眸を閉じた目蓋の裏に、かつての思い出が映し出される。それは美鶴がボレアースのメンバーとなってまもない頃。アギトが生まれた頃の記憶。




博士ドクトール。彼に何をしたんだい? ボクの眼が曇っていなければ、彼は解離性同一性障害の症状が現れているように見える。数日前にはまるで他人との交流を持とうとしなかったのが嘘のように、今は人と積極的に話をする姿が見られるよ。けれど、そう。時折、かつてのように他人を寄せ付けない、抜き身の刀身のような鋭さに戻るんだ。これは大丈夫なのかい?」


 誠は薄目を開けて、作業台の上に腰かける女性を見上げた。くすんだ灰色の白衣は誠と同じ研究員である証拠。短めに切られたボブヘアーの髪には一部透明な白髪が生えている。それはまるで白髪の白さえも脱色されたように透き通った色をしていた。ボレアースが開発した強化薬グノーシスを投薬した副作用であった。人によって程度は変わるが、大概は身体の色素の一部が抜け落ちる。最も酷かったのはオステオであろう。彼は頭髪だけでなく皮膚の色までも色が抜け、不健康な白に染まっている。それと比較されれば、目の前の女性は軽症だと言えた。


「少し違うかな、グロッサ。確かに、新たに出来た人格は僕が施した手術によるものだよ。けど埋め込んだ特製のチップで構築した新たな記憶野を基に、完全な別の人格として存在してる。名はアギトを名乗るように指示をしたんだけど、どうやら二人で取替えっこでもしたみたいだね」

「そういうことを聞きたいんじゃないよ。ボクが言いたいのは、本部に報告をしたのかってこと。同僚としての忠告だよ」


 グロッサは作業台から降りると、白衣のポケットに両手を突っ込んで誠を見下ろした。誠は申し訳なさそうにうつむいて、


「これは僕の独断だから出来れば黙認してもらいたいんだけどね。彼に施した処置は、いわゆる保険なんだ」


「保険? 何を考えてるんだい、ドクトール」

「いや、ただ単に上層部の意向に同意出来ないってだけのことだよ。確かに美鶴君は手術をする前から八〇%の同調率を達成していたけど、彼をあのまま執行者にするのには気が引けただけの話。まるでロボットの兵士みたいに思えてね」


 誠は自分で言った例えがあまりに的を得ている様子に、自嘲気味の笑みを浮かべた。頬杖をつくと、未だに納得出来ないといった顔をしたグロッサに言葉を続けた。


「このことはウィッチマンには話してあるから。でも、彼はこころよく賛成してくれたよ」


 誠が発したこの言葉はグロッサの意思を揺るがせるのに足りたものだった。ウィッチマンは誠に引けをとらない天才科学者として、多くのボレアース関係者から信頼を寄せられていた。そんな彼が同意したのならば、グロッサも無碍むげに否定する訳にはいかなかった。

 しかし、誠の言葉を疑いもしなかったのは、グロッサ自身が誠の真面目で誠実な性格を把握していた所以だった。そういう意味では、彼女もまた誠を信頼していたのだろう。


「分かったよ、ドクトール。ボクも、全面的とはいかないけど、了承することにしたよ。とりあえずアギトの件は本部には報告せずってことでいいんだね」

「お願いするよ」


 グロッサは頷くと白衣を翻し、カツカツと硬質な音を後に続けて部屋を出て行った。誠は、「はぁぁぁぁぁぁ……」と盛大に溜息をついて急に脱力した。ぐったりと椅子の背もたれに身を預け、たった今グロッサが出て行った扉を見遣った。


「一時はどうなるかと思ったよ。いやー良かった。彼女、機嫌が悪いとスゴく恐いんだ」


 誠は椅子を回しながら、重たげな目蓋を下ろす。

 誠の目元の青痣が寝不足であることを如実に知らしめていた。ボレアースが誇る天才は酷く多忙であったのだ。


「アギトに対する拒絶反応はないし……もん……だいないかな……。あぁ、アギトじゃ……なくて……美鶴だったな……」


 誠は再び、浅い眠りに落ちた。





「どうか美鶴君、無理はしないでくれ」


 そう懇願する誠のもとに駆け足で近づく足音が聞こえてきた。誠はそれを聞いただけで、相手が誰なのか理解していた。


「どうぞ、ペロッキー」

「失礼するでありますッ」


 どこぞの部隊の隊員なのかといった口調で、冴えない見た目の研究者ペロッキーがドアを開けた。その表情はどこか後ろめたさを残している。何事かと訊ねようとした誠より先にペロッキーが切り出した。


