科学者と童顔な少年
読み難いかも……。はい。すみません。
一章で放置していた伏せんを拾おうとしたら、疲れました。
真っ白い通路は、潔癖さを強調しているようであった。白衣を纏った人々が軽く挨拶をしては後方に歩き去っていく。照明を反射してきらめく通路を美鶴と由佳里と文蔵は歩き続けていた。文蔵が先頭を歩き、そのすぐ後ろで美鶴と由佳里は肩を並べている。美鶴はいつもと変わらずパーカーとロングカーゴ姿。私服をあまり所持していないのだ。由佳里もまた変わらず、全身作業服姿だ。こちらはただ単に、私服が汚れないようにという配慮である。
本日は、美鶴の定期診断の日であった。平日であるため、学校は午前で早退した。由佳里も補助者であるため一緒に早退した。
ちなみにランカーとしての仕事の場合、学校を休んでもは公欠扱いになる。ランカーという存在は一つの生業として社会一般に認識されているためだ。ただし、診断日であるという理由での欠席は通常欠席扱いにされる。一般生徒よりも授業出席数が少ない美鶴たちは、出来るだけ欠席を避けなければならない。そのため不承不承に登校して、嬉々として下校した。
しかし、つい先日に美鶴と由佳里の付き合いが発覚した学校で、クラスメイトたちがどんな想像をしているか、考えるに忍びない。
「なぁ、オヤっさん。質問なんだけどさ」
「なんだ?」
後ろを顧みながら歩く文蔵。美鶴はその広い背中に向けて言葉を続けた。
「誠さんってもしかして、いっつも研究棟に篭ってるのか? 外に出ているとこを見たことがないんだけど。由佳里に聞いても知らないって言うし」
「私が小学生の頃は、竹ちゃんにお世話になってたもん。マンションではお父さんからの仕送りもあって一人暮らしだったから」
美鶴の隣りで由佳里が首をすくめる。だが、事の真偽を確かめたいという欲求があるらしく、興味津々な視線を文蔵に向けた。
「あぁそうか。お前さんたちは知らなかったな。言うなれば、誠さんは柴川重工の地下施設に軟禁されとるんだ。開発主任という肩書きではあるが、その権限も制限されておる」
「はぁ?!」
「えッ?!」
美鶴と由佳里は驚愕して、文蔵の顔を食い入るように見つめた。
「その訳はな。誠さんは、同調率90%の壁を越える技術の提唱者の一人であり、ボレアースの──」
「ッ!! ちょっと待ったオヤっさん。由佳里がいる」
「知ってるよ美鶴。私はお父さんのことを竹ちゃんから聞かされてるから」
「そうなのか?」
「うん」
どこか哀しげな表情を浮かべつつも、由佳里は頷きを返した。美鶴は渋々、文蔵に視線を戻した。
「まぁーなんじゃ。神の領域へと辿り着くための研究の発案者であり、ボレアースの研究員でもあった誠さんにどんな処遇を与えるべきか、警察側と連合組合側で延々ともいえた協議が行われたんだ。その結果、最も適した場所として柴川重工に白羽の矢が立ったんだ。ここは非公式に騎士の開発をすることが認められておったからな。誠さんの存在を公にせず、その才能を廃らせない配慮で柴川重工は選ばれたんだ。ここの社長も快く誠さんを受け入れてくれた。
儂らは誠さんに感謝しとる。軟禁状態であっても、不平、不満を言わないでいてくれとるからのぉ。──だが美鶴。お前さんも人のことを言えた義理じゃないぞ」
突然、文蔵から鋭い視線を向けられ、美鶴はたじろいだ。ゴクリ、と生唾を飲み込む。
「津野田さんがもし見逃してくれていなければ、今頃お前さんは少年院かどこかの研究施設に閉じ込められていたかもしれないぞ。今でこそ連合組合の厳重な保護下にあり、経過観察対象として自由の身になっておるがな」
そうであった。美鶴は思い出して苦笑いした。美鶴がボレアースのメンバーであったことを警察側は把握していない。七年ほど昔、美鶴が組織を抜けた時、血塗れの美鶴と誠を発見して病院まで届けたのは津野田であった。津野田昌親、捜査課に属す主任刑事だ。
美鶴は後から聞かされたのだが、津野田は事情を聞いたうえで、組合の知人であった文蔵に連絡をとったらしい。彼は首都圏の治安を守る警察としてではなく、一人の人間として判断を下した。美鶴の未来が出来るだけ明るいものになるよう、最善を尽くしてくれた。それゆえ美鶴は今現在、自由を享受できている。
そして津野田が真っ先に文蔵に連絡をとったことは、誠にも幸いした。
連合組合側が身柄を保護したことで、警察も不用意に誠を扱うことが出来なくなった。その結果が今なのだろう。しかし、銀狼だけは蛇に奪われてしまった。津野田が現場に戻った時には銀狼の姿は消えていたらしい。
「ってことは、誠さんは此処に住んでんのか?」
