白と蟷螂の二重奏
(*´-ω・)ン どうぞ。
飛ぶということ自体には大方慣れた、そう自信をもって言えるほどに美鶴は自由に空を飛翔していた。重力に逆らって大空の下を、まるで遊泳するかのように飛ぶ。初めての経験に美鶴の心は躍っていた。現在の状況はそれを楽しむ余裕を与えてはくれないのだが。
眼下に広がる景色がミニチュア模型のように見える。現在の高度は地上七〇〇メートルほどだ。少々高く飛び過ぎたらしい。
『美鶴、遊んでないでさっさと仕事をする』
由佳里の叱責が耳に痛い。美鶴は「いや、だって空を飛んでるんだぞ。仕方ないだろ」と言い訳がましく呟いた。それに対しての由佳里の呆れたような溜息に多少へこまされる。
『分かってると思うけど、禍眼の真上から垂直だよ。絶対とは言わないけど、万が一に重力場に触れると平衡感覚を失って落下しかねないから』
「いや、先生。垂直って、結構難しくないか? 空から見る限り、禍眼は縦横無尽に地上を飛び回ってるんだけど」
美鶴は眼下で繰り広げられている追跡劇を見て、誠に訊ねた。先を走るメディアンとそれを追尾する禍眼。彼らを離れた場所から傍観するジャスティスの姿も見える。
『そこは気合でどうにかするしかないでしょ。美鶴ファイト』
『ファイト、美鶴君』
「えぇッ、そんな無茶苦茶な。絶対無理だろッ!!」
『ねぇ、お父さん。マジックペンある? ──あるけど何に使うんだい?』
「もしもし、由佳里さん? 何をするつもりですか? まさかとは思うんだけど、人の顔に落書きしようとしてないか?」
返ってきたのは無言の肯定。キュキュッと線を引く音が聞こえた。美鶴は自身の頬の上を何かが走る錯覚のようなものを感じ取った。くっそ、やられた。
「やりゃいいんだろッ。てか、もとよりそのつもりだからな」
くそ、少しぐらい弱音を吐いても構わないだろうに。美鶴は内心悪態をついて、降下を始めた。眼下ではチークのメディアンが華麗に禍眼の追撃をかわす曲芸をみせていた。宙返りなどさも当たり前のように行う。……無駄だ、いや別に見事に回避しているのだが、労力的に。もっと簡単な動作でも避けられるだろうに。
まるで禍眼をおちょくるかのようなアクロバットな動きに美鶴は辟易した。
「くっそー、人が攻撃を当てられないからって調子に乗るなんて。徹甲弾の椀飯振舞いなんて遠慮したいってッ!!」
チークは爆ぜて飛び散った瓦礫を刀で薙ぎ払いつつ、進路を見つけていた。精神を集中させ、禍眼の砲口が狙いを定めてくるのを見逃さぬようにする。敵の動きは機械であるため、ある程度予測しやすい。プログラムに忠実な機械の行動パターンは単調だ。こうした傾向は一般的なランカーにも通ずるところがあるが、実に与し易い相手だった。
問題は敵に攻撃を当てることは不可能であり、近づくことすらままならず、敵は遠距離攻撃が可能であること。最悪だ。卑怯すぎる。
美鶴はまだなのかと上空を見上げれば、急速に降下してくる機影が映った。なにやら見定めている様子。はたとチークは思い至った。
あれが禍眼の唯一の攻略方法なのか。真上からの降下。それが重力場の突破法であるのなら、今現在の禍眼が動き回る状態は攻めにくいだろう。ならば──
「おい、まさか。チーク……」
美鶴はメディアンが禍眼に突進していくのを見て、感謝の気持ちが込み上げた。チークは身を挺してまで、禍眼の動きを封じようとしてくれているのだ。その働きは無駄にさせるわけにはいかない。落下しながら常に禍眼の真上をとるように調整を続けるのは、なかなか骨の折れることだったが、チークによってある程度禍眼の動きは治まるだろう。絶対に弱音は吐かない。絶対に仕留められると自分を励ます。
