過去と現在と野菜炒め
美鶴がアヴィアターになった時の年齢を変更。
「大収穫~♪ だいぶ安く買えたね。おまけもいっぱい付いたし」
由佳里が嬉々としながら、軽快な足取りで日が沈んだ通りを進む。その後ろで白い吐息が棚引いては淡く消えていく。
すっかり日の落ちた首都圏。遠くを見れば航空誘導灯が隔離壁を朱く縁取っている。
「色気でおじさん口説いただけだろッ」
宣言どおり戦利品を両手に持たされた美鶴は悪態をついた。美鶴の買い物袋よりも由佳里のモノの方が重い。ちなみに美鶴の財布はいつでも軽い。
「いいじゃん。君も安く買えたんだからさ」
「お前のせいで俺は筋骨隆々な禿頭のおじさん達から敵視されてたんだぞッ」
美鶴はうんざりだと言いたげな顔で呻いた。その端正な顔に疲弊の色が濃くなる。壮年の男衆の無言の顔が由佳里に近づくなと示していたのだ。そんな美鶴の様子に由佳里が首を傾げ、口元に人差し指を当てた。
「えぇ~、別に好意を抱いてくれる人もいたじゃん」
「あんな兵は好意の対象外だ!! 俺を冥府魔道に誘うなよ!!」
美鶴は呻いて星の見えない夜空を見上げ、心の内で罵倒した。
──あのひょろ長おじさんはゲイバーに入り浸っていてもらいたい。いっそ日の光を見るなッ!!
げんなりする美鶴とは対照的に、由佳里は心地よい笑い声をたてる。その笑顔に目を奪われそうになり、美鶴は慌てて余所に視線を向けた。
由佳里には笑顔が似合っている。それを自分は失わせたりはしないだろうか。そんな疑念が浮かんだのを美鶴は緩く頭を振って忘れようとした。失わせないように努力をするだけだ。
その後もたわいのない談笑を続けて二人はアパートに辿り着いた。
「さてさて、今晩はどうしようかな~」
軋む階段を駆け上がって、由佳里が合鍵でアパートの色褪せた朱色のドアを開ける。
「お、ありがと」
由佳里がドアを押さえてくれているうちに、その横をすり抜けて美鶴は部屋に入った。冷え切った部屋の空気に身を震わしつつ、日に焼けた八畳部屋の片隅に鎮座された卓袱台の上に二つのビニール袋を載せた。そうして背骨を反らせばポキッ、ポキッと軽快な音が鳴る。
「んじゃ、由佳里の分はこっちな。気をつけて帰れよ」
振り返って見れば無人の玄関へと続く通路。疑問符が浮かんだ美鶴の背後からふいに声が上がった。はぁー、と顔を押さえて溜息をついた美鶴は振り返って、行儀よく正座している幼馴染を見下ろした。
「今日の晩御飯は何だろな~~。楽しみだなぁ~~」
「…………作んねぇーぞ」
「晩御飯、何か作ってよぉ。わたしの食材使っていいから~」
卓袱台を前に座る由佳里はコートを脱いで、長袖のカットソー姿になっていた。そして何故だか、胸を寄せてフェロモンを放出している。色気作戦かッ、とつっこみそうになった美鶴は慌てて自制。代わりに美鶴はそれを極力見ないように努めて、玄関口を指差した。
「ここはお前の家じゃねぇ。マンションにか・え・れッ」
「補助者を不当に扱っていいのかなぁ? 《鎌錐》にバニーガールの格好させるよ」
騎士にバニーガールとは何とも背徳的過ぎはしないだろうか。そんな格好で街中に出れば、確実に不審者または欲求不満な変態だ。美鶴はパーカーの袖から覗く左手で拳を握り締め、歯軋りして、言葉を紡いだ。
「……ご要望は何でございましょうカッ」
「野菜炒めでお願いします」
由佳里は深々とお辞儀をして申し上げた。
美鶴は吐息を漏らして、意外に簡単なとこが来たことに拍子抜けしながらも了承した。別に美鶴自身、料理好きを自称しているだけあって人に腕を振舞うことは好きだった。ただ由佳里に対しては素直になれないという、美鶴自身も理解し難い感情があるのだ。
美鶴は水色のエプロンを付け、自分自身の買い物袋からもやし一袋を持ち出す。炊飯器に電源を入れ、米を炊く。
「あれ、自分の使っちゃうの?」
「感謝しろよ」
由佳里は微笑を浮かべて頷いた。そんな動作に扇情的さを感じてしまうのは末期症状か。美鶴は今日何度目か分からない溜息をついた。
