災厄のラグナロク
読みづらいと思います。
これを書くのに、目がシバシバです。いや、パサパサ?
まぁ、どうぞ。
由佳里のマンションの前にまで辿り着いた美鶴は、懐から取り出した茶封筒を由佳里に手渡した。どちらかと言えば押し付けた。
「俺のことをわすれないでくれ。こいつは形見として渡しておく」
口早に告げると、急いで踵を返そうとした。そんな美鶴のパーカーのフードを由佳里が捕まえた。一瞬のことで美鶴の首が絞まり、息が詰まった。
「────ッ!! ──────ッ!!」
──しぬッ!! マジでしぬッ!!
そんな美鶴の様子を全く気にせず、由佳里は手元の封筒を裏返して眉を寄せた。
「欠席届け!? もしかして、学校をサボるの?」
由佳里がパーカーから手を離し、美鶴は解放される。空咳きを続けた美鶴は落ち着きを取り戻した。
「サボるんじゃない。それは戦略的欠席だ」
「戦略なんて微塵もないよね。単に休みたいだけでしょ。てか、準備いいね?」
由佳里が呆れた様子でこめかみに手を当てる。美鶴は自分がすごく悪いことをしたかのような居たたまれなさを感じた。いや、実際いけないことだとは思う。そろそろ単位が足りなくなりそうな危機感を感じてはいる。
「何はともあれ、俺はこれから先生のとこに用事があるから。じゃあな」
「あッ、ちょっと、美鶴!? 逃げないでよぉッ」
由佳里の声が追い縋ってきても動じず、美鶴は誠のいる柴川重工の研究所へと走った。その足取りは軽くはあったが、心は重く沈んでいた。これから誠に聞くことは、明るい話ではないだろうからだ。
美鶴は駅へと向かい、電車を乗り継いで工業区画へと急いだ。スマートフォンで時刻を確認すれば午前七時。電車は通勤ラッシュと鉢合わせ大混雑、美鶴は雑踏の中に紛れこみ、誠のいる施設までが遠いことを嘆いた。
約三〇分後、美鶴は騎士機器研究棟の地下三階に設けられた特別研究・開発棟にいた。今ではすっかり通い慣れたその施設に入ると視界に飛び込んできたのは恰幅のいいメタボ。至福のひとときを過ごしている様子で右手にマグカップを持っていた。どうせ飲めやしないだろうに。
「なぁ、先生。そのアンドロイドって消化機能が付いてんのか?」
「いいや、付いてないよ。だからはい」
誠メタボバージョンが差し出してきたカップを覗いて、美鶴は表情を歪めた。口元を押さえて、首を全力で振る。
「ブラック無理だから。そんな毒々しい黒を俺に見せんなッ」
「まだ甘党なのか、美鶴君は」
誠メタボバージョンが大福のような頬を吊り上げて笑った。腹を揺する度に波打つ頬がリアルだった。
「この前の話の続きを聞きに来たぞ。組織がボレアースの存在を認めていた理由について、先生は知ってるんだよな」
美鶴がここに来た理由はまさにそれだった。自分が知らない所で、何かが起きていたという事実に不安を抱えていた。
「美鶴君は、人が空想できるすべての出来事は起こりうる現実である、という言葉を知ってるかい? この言葉を言った学者はー、とある物理学者なんだけどね。まさかこんなことまで人間が想像しうるとは思いもよらなかっただろうね。──美鶴君、君に僕が知っている限りの事は教えてあげるよ」
そう言ってやおらと立ち上がった誠は美鶴を手招いて奥へと進んでいく。案内されたのはいつもの診察室で、美鶴は誠が用意した丸椅子に腰掛けた。
誠は向かい合うように座り、話の口火を切った。
「まずは順を追って、ボレアースという組織の始まりから話そう。そもそも、ボレアースは大崩壊後に設立されたものじゃない。それ以前から創られていたんだ。設立当初の目的は災厄に対する矛と盾になることだったんだ」
「最初っから、災厄を信じてたのか。いや、災厄が存在したから組織された?」
「そうだよ。災厄、人々は多くが覚えていないだろうけど、かつて米国と欧州国家が来たるべき戦争への抑止力として進めた計画、その産物が災厄と呼ばれるものだよ。美鶴君も話には聞いたよね、プロジェクト・ラグナロクという言葉を」