「つい先ほど緊急連絡を受けたのでありますが、現在首都圏の主要道路で銀行犯が逃走中であるとのことです。心配なのであります。先ほど帰った皆さんはこのままでは、国道に向かってしまうかもしれないです」

「んなッ……。何をやってるんだペロッキーッ!! 早くみんなに連絡をしてッ」


 色をなくした誠はがらにもなく、大声を上げた。ペロッキーはますます申し訳なさそうに身を小さくした。


「そう考えたんですが、どうもジャミングとはいかないまでも、電波に障害が発生してるみたいで。三人の携帯のどれにも連絡がつかないです。ここに連絡がきたのも、有線によるものでしたし」


 ペロッキーの言葉に手で顔を覆った誠は椅子に沈んだ。


──どうか、何事もないように。どうか、神様。


 誠は神の存在など信じてはいなかった。だが、どうやら人間とは自分ではどうしようもなくなった時は、そんな存在にすがるらしい。誠は一人、無事を祈った。



 ◆◇◆◇◆◇◆



 昼時にもかかわらず、車の通りが完全にない道路を一台のシルバーメタリックのミニバンが走行していた。周囲の歩道には人の流れがあるものの、車の影は一つもない。

 バンの後部座席で美鶴は空腹を訴え始めた腹に手をのせ、外の景色を眺めていた。今頃は西徳大学付属高等学校で、卒業式が終わる辺りだろうか。そんなことを思っていれば、隣で由佳里の嬌声きょうせいが鼓膜を揺らした。


「うわぁ~、可愛いなぁ。なんかもう、これだけで一つの芸術だよね」


 由佳里が座席の後ろをかえりみながら、とても満足そうな顔をしている。美鶴は由佳里の視線を集める正体を見て、嘆息した。

 座席の後ろで横にされた美しい少女の形をした騎士。その様子はまるで眠っているかのようで、今すぐにでも目を開けそうな生命感がある。金髪と茜色の戦闘装束で非常に艶やかとして映えている。美鶴は自分は幼女に縁があるような気がしてしかたがなかった。数日前の先輩といい、この七彩ななせという名の騎士だ。


「由佳里はご機嫌だよな。俺の気苦労を知ってほしいよ」


 と、美鶴は眉をつりあげて、視線の先にあるものを睨んだ。七彩がはいているモノはスカートか。


「なぁ、由佳里。何で七彩がスカートをはいてるか知ってるか?」

「私がはかせたからだよ。でも安心して、ちゃんとスパッツもはいてるから」


 由佳里はさも当然のように腰に手を当てて言った。その様子が何故か得意げなのに、美鶴は辟易した。がっくりと肩を落として、座席に深く沈む。


「何故……」

「だって、副兵装が踵とか肱から刃が出るんだよ。ビュン、って出てきたら、ズボンをはいてたら破けちゃうんだよ?」


 由佳里の言葉には一理ある、と納得したが、由佳里が素直にそう考えたとは思わなかった。訝しげな視線を由佳里に投げかけて、


「確かにな。スカートの方が服が破けなくて済むんだろうけど、由佳里は単に可愛く見せたいだけだろ?」

「んなッ……。べ、別にそういうわけじゃないよ。確かにちょっと可愛くおめかししてあげたいかなぁー、とか思ったけど。第一は美鶴が戦いやすくするためで」


 慌てて弁明する由佳里の挙動に堪えきれずに腹を揺すった。由佳里はむすっと頬を膨らませて、美鶴の脇腹をくすぐった。


「あはは、あは、ちょ、ちょっとタンマッ。由佳里ッ、待って。タイム、プリーズストップッ!!」


 疲れきった顔を浮かべた美鶴は腹を抱えてうずくまり、由佳里はそれを満足げに見下ろした。美鶴は新たに由佳里に弱味を握られたことに、敗北感を味わっていた。

 笑いが落ち着いたあたりで恐る恐る面を上げた。由佳里がそんな美鶴を見て微笑む。いつもと変わらない平和な日常だと、美鶴は思った。隣には彼女である由佳里の姿。変わってはいけない日常。守りたい小さなユートピアだと思えた。


「なぁ、由佳里」

──俺がいて、幸せですか? いなくなれば泣くのですか? 忘れないでくれますか?