軟禁されて外に出ることが許されていないぐらいだ。生活環境が整えられているのだろう、と美鶴は考えた。
「そうだ。まぁ、何一つ不自由ないぐらいに環境は整備されとるらしいからな。衛生面なら問題ない」
文蔵が腕を組んで頷いた。
自動ドアの入り口が近づいていた。美鶴たちは白い通路の先に連なった変わり映えしない純白の部屋に入った。書類やらマグカップやら機械の一部が乱雑された作業台が眸に映る。その周囲では目の下に青痣をつくった研究者たちが慌ただしげに動いていた。
どことなく場に張り詰めた空気が漂っていた。美鶴は無性に、換気して空気を入れ替えたく思った。
「なんか張り詰めてないか?」
美鶴は目の前の文蔵に声をかけた。文蔵は顎をさすり、低く唸った。
「どうも、そのようじゃな……。誠さんはどこにおるだろうか」
文蔵は目を凝らして、誠の長躯か誠愛用アンドロイドのよく肥えた姿を探した。ふと、こちらに気付いた白衣の男性が小走りで近づいてくるのが視界に映る。愛称『ペロッキー』こと……中肉中背の冴えない研究員だ。相変わらず、口端からキャンディーの白い棒が覗いていた。
「お久しぶりでありますッ」
ビシッ、と敬礼するペロッキー。その目元にも隈が出来ていた。全体的にやつれた様子であり、冴えなさに磨きがかかっている。
「ペロッキーさんだったかな」
文蔵が気圧されながらも、口を開いた。
「はい、であります」
「誠さんから連絡を受けて、美鶴の定期診断に来たんじゃが。どうも忙しそうですな」
ははは、と乾いた笑いをして、ペロッキーが後ろ頭を掻いた。
「最近実験ばっかりだったもので。でも安心してください。試作段階ですが、今日完成しましたから」
と言うペロッキーの後方では、研究者たちが互いに労いの言葉を交わしていた。ではこの場に未だに漂っている張り詰めた空気は何なのだ、と美鶴は首を傾げた。
「ただ、主任の方がまだ実験中なんですね。あの人は凄いですよ、ホント。僕たちじゃ全く理解出来ない図面を描いてましたし、開発速度も僕らが一〇人の開発チームを組んだよりも早いですから」
ペロッキーが今はこの場にいない誠に対して、羨望の眼差しを向けた。
なるほど、この空気は彼らの開発主任の実験の動向を知りたい故のものらしい。成功を祈る気持ちが空気を張り詰めさせていた。
「それじゃあ、出直した方がよいかの」
「──いや、主任が連絡をとったなら、平気であります。きっと、完成のメドが立っていたのだと思います」
深く頷くペロッキー。ここまでの一連の会話で、彼が誠を非常に尊敬しているのだと知れた。誠はとても恵まれた環境にいるようだ。
「ところで誠さんは何の実験をしとるんですか?」
文蔵の質問に対して、ペロッキーから返って来た返事は、
「想念技術の一種らしいんですが……。想念技術っていうのはですね、人の脳波で機械を直接操作する技術の総称なんですがー、確かオーバーダイブが何とかと言っていたです」
というものだった。ペロッキーはその言葉が初耳なのか領解しない表情をして、首を傾げた。
美鶴と文蔵と由佳里は、途端に複雑な表情を浮かべた。
三人ともオーバーダイブの名を知っていた。その技術の内容も概ね把握していた。何か良くないことが起こる、三人はそんな前兆を感じた。
「──先生、これ何?」
凶兆だと考えていた美鶴は、誠(肥満体型アンドロイドモード)から手渡されたソレを見て眉を寄せた。隣から由佳里もそれを覗き込み、こめかみに手を当てた。
「ブレスレット?」
由佳里の言葉に美鶴も賛同したかった。見た目自体はクロムメッキのブレスレットであった。しかし、材質が何で出来てるのかと思うほどに、ずしりと重たい。二人の困惑する様子に不敵な笑みを浮かべる誠(肥満体型アンドロイドモード)。
「何と、それはぁッ」
「「それは?」」
「オーバーダイブシステムの安全装置と見たがどうじゃ?」
文蔵の言葉に誠は豊満な頬を膨らませた。誠が精神転送しているこのアンドロイドの造りは人に酷似されている。騎士の多くが眸に幾何学模様を浮かべているのに対し、これは瞳孔といった細部まで造り込まれており、人目では機械だと判別できない。
「どうして先に言っちゃうんですかッ、竹山さんッ」
誠が頭を抱えて大袈裟に苦悶する。美鶴たちはそれをみて苦笑するしかなかった。
◆◇◆◇◆◇◆
「なるほどー。こいつを嵌めとけばオーバーダイブをしても、精神回帰が無事に起こるってわけか」
美鶴は試しに手をその輪に通した。しかし、この重さは気になる。
「まだ試作段階だけどね。とりあえず、首輪だった頃の安全装置を真似してみたから、今の段階で50%の成功率ぐらいにはなってると思う。さすがに肉体との直接接続じゃないと成功率は下がっちゃうね。あッ、実際に試さなくていいよ。失敗したら困るから」
