死にゆく騎士に手向ける告白
時間的齟齬が発生したので、多少変更あり。
主に由佳里が美鶴を『君』と呼ぶようになった事件の時に、由佳里は小学生だった。みたいな変更。
美鶴の言葉に暫し、粛然とした通路。美鶴は落ち着かない気分になった。自分が今言った言葉を二人はどう捉えたか。彼らは素直に言葉を受け取っただろうか。そうであって欲しい。そうでなければ決意が揺らいでしまいそうだった。最初に声を出したのは瑠璃だった。
『そっか、それがありましたね。さすが先輩です。それじゃあ、今すぐにでも──』
美鶴は胸を撫で下ろして、悲愴感を大きくした。
「待って」
『どうしたんですか、小埜崎さん? 今のところプレデターの反応は遠いですよ。今のうちにゲートを封鎖しましょうよ』
「少し美鶴君に聞きたいことがあるの。ねぇ、美鶴君。気になっていたんだけど、君が使って見せたその力は何? その力の代償はないの? 騎士が大破した場合、転送装置を使用しないで無事に肉体に精神が戻れるの?」
龍王が正面から美鶴を見据える。美鶴はそのカメラアイの奥に、艶やかな黒髪の女性、小埜崎叶望の心配そうな顔が見えたように思った。それでもまだ、この決意は揺らぎはしない。
「この力は、俺がボレアースの入って受けた人体改造によるもので、転送装置なしに騎士との精神のやり取りをする技術です。この力の代償は無いですよ。転送装置がなくても肉体に戻れるようになってます。だから心配は無用です」
「──嘘ね。あたしには君が今、どんな表情をしているか分かるよ。すごく哀しい顔をしてる。正直に話して欲しい。もし、仮にその技術が精神を戻すことまで可能だったとして、今の君にもそれが可能なの? 君の肉体側にあった首の傷は何か関係がないの?」
鋭い観察眼だ、美鶴は騙すのを諦めた。正直に言おう。後腐れのないようにしよう、と思いなおした。
「分かりました……正直に言います。精神が肉体に戻る可能性は極めて低いです。小埜崎さんが気になった通り、首の傷は本来あった安全装置の取り除いた傷跡です。リバースを起こした場合、安全装置がなければ、転送装置なしに精神を戻すのは不可能に近いですね」
「………………」
『そんな、先輩。もしかしたら死んじゃうんですかッ!? うちに愛の告白をしないで、墓場に埋まる気ですかッ。そんなの、そんなのってありえないですよッ!!』
「俺がお前に告白するほうがありえねぇーよッ」
美鶴は吼えて、銀狼の残った左手の長剣で石畳の床を叩いた。酷く硬く、冷涼な金属音が鳴る。何というか、折角のしんみりとした情感が尽く破壊された気がした。瑠璃は言葉を続けた。
『それじゃ分かりました。先輩の告白は由佳里先輩に譲ります。代わりにうちは先輩のキスをもらいます。これで手を打ちましょう』
「遠慮する。なんだよキスをもらうって、絶対にやんねぇからな。いつから交渉の話になったんだよ」
『うわ、由佳里先輩への告白は否定しないんですか!? この浮気者ッ』
「だから何でだよッ。誰とも付き合っていない時点で、浮気じゃないだろ」
美鶴は呻いて、嘆息した。この後輩は、やはり補助者として異質だ。
──てか、瑠璃と会話する場合は必然的に龍王に向かって話さなきゃなんだよな。つまり、小埜崎さんに対しても話をしているようなもので。
「なるほど。美鶴君は由佳里ちゃんに惚れてるわけだ。どおりで何か言いたそうな雰囲気だったわけだね。あたしは君の要求は呑めないよ。そんな未練を残して、死なせるわけにはいかないよ」
さきほどまで、押し黙っていた小埜崎が口を開いた。
やはりそうなるのか。美鶴は必死に、この場から逃げようとする気持ちを押さえつけた。死の恐怖が追い縋ってくるのに堪えた。
「絶対に死ぬわけじゃないですよ。最悪、死亡するだろうって話なだけで、肉体に戻る可能性はゼロじゃないです。もう余り時間は残されてないですよ。彼我の戦力を考慮すれば、悩む時間も惜しいですよ。それに、エリア2の全人命、数千万人の命とたった一人の人間の命を同じ天秤で較べるまでもな、い……でしょ、う」