 まるで自分は消えそうじゃないかと思い、美鶴は咄嗟に口を塞いだ。口に出せば、現実になりそうで恐かった。

 由佳里は不思議そうに首を傾げ、「何? 美鶴」と訊ねてくる。慌てて何か気の利いたセリフを考えつこうとした。そんな美鶴の思考を制す形で、文蔵が悪態をついた。


「くっそ、なんじゃ。大事故でも起こったんだろうか。おうおうおう、バリケードで道が塞がっとる。奥には何台もパトカーが止まっとるな」


 その言葉で運転席の脇から顔を覗かせて前方を見れば、確かに国道を封鎖するような形でパトカーとバリケードが道を塞いでいる。これは一体何事か。


「オヤっさん、組合とかから連絡は着てないのか?」

「はて、一件も着とらんな」


 文蔵は携帯を取り出して、そのディスプレイを見入る。


「それどころか、街中にいるにも関わらず、圏外表示なのはどうゆうことだ?」


 美鶴も自身のスマホを取り出してみて理解した。文蔵と同じく圏外であることを示している。どうやら由佳里も同じであるらしく、隣で驚愕の声を上げた。


「どうする? 道が通れないなら、どっか別の道で遠回りする?」


 美鶴は文蔵に訊ねて、再度前方を見遣った。ふいに、視界に映ったものに戦慄が走った。バリケードやパトカーの向こうで黒煙が上がっていたのだ。火事か、そう考えたが、新たに視界に映りこんだ機影がそれを否定した。

 恐ろしく巨大な機影であった。軽く一〇メートルはありそうな体躯。右腕部分には特大の掘削くっさく用ドリルが装備され、身体の上に載せられた頭部は表情がなく酷くのっぺりとしている。

 作業用アンドロイド────かつて隔離壁の建造や可住地域の形成のために活躍した旧型ロボットだ。現在いまとなっては、工事中の事故が多発したために使用が控えられている。しかし、美鶴たちの前に姿を現したのは、大型の重機であるドリルを装備されたタイプであった。主にトンネルの掘削を目的としたソレは、使用が厳格に法律で禁じられたものだ。理由は重機が騎士の武装への転用が出来たためだった。本来、岩石などを削るそれらは、場合には騎士よりも危険となりうる。つまりはあまりに威力過剰なのだ。


「くそ、こっちに来るのかよ」


 作業用アンドロイド、その見た目から美鶴はドリル男と決めたが、その進路方向が美鶴たちと重なっていることは明白であった。このままではぶつかる。美鶴は左手首にはめられたブレスレットを見た。クロムメッキで輝くそれは誠が以前、美鶴に造ったオーバーダイブシステムの安全装置である。


──いけるか?


 自問自答して、その答えを出すことを渋った。この装置を渡された時に誠から言われた言葉を思い出す。今の段階で50%の成功率。二分の一の確率で肉体に精神が戻れなくなる。これはあまりに危険すぎる行為であろう。

 そんな美鶴の心の内を理解したのか、由佳里が心配そうな視線を送って首を横に振った。文蔵がそれに同調する。


「美鶴、馬鹿なことを考えとるならやめておけ。警察がこれほど出てきとるんだ。なんとかしてくれるだろ」


 運転席から振り返った文蔵は、こんな状況でも落ち着いたように見える。同意しようとして、美鶴は表情を凍らせた。美鶴の様子に異変を感じた文蔵が振り返って、今度こそ慌てた素振りになる。由佳里は美鶴にしがみ付いて、小刻みに身体を震わせた。

 三人の視線の先では、丁度パトカーが二台爆発炎上したところだった。ドンッ、という爆音がバンを叩き、視界を赤々と染める。バリケードが無残に吹き飛ばされ、多くの警官が仰向けに倒れた。警察専用の騎士が必死に応戦しているが、ドリル男は右腕で払うのみで包囲網を瓦解させる。圧倒的な力の差が両者にあった。加減を知らない旧式の機械は、現代において最悪の兵器と化していた。


「オヤっさん、これで引けなくなったな。俺の身体に異変がないか見ててくれ」

「死ぬなよ」

「おいおい、物騒だって。安心して待ってくれよな」


 美鶴はやんわりと文蔵の鋭い視線をいなした。そうして未だにしがみついたままの由佳里の頭を撫でた。サラサラとした手触りの良い髪が美鶴の左手に合わせて流れる。


「由佳里、ちょっと行って来るよ。サポートをよろしく」

「……絶対に帰ってきてよね」


 その言葉が今の自分には何よりもチカラとなる。大きく頷くと由佳里は美鶴を解放した。美鶴は後ろで横たわった騎士を凝視する。ちりちりと焼けつく痛みを感じた。隣で由佳里が美鶴の眸の色が琥珀色へと変貌したのを見て、目を瞠る。




──どうか、無事に戻れますように。




 そんな願いを残し、美鶴の意識は飛翔した。

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