恋人×彼氏≠マンション
サブタイトルは気にしないでください。思いつかなかっただけです。
とりあえず、文蔵には退場してもらいました。
はい、恋人同士の日常、パート1です。
診察を終えて帰路につく美鶴たちは、すっかり日が落ちて暗くなった国道をミニバンで走行していた。周囲ではヘッドライトを点けた車がそれぞれの目的地に向かって、流れるように走っている。
「そうじゃ美鶴。儂は今晩、組合での集会があるんだ。じゃから夕飯はいらんからな。ふぅ、にしても今晩は冷え込むな……」
文蔵がバンを運転しながら、後部座席に座る美鶴に話しかけ、顔を前方に向けたままで左手を伸ばして暖房の温度調整を行う。間をあけず、ゴォォッ、という音が大きくなり温風が強く吹き始める。
文蔵が所属する騎士取扱組合は、騎士関係の技術開発などを企業と協同して行っている。それなりに著名な団体である。連合組合を構成する主要な組織の一つでもある。
「いつの間にか、オヤっさんの夕飯作りも日課になってんな。まぁ、了解。それじゃあ俺は勝手にメシを喰うから──」
「じゃあ美鶴。今晩は私の夕飯担当で。ハイ決定♪」
由佳里が美鶴のパーカーの袖を二、三度引っ張って、弾ませた声で主張。美鶴の返事を待たずに由佳里は決定事項とした。そしてその勢いであれやこれやと料理名を上げてくる。そんな様子の彼女を落胆させたくないという気持ちが、美鶴の中で強くなった。後ろ頭を掻くと「仕方ないな。簡単なもんでいいよな」と言って承諾した。
「それじゃあさ。家にくる? 美鶴って、いっつもマンションまで送ってくれるけどさ。部屋に入ったことないよね?」
由佳里が窓から差し込む街の照明を反射させた、煌めいた双眸を向けてきた。口元に人差し指を当て、首を傾げて「どう?」と訊ねてくる。
美鶴はそんな仕草一つ一つを目で追ってしまい、慌てて顔を車両前方に向けた。バックミラーに映る文蔵の口元に笑みが浮かんだ気がした。
「えっと、いいのか? 何ていうか……」
──年頃の男女が二人っきりになるんだぞ。しかも恋人同士……。
別に何も期待はしていない、と美鶴は挙動不審に首を全力で左右に振った。
「いいじゃないか。──若気の至りで、ハメを外さなければな」
文蔵が美鶴の背中を押すも、きちんと釘をさした。
「はい、マンションに到着ッ。それじゃあ、部屋に早くいこッ」
由佳里がスキップするような、軽やかな足取りでエレベーターに向かう。由佳里が住んでいるのは高さ二〇〇メートルを超す、六〇階建ての超高層マンションだ。大崩壊後、隔離壁内の人口に対するキャパシティを増やすために、この類の高層建築は多く建設された。しかし、企業間の抗争などにより、外部居住区住人の受け入れが難航し、どこも空き部屋が多い。今回の各エリアでの外部圏住人の受け入れでは、そうした空き部屋も宛がわれている。仮設住宅を建てられる土地が限られているためでもある。
「んじゃな、オヤっさん」
美鶴はバンの運転席に納まったままの文蔵に手を振った。文蔵はそのエラの張ったいかつい顔に笑みを浮かべ、軽く手を上げると走り去っていった。
「ほーらー美鶴。早く、早くッ。エレベーターが来ちゃったよ」
「分かったから大声出すなよ。近所迷惑になるって」
美鶴はほとんど駆け足で、由佳里のもとに向かった。自然と高揚する感情が表情に出ないように、必死に抑えつけてエレベーターに乗り込んだ。
由佳里の部屋はマンションの五二階にあった。聞いたところによると、街の夜景が奇麗に見渡せるらしい。しかも2LDKの部屋だ。一人暮らしには広すぎるような空間に、美鶴はリビングに踏み込んで固まった。玄関を見ただけでも清潔感や高級感に溢れていたが、目の前に広がるブラックウォールナットのフローリングが照明を反射し、シックな家具が完璧と言えるほどに整頓された部屋に、美鶴は戦慄さえ覚えた。
──別世界だってッ!!