「うおぉぉぉぉおおぉぉぉぉおおぉぉ」
急速に肉迫する禍眼の背甲目掛けて、美鶴はデスサイスを大剣状態に最大展開した。
「全く、自分を犠牲に動きを封じるなんて、損な役回りだよねー」
そんなチークの言葉に返る返事はなく、眼前の敵に一人立ちはだかってチークは笑った。自分は世界中から疎まれている。ボレアースのランカー、それだけで世界は敵となった。もし恨みを晴らしたいなら、このまま禍眼を放置していればいいだろう。そうすれば勝手に各エリアを襲撃してくれるはずだ。けれども自分にはそれが出来ない。世界から嫌悪されていても、自分は世界を憎みきれなかった。ほんと損な役回りだと、チークはうんざりして肩をすくめた。
「あーやだやだ」
全身にのしかかる圧力に立っていられず跪いた。刀を地面に衝き立て、それに縋って何とか立ち上がると真っ向から禍眼と対峙する。巨大な一つだけのカメラアイが吟味するかのように凝視してきたのにチークは一瞬、恐怖を感じた。いかなる戦場であろうともこれまで恐れを抱く事のなかった。その自分が機械を恐れた? チークは半ば自分に問いかけ、可笑しさに笑いが込み上げてきた。久しぶりの恐怖を懐かしいとさえ感じた。
目の前で開く大口の奥には火砲が存在した。初速から音速に近い速度で撃ち出される砲弾で大破を免れることは不可能だろう。
「みっくん、いそいで」
天を仰いでチークは懇願した。これが最初で最後のチャンスだ。
残り二〇〇メートルほど。美鶴はまるで弾丸のように急降下をしていた。鎌錐が過ぎたあとには光芒が線を描き、淡く消えていく。
美鶴の視界に何かが新たに映りこむ。隻腕をした騎士だった。
「なんであんたがここに来てんの?!」
「お前をこのままリバースさせるわけにはいかない。必ず拘束して、肉体のもとに案内してもらう。ボレアースのメンバーがそこまで消耗している機会などそうそうお目にかかれないだろうからな」
浅沼はチークの驚きにそう端的に説明した。そして、まるで盾にでもなるかのようにチークの前に立ちはだかり、チークの視界を遮った。浅沼の全身にも極度の倦怠感が襲っているはずだった。それなのに平然を装っている。強いとチークは目の前の操者を評価した。騎士の扱いもそうだが、なにより意思が強固だった。確固たる精神が彼を屈しさせずにいた。憧れとでも言えばいいのか、不思議と暖かな感情が心を満たす。
そう思ったもつかの間、視界が一瞬白く染め上がる。遅れて全身を叩く衝撃と爆裂音が駆け抜けた。衝撃波が瓦礫を吹き飛ばし、砂塵が乱舞する。だが不可解にもチークの視界に新たな警告表示は存在しなかった。徐々に薄れる砂埃の中、一体の騎士であったろう残骸が存在した。上半身の右半分が消し飛び、内部が露になっている。燃料電池は完全に砕かれ、液体が地面に黒く染みを作っていた。まるで血のように見えてしまう。
禍眼が放った砲弾は軌道を逸らされ一メートルほど離れた場所に着弾し、地面を深く抉っていた。
「さすがに痛いな……ごほぉ、ごほ」
目の前の騎士から発せられた声だと気付くに数秒要した。普通ではありえないことだった。浅沼はジャスティスが大破してなお、同調を維持していた。それでもあと数分もかからずに強制転送されるだろう。
「馬鹿だね、あんた」
「お互い様にな」
「違いないね」
「この一撃で終わってくれッ」
そんな二人の上空より響いた叫び声。空気を切り裂いて、一体の騎士が落下していた。
