蝋の翼じゃ羽ばたけない
状況は切羽詰っているが、絶体絶命じゃない。まだ、まだ可能性は残されている。
美鶴は軋む鎌錐の機体の体勢を建て直した。幸い加速機は破損せず、熱暴走も起こしていない。視線の先、距離計が戦猿との距離を五〇メートルと示す。
戦猿はデスサイスの周囲を軽やかなステップで舞っていた。ハルバードがアスファルトを切削し、舗装路に円を刻む。
「もう勝負あったろ? 美鶴、おめぇじゃ無理だ。今のお前じゃ俺には勝てねぇーよ。もう少し歯ごたえがあると思ったんだがな。やっぱし牙は抜かれたんだな」
ブラドが遊びに飽きたように肩をすくめた。
「まだ鎌錐は死んじゃいねぇよッ。勝手に勝敗を決めんなよブラドッ」
美鶴は吼えた。残された手段は一つだけだ。主兵装が残されていれば、まだ他にも手札があったのだが。この失敗は許されないだろう。
「由佳里、あとで鎌錐の整備頼むッ」
美鶴は少女に猛進した。少女は眦を大きく開いたが、すぐに嘲笑を浮かべた。すぐさまハルバードを振りかざそうと身構える。
『君は馬鹿なの!? 無謀だってッ』
由佳里の警告に従わずに、加速機を起動させた。空気を震わす羽音が唸り、冷却機の稼働音が大きくなる。美鶴は力強く踏み込んだ。
「ぅらぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ブースターによる超加速。瞬時に世界の輪郭がぼやける。不鮮明な世界が後ろに流れていく。
それでも目の前にある少女の顔だけは、はっきりと映った。憐れだとでも言いたげな表情をしていた。ふざけるな、自虐になったわけじゃない。
「血迷ったかッ、アギトッ!!」
憫笑を向けてくる少女に美鶴は止まらずに跳躍した。斜め左から戦斧の刃が振り下ろされるのが視界の隅に映った。避ける動作は採らずに距離を詰める。ハルバードの一撃を受ければ、鎌錐は高確率で大破させられるだろう。だがそれでも。
「──終わりだな、アギトッ。キシシッ、ジ・エンドだ」
美鶴は、振り下ろされたハルバードを故意に鎌錐の身体で受け止めた。絶叫のような金属音が響く。金属片と共に火花とスパークが散り、左脇腹に深々と刃が食い込んだ。全身に激甚の衝撃が走る。
騎士の身体での出来事であるにもかかわらず、美鶴は自身の身が抉られたような痛みを感じた。今現在の同調率はきっと限りなく100%に近づいている。より鮮明な世界の認識は、より正確な痛覚の認識も生んだ。
「かはぁッ。お……終わりはお前の方だ、ブラドッ。……流石にゼロ距離は回避できねぇよな」
美鶴は背部から二つの飛翔体を射出した。副兵装、遠隔思考操作型兵器。これが最後だ。
「くそッ、まだ残してたのかッ」
ブラドが憎々しげに表情を強ばらせた。ハルバードを片手に回避動作を採ったが虚しく、ファングの刃は少女の身体を貫通した。戦猿の手からハルバードが離れ、身体は宙を舞ってビルのコンクリの柱に叩きつけられる。柱に亀裂が走り、少女はファングの刃によって、地上六メートルの地点に串刺し状態で静止した。
「キャキャキャ、こいつは一本取られた」
奇声あげてけたたましく笑う少女。
この闘いの勝敗は両者共に戦闘不能の相子であろう。美鶴は現状の確認を急いだ。
戦猿はあの状態を見る限り、身動きは取れなさそうだ。鎌錐に至っては全武装を失い、戦う術からない。それに腹部に受けた斬撃による損傷で下半身の動きが不可能だ。
頭上には雲ひとつない晴天が広がっている。同調率が低下しているのか、感覚が鈍くなる。ほとんど痛みを感じることはなくなっている。
とりあえず依頼は終了したことで構わないだろう。さて、どうやって帰還するか。
「牢獄から逃げ出し、太陽を目指したイカロスの話を知っているよな」
突然にブラドが話し始めた。何が言いたいのだろうか。その話なら知っている。蝋で固めた羽で空を飛んだイカロスが太陽の熱で蝋が溶け出し、落下するという話だった。
「イカロスが空を飛んだこと自体、不可能なことさ。人間の胸筋では羽ばたくことは出来ねぇだろうが。シシッ、それにな、蝋が溶け出す温度だったらイカロスが先に火傷しちまうだろ。イカロスって奴は莫迦か、超人だな」
「あんたは何が言いたいんだよ」
「──イカロスが飛ぶことを出来たとして、結局は死んだ。じゃあその原因は準備不足か? 違うだろ。奴の死因は己の慢心だ。愉悦に浸り、空高く飛んだ時点でイカロスは死んだんだよ。つまりだ美鶴。お前は俺を倒せると思っていたんだろうが、残念ながらこの場所に来た時点でお前の負けだ。決闘なんてな、お前を連れ出すための方便さ。まぁ楽しかったけどな」
『君ッ……助け……騎士が突然…………竹ちゃんが……きゃあッ…………』
ノイズの音が大きくなった通信越しに、由佳里の悲鳴や切羽詰まった声が漏れた。ガラスが砕ける澄んだ破砕音も混じる。やられた。美鶴の頭の中が一瞬で真っ白になった。
「おい由佳里ッ!! どうしたんだよ、おいッ」
「そろそろ時間だからな。通信妨碍 がかかったか」
ブラドがさも愉快そうに笑い、戦猿の口元が歪められる。
「じゃあな、アギト。いや美鶴だったな。カカカッ、これはお前が招いた災厄さ──」
ふいに糸が切れたように戦猿が力無くうなだれた。由佳里との通信が全く繋がらず、痛いほどの静寂が残される。
「強制送還かッ、くそ命知らずの快楽犯がッ」
強制送還の機能は精神帰還よりも危険性が高く使用は禁止されてる。現在のほとんどの騎士には使用できない規制がかけられている。
美鶴はもはや動かない脚を何とか動かそうと躍起になった。微動だにしない脚部。
焦る気持ちが募っていく。
日が暮れるまでにはまだ時間が残されている。天辺を越えた太陽がじれったく美鶴を照らした。この事態を打開する方法はないのか。
────由佳里ッ。