血塗れた少女と蟷螂のワルツ
難しい難しい、戦闘シーン。
読むのが耐え難くても、すみませんとしか言えません。はい。
目的地に指定されたのは、開けたスクランブル交差点。玉突きになった車が乗り捨てられ、根元から折れた信号機や割れた舗装路からは植物が伸びていた。窓ガラスの無くなったビルが見下ろす廃墟と化した大都市。
美鶴は手が汗ばみ、背中に脂汗が滲むような感覚を覚えていた。鎌錐にはそんな機能はないのだが、そう思うほどの事態に陥った。
先ほどから美鶴の視界にはセンサーが探知した存在に対してカーソルが表示されていた。その数、およそ四〇。
ここまでいるとは予想外だった。視界の大半を赤いカーソルに埋め尽くされている。
『そんな、こんな数の騎士が一度に……気をつけてよッ』
美鶴は答えず、右腕の主兵装デスサイスを展開させる。原動機の駆動音が大きくなり、鎌錐が戦闘態勢をとったことを知らせる。
「ッ!?」
突如、廃ビルの三階から人影が宙に躍り出た。飛び立とうとするかのように、腕を羽ばたかせて墜ちる。舗装路に落下すると共に地面が揺れ、金属音が響く。同時に視界のカーソルが一つ消失した。
あれはデッドラインの騎士だ。企業の騎士が何故ここに。美鶴は素早く周囲を見渡した。そして、この異様な数の敵の正体を理解した。
捕捉したものは皆、既に破壊された騎士だ。
車両に叩きつけられたもの、四肢を無くしたもの、胴体が二つに折れたもの。どれも辛うじて機能出来ている騎士ばかりだった。つい先ほどここで戦闘があったらしく、どれも大破していた。刻一刻とカーソルの数は自然消滅していく。
「何があったんだ?」
『前方、ビルの三階に反応ありッ』
由佳里の指示に美鶴は身構えた。つい先ほどに騎士が躍り出た場所だ。
その場所に真っ赤なコートの少女が憮然と立っていた。空の蒼と対比し、周囲の灰色から浮き出る色。
二週間前に美鶴とぶつかった少女だった。忘れようにも忘れられないだろう。容姿端麗、眉目秀麗を陳腐な言葉にさせる容貌。
ただしその手には全長三メートルほどはある大振りの斧槍。いや、あの斧頭の大きさは三日月斧に似ていた。その姿はまるで鬼神を思わせる偉容を放っている。視界に現れたカーソルが少女が人間ではないことを示した。
つまり彼女は騎士だ。
「キシシ、やっと来たか。時間になってもおめぇが来ねぇから、暇つぶしに近くの騎士どもを一掃してたんだ。相変わらず、おせーよ顎ッ」
『アギト? てかあの子、君が一目惚れした子じゃんッ──何? 美鶴が惚れただとッ!?』
「ちょっと待てッ。惚れちゃいねぇぞ!! オヤっさんも反応すんなよッ。出来れば指示をくれよッ」
美鶴は急に脱力した。今が依頼の遂行中で、敵が目の前にいることを忘れかける。
にしても一体でこの数を殲滅したのか。待ち合わせは一〇分弱の遅れではあったが、その時間でこいつらを破壊するなど可能だろうか。ここに来るまでに剣戟の音も発砲音も聞こえはしなかったのだ。つまりわずか一〇分もかけずにこれらを一掃したのだろう。
あの見た目であっても、油断は禁物であろう。
「何、駄弁ってんだよ。もう戦いを始めて構わないのか?」
「待った、一つ聞きたいことがある。中の精神は男か?」
美鶴は不吉な笑みを浮かべた少女に問いただした。別に本物が可憐な少女であることを期待したわけではない。決して。
「オレを忘れたか、アギトッ。オレは血だよ。性別は男だろッ」
発声器の調整で少女の声色であったが、少女はその顔立ちからは想像出来ない、粗暴な言葉使いで答えた。手の中で軽々とハルバードを回し、円を描く。ここまで風切り音が聞こえてきた。
そうか、男なのか。美鶴は少なからず落胆した。ブラドと名乗った操者とは面識があった。
確か無精髭を生やした二〇代後半だったはず。今は三〇代前半あたりか。
個人の趣味であろうと思うが、些か心配に思う。少女の騎士か、危険な臭いがする。
『ちょっと君、あの子──じゃなくて彼の正体が分かったよ』
興奮気味に由佳里が通信をしてきた。奴の正体とは何だろうか。気になった。
「なんだよ、その正体って」
『重度のロリコンッ!! 病院に通わなくちゃいけない程度の重症だよ』
聞いて損した。美鶴は溜息をついたあと、言葉を紡いだ。
「今此処でいう台詞か? そんな情報あったって意味ねぇーじゃん!! どう活用しろと!?」