美鶴は眼下で繰り広げられた光景に戦慄し、死んでいないと分かっていながらも苦しみを味わっていた。身を挺してチークを庇った浅沼の姿が、かつて由佳里を守ろうとした自分に重なって見えてしまった。だからなのかもしれない。美鶴は怒りを覚えていた。腹の底から沸々と込み上げる熱は美鶴の同調率を底上げた。
『えッ、同調率が99.9%?!』
『美鶴君、マズイよッ!! これはマズイって。クールダウンしてッ』
二人の断末魔のような叫びは聞こえるが、酷く遠くからの声にしか思えなかった。それに加えて、世界の動きが緩やかに流れて見えた。
同調率が限りなく一〇〇%に近づくほどに、正確な認識を可能となる。だが、ある一線を超えた場合、同調時の操者の体感度速度が加速を起こす。その状態はまるで世界がゆっくりと流れているように、もしくは静止しているようにも見える。もし、一〇〇の壁を超えてしまった場合、それは完全に別次元の存在となるらしい。といっても人間では到達は不可能であろう。せいぜい99.99999%が限度だと理論上、計算されていた。
美鶴の肉体に施された手術は、他のボレアースメンバーとは一線を画すものである。ありとあらゆる局面で常に最高の状態を維持できるように調整され、同じ機器を使用しても他の追随を許さない。唯一、ウルを除いてはだったが。
美鶴の存在こそ、対災厄用兵器といっても過言ではない。実際、そのように誠は美鶴の能力を設計していた。そのおかげでこれまで美鶴は生きてこれた。
やっと気が付いたらしい禍眼が上空を見上げ、迎撃の構えをとった。が、全てが遅すぎた。もはや必中の距離に美鶴は詰め寄っていた。
「眠ってろッ」
徹甲弾が撃ち出されるのを視認して避ける。亜音速の弾丸でさえ、止まって見えるほどだった。ほんの身を反らす程度の動作で難なく回避して、禍眼の背中に到達と同時にデスサイスを衝き立てた。火花が吹き上がり、真っ赤に染まった世界。しかし、禍眼の装甲は想像以上に硬かった。デスサイスの刃は半分も刺さらずに停止する。
──Last Weapon...open/Yes//No/
美鶴の視界に表示された文字列。美鶴は躊躇わずに最終兵装を展開した。
──《氷葬六花》、発動。
鎌錐の全身から白光が溢れ、禍眼を呑み込んだ。まるで白紙のような世界に朱を振りまいて、デスサイスが再び沈み始める。美鶴が感じたのは凄まじいまでの熱量だった。
氷葬六花を発動した場合、鎌錐が発した熱で装甲に使用されるマグネシウム合金《パンドラ》が燃えてる状態となる。通常の騎士であれば起こり得ない事態。もし起これば、その騎士は不良品という扱いだろう。
しかしこの状態こそが鎌錐の最終兵装であり、最強の姿だ。遠くから見れば、鎌錐の背部に生える光の翅が六枚であるのが分かるだろう。
発生した高熱をデスサイスより放出。全ては冷色の焔で沈黙する。
美鶴はジリジリと精神が焼けるような錯覚を覚えつつも、右腕に体重をかけて押し込んだ。デスサイスの刃が根元まで埋まり、一瞬だけ音が止んだ。色も音も何もない世界がその場に生まれた。鎌錐の最終兵装状態が終了し、徐々に色が、喧騒が戻ってくる。
美鶴の足元で禍眼がブルリと身を震わして天に咆哮した。
『ヒュオオオォォォォオォォ……ボォォゴオォォ……ォォ…………ォォ』
断末魔の叫びは時折掠れ、空しく止んだ。
ドシャン、という重厚な金属音と共に禍眼は地面に突っ伏した。美鶴は安堵の溜息をついて、禍眼の背中で膝をついた。飛行ユニットは収納を完了し、美鶴がデスサイスを禍眼の躯体から引き抜けば、視界に表示されている活動限界時間は残り三〇分を切っていた。
消費し過ぎた、と美鶴は多少後悔を募らせた。陶酔感が頭の中を巡って、時折視界にノイズが走る。無茶しすぎたなと心の中で舌打ちする。