「聞いたことはある。内容まではよく覚えてないけど、確か機械を戦争の抑止力にしようってもんじゃなかったか?」
「そうだよ。それが計画だった。当時、異議を唱える国は多かったけど、米国が主体となっていたために思い切った対策を講じることは出来なかったんだ。その頃にドイツの研究者であったカースベルト卿が計画の阻止のために創設したのがボレアースの始まりだったんだ。カースベルト・ブリュッセル、恥ずかしながら僕が双璧と呼ばれた人物だ。彼は九〇%到達のための土台を作った人物でもある。僕は彼の理論を基に提唱したんだけどね」
「肝心の災厄はそれからどうなったんだよ」
誠は目をしばたかせ、話が脱線しかけていたことに気付くと、額を押さえた。
「そうだった。それでプロジェクト・ラグナロクは、いつ起きるかも知れない戦争に備える力を抑止力としよう、という思想から始まったんだ」
「戦争のための戦力を戦争の抑止力にするのは、どこか矛盾してないか?」
「そうだね。だけど計画推奨国の間ではこの考えは支持されたんだ。まぁ、彼らも莫迦だったわけじゃない。戦力の所持は戦争を根絶させることにはならないことは解り切ってた。だからこそ、彼らは考えた。そして結論を出したんだ。──人間が干渉出来ない抑止力を生むことを。
そして、定まった計画が────限りなく人間に近づけたアンドロイドを造り、それを人間の社会に紛れ込ませて観察者の役目を負わせようとするものだったんだ。
人間の社会に紛れ、与えられた命令に従うのではなく、人類にとって危機と判断した場合に戦闘行為を行い、無差別な殺しをしない存在をだよ」
「そんな都合のいい機械が造れるわけがない」
「いや、造れるよ。今の世の中を見れば分かると思うけど、既にこの世には人間らしい機械が溢れてる」
美鶴はその言葉にはっとして、目の前のアンドロイドを凝視した。誠が同調しているソレは食い入るように観察したとしても、それが機械であることが嘘であるかのように精巧な作りをしている。まさに人間らしい機械。いや、人間そのものにしか見えない。
「──といっても、人間の脳の役割を果たすパーツの製造が難航したみたいだけどね。その失敗作とでも言うべきが、今の擬似脳だよ。現在のアンドロイドが生まれた経歴を調べれば、この計画へと辿り着く。大崩壊の後、一年以内にアンドロイド技術が発達し、隔離壁が建造されたのも、既に大まかな基盤があったからなんだ。
さて、話を少し戻すけど、カースベルト卿は、機械による抑制は今後の世界の発展をも抑止するとして、ボレアースを用いて抵抗活動を行った。そして、その頃だよ。プレデターによる破壊行動、大崩壊が起きたのは。大崩壊の中でカースベルト卿は命を落とし、これを契機にボレアースはその性質を大きく変えることになった」
誠はここで息をつき、間を置いた。美鶴は黙ってその大福顔を正面から見据えた。
「大崩壊。世間一般にはプレデターの一斉暴走として知られているけど、実際は違うとボレアースは考えた。プレデター自体もプロジェクトの産物だったんだ。自律という面でね。つまりは、機械が抑止力となりうるか、人間の恐怖の対象たるものか、それを示すために故意に大崩壊は引き起こされたと考えられたんだよ。だからこそ、ボレアースは世界のために騎士という新たな力を得て、活動を本格化させたんだ」
「でも、その存在は世界から淘汰された。それに組織がやったことは、人に誇れるものじゃない」
「そうだね。ボレアースは世界にとって、悪の根源となった。実際、美鶴君は研究者の多くを手にかけるよう命を下されただろうけど、それはボレアースが自分達の力は災厄のためと決め、他の企業に利用されることを好しとしなかったからだ。それに、なにも彼らが悪事に手を染めたせいでそうなった訳じゃない。彼らは強過ぎたんだよ、人々にとって脅威でしかなかったんだ。美鶴君を含め、ボレアースの執行者は皆、力を持ちすぎてたんだよ。過ぎた力は、脅威でしかなく、恐怖心を生んだんだ」
