寒空の下の灯火
誤字など訂正。
他にあれば、教えてください。
この世界における死は酷く色褪せ、現実味を失くした。騎士を介した殺戮は罪の意識を鈍らせ、操者は自らの死を恐れることを忘れ、己を過信する。隔離壁に囲まれた結果、外の世界での悲惨さを人々は忘れた。思い出と化した過去に鮮明さはない。薄れ、霞み、褪せた。
プレデターの強襲から一週間が経過した。世間は未だに慌ただしく巡り、休まるところを知らない。今回の事件を起こした蛇に援助行為をしたとして、エリア1の複数の企業の経営責任者が身柄を拘束された。別の話題としては、日本国内のプレデターに対して、半年以内の殲滅作戦決行が決まったことだろう。文造は酷く驚いて腰を抜かしていた。
由佳里はブレザーの下にカーディガンを着込んで、慣れた通学路で自転車を漕いでいた。もうすっかり冬だ。由佳里が通り過ぎた後に白い吐息が棚引く。目の前に登校中の学生の姿が大きくなる。同じ西徳大学付属高等学校の生徒達だ。
「ゆかりっち、おはよ─」「先輩おはようございます」「一緒に登校しよッ」
明るい声が寒空の下に光を灯した。由佳里は片手を離して、彼らに手を振った。「おはよう、みんな」負けないぐらいの明るい声を出した。
辿り着いた学校、予鈴にはまだ時間に余裕がある。見慣れた校門を抜け、駐輪場に自転車を置いて教室に向かった。生徒が各々の教室へと向かう流れに紛れて歩く。
由佳里は2-1の教室の扉に辿り着き、開けようとドアに手を掛けた。ふと視界の隅で、見覚えある姿が映った。隣のクラスの前の廊下に二つ結いの少女が立っていた。可愛らしい顔立ちをしている少女だった。身長は由佳里よりも幾分か小さい。一五〇センチ後半辺りだろう。いつもその表情を占めていた明るい笑顔は消え、重苦しげにくすんでいた。窓際に背を預け、思い詰めた表情をしている。
「瑠璃ちゃん、おはよ」
由佳里は近寄って、その横に肩を並べた。隣の少女は一瞬、驚いたような表情を浮かべ、すぐに申し訳なさそうに俯いた。ここ最近はいつもこの調子だった。そうなるのも無理はないだろう。だが、彼女が萎れていると学校全体も暗く沈んでいるように感じられた。
「元気だしてよ瑠璃ちゃん。別に瑠璃ちゃんのせいじゃないんだよ。もちろん小埜崎さんのせいでもない。……美鶴が自分勝手に、残された人の気持ちを考えずに決心したことだから、気に病まないでよ。瑠璃ちゃんが暗いと学校全体も暗くなっちゃうよ」
「……そうですね。美鶴先輩の分まで明るさを供給しないとですよね。由佳里先輩、ありがとうございます。少し気がラクになりました」
瑠璃は笑顔を取り繕って、階段に向かう。彼女が見せたのは無理に笑おうとした、固い笑みだった。由佳里はその小さく萎縮した背中を目で追った。やはり引きずっているようだ。由佳里は瑠璃の後姿から視線を外し、すぐ前の教室を見た。
開いた扉から見えた机の列。奥の前から三番目の無人の机。
一週間前からそこの主は戻らない。
咽喉の奥から込み上げてくる感情。咽喉が渇くような情動。由佳里は踵を返して、自身の教室に向かった。逃げるようにして、足早に自分のクラスに滑り込む。失った日常を目の当たりにすれば、胸に穴が開いたような喪失感で息が詰まりそうになる。
自分の机に辿り着いて、手に持っていた鞄をその上に置いた。時計が午前八時二五分を指した教室には、未だ三分の二近くのクラスメイトがいなかった。
由佳里は椅子に腰を下ろし、何とはなしに窓側に顔を向けた。窓の外、硝子越しに見た景色には透き通った空の蒼が一面に広がっている。何故か無性に甘いものが食べたく思った。
「あ、そうだ」
ふと思いついた。放課後に彼が好きなモンブランを買って帰ろう。
彼は食べてはくれない。笑顔を向けてもくれなければ、話もしてくれない。
それでも地球は巡り、現在を過去にしていく。
由佳里は両腕を天に伸ばし、背筋をぐっと伸ばした。今日もまた変らない一日だ。
モンブランが無性に食べたくなったので、モンブラン起用。
はい。