『み……、…つる、みつる美鶴ッ』
「な、何だよ由佳里。俺だったら平気だって。別に騎士が大破しても肉体に戻れるって」
『うぅぅ、良かった。良かったよ~』
由佳里の震えた声、それに続いたのは鼻をすする音。まさか泣いていたのか。美鶴はどうしてこうなったのかと焦った。
『お父さんが大慌てするから、本当に一大事だと思った……。また美鶴が目を覚まさなくなるんじゃないかと不安だったんだから』
「……なぁ、先生?」
『いやいやいや、だって美鶴君が無茶しすぎだったからね。自動で最終兵装のロックが解除されるなんて通常はありえないから。それが起こりえるのは、同調率がある一線を超えた場合だけだよ。美鶴、覚悟しといた方がいいよ。今回は揺り戻しが酷い、相当酷いと思う』
「……マジで?!」
『うん、マジ』
戻るのが恐くなった。美鶴はフラフラと立ち上がると、周囲を見渡した。どうにか他のランカー達が集まる前に破壊出来たらしい。さて、ややこしくなる前にここを離れるとしよう。
「とりあえず先生の依頼は完了ってことでいいんだよな」
『うん。禍眼の機能停止をかくに……ん?──お父さんッ、レーダーに反応。発信源は禍眼本体からだよッ。美鶴、離れてッ!!』
美鶴は咄嗟に禍眼の背中から飛び退くと、目の前の禍眼であった残骸を見た。確かに視界にカーソルが表示されていた。そして、美鶴の目の前で禍眼の甲羅が二つに割れた。中から現れたのは人型のアンドロイド。頭部から禍眼との接続コードを生やし、全身は蒼白をしている。両腕の先にあるのは巨大な鉄槍。異彩を放つその機体には禍眼と同じく一つ目があった。冷徹な眼、一瞥されるだけで背筋に悪寒が走る。
「なんだよ、これで終わりじゃなかったのかよッ」
『あれは……敵殲滅用マシナリー、白神。どうして禍眼なんかから出てくるんだい!? まさか、まだ研究員にこんな奇抜な思考をもった人物が残ってるのか……』
「ちッ、やるしかないか。先生、今の鎌錐でどこまで戦えると思う?」
『もって五分。それで鎌錐は大破させられると思う。それほど白神は危険だよ』
「今の俺じゃ勝てないか。了解」
美鶴は思わぬ強敵の出現を心のどこかで喜んでいた。暴食の怪人と呼ばれた頃も、平和のためだと言っておきながら心のどこかでは破壊を求めていたのかもしれない。
久々に蘇った過去の闘争心は美鶴の心を揺さ振った。
──まるで癒えない飢えを満たそうとするかのようだ。そんな彼に人の言葉が通じるとは思いたくない。彼の心は壊れている。我々は団結し、怪物を排除すべきだ。
昔、テレビで論じられた美鶴への批判を思い出す。あれから何年も経った。幼かった自分は青年期のありふれた日常を謳歌している。平和呆けしているんじゃないかと思うたびに、義腕を眺めて過去を思い返した。悲惨な過去の出来事を振り返り、幾度も心を抉られた。それなのに自分は再び悪逆無道を極めようとでもいうのだろうか。
じわじわと蝕む闇に囚われる。
『美鶴、頑張って。私はサポートしか出来ないけど、いつも美鶴の味方だから』
ふいの由佳里の言葉に美鶴の心は晴れた。そうだったと自分自身をたしなめる。今の自分には帰る場所があった。守りたいものがあった。破壊のためじゃなく、守る為に戦おう。
「ありがと、由佳里」
美鶴は惨憺たる姿と化した鎌錐を無理やり跳躍させ、デスサイスを佩いた。美鶴と白神の間に白く閃光が走り、火花が散った。
……やっちまった、自分。物語の収拾は……つくはずです。
苦手な戦闘シーン。長いですね……はい。
自分の文章力ってどんなもんなんですかねーと思う今日この頃。
まぁ、自由気ままに言葉を綴ります。