「そんなの詭弁だ」
美鶴は吐き捨てるようにして言った。誠が何と言おうとも、ボレアースがしたことは変えられない事実だ。血塗れた道を歩んできたのが、ボレアースなのだ。
「かもね。けど、その存在が定かでない脅威と見える脅威じゃ、存在が知れた方が恐れられるだろ? 災厄は事実、その存在が確認出来てはいない。証拠があっても、実際に見た人間はいないんだ」
「結局、災厄ってのは何なんだよ」
「災厄ってのはね。組織の研究者達の間では『終焉の大蛇』と呼ばれていた。かつて世界を震撼させていた三大組織の一つだよ」
「それじゃあ、存在が確認されてんじゃ──」
「噂の一人歩きって奴だよ。ヨルムガンドは実際には存在していなかった組織だ。便宜上、災厄はそう呼ばれた」
『創世の蛇』『嘲笑する虐殺者』『終焉の大蛇』
確かにこの組織が世界を恐怖させたのは事実だ。しかし、そうだ。ヨルムガンドの拠点が発見されたという話はついぞ聞いた事がない。
──いや待てよ。もしヨルムガンドが災厄の正体なら、ニーズヘッグも何らかの形で関係してはいないか? ボレアースが災厄に対する矛と盾なんだぞ。
「先生はニーズヘッグについても何か知ってるか? もしかして、邪龍も災厄に関係してたりすんじゃないのか?」
「鋭いね、美鶴君。僕たちもそれを考えていた。ラグナロクとは北欧神話の神々と巨人族との間の最終戦争の名だ。その戦いでニーズヘッグは生き残るんだよ。だから、もしかすれば彼らもまた、災厄という存在のために生まれたのかもしれないね。まぁ、僕は彼らに良い感情を抱かないけどね。ボレアースの立場を加速度的に悪化させる触媒となったのが彼らだ。化学兵器のオンパレードだった彼らのおかげで、ボレアースも同様に極悪とされたからね」
誠は腕の時計を覗き込み、「そろそろ時間だね」と言った。
はて、何のことだ? 美鶴は釈然としない顔で首を捻った。そんな美鶴の身体が急に宙に浮いた。いつの間にか居たのか、ペロッキーさんに抱きかかえられていた。
「由佳里から連絡があったんだよね。美鶴君をサボらせないようにってね。よっし、ペロッキー。美鶴君を無事、学校にまで送り届けてくれ」
「了解でありますッ」
ペロッキーは猛然と研究施設を美鶴を抱えたまま走りぬけ、自家用の軽自動車に乗り込み、西徳大学付属高等学校へと飛ばした。
あれは一言に地獄だった。
小埜崎の運転並か、それ以上だった。美鶴にとってのトラウマが増えた記念日となった。
──あの日から、二週間近く経過した。
どうやら寝ていたらしい。目が覚めれば目の前に拡がるのは黒板とその前に立つ担任女子教師だった。
あれから冬休みを経て、年も明けた。もう少し休みが長くてもいい気がする。
美鶴は大きく欠伸をして、背筋を伸ばした。深く息を吐き出せば、クラス全体が色めきだっている様子なのに気が付いた。今日からまた学校だったが、それほど嬉しいことなのだろうか。サボり癖が身に付きそうな美鶴は到底理解出来ないと言いたげに溜息を漏らした。
早く帰りたいな。
「皆さん、明けましておめでとうございます。早速ですが、皆さんに転校生の紹介があります」
途端にクラス中が沸いた。担任も一瞬気圧されたように戸惑いの表情を浮かべた。
「ぜってー美人だろ、女子だよ、女子ッ」
「いいな、ソレ。俺も女子が来てほしいぞ」
「男子は黙っててよ。せんせー、早く紹介お願いします」
お気楽な男子陣が女子の叱責で沈黙する中、教室の扉が開いた。美鶴は思わず立ち上がって唖然としてしまった。言葉が咽喉に詰まり、パクパクと開閉するだけだった。
「朴澤悠月です。残り一年ほどの短い時間ですが、よろしくお願いします」
ペコリと一礼する悠月にクラスの男子は雄叫びを上げた。
「「「「「キタ──────ッ!!」」」」」×4