誠が慌てて、視線を美鶴と由佳里に通わせる。ふくよかな顔の目元が緩み、優しげな笑みを浮かべていた。
「いやー、ベストカップルだね。由佳里、おめでとう。お父さんは鼻が高いよ」
「ありがと、お父さん♪」
「おーい、先生。さっさと診察を終えちゃおう。俺たちは明日も学校なんだよ。今日は早退したけどな」
美鶴は誠をじろりと一瞥した。誠が頬を掻いて、申し訳なさげな顔をする。診断日と重なって、学校を早退または欠席したのは今日に限ったことじゃない。美鶴としては、学校を休めるいい口実となるのだが、あまりに休みが多いと進級のための追試験を受けさせられるハメになる。
今学期はまだ出席数は足りている、はずだ。
「それじゃあ、診療室にいこっか美鶴君。っとその前に、人間モードに戻らなきゃだ」
「そっちの方が似合ってるよ」
美鶴は、背を向けてそそくさと離れていく肥満体型アンドロイドの恰幅のいい後ろ姿に向かって言葉を投げかけた。「ありがとー」と返事が返ってきたのに、思わず失笑した。
どこかの病室かと見紛うような部屋の様子が視界を埋める。明らかにそうじゃないと理解させるのは、部屋に据えられた転送装置の存在だ。美鶴のために用意された診察室。美鶴は転送装置の中に納まると、力を抜いて全身を預けた。
「そうそう、鎌錐弐式の調子はどんなもんだい?」
まめに散髪されていないクセのある茶髪をした誠がA4サイズの情報端末のディスプレイを見ながら訊ねてきた。横顔であっても、その頬が痩けているのが分かる。研究のために自分を酷使した証拠だ。
ちなみに鎌錐弐式とは、前回のブラド操る戦猿との戦闘で大破した鎌錐の後継機だ。形姿にはほとんど変化はないが、性能面が飛躍的に上昇している。
「快調だよ。『引き剥がすもの』の飛距離も伸びたしな。それよりも先生。自分の調子はどうなんだよ。随分と痩せこけてるし、目元の隈も酷いぞ」
美鶴は自分でも驚いてしまうほど、誠を心配した。
「最近はホントに研究漬けだったからね」
誠が目頭を揉んで、首を回す。足を組み直し、自分で肩をほぐすようにする。随分と疲労困憊の様子だ。
「まさか、転送時間で六時間を越えた日はないよな?」
転送には転送限界時間が定められているのだ。人によって多少前後するが、一日六時間以内と決められている。それを越えた場合には、肉体に戻ったときに揺り戻しとも呼ばれる、吐き気や平衡障害などの反動が大きくなる。一種の接続酔いだ。誠の様子を観察するかぎり、この揺り戻しの症状が現れていた。命に別状はないだろうが、十分な休息が必要であろう。
「ここ最近は二、三日それが続いたかな……。ふぁ~ねむい」
「由佳里が心配するから無理すんなよ」
「おッ、彼氏として、彼女のお父さんを心配してくれるのかい?」
「茶々入れんなッ」
美鶴は短く嘆息して、転送装置に深く埋まると、視界から誠の姿を消した。この調子なら心配することもないだろう。
「……かつての君と較べられれば、僕なんてまだまだだよ。あぁそうだ、さっき渡した安全装置は常に身に付けておいてね。半径三〇センチの範囲に君がいれば機能するから。万が一ってこともあるからね。まだ彼らの行方は分からないわけだし、エリア内に侵入しているかもしれないからね。前みたいに、昏睡して由佳里に哀しい思いをさせないでもらいたいから」
誠の声が転送装置内に反響する。美鶴は眸を閉じて、返事は返さなかった。
かつて、施設にいた頃の美鶴の騎士との最長接続時間は二四時間を越える。ボレアースが作った投薬の成果だ。日本の施設が廃墟と化した現在では、そんな薬物は日本に存在してはいないだろう。そう、日本には。
日本のボレアースの本拠点であった『アンダーヘル』は、過去に美鶴が再生不可能なほどに破壊し尽した。多くの執行者を排除し、研究資料も抹消した。しかしそれは日本の中だけの話だ。ボレアースの組織としての本部は外国にある。しかし外国でも排斥運動が強まっていたため、今も存在しているかは分からない。第一、美鶴は本部の所在地を知らない。誠なら何か知っているかもしれないが、それを聞く気にはなれなかった。聞いたところでどうすることも出来なければ、日本と同じように破壊しようとも思わない。
美鶴としては、世界から脅威となる存在を無くすことよりも、由佳里との日常を守ることの方が大切だった。
美鶴と由佳里の恋人らしいシーンみたいなのが書きたいなぁー。と思う今日この頃。
夏祭りや夏休みを迎える前に、そんな場面を書ければいいなと考えてます。