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イロナキシ-Discolored death-  作者: あきの梅雨
廃墟で人は神になった
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代われない日常と一杯の牛乳

 化石燃料って偉大です。

 ないと物語に迫力がなくなりそうなので、とりあえず一般家庭にも普及している設定で。

 美鶴は湯船にかり、その半無重力間、暖かさに身を投げ出した。立ち昇る湯煙を目で追って、息で吹き消した。

 美鶴の身体は、由佳里を送って帰ってくる頃にはすっかり冷えていた。まだ暦の上では秋は始まったばかりであるだろうに、凍てつく冷気が夜に蔓延はびこっていた。美鶴は顔を半分沈めて、あぶくを水面に作る。ブクブクブクブク……、と出来ては弾け、淡く消える水泡。


「……ぷっはッ」


 美鶴は苦しくなって慌てて酸素を求めた。浴槽の縁に頭を預け、上を見上げる。

 美鶴にはもはや生きた肉親は存在していない、親戚も然り。父親と母親はともに大崩壊の時に亡くした。

 このアパートには中学生時代から一人暮らしを始めている。両親の形見と言えるものは残されておらず、もはや親の顔を思い出すことはほとんど出来ない状況だった。最も古い記憶を探ったところで浮かび上がるのは、不鮮明な顔で笑う白い女性の姿。それは母親の姿ではないのだった。それどころか八歳、つまりは操者となった年以前の記憶が皆無だった。幼少期の記憶など忘れやすいものだ、というレベルではなく。想像すら湧かない程度に。


「っく」


 一瞬、美鶴の脳裏を幼き少年の顔がぎった。その顔もまた塗り潰されたかのように不鮮明であったが、その少年の姿は記憶を探るたびに美鶴の頭を掠めていくのだった。


 自分は本当にこのままでいいのか、解決法があったのではないか、答えの見つからない自問自答を繰り返したところで答えなど出はしない。美鶴は次第に息苦しさを覚えて湯船から立ち上がると、浴槽から出た。

 刹那、目の前が暗転し、直立出来なくなる。立ち眩んだと思ったときには手を壁について座り込んでいた。


「長湯しすぎたかな……」


 顔を上げて鏡に映る自身を見た。そこに映されていたのは、目を背けたくなるような事実だった。

 右肩関節から先にある皮膚を持たない腕、ひどく金属質な見た目である。光沢を放つそれはパンドラ製の義腕であった。肉体部と擬似神経で接続され、機械的な見た目を除けば自然な動きをしてみせる。おかげでこれまで日常生活を送ることに支障が出たことはない。利き手は左手であるため、義腕が造られるまでの期間に困ることは少なかったが。

 人工皮膚でその表面を覆うことを考えたこともあったが、人工皮膚に嫌悪感を抱いて遠慮した。視線をずらせばこれとは別に目を引く傷跡が存在する。

 丁度首の後ろ辺りになるだろうか。まるで張り付いた何かを無理やり引き剥がしたような、横長の蚯蚓腫みみずばれのようになっている。

 これらはほぼ同時期に美鶴自身の身体に出来たものだ。

 振り返りたくない過去。血の赤で染まりきった過去。


 美鶴は鏡に息を吐いて白く濁らすと、踵を返して風呂場から出た。扉を開けた途端に部屋の冷気が肌を撫で、湯船で上気した身体には心地よかった。脱衣所に用意しておいたバスタオルで湿気を除くと、タオルを腰に巻いた状態で部屋の冷蔵庫へと向かう。

 こぢんまりとした冷蔵庫の扉を開けると、中から一リットルの牛乳パック、商名『骨太ッスーパー』を取り出した。コップに注ぎ、腰に手を置いて一気に飲み干す。

 美鶴は見た目に、とりわけ可愛いといわれることにコンプレックスを抱いているため、無性に身長が欲しかった。残念ながら今年の成長率は去年と比較して+0.2センチ。


 ほぼ大差がない。やや成長に歯止めがかかってきたようで焦る。美鶴としては身長一七〇は最低でも欲しいところだった。

 あと僅か五センチ。切望すれば人間いつか叶えられるだろう、と期待を抱いて冷蔵庫を後にする。

 タンスから引っ張り出した上下紺の長袖ジャージに包み、五臓六腑に染み渡る牛乳の後味を口内に残したまま、日に焼けた畳の上に布団を敷き始めた。転送装置の隣に吊るされたように安置された騎士《鎌錐》の前に畳んだ布団を広げる。