だがそれも女子の鋭い視線で沈静化される。
「なんで、お前が転校? は? 転校って」
クラス中の視線が一身に集まるが気にしていられない。どういうつもりなのかはっきりさせたかった。
悠月は満面の笑みで美鶴に応じ、ついでに手を振った。クラスの男子が獲物を見つけたハイエナのように目を光らせる。美鶴の背筋を脂汗がだらりと流れた。
「ヤッホーみっくん。久しぶりー、ほらほら見てよ」
悠月が自身の首筋を指さした。その場所には、金属製の首輪が……なかった。傷一つ無い真っ白な肌だった。
「女性の玉の肌に傷がつかないようにしてもらえたんだー。どう? すごいっしょ」
お前じゃなく、手術した人がな。
「おい、三ノ瀬ッ。悠月さんと知り合いなのかよ」
どさくさに名前を呼ぶクラスの男子A。
「羽城さんがいながら、お前って奴は。けしからん」
鼻息が荒いクラスの男子B。
「──みっくんもいいけど、うちには既に想い人がいるんです」
まさかの爆弾発言にクラスの男子が沈黙、撃沈した。対照的に女子が黄色い悲鳴を上げて悠月の周りに群がる。
「どんな人? カッコイイの?」
少しオサレなクラスの女子Z。
「かっこいい人だね。例えるなら、うんとーそうだね。みっくんの一〇倍くらいイケメンかな」
「…………………………それじゃあ、負けたな」
「三ノ瀬の一〇倍じゃ、さすがの俺達でも勝てねぇな」
「おい、ちょっと待て」
「何だよ美鶴。もしかしてお前、俺達よりもイケメンだっていいたいのかよ」
危うく「お前らよりは可愛いぞ」と漏らしそうになり泣きそうになった。最近毒されてる気がする。
そんな美鶴の心境を察してか、教室の扉が再びスライドされた。それもかなりの勢いで。バンッ、と大音響が響く。廊下に立っていたのは右手に特大ハリセンを握りしめた少女。黒板の前にいた悠月を見て何を理解したか、大声を出した。
「先輩はハーレムを作りたいんですかぁ!?」
「えぇッ!?」
美鶴は驚くしかなかった。クラスメイトも呆然とした表情で廊下に立つ後輩に注目した。
瑠璃は「失礼しますッ」と言って、臆面もなく入室してくると真っ直ぐ美鶴の方へと向かってくる。悠月の横を通り過ぎる時にその表情が愕然としたものに変わったが、すぐさま取り繕うと悠月に会釈した。悠月の方は笑みを浮かべて返した。
「どうしたんだよ、瑠璃?」
「先輩……覚悟ッ!!」
何も構えていない無防備な美鶴のこめかみを瑠璃の得物『ハリセン』が強打した。ゴキッ、という気味の悪い音が鳴り、美鶴の頭部があらぬ方向へ曲がりかけた。
「ッ!! いってぇなッ。何だよッ、俺が何かしたのかッ?!」
「何となくです。転校生が先輩のクラスにくると聞いたんで、その人が女性なら叩こうと決めてただけです」
「最悪だな。人としてどうかと思う」
「可愛いは正義なんですよ?」
「だ・ま・れッ、このゴボウッ!!」
一瞬、教室が静まり返った。その瞬間、美鶴は地雷を踏んだのに気付いた。
「ゴ……ゴボウ、ゴボウですか。ボン、キュッ、ボンならともかく、ゴボウですか、そうですか。ゴボウなんて、シュッ……。シュッ……じゃないですかッ!! 先輩はどこに目を付けてるんですか!?」
そんな瑠璃の剣幕に対して、
「え? お前のどこに凹凸が?」と漏らしそうになり、慌てて美鶴は口を塞いだ。
「てか、ホームルームはどうしたんだよ。サボってていいのか?」
「郷田先生に『萌え萌えキュン』ってしたら即OKが出ました」
お前の無い色気に魅了される人間がいて良かったな。
ちなみに郷田という名の教師は、かの体育系国語教師その人だ。
「みっくん、その子は誰? 知り合いなの?」
悠月が近づいてくると、首を傾げた。
「あぁ、こいつは相良瑠璃っていう名前の後輩」
「朴澤悠月だよ。よろしくね、るりっち」
「るりっちですか。いいですね!!」
和気藹々とし始めたクラスを眺め、美鶴は今日もまた平和であることに感謝した。