居眠り男子と落書きと美人な女性
騎士が人に対して火焔放射器を使用した事件は、操者と補助者が焼死した遺体となり発見され、幕を下ろした。世間では何かの陰謀だとかナントカ。 想像力豊かな政治家や住民達は、それぞれ思い思いの空想を描いた。
事件から四日が経ち、ニュースで事件が取り扱われ無くなって、代わりに来週に迫った総裁同士の公式会談についての憶測が飛び交い始めた。形式だけのハリボテ、これまでの在り方を根本から覆す歴史の分岐点、牽制行動など千差万別といえるほどに推測が及んだ。
どれかが真実かもしれないし、全て嘘かもしれない。ただ、美鶴にