禍の眼という怪物
とりあえず、明けました。おめでとうございます。
ついに餅の季節が来ました。パチパチ……。
はい。
何だかんだで、毎日誰かが覗きにきてくれたことに感謝です。
では、本文をどうぞ。
「先生ッ、こいつが……」
美鶴は声の震えを抑えて言うと、鎌錐の主兵装《デスサイス》を展開した。陽光を反射する刀身に浮かぶ紋様が美しく映える。もうもうと煙る視界に朧げに現われる輪郭は放物線を描いていた。次第に巨大な機械兵の深翠に染まった装甲がはっきりしてきた。
見た目は本物の亀を思わせるフォルム。酷く金属質ではあるが、生き物めいた動きを体現している。禍眼が緩慢に動くほどにその周囲に土煙が立つ。禍の眼と書いて、禍眼というだけあり、その眼は凄まじき眼力を有している。顔の中央に位置した単眼。一つ目の邪眼、そう呼ぶに差し支えはないだろう。
「んな、何で禍眼が先行してきてんの? ウルはどうしちゃったの」
チークの狼狽の色を濃くして言葉を発した。どうやらこの状況は予想外だったようだ。それでも両手に刀を構え、すぐさま臨戦態勢をとる。
「みっくん、禍眼の能力については把握してる? 異能、グラビティーの対処法をうちらは知らないんだ。とりあえず、ウルと一緒に攻撃を執拗にしたから、アレはうちらを最優先に破壊しようとしてる」
チークが美鶴の横に並び、口早に告げた。誠が言っていたことは真実であったらしい。禍眼は最優先事項として、チークのメディアン排除を遂行しようとしていた。視認出来る限りでは、武装は咽喉の奥から覗く火砲のみであるようだ。しかしその威力の確たるは、目の当たりにして知ることができた。正面からの接近は極力避けるべきだろう。
『破壊する方法は解ってるよ。美鶴君がそれを遂行してくれる手筈になってる』
先に誠が答えた。スピーカーから飛び出す音声に誠や由佳里の慌ただしく動く雑音が紛れ込む。
「先生、鎌錐の飛行限界ってどんなもんだよ」
『大体、三〇分くらいだろうね。こちらでも随時、鎌錐の内部電源状況を把握して、限度を知らせるよ。飛行ユニットの展開方法は、自分の身体のことだから分かるよね』
「あぁ、分かってる。んじゃ、他のランカーが集まってくる前に破壊しますか」
ユニットを展開させようと、禍眼から一旦距離をとった。飛行モード時には鎌錐の装甲の一部が分離するため、通常なら些細な損傷も致命的となりうるからだ。禍眼の落下によって崩落した瓦礫の山に登り、対峙した。
「ッ?!」
美鶴の視線の先、禍眼を挟んで反対側で、隻腕の騎士が果敢に吶喊していくのが見えた。無茶だと声を張り上げる前に、浅沼のジャスティスが禍眼に跳びかかった。その主兵装であるトンファーが上段より振り下ろされる。だが──
「何なんだコイツはッ」
物体同士がぶつかり合う衝突音は聞こえなかった。その代わりに浅沼の驚愕に染まった声が響いた。視線の先では、果敢に攻め込んだジャスティスの機体があさっての方角に弾き跳ばされていた。禍目まではあと一メートル程度。しかし両者の間に地面に不可視の壁、バリアーのようなものがあった。浅沼がブースターを起動させ方向転換、再び突っ込む。
「えッ……」
ジャスティスの軌道が不自然に曲がったのが見えた。ほぼ直角に地面に落下し、粉塵を盛大に巻き上げる。薄らいだ土煙の中で、浅沼のジャスティスが倒れ伏していた。不可視の何かに抑えつけられているような格好で、何とか抜け出そうともがいていた。あれらが禍眼の能力であるのか。どこか非現実的な光景だった。
『美鶴、そっちにデータを送るよ。簡単に重力場を可視化してみたものだから、正確じゃないけど。とりあえず、それを参考にしてみて』
由佳里の声が聞こえると同時に、視界に禍眼を中心とした半透明橙色の円柱が出現する。何とも巨大だった。禍眼自体、高さ六メートル、横一〇メートルほどはある巨大な機械だが、重力場を含めるとまるで巨大な塔のようであった。その主であるように悠然と構えている禍眼は、足元に倒れ伏した浅沼には目もくれず、こちらに視線を送った。いや、あの眸に移るのはメディアンの姿のみだった。機械兵はあくまでプログラムに従順であった。
「みっくん、それじゃあうちが君の掩護を担当するよ。ちゃっちゃと片付けちゃおう」
「てか何でみっくん?」
「いやだって、君はもう三ノ瀬美鶴なんでしょ? 過去の名で呼ぶのは悪いし」
なるほど、チークなりにこちらに配慮してくれていたらしい。みっくんか……初めて呼ばれたあだ名だ。
「まぁいいや、それで。んじゃ、やるか──」
『美鶴、注意してッ。禍眼がくるよッ!!』
由佳里の声で視線を禍眼に戻せば、丁度あの過重な機体が宙に浮くところだった。禍眼の重量を考えれば、到底不可能な所業だ。しかし禍眼は着実に音なく飛翔してくる。
「狙いはうちだから、みっくんは離れて。禍眼がうちを狙ってる間に破壊して」
「り、了解」
美鶴はチークから離れるため、大きく右斜めに跳んだ。チークはメディアンを滑空させるように走らせ、禍眼に背を向けて離れていく。その後を追尾する巨大な機影がほんの数秒後に美鶴の視界を覆いつくした。ふいに美鶴の全身を倦怠感が襲った。ずしり、と急に重石を載せられたかのような重圧。可視化された重力場に入らないようにしたつもりだが、どうやら影響範囲はそれ以上であったらしい。禍眼にとってはチーク以外は眼中にないらしく、目の前を素通りしていった。今が絶好の好機だろう。
──飛行機構起動。
視界に表示されるアイコンが転瞬の間に切り替わる。風力、風向き、高度、周囲の熱源反応などが細かに表示された。同時に鎌錐の腕部や脚部、背部の後部装甲が分離し、テールスタビライザーが展開する。冷却装置が急稼動を始め、視界の隅の推定残量電力の緑色バーが徐々に1ドットずつ減少を始める。それと同時に活動限界時間のカウントダウンも進んでいるが、減少スピードが早く、一分に対して三〇秒もかけずに減るため、あまり当てにならない状態だ。
「よし、さっさと終わりにさせる。先生、由佳里、サポートは頼んだ」
『『了解だよ』』
そういえばオヤっさんの出番はないな、と重いながら美鶴は飛んだ。光の翅が背部に拡がり、燦然と輝く顆粒を撒き散らして飛翔する。いきなりの飛翔で体勢を崩したが、安定装置のおかげでバランスを取り戻すと、眼下の禍眼の上空五〇〇メートル地点まで上昇を試みる。もはやブースターが稼働する振動音と空気を切り裂く音しか聞こえなかった。
◆◇◆◇◆◇◆
「うっわ、しつこいなーもう」
チークは両手に収まった二振りの刀を舞踏の如く扱い、禍眼を牽制していた。禍眼の遠く背後で美鶴の騎士の装甲が次々と分離するのが見える。一体何をするつもりなのか気になるが、とりあえず自分はひたすらにコイツの注意を引き付けていればいいだけだ。
足元に注意しながらバックステップをとり、禍眼との距離を一定に保つ。接近したところで攻撃を当てることは出来ず、かといって離れすぎて美鶴に注意を向けさせるわけにもいかない。そして、最も注意せねばならないのが、禍眼の主砲であろう。
口径120mm、砲身長は最大55口径長に伸長する滑腔砲。それより撃ち出されるのは装弾筒付翼安定徹甲弾《APFSDS》だ。装甲を貫くに特化されたタングステン弾は初速に優れ、砲口速度は1740m/秒に達して、二キロ離れた場所から厚さ560mmの装甲板を貫通する。
APFSDSの特徴は、爆薬を内蔵せず、タングステン合金などで作られた弾芯が持つ運動エネルギーにより装甲を貫通、破壊する。
撃ち出された弾丸にもグラビティーの効果が現れてほしいところだが、これまでにそうした気配は見られない。ウルがレールガンを用いて攻撃を加えて判明したのは、禍眼の重力場は下部が重力、やや上部が反重力と作用が違っていた。それを知ったところで、何の意味も為さなかったのは言うまでもないだろう。どちらにしろこちらの攻撃は全く当たることがないのだから。
「おーにさん、こちら。手の鳴るほうへ~」
リークは自棄になって、からかってみた。はたして理解したのか、禍眼が猛然と接近してくる。先ほどよりも速度が数段上回っているように感じた。地面の上を滑るように飛来してくる。慌てて横に大きく跳躍して、禍眼の重力場から逃れる。だが、突如として足元の断割されたアスファルトが宙に浮いた。これも重力操作か。進路を阻まれるようにして急停止すれば、視界の隅で頭部の正面がこちらを向いていた。大口を開いて、咽喉の奥が露になる。
「ちょ、ちょっとたんまッ!!」
当然のように禍眼はチークの一時休憩の宣言を無視して、砲身を伸ばして照準を定めた。
──やっばいって!!