 毛布と枕をその上に放った。そして思う。


「やっぱり狭い」


 美鶴は電動歯ブラシを左手に洗面台へ直行する。鏡とにらめっこを続けながら、小刻みな振動で歯を磨き上げる。口に含んだ水は驚くほど冷たかった。

 布団の上に戻ると電灯の紐を二度三度下に引っ張って、段階的に電気を暗くした。これが馴れきった美鶴の日常だった。

 明かりを完全に消した部屋。美鶴は布団に潜り込んで眠る努力をしようと目蓋を下ろす。一日の最後に決まって思うのは、明日の学校を休みたいということだった。






「ふぁぁぁぁぁ……」


 朝の日差しが締め切ったカーテンの隙間から帯状の光を射し込ませる。窓の外では雀がけたたましく朝の挨拶を交わしていた。

 時計を見れば午前六時四五分。この起きる時間がほとんど美鶴の習慣となっている。やんごとなき理由があったために致し方がなかったとも言えた。


──学校かぁ、めんどいなぁ。嫌だな。


 布団の中を転がって起きることを渋ったが、諦めて半眼の眠たげな顔で洗面台に向かう。取り付けられた鏡を覗き込み、嘆きながら顔を洗った。


「一日じゃ顔立ちは変わらねぇよな」


 何度見直しても、何度洗顔したところでも変化しない自身の顔を諦めて、美鶴は二人分の朝食の準備を始める。これは中学生時代からの美鶴の日課であった。

 簡単にスクランブルエッグとパンの朝食辺りで構わないだろう、と勝手に見当をつけて手早く作業を進める。フライパンを火に掛け、卵を溶きだすとドアが開けられた。


「おはようさん。美鶴、依頼完了通知と序列上進通知も来とったぞ」


 大家でもある文蔵が部屋に上がり込んで来た。いつ見てもいかついエラの張った顔は歯を鳴らしていた。外はやはり寒いのだろう。文蔵は毎朝、美鶴の部屋で食事を共にしている。毎朝どころか、毎晩となりつつあることに美鶴は諦めに似た感情を強くしている。

 中学生時代から文蔵に料理を鍛えられた美鶴のレパートリーはかなりの数に上った。そのおかげで今の日課となった。美鶴の腕前は他人に誇れる領域へと達していた。


「あっそうなん。それで今、俺の順位は幾つになったんだ?」


 美鶴はさして興味のないように訊ねた。

 視線は手元のフライパンに向けられたままだった。文蔵の重々しい溜息が鼓膜を揺らした。


「前回より三上がって、六千四百二番だ。一つ言っておく。今月だけでもう一〇件も依頼をこなしておるぞ。六千番台でこの数は驚異的としか言えん。あまり熱心にやっていると死ぬぞ!!」


 文蔵は手に持っていた封筒と新聞を卓袱台の上に叩きつけた。バンッ、と音響が部屋中を振動させ、美鶴の神経に障った。が、そうなった理由が自分にあるために、逆に申し訳ない思いになる。


「分かってる。分かってるさ。それでもこれは俺の使命でもあるんだ」


 半ば自分自身に言い聞かせるようにして言った。文蔵は美鶴の言葉で苦虫を噛んだ顔になると、目頭を揉んで腰を下ろした。

 ランカー制度。操者アヴィアターと騎士の二つを一つの評価対象、つまりはランカーとした序列制度。

 国際ランカー管理機構が規定、管理している評価方法だ。各操者には許可証ライセンスが配布されている。企業間の抗争を目的に生まれた騎士を管理し、公正な存在にするために作られた制度だった。

 その評価基準は各国共通であり、その数字自体がそのランカーの相対的な強さの基準となっている。実際のところは、一概に各ランカーの実力を順位からは推し量れないのだが。

 嘆かわしいことに、この制度が出来た当初、高順位ランカーを目指してランカー同士の抗争が勃発した。それに企業も介入し、収拾のつかない事態に陥った。

 何故こうしたことになったのか。序列が高ければ高いほど高額報酬の依頼が舞い込むためだ。名声が欲しいとする者たちも中にはいて、簡単に事態は治まることはなかった。現在では、序列が上がるほどに依頼の危険性、拉致や暗殺といった身の危険性が高まることが一般認識となり、抗争は下火になりつつある。


 大勢のランカーがこぞって序列競争を続けていた頃、脅威を誇った集団が現れた。その出現は世界中を震撼させ、多くのランカーに戦慄が走った。

 所属メンバーが皆、百番内という化物じみたランカーだと噂された組織。


創世の蛇(ボレアース)』『嘲笑する虐殺者(ニーズヘッグ)』『終焉の大蛇(ヨルムガンド)