由佳里はそんな美鶴の様子を見て微笑を浮かべた。リビングの設置された黒のソファを指差して「楽にしていいよ」と言って別室に姿を消した。が、美鶴にはそんな厚かましい態度をとる気が起こせなかった。完全に気圧されていた。
数分もせずに、何事もなかったかのように由佳里がリビングに戻ってきた。しかし、服装が作業着からパステルカラーの可愛らしいルームウェアに変わっていた。由佳里は佇立していた美鶴を見るなり、吹き出して腹を抱えた。
「ほーら、ここに座っていいからッ」
由佳里がソファに埋まるように腰かけ、自分の隣りをバシバシッと叩いて指示を飛ばす。
美鶴は渋々ながらもその隣りに座った。座り心地のいいソファに美鶴の身体が沈む。
「すんごく、高そうな部屋だな……、──ッ!!」
不意に由佳里が肩に頭を預けてきて、美鶴の心拍数は急上昇した。服越しでも否応なく伝わってくる体温。少しずつ首を傾げると、由佳里の顔がすぐ目の前にあった。整った顔立ち、薄紅色の唇、艶やかな髪。広く露出した首元に見える美しい鎖骨のラインを美鶴は目で辿った。部屋着越しにでも分かる胸の膨らみに視線が行きそうになり、慌てて視線を上げれば上目遣いの由佳里と目が合った。
「なんかこうしてると、恋人同士なんだって実感するね」
幸せそうに笑み漏らす由佳里。美鶴は気恥ずかしくなりながら頷いた。
「──よっし、由佳里。夕飯作りだろ。何にする?」
「今まで食べたことがなくて、美味しいものがいいなぁ~」
「……冷蔵庫にある食材を使っちゃっていいよな」
「どーぞ、どーぞ」
美鶴は名残惜しくもソファから立ち上がり、キッチンに向かった。うん、台所も凄く綺麗で、広い。自分が住むアパートとの違いに、驚愕と嫉妬と敗北感が綯い交ぜになったような感情が込み上げる。冷蔵庫を物色した美鶴は、由佳里のリクエストに副う料理を決定した。壁に掛けられた時計を見れば、午後六時四五分。
美鶴は両手を天井に向けて、身体を左右に伸ばした。両手を洗って清潔にすると、手際よく調理を始める。途中、手持ち無沙汰だった由佳里も参加して、終始和気藹々とした雰囲気で料理は進んだ。
「でさー、この料理の名前はなに?」
料理を作り終え、リビング中央に置かれたリビングテーブルに料理を運び終えると、由佳里が目の前の、白く湯気を上げる料理を示した。
「ん? これはピカタって料理」
美鶴はテーブルの前に腰を下ろした。その隣りに由佳里も並んで座る。
テーブルの上に置かれた皿に盛られた料理からは、香ばしい匂いが漂ってくる。美鶴が作ったのは、ピカタというイタリア料理。味付けした鶏肉に小麦粉を塗し、溶き卵にくぐらせてソテーにしたものだ。
「へぇ~、初めて聞く料理。うん、すごく美味しそう。早く食べようよ、美鶴」
由佳里が美鶴を催促する。
「それじゃあ──」
「「いただきます」」
少年と少女の声がシンクロして、部屋に響き渡った。
「ほんと、美味しいッ!!」
由佳里が感極まった声を上げる。美鶴もピカタを口に運び、咀嚼する。外側はサクッとしながらも、フワッとした食感。上々の出来だ。文蔵がいればここで一杯やるだろうなと思いつつ、美鶴は隣りで嬉々とした様子の由佳里に顔を向けた。幼馴染であり、恋人である少女の幸せそうな表情を見ると、美鶴の心も幸福感に満たされた。
「はいッ、あーん」
由佳里がピカタの盛られた皿に添えられていたミニトマトを箸で上手に掴んで、美鶴の口元に運んできた。
あぁ、そうだった。由佳里はトマトが苦手だった。
「……拒否権は?」
「なしッ」
「………………」
美鶴は致し方なく、生鮮な赤い野菜を受け入れた。
そろそろ、戦闘シーンに入りたいと思います。