『よっ、ロリコンって言えば頭に血が昇って判断ミスするかも?』
「ありえないな。しかも語尾に疑問符つけたよな、さっきッ」
由佳里の近くで文蔵が盛大に溜息をつく音が通信に紛れる。美鶴も呆れてしまった。
なんとも気の抜けた状態で、敵の騎士を見据える。
「よし、準備は出来たか。おっと、一つ名乗っておこう。オレの騎士であるこの子は、戦猿って名だ。イザリンと呼べッ」
「『『断固拒否ッ!!』』」
美鶴はデスサイスを構え、跳躍した。踏みつけたアスファルトが砕ける。一気に目の前のビル三階まで跳び、袈裟切りを繰り出した。それに伴い『引き剥がすもの』、射程距離を持つ斬撃を放つ。
少女が立っていたコンクリの床が粉砕し、あたりに石片や粉塵を撒き散らした。
始めから全力でいかなければ、きっと負けるだろう。相手があの血塗れのブラドなら尚一層のことだ。
視線の先で濛々と立ちこむ白煙を水平に分断して、ハルバードが横薙ぎされた。咄嗟に美鶴はデスサイスで刃を受け止める。右半身に衝撃が走り、鎌錐の機体が左方向に吹き飛ばされる。凄まじい膂力だ。美鶴は空中で態勢を建て直し、壁が崩れ吹き曝しになった廃墟ビル二階に飛び込む。並べられていた机を押しのけ、鎌錐が静止する。
「あの見た目でこんな莫迦力かよ」
既に人目を引く朱い外套姿は見当たらない。視界に表示されたカーソルはどれも停止したまま身動きをしていない。
『下方より飛翔体接近ッ、構えて』
由佳里が敵の動きを探り、指示を飛ばす。美鶴はそれに従い、デスサイスを構えつつバックステップをとった。途端、寸前まで鎌錐が立っていた床が突き破られる。コンクリの破片が吹き飛び、穴から大破した騎士が飛び出す。
「なッ、こいつらデッドラインの騎士!?」
『後方より高速接近中ッ!! そっちが戦猿だよッ』
こいつらは単なる囮か。にしても動きが早すぎる。敵はこいつらを投げ飛ばして、ほぼ同時にビルを跳び上がってきていた。それに騎士を打ち上げて、コンクリの床を抜くとは。
改めてその怪力に舌を巻いた。
美鶴は上半身を捻り、右腕を大きく佩いた。紙一重で戦猿は跳躍してかわし、天井を蹴り飛ばして跳ね返る。手にはハルバードが握られ、槍の穂先が向けられていた。
「脆弱になったなッ、アギトッ!!」
「俺は三ノ瀬 美鶴だ。それは俺の名前じゃないッ!! その名で俺を呼ぶんじゃねぇよ」
美鶴は後ろに跳んだ。目の前でハルバードが床を陥没させ、崩壊させた。
ふいに訪れる浮遊感。
「まずッ……飛ぶぞ由佳里ッ」
『了解ッ』
加速機を起動、背中に四枚の光翅が生え、世界が引き伸ばされた映像になる。落下する瓦礫の中から抜け出し、道路を挟んで反対のビルの前まで飛ぶ。錆びて赤褐色に染まった車両の上に着地し、ぐしゃりと車を押し潰した。
「くそ、捕捉できねぇッ。由佳里ッ、奴の居場所は分かるか?」
戦猿の動きの俊敏さに鎌錐の捕捉機能が完全に遅れをとっていた。カーソルが表示されたときにはすぐ目の前に迫られている。このままだと防衛一方になってしまう。
『難しいね。送られてくるデータじゃ後手になっちゃうよ』
由佳里が悔しげに歯軋りした。向こうでも必死に打開策を考えてくれているのだろう。
手っ取り早い解決法なら無きにしも非ずだ。
相手がこちらよりも数段捷いのなら、こちらは相手よりも手数を増やすだけだ。
「由佳里ッ、副兵装を展開する」
『えッ、使用しちゃうの?──おい美鶴、一つ聞きたい。あやつは蛇か?』
「使わせてくれ。あいつは創世の蛇の一人、元序列八七番のランカーだ。その頃の異名は《血霧の殺戮人鬼》だった。赤をトレンドカラーにしてた奴だ。昔の愛用の騎士はもっと大人の女性型だったはずだけど、趣味が悪化したみたいだ。ちょいと、本気でいかないとヤバそうだ」
『仕方がない。おい由佳里、ロック解除するんだ──了解だよ』
美鶴の視界に施錠解除の表示が現れ、副兵装の使用が許可される。
多くの騎士には主兵装とは別に複数の兵器が常備されている。鎌錐に搭載されているのは、デスサイスとは別に一種類だけ。遠隔思考操作型兵器と呼ばれる小型兵器だ。
「副兵装展開ッ、ファングッ!!」
鎌錐の背部から計八つの小さな漏斗型の金属製飛翔体が射出され、音もなく浮遊し四方八方に展開する。同時に美鶴は陶酔感のような意識が気化する感覚になる。一度に複数の映像や、あらゆる角度から見た敵の状態、位置情報が頭に流れ込んでくる。