言葉の最後の方は震えてしまった。恐怖が美鶴の首を締め上げる。一度、揺らぎかけた決意を固めなおす。つかの間の静寂のあと、小埜崎が答えた。
「そうだね。あたし達には命を選択する権利はないよね。美鶴君、ゴメン。どうかあたしを怨んでほしい。あたしは最後の最後で無力だ」
龍王が左手で腰の鞘から、太刀を抜いた。冷気を発する、冷酷な刀身が露になる。小埜崎は迷いを断ち切るように、その刀身を凝視した。
『小埜崎さん……。うちのことも怨んでください先輩。もし、もし戻れたら──』
「キスはいらねぇーぞ」
『なんでですかー!? 女の子とキスしたくないんですか?』
「いや、したいけどさ……なんていうか……」
美鶴はたまらず言いよどむ。
『なんていうか?』
「お前じゃ嫌だ」
『うわひっどッ』
美鶴は腹をよじって笑った。精神体である故に、いつまで笑っても腹が痛くはならなかった。こんなやり取りが出来なくなるかもしれない、そんな恐怖を一時忘れられた。
「美鶴君、それじゃ行こう。破壊すべきはゲートの片側だよ。急ごうッ」
小埜崎の龍王が先導して、通路を進む。美鶴はその後ろを追って、銀狼を走らせた。
第一門扉方式通路は首都圏で最大規模のゲートの一つであろう。高さ一〇〇メートルの入り口は、横二〇〇メートルに渡って長々と続いている。かつてこのゲートは重工業機械の搬入、搬出、または工業用アンドロイドの移動のために使用されていた。しかし大崩壊後、居住可能地域が形成されるにつれ、開門する機会がめっきり減った。人々はもう二度と使用されることは無いと信じて疑わなかっただろう。まさかこんな形で、ゲートが開門することになるなど、誰が想像したか。目の前にある、生き残ったゲートの可動部を見ながら美鶴は思った。これを破壊すれば皆を、由佳里を守れるのだ。
「主兵装展開、素戔嗚尊」
龍王の左手の中で太刀の刀身が紅く輝き、美鶴の目の前に顕現する絶対強者。
美鶴は通路の壁に背を向けて、龍王に向き直った。
『先輩、絶対に死なないでください。目を覚ましてくださいよ。キスは諦めます。だから、代わりに由佳里先輩を悲しませないでください。由佳里先輩に告白してください。絶対戻ってください先輩。ぜ、ぜったい……いやで……すから。もどって、きて……ください』
途中から言葉に少女の嗚咽が織り交ざる。
──戻って告白かよ。もし玉砕されたら、立ち直れねぇよ。……でも、そうだな。目を覚ませたら、想いを告げよう。由佳里に拒否されたらそれまでだ。諦めようか。
美鶴は無言で少女の泣声を聴き、どこかの部屋で目を赤く腫らしている後輩の姿を想い、胸を痛めた。わるい、ごめん。
「安心しろよ。俺はぜってー戻ってくるからさ。代わらない日常に戻ってくるから。首を長くして待ってろ」
美鶴は銀狼の腕を広げた。
「小埜崎さん、お願いします」
「ほんとにゴメン。美鶴君」
微かな声音で小埜崎が呟くように言った。そして、龍王はその手に握る灼熱の刀を銀狼の胸に衝き立てた。火花を散らして、刀身が背中に生える。全身を駆ける疼痛、美鶴の視界に激しくノイズが走る。乱れる世界。目の前にいる龍王でさえ、形が定かでなくなる。
二たび盛大に火花を散らし、刀身が引き抜かれる。
「離れてください。爆発に巻き込まれないうちに」
美鶴の言葉に首肯して、小埜崎が離れていく。後ろ髪を引かれるように、何度も何度も後ろを顧みながら離れていった。
「──あと、数分ってとこかな」
一人寂しく美鶴は呟く。イギリスの学者、ロバート・バートンの言葉を思い出していた。『死の恐怖は死よりも恐ろしい』その通りだと思った。次第に迫るカウントダウン。迫りくる恐怖が美鶴を掴まえて離そうとしない。
「嫌だ、死にたくないッ。死にたくないッ、死にたくないッ、死にたくない。怖い、怖いコワいコワいコワいッ」
唐突に誰かの咽び声がした。聞き覚えのある少年の声だった。美鶴が振り向けば、通路の薄汚れた壁の代わりに映る光景。白衣を真っ赤に染めた女性が一人、その前に佇む騎士が一体。これは美鶴の過去。忘れられない血に塗れた過去。