騎士が大破しても死ぬことはないだろうが、今ココで自分が離脱すれば、禍眼の破壊という目的の達成に支障は出まいか。禍眼が新たな目標に美鶴を選ぶ可能性もある。意地でもメディアンの大破は避けなければならない。
チークはメディアンの翼を正面に重ね合わせるように展開し、鉄壁の防御を造る。内部の燃料電池損傷は回避したいところだった。
距離にして三〇メートル。視界で銃口炎が瞬いた。亜音速の弾丸を視認することなど到底出来ず、ましてやこんな至近距離でなど回避さえ不可能であろう。瞬間、チークの全身を強烈な一撃が直撃した。
目の前で爆煙が上がり、視界いっぱいにメディアンの装甲の一部であった金属片が四散する。聞こえるのは緊急事態を報せるアラーム音と瓦礫が崩れる破砕音、空気が掻き乱された吹き荒む風の音。
視界に表示されていたアイコンがメディアンの破損状況を報せていた。
──右腕部破損、右翼四枚破棄、左翼三枚破棄、よかったバッテリーは無事みたい。
白濁した粉塵の中から抜け出そうともがけば、脚部を何かに挟まれて身動きがとれなかった。
チークの頭が真っ白になった。このままじゃ終わる。禍眼はすでに再照準しているだろう。残り七枚の十八風切では防ぎきれない。いとも容易く貫通されてしまう。
「ちょっとまずったな。ごめん、みっくん」
「諦めるのが早いな。ボレアースの執行者はそんな軟な人間なのか? とんだ笑い種だな」
いきなり目の前に現れたのは隻腕の騎士、警察専用の無骨なフォルムをしたモデルだ。つい先ほどの戦闘でチークが降した浅沼である。何はともあれ助かった、と安堵した。
「笑止ッ!! と言いたいけど、警官さん。足を抜くのを手伝ってよ。挟まっちゃってるんだよ」
チークは浅沼に頼み込んだ。この際、今まで築いてきた九〇%到達者という自負心を捨てることは厭わなかった。
浅沼は頷くと、トンファーを瓦礫とメディアンとの間に差し込んだ。残った右腕に全体重をかけ、梃子の原理を応用して何十キロあるコンクリを除けさせた。すでに白煙は薄れ、うっすらと禍眼の姿が浮かび上がって見える。
「よし、立てるか?」
「うん、問題ないみたいだよ。脚部に異常はなし、早くこの場から離れようッ」
チークは浅沼を急きたて、夢中で走った。瓦礫から逃れて数秒後に背後で破砕音が響き、地面が割れるのではと思うほどに揺れる。間一髪の脱出劇をみせたものの、状況は相変わらずこちらが圧倒的に不利だった。近づけば動きを封じられ、離れれば砲弾の餌食にされる。せこいとしか言いようがない。
あとは美鶴に頼るしかないのだが、肝心の美鶴が同調する騎士の姿はどこにも見当たらなかった。まさかの敵前逃亡、戦線離脱、かとチークは愕然としかけたが、視界に表示されたカーソルの一つが不自然に上を示していることに気付いた。見上げて、唖然とした。
「うっわー、飛んでるよ」
チークの横で浅沼も天を見上げ、「飛んでるな。見事に」そう声を漏らした。
蒼穹の中を旋回する機影が黒点となって見えた。陽光を反射して、その周囲が異様に輝きを放っている。もし万が一に妖精や天使がいればあんな感じだろうか、チークは一人そんな思考を巡らせた。にしても、空を飛ぶ騎士など初めて見た。物好きな人間もいたものだ。いやあのドクトールなら致し方ないのかもしれない。なんせ、聡慧と呼ばれ、神智を有する者として、《知の王》・《発明王》という異名ももったボレアースの創設者と双璧と言われたまでの人間だ。あのぐらいは朝飯前なのではないだろうか。
チークは振り返り、禍眼を見据える。ここから仕切りなおしだ。今自分がするべきことは一つ。
「逃げろーッ!!」
チークは背後から接近する禍眼の照準から上手く逃れるようにして走った。浅沼はそんなチークから離れ、反対の方角に進む。浅沼とてこのままでいるわけではない。足手まといであることは分かりきっているが、自分に出来ることを探すに躍起になっていた。
早急に破壊したいと願うのは皆同じだった。それがどんな想いから来ているのかは別として。