思考操作型小型兵器、ファング・ビット。全自動行動ではなく、無線で操者の思考を読み取り、行動をとる。使用には非常に精神面での疲労がある。騎士の擬似脳による脳機能の使用拡張がなければ、思考の処理が追いつかないだろう。尚かつ美鶴の場合は、一度に八機も操作している。その事実は非現実的な数値だろう。
周囲に展開させたファングが高速で疾駆するブラドを視認する。その位置情報を美鶴に送信する。同時に由佳里側にも情報が送信されている。
『八時の方向、ビル四階だよッ』
由佳里が驚きの色を濃くして声を上げた。当たり前の反応だろう。
気付かぬ合間に背後まで回りこまれていた。
「いけッ、ファングッ!!」
ビットの後部にプラズマエンジンを点火させ加速。思考に忠実に飛翔体が滑空していく。その先にはブロンドの髪をなびかせた少女の騎士がいた。
「そんな子供騙しはきかせぇーぞッ」
ビットに気付いたブラドが、ハルバードで空間を薙ぎ払う。
それを生き物めいた動きで華麗に回避して、飛翔体は距離を詰める。漏斗型の飛翔体の頭頂部は鋭角な刃が突出している。展開中には高熱を発し、鋼鉄さえ溶断することが可能だ。
「くそッ、思考遠隔操作かよッ。けどなッ」
ブラドは人間では到底不可能な距離を後ろ向きに跳んだ。あれが騎士であると理解していても、少女の形での所業のために美鶴は違和感を拭いきれない。
まるで本物の人間が戦斧を持って、軽々と飛び回るように見える。そのまま危なげなく道路の上に着地をしてみせた。あそこまで自然な動作が出来るには、相当な同調率も必要だ。九〇台前半の数値は叩き出していることだろう。
「シシッ、目障りだよッ!!」
戦猿が上半身を捻り、ハルバードを佩いた。逆巻く風を起こして刃が線を引いた。避けそびれた飛翔体が二つに断割、スパークを撒き散らして撃墜する。
くそ、同時に八つは少し無理があったか。早くも一つを失った。
美鶴は悔しそうに呻くも、気を取り直し集中する。動揺すればファングの動きが雑になり、格好の標的となってしまう。このまま一つ一つ破壊される前に、数で勝っているうちに勝負を決めておきたい。
『君ッ、大丈夫なの? あまり無理に操作すると戻ったときの反動が大きくなるよ』
「あぁ、大丈夫だ。これで終わりにさせる」
美鶴は深呼吸した。実際には出来ないが、不思議と気持ちが落ち着く。
──1、2、3、4、5、6、7、これで終わってくれッ。
美鶴は残りの七つを同時に操作しながら、鎌錐を跳躍させ一気に戦猿に詰め寄った。
デスサイスを最大まで展開し大剣に変え、戦猿に肉薄する。四方からファングを接近させ、回避不可能な攻撃陣を生む。
「終わりだッ、ブラド!!」
『危ないッ、回避行動を取ってッ!!』
少女の形をした騎士の赤い外套から取り出された球体が、鎌錐との間に転がった。爆発音響閃光弾だ、と理解したときには視界が白濁し、炸裂音が空間を満たした。
『後ろに跳んでッ!!』
悲鳴に近い叫喚が頭に響き、考えるより先に動いた。踏み堪えて無理に慣性力を殺して、後ろ向きに跳躍。直後、右腕に電流が走るような疼痛が発せられた。美鶴は錆び付いた車両の横腹に突っ込み、鎌錐は停止した。
次第に光が消え、世界が灰色に戻る。
ジジッ、と不快な音が上がり、右腕を見れば二の腕から先が見事に消失していた。鋭利な刃で切断された断面は放電を繰り返した。視界に右腕部破損の図示が点滅している。
顔を上げれば、五〇メートル前方にアスファルトに突き刺さる形で、デスサイスが存在していた。その周囲には複数の残骸が乱雑される。
「くそッ、やられた。ファングも全機破壊されたッ」
美鶴は悪態をついて、立ち上がった。状況はかなり切迫していた。鎌錐の主兵装も副兵装も破壊された。
「顎、やっぱし脆弱になったなッ!! カカカッ」
哄笑が響き渡る。閑散とした廃墟の交差点の中央で、真っ赤な少女は踊るように舞う。
『大丈夫? 君ッ』
由佳里の心配そうな声が響くが、美鶴は大丈夫だと言った。
強がったわけじゃない。ここで負けることは許されていない。
「まだ、まだだ。俺は守らなければいけないんだ。それが償いだろ」
『………………お前さんは莫迦だ』
文蔵が寂しく呟いた。
そろそろ物語は後半、終盤ですね、きっと。
あんまし伏線を回収出来てないんですけどね。