過去の出来事がフラッシュバックしていく。走馬燈のように思い出が去来する。
「美鶴君、どうか娘の顔を一目で構わない。見させてくれ。そしたら僕は殺されて構わないから。お願いだ、由佳里の顔を見させてくれッ」
目の前で土下座する男がいた。白衣を纏った長躯が二つに折られ、顔は床に擦り付けられている。美鶴はその様子を見下ろしていた。
自分には研究員の始末が命じられている。とある研究プロジェクト関係者の抹殺だ。つい先日、蛇狩が決行され、美鶴がいる施設にも警察やランカーが迫っていた。
そのために施設を引き払い、避難することとなった。
研究員は一人残さず排除しろとのお達しだった。その命に逆らえば、美鶴自身が反逆者扱いにされて処罰を受ける。残念ながら彼らは美鶴を含めた数人をモルモットにしていた連中だ、殺すことに躊躇する理由がない。しかし美鶴は行動に移れなかった。ここに来るまでに何人を手にかけただろうか。両手の剣は血に濡れ、妖しく光を放っている。しかし美鶴は動くことが出来なかった。どの研究員も自分の命を奪うなと、その尊さ、価値を訴えた。自己中心的利己主義者だった。
だから何故、此処まで自分の命より娘の事を優先するのか不可解だった。だから美鶴は返事の代わりに振り上げた手を下げていた。腕の先に存在した剣が研究室の床を穿つ。
男は安堵した表情をした。眼鏡の奥の人懐こい眸が細められる。
果たして、この男が願いを叶えた時、自分はその命を奪えるだろうか。この男は大人しく死を受け入れるだろうか。
「じゃあさ、先生。俺の身体を運んでくれない?」
「あぁ、いいよ。僕に任せてくれ」
男はぐったりした少年の身体を背負った。二人の逃走劇が始まった。
時間は巡り、鬱蒼とした森に場面は変わる。樹冠が空を隠し、陰鬱な雰囲気を作っていた。 美鶴の後を追って、男は走る。息を絶え絶えにしながらも、弱音を吐かず疾駆していた。
「急げ先生ッ。奴らは血眼になって俺達を捜してる。止まると殺されるぞッ。娘に会うんだろ、あんたを由佳里は待ってるぞッ」
「はぁ、そうだね……。僕は足を止めちゃ駄目だ。はぁ、はぁ……」
数百メートル後方では、天を焦がす焔が上がっていた。美鶴が施設を破壊し尽くした結果だ。創世の蛇の本拠地『アンダーヘル』、地獄の下の地獄だ。
『顎ッ、止まれ。お前は処罰を受けなければならない。今すぐ止まり、博士と共に投降しろ』
──くそッ、追いつかれた。
「先生、先に行けッ。こいつらは俺が足留めする」
目の前に臨戦態勢をとる騎士、総勢三体。どれもこれも厄介極まりないランカーだ。創世の蛇の執行者。
「キシシッ、おおそれたことをしでかしたなアギト。こりゃ、死んで詫びるしかねぇーんじゃね」
「ブラド、あんたはどうしてそう野蛮な思考なのかな? うちらは生きて連れ戻せって命を受けたっしょッ」
「うっせーよ頬。んなの分かってんだよ。何本気にしてんだよ」
頬と呼ばれた、鳥類に近似した顔立ちの細身の騎士は腰に手を当て、隣の赤マントが目を引く女性型騎士を指差した。
「うっさいッ、さっさと反抗期少年を連れ戻すよ。そうだ涙、骨はどうしたの? 他のメンバーは?」
「オステオは騎士が大破し、出撃不可。あとの奴らは重傷または死亡。随分と暴れてくれたもんだよアギト」
金髪の男がサングラスを外した。出現した幾何学模様。何度見ても驚かされる。
外見が他のどの騎士よりも人に近似された騎士、神鳴だ。
「悪いね。俺は捕まるつもりはないから。あんたらを薙ぎ倒して先に行かせてもらう」
「調子に乗んなよッ、アギト」
肉薄する深紅な騎士を冷たく見据え、銀狼は剣を佩いた。
────世界は駆け足に進む。
「どうして僕を庇ったんだい……。ごほぉ、君の肉体の方が大切だろうに。どうして……ごほ、ごほ」
黒煙に気管を詰まらせる男は、眸に涙を溜めて言った。彼の言うとおりだ。
視線をズラせば、右上半身が赤黒く染まった少年が倒れていた。一目で致死の傷だと知れる。何故、自分は彼を守った?
周囲は警察やランカーが取り囲み、包囲網を造りつつあった。無慈悲な爆撃が一帯を呑み込んでいた。
これは四年ほど昔の記憶だった。
美鶴がアギトをなくし、右腕を無くした記憶。
────世界は収束に向かう。これはおよそ二年前の出来事の布石だ。
「ありがとう美鶴君。君のおかげで僕は由佳里の顔が見れた。感謝してもしたりないよ。妻を亡くした僕には由佳里しかいなかったんだ。もう思い残すことはないよ」
「駄目ッ、美鶴やめてッ!!」
可憐な少女が白衣の男と機械の間に割り込んだ。両腕を命一杯広げていた。両目に溢れんばかりの涙を溜めて、口を固く噤んでいる。
「莫迦だな俺は。ただ単に温かな家庭に憧れを抱いていたんだな。自分みたいな子供を増やしたくなかったんだな」
銀狼はその心臓目掛け、剣を突き立てなかった。力無くその場に膝をつくと、美鶴の精神が肉体に帰還する。
激甚な痛みが走る。嗚咽が漏れ、視界が滲む。どうしょうもなく吐き気が込み上げた。鉄の味が味蕾に刺さる。濃い血臭が鼻腔に満ちる。止血処置がなされ、美鶴の出血死はなんとか免れていた。
「先生ッ、俺を置いて……いけッ」
痛みに意識が途切れる。次に目を開けた時、美鶴の目の前に見知らぬ天井があった。ここはどこだ。
真っ白い部屋の扉が前触れ無くスライドされて開いた。
仏頂面の少女が現れた。美鶴の幼馴染の羽城由佳里だった。真っ赤なランドセルを背負っていた。可愛らしいワンピース姿。水色の服はゆったりとして、僅かに少女の身体の線を伝えた。この時、由佳里は小学六年であった。
「私は『君』のサポーターになるから。お父さんを傷つけさせないからッ。いい?」
こうして由佳里はサポーターを目指した。
目の前に汚れた壁の様子が戻った。足元に崩れ落ちたコンクリ片が散らばっている。
未だ貫かれた銀狼の胸は真っ赤に染まり、熱を発していた。そろそろ時間だろう。最期まで守り抜くと決意したのに、結局は途中退場か。美鶴は壁にもたれて、ずり落ちる様に座り込んだ。
後悔が募った。次第に視界が白光に染まる。耳鳴りがして、視界が酷く歪んだ。
「ごめんみんな。ごめん由佳里。さよなら」
本当にごめんなさい。
美鶴は状況が許せば泣いただろう。この場にあるのが生身の肉体であったなら、顔はすでに涙で濡れていただろう。断腸の思いだ。力なく、その場に座り込んだまま、最後の時を待った。突然、羽音が聞こえた。視界に一匹の蜻蛉がゲートの圏内側から滑空して映りこむ。珍しいな、隔離壁で囲まれたエリア2ではほとんど見ないのに。
美鶴はその蜻蛉の姿を追った。蜻蛉は不可解にも、銀狼の傍に近寄り、宙で静止した。しきりに羽を振動させていた。
『美鶴、戻って来てよッ。君が居なきゃやだよッ。私は美鶴のことが好きだからッ!! 愛してるからッ』
懐かしい声が、好きな人の声が響いた。声の発信源は目の前の蜻蛉だった。美鶴は瞬時に理解した。これは文蔵の小型ロボットだ。では、さっきの声はやはり由佳里のものか。美鶴は先ほどの言葉を反芻した。我が耳を、銀狼の集音機能を疑った。
──好きだって言ったのか。俺のことを愛してると……。
あぁ、なんだ。怯えることはなかったじゃないか。そう簡単に壊れる日常じゃなかったじゃないか。俺は莫迦だ。美鶴は銀狼の左腕を蜻蛉に伸ばした。
「俺も由佳里のことが好きでした」
普段であれば面と向かっていえないだろう台詞。このときばかりは、臆せず言えた。
完全に美鶴の視界が白く塗りつぶされた。蜻蛉の姿が消え、何も見えなくなる、何も聞こえなくなる。
─────────ブツリッ……。
ここで美鶴の世界は閉じた。何も感じない、何もない。
銀狼の自爆装置が起動、爆ぜて周囲を呑み込んだ。ゲートが急落下し、その下のプレデターを襲う。大地が揺れて、粉塵がゲート周囲を覆い隠した。
『先輩ッ、先輩ッ』
一人の少女が嗚咽を漏らした。
一体の騎士は放心したように、塞がったゲートを見つめていた。
首都圏はその存在の消滅を回避した。
人々は歓喜に満ち溢れ、涙を流した。
しかし、一人の少年の勇姿を知るものは少ない。