 その出現から間をあけることなく、その名を世界中に知れ渡らせた。そこまで名が知れた理由は彼らの世界に対する行為によるものが大半を占める。

 各戦闘地域への武力介入などは日常茶飯事であり、出現したら最後、後には面影を残さぬ残骸しか残らなかった。彼ら組織の一員は全員が圧倒的な実力を誇っていた。複数のランカーを同時に相手にしても決して屈することがなかった。

 特に忌み嫌われたのはニーズヘッグと呼ばれる組織であった。突出した残虐性と非人間的な非情さを有していたのだ。企業一つを潰す為に、その社員全てを虐殺したことや、対兵器武器を対人用として平気で使用したりもした。

 当時の世界各国は、脅威的なランカーを保有した三大組織への対策が進まなかった。その結果、世界は彼らの操り人形にされている、とまで人々に言わせた。

 国際ランカー管理機構が動き、メンバーの多くがライセンスを剥奪されたが、その活動はなおも継続された。

 今でも定かではないが、彼らの背後には世界トップクラスの大企業が資金援助や騎士整備などを行っていたと考えられている。そうでなければ、彼らが世界規模での活動をどう維持していたのかの説明がつかなかった。

 現在それらは、過去に警察や有志ランカーによる大規模な撲滅運動が起こったことで、完全に組織は壊滅したものとされている。

 

 現在において、操者と騎士の市場は世界にとってなくてはならないものとなっている。理由は至極簡単だ、警察組織では対処不可な依頼を遂行してくれるためだった。

 上げれば枚挙にいとまがないが、他企業への妨害、破壊工作や特定ランカーの抹消依頼などもある。

 それら違法性の高い依頼に対する禁止法令は毎年のように出されるが、なかなか取り締まりきれないのが現状であった。


「そういや、まだあの名前は残ってんのか?」


 美鶴は出来たスクランブルエッグを二皿に分けながら、文蔵に視線を向けた。


「序列六五番、《銀狼》の名は今なお健在。その上の序列に変動はないが、奴の下では入れ替わりが激しい。頻繁に騎士の名前が変わっとるな。抜かれる前に相手を排除でもしとるんだろうな。血生臭い話だが、いかんせん証拠がないな」


 重く溜息をついた文蔵が胡坐を掻いて、新聞を広げる。

 一面を飾っているのは、昨日のニュースで見た統治者二名の会談の話だった。実質、各エリアの最王手企業の経営トップが、エリアの政治的トップに君臨している。大崩壊後、完全に麻痺した経済と政治を同時に回復させるための措置だった。そのために各エリアは同じ日本国土にあるにもかかわらず、まるで別の国のような性質を持つようになった。

 ランカー制度の序列公開法は操者の安全保障のために、操者の名は公にされていないが、騎士の名は一般に公開されている。企業は各組合に掛け合い、必要に応じたランカーを求め、組合は各受付人へと仕事を斡旋する仕組みをとっている。大手の企業の場合は自分達でランカーを雇ってもいた。


 しがない六千番台のマイナーランカーである美鶴の受付および依頼の窓口役となっているのは他でもない文蔵であった。

 そして先ほど文蔵の口から出た《銀狼》の名が、美鶴にとって最大の怨敵である騎士の名だった。美鶴の過去において、深い爪痕を残した騎士なのだ。


「はい、どうぞ。あ、コーヒーでいいか」

「おう。悪いな」

「いつものことだからな。慣れたよ」


 美鶴は卓袱台にスクランブルエッグの盛られた平皿と八枚切りの食パン一袋にマグカップ、中身はブラックコーヒーとカフェオレを運んで、文蔵の向かいに座った。

 そして文蔵の目の前で砂糖をカフェオレの中に四杯入れる。ちなみに小さじ山盛りである。


「あいかわらずの甘党だな。そろそろ無糖に挑戦してみればいいだろうに」

「苦い、不味い、勿体無い。いただきます」

「まだまだ子供ガキだな。美鶴も……いただきます」


 二人で囲む変わらない日常。

 美鶴はカフェオレを一口飲んで一息つく。

 この日々はいつまでも、いつまでも、変わることはないのだろうかと不安は絶えない。

 いつの日か、己の手で壊してしまうのではないかと空恐ろしい。

 壊れてしまった過去を持つゆえに、日常の脆さが酷く恐かった。


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