「コタツないの~、転送装置邪魔だな~~。狭いなぁ~~」
「狭くて悪かったな……」
──確か冷蔵庫にキャベツと人参があったな。
冷蔵庫の一番下段を開けて、新聞紙に包まった塊と明るいオレンジの人参を取り出す。
「あとは肉と、ニンニクってとこか」
使い込まれたであろう年季ある台所で料理の準備が整えられると、ドアが何者かによって開けられた。部屋に冷気が入り込み、美鶴はブルリと身を震わした。
「うー寒い。帰ったぞぃ。なんだ、美鶴もおるのか?」
ここは俺の部屋だ、と叫びたいのを美鶴は堪えた。どうやら文蔵が帰って来たらしかった。壁にかけられた時計を見れば午後六時時四五分を示している。
美鶴の視界の隅で、角ばった白髪交じり頭にエラの張った顔貌の老人が姿を現し、由佳里と同じようにして席に着いた。そして懐より日本酒、一斗瓶を取り出すと、ドンッと卓袱台を揺らして置いた。文蔵は何か深く考え込む素振りを見せると、思いついた様子で手を叩いた。
「そうだった。おい、何かつまみはないのか?」
「俺は未成年だッ!! 自分の部屋から持って来いよ」
間髪入れず、美鶴は文蔵の要求を跳ね除けた。文蔵は美鶴の住むサパートの大家であり、その名を世に知られた騎士の整備士であり、美鶴のお隣さんであった。
三人も入るだけで非常に狭苦しくなった部屋。既に部屋の四分の一近くを転送装置に占拠されているので、始めからほとんど人が寄せ集まれる空間はないのだ。
美鶴は後ろ髪を掻き毟って、料理に意識を集中する。
もやしを茹で、キャベツは雑把に切り、人参は短冊切りにしていく。
野菜炒めだけは寂しいので味噌汁もメニューに加える。
気付けば鼻歌を口ずさみながら中華鍋を操っていた。出来た野菜炒めを菜箸で三つの皿によそる。
味噌汁もお碗に分けて、文蔵のために冷蔵庫より沢庵と壷漬けを取り出す。
「はい、どうぞ」
湯気の立ち上る料理を卓袱台に載せて、美鶴も席に着いた。
そうして浮かぶ疑問。何が悲しくって、三人集まって部屋の隅で卓袱台を囲ってなきゃいけないんだろうか。しかし、こうして三人で食事をすることは久々だった。中学の頃はよく由佳里も入れた三人での食事をしたものだった。大抵の場合、由佳里がアパートを突然訪問して、夕飯をせがんでいたのだが。いや、それ以外の理由もあったな。
「家政婦さながらだな。儂にも一人ほしいな」
文蔵が顎に手を当てて独り言ちる。
「お持ち帰りしちゃえば?」
由佳里がそれに答えた。文蔵はいい考えだと言いたげに手を叩いて、頷いた。
「そうだな。うむ、そうするか」
「断固拒否させてくれッ。てか早く喰えよ」
華やぐ場に久しぶりに賑やかな食事だなと美鶴は思い、これも悪いもんじゃないなと一人頷いた。
「やっぱり、君の腕は確かだね。私じゃこうはいかないよ」
由佳里が機械的に箸を動かして、野菜炒めを口に運ぶ。
「喋りながら喰うなよ……」
「そうだ、おい美鶴。リモコンはどこだ。ニュースを見なければ」
「あぁ、ここ。卓袱台の下」
美鶴は取ったリモコンの電源ボタンを押して、テレビの電源をつける。
人の声が漏れ出すと共に映像が映し出される。キャスターが険しい表情で報道していた。
『伊集院総裁と設楽国家主席との会談が来月行われることが決まりました。そこで日本エリアの外部居住区の難民への救済策及び外部環境の改善策が話し合われることが焦点となっています。この会談で一つの復興の兆しが見えるのか、人々の期待が募っています。それでこの会談の──』
「うむ。クロヅカと西施の両総裁が会談を行うのか。だが内容あるものになるだろうか。儂には形式ばったものにしか見えんな。市民の疑惑を静めるための布石にしか映らん」
文蔵が一杯やりながら、テレビの画面を凝視する。眉はひそめられ、いかがわしげな表情を浮かべている。
美鶴は興味の薄い視線をニュースに向けて、味噌汁を啜った。
クロヅカ──首都圏《エリア2》において最大規模を誇る企業。
