騎士と姫と赤頭巾
かっこいい文章って憧れます。自分には無理ですけど。はい。
「ごちそうさまでした♪」
「ごちそうさん」
「……ごちそうさま」
三人は揃ってお辞儀をした。卓袱台の上に置かれた食器はどれも空になっていた。料理を作った美鶴としては、清々しい気持ちになる。
真っ先に立ち上がったのは由佳里で、いそいそと食器を運び始めた。
「由佳里、俺が洗うぞ」
「いいって、いいって、君にはご馳走してもらったからね。これぐらいしなきゃ」
由佳里は逃げるようにして台所に向かった。美鶴は浮かせた腰をまた落として、胡坐をかいた。由佳里の厚意に与ろうと思い直して、何とはなしに横を見れば文蔵が何か物言いたげな表情をしていた。美鶴は眉を寄せて首を傾げた。
「何だよ、オヤっさん」
「いやなに、由佳里とはあいかわらずだなと思ってな。取り戻すつもりはないのか? あやつがお前さんを『君』としか呼べなくなって四年近くだろう。そろそろほとぼりは冷めただろうに」
文蔵が肘の上に頬を載せて、由佳里に聞こえぬ声で言った。美鶴はその言葉に寂しく笑った。
「オヤっさんが人の心配するなんて珍しいな。明日はノアの大洪水でも起こるかな」
「バーロォー、儂も人だ。心配する感情は持ち合わせとる」
文蔵は眉間に皺を刻んで身を乗り出してきた。酒の酔いでも回りだしただろうか。美鶴は鼻につく酒の臭気に対し、顔の前で手を仰ぐと、
「分かってるさ。別に名前を呼ばれなくても困らねぇしな。この俺がやらかした罪への罰だと思っておくさ」
文蔵を押し止めて座らせると、美鶴は壁に体重を預けるようにもたれかかった。
由佳里が昔は名前で呼んでくれたのは事実だった。それがある日を境に失われた日常と化した。ただ単に名前を呼びたくないという生易しいものではない。由佳里は美鶴という名前を美鶴に向かって口に出来ないのだ。それは仕方がないと諦めのついた筈の出来事だが、改めて問われれば胸が苦しくなる。美鶴は暗澹たる雰囲気が立ち込めた気がして、何か別の話題を振った。
「そういやさぁ、この転送装置って縮小化できねぇの? だいぶさ……邪魔なんだよね。部屋の四分の一も持ってかれてんだよ」
「無理だな。各組合でもそのことが議題に上がっておるが、技術開発が進んでおらん。今のところは騎士との安全な接続のためには必要なものだ」
文蔵は苦虫を噛み殺した顔をして、日本酒を一杯煽った。
美鶴は内心落胆したが表情に出さぬように努めた。やはりまだ難しいようだ。
現在の転送装置の大きさの理由は、精神転送の安全強化だと知らされている。また騎士のエネルギー補給も理由に挙がるだろうか。
騎士に搭載されているバッテリーは、大抵のものはニッケル水素蓄電池が利用されている。そこに蓄積された電力が騎士を稼動させる動力になっている。現在、世界中で化石燃料は供給量が著しく低下しているため、街を走る自動車も皆、バッテリー搭載型が主流である。中には安全面を度外視してリチウムイオン蓄電池の利用をする者達もいるのだが。
「ところで、お前さんの身体の調子はどうだ?」
「可も無く不可も無くってトコ。自分を使うことなんて滅多にないしな」
美鶴はふぅ~、と息を吐き出して天井を見上げた。染みが点在する茶色い天井と電灯が視界に映った。木目が人の目玉に見えなくもない。にしてもボロい部屋であった。もう少し家賃は安くならないだろうか、美鶴は一か八か交渉してみようと考えた。
美鶴の心境を察したように文蔵が「そうだった」と顔を上げた。美鶴の片方の眉が吊り上がる。嫌な予感がした。
「美鶴、今月分の家賃が払い込まれていないぞ」
「今回の報酬払いで、てかッあと三千円安くしろ!!」
「無理だな。贅沢言うな。八畳で転送装置付きのアパートなど、どこ探しても滅多に見つからんだろうに」
その通りであるので、美鶴は反論に窮して黙り込む。
騎士のリスクには転送時の無防備さが挙げられる。つまり、本体の居場所がバレればそこを攻撃される危険性が考えられるということだ。そのために最適な拠点を見つけることは、砂漠の中から一カラットのダイヤモンドを探し出す並の難しさだとも言われる。
もしバレた場合、アヴィアターを守るのが補助者の重要な役割の一つでもある。ただし美鶴が一室を借りるこのアパート周辺は、騎士組合が操者の安全保障を謳っており、周辺住民も保護意識が強い。こんな地域は非常に珍しかった。
「洗い終わったよ。んじゃ、私はそろそろ帰るよ」
食器洗いを済ませた由佳里が居間に顔を出すと、そう声を掛けた。
美鶴が時計を見れば午後八時時〇五分。外は真っ暗で一人で帰らせるには、少々心配になってしまう。美鶴は立ち上がった。
「途中まで送ってく。こっからマンションまでちょい遠いだろ」
「おぉ、紳士だね」
由佳里が大袈裟に驚いてみせたのを無視して、文蔵に一言声を掛けておく。
「オヤっさん、出るときは鍵を閉めといてくれよ」
「わかっとる。ニュースでも言ってたが、最近騎士犯罪が多いからな。気をつけておけよ」
美鶴は片手を挙げて返事をしておき、玄関に向かった。そこにはコートを纏い、厚底ブーツを履いた由佳里が待っている。
美鶴は黒のハイカットスニーカーを履くと、由佳里より先に外に出た。心地よいよりも刺さる痛さのような冷気が顔に当たる。瞬時に首を竦めた美鶴の全身に震えが走った。
「もう秋なんだっけ? 一年は早いな」
「何感傷に浸ってるの。君の頭じゃせいぜい『おぉ寒いな。早く春が来ないかな』ってのが限界でしょ」
「俺はそこまで単純じゃない!!」
「分かってるよ~。ほら、騎士様。お姫様のお手を引いてください」
人をおちょくった末に伸ばされる右手。美鶴は照れて熱くなる顔を反対に背け、左手で由佳里の手をとった。少女の掌の暖かさ、柔らかさを直に感じて内心ドギマギしてしまう。盗み見た少女の横顔は、人目を引きつける優美な顔立ちをしていて見とれそうになった。
二人は肩を並べて夜の街並みの中を歩いた。美鶴はこの時間が他に変えがたい幸福だと信じた。
「明日も学校か~、メンドいなぁ。学校なんて無くなっちゃえばいいのに」
「怖い発言すんなよ。確かに億劫だけどな」
等間隔で立てられた電柱の間を街路灯に伸ばされた影が進む。
脇道を歩いて出た大通りには自動車が溢れんばかりに行きかっていた。この果てしない流れの終わりはあるのだろうか、と美鶴は不思議に感じてしまう。
「由佳里のマンションはこの通りの反対だよな」
「そうそう。向こう側ね」
美鶴と由佳里は横断歩道で信号待ちをする。美鶴は目の前を通り過ぎる車の数を数えたが、多すぎたので断念した。
視界で信号が青に切り替わる。美鶴は由佳里の手を離さず、歩を進めた。由佳里も軽く手を握り返しながら肩を寄せて歩き始める。
ふと眸に反対に向かってくる少女が映った。真っ赤なコートにミニスカート姿。見た目から想像するにこの時間を一人歩いているのは不思議に思われた。美鶴は事情ありかな、と思いながら擦れ違おうとした。
ふいに生じる衝撃。
何故か背筋がぞわりとした。一気に体温が下がる錯覚を覚える。
と、少女が勢い良く頭を下げた。
「すみません。あたしの不注意でしたッ。本当にごめんなさい」
面を上げた少女の顔貌は息を呑むほどに整っていた。暗闇で光を発するブロンドの髪、透き通った白の肌。
──なるほど、これは……逸材だ。
など美鶴は一人で首肯した。
「あの、何か……」
「あぁ、いや何でもない。気をつけて帰れよ。俺は寛大だから別に気に留めねぇよ」
「あ、ありがとうございます」
二たび、少女は頭を下げてそそくさと横断歩道を渡りきる。
美鶴はその後ろ姿を目で追ってしまった。不覚にも。
「いたいッいたいッ、痛いです!! ホントにッ!! もげるもげるッ!!」
突然、耳殻を力ずくで引っ張られる。振り向けば膨れっ面の由佳里がいた。眦が鋭く細められている。
「ほら、赤になっちゃうよ!! まったく女の子に見とれちゃってさ。無意識に手も離すしさ」
口を尖らせる由佳里に引きずられて、美鶴は歩かされた。
美鶴は金輪際、由佳里の前では他の子に色目を使わぬようにしようと決意した。
『キシシッ、脆弱になったな顎。すっかり牙を抜かれちまったな』
真っ赤なコートに身を包んだ少女はふと身を翻し、背後の離れて小さくなっていく二人の影を凝視した。
夜の街、白すぎる肌を晒し、漆黒の眸を闇夜に光らせた少女。精巧すぎるその面貌は恐怖を覚えさせるほどだった。まるでフランス人形とでも例えようか。人工物を疑わせる非生物的な美しさだった。観衆のいない夜の舞台で少女は一人、口端を吊り上げた満面の笑みを浮かべ仰々しくお辞儀した。ふわりと広がるコートの裾。どこをとっても真紅のコートは血に染まっているかのようだった。
鳴らない拍手、演じられない劇、気付けば少女の姿は闇に溶け込んでしまった。
ただ一言、
『お前じゃ誰も守れない。自分自身でさえな』
発せられた警告は夜の闇に捉えられ、誰の鼓膜も揺らさなかった。