家電から騎士開発など多岐に渡った企業運営がなされている。
質実剛健という風土をもっており、作られる騎士は無骨で重厚なものが主流。大崩壊前からの古参である。
また傘下には重工業、軽工業、建設、航空、コンピュータ関係の数多のグループ企業を抱えている。この旧日本地域においてトップに位置する企業と聞かれれば、クロヅカの名が真っ先に挙がるだろう。
対して西施技研産業、一般には単に西施と呼ばれるが、こちらは近畿圏《エリア4》において頂点に君臨する企業だ。大崩壊後に勢力を拡大した新興企業で、エネルギー関係、軍事機器、生体工業系の産業においてトップシェアを誇る。騎士の製造も行っており、ビジュアル面の重視されたものが目立つ。
この両企業の代表がそれぞれのエリアを統治しているため、今回の会談での成果は注目されることは必須だろう。ただ、これをよく思わない連中も多くいることだろう。
美鶴は今日、散々破壊した死神の行進の騎士を思い返した。あれは中京圏でよく見られる型式であった。企業間でしのぎが削られる現在では、資源確保のための労働力が最も必要とされている。
非人道的なことまでして各企業が欲するのがマグネシウム合金、《パンドラ》だ。
従来の合金よりも軽く、丈夫で衝撃吸収にも優れている。
最近の工業製品にはほとんど原料として使用されており、マグネシウム資源の確保がここ最近激しく争われている。
もちろん騎士の素材にも使われている。
「食べないのなら君の分も貰っちゃうよ♪」
『次のニュースです。騎士犯罪の増加に伴い、操者検定組合総連合会は操者採用試験の見直しをする方針を固めました。これに伴い各世界エリアでの現操者の資格所持者は再試験を受ける見通しとなっています』
──メンドくさッ。犯罪増加してんのかよ。ッたく、傍迷惑な話だって。
アンドロイド技術は当初、崩壊した世界の復興のために開発された。大崩壊後、一年以内に技術が確立されていたことを聞かされた時は驚いた。隔離壁の建造や各エリアの再建はそれらのおかげだ。その後医療現場、身体の不自由な人々のためにも開発が進んだ。残念なことに、企業間の競争が表面化し、企業同士の抗争、利益確保として汎用性と機動性が向上し、武装されたアンドロイド──騎士が生まれた。
現在ではあからさまな敵対行為を起こさぬように、あらゆる対策が採られている。それでも企業同士は互いに鎬を削る状態を維持していた。それに利用されるのは決まって操者と騎士を二つで一つの評価対象とした存在、ランカーであった。
美鶴は頬を引きつらせつつも、画面から目を離さなかった。
幸いなことに操者になれるのは、誰しもがという訳ではない。適正試験を受け、筆記試験を受け、実技試験という過程を経て資格を得られる。
大抵の人は適正試験段階で落とされる。理由は接続酔いと呼ばれる症状だ。
一種の船酔いに似た吐き気や頭痛などを催すもので、擬似脳への精神転送時に起こる。
それと適正試験を受けられるのは満一八歳の青年だ。性別は問わず、健康体である者ならば受けることが出来る。
美鶴は現在一七歳。美鶴の場合、アヴィアターとなったのは例外中の例外、八歳の時であった。
その時、彼の世界はこぞって色を変えた。しかしその代償は大きかった。
全てを壊され、全てを失った。
「はぁ、ほんとメンドい…………ッておい由佳里。なに人の分まで喰ってんだよッ」
「ほいふぃふぁったたら(おいしかったから)」
「理由になってねぇ!!」
美鶴は卓袱台を叩いて声を張った。由佳里は今のが解読出来たことに驚愕したらしかった。目を瞠って驚愕すると、右手で正しく扱っていた箸がその手の間から抜け落ちた。カチャン、カチャンと軽い音が響く。
「あいかわらず仲がいいな二人とも。儂の入る余地はないな」
文蔵はかわらず一人、猪口を片手に漬物をつまみに酒を楽しんでいた。横目で美鶴たちを一瞥すると、意味深な笑みをその口端に湛えた。
──てか、入る気ねぇーじゃん。
美鶴は頬を掻いて、残された野菜炒めを由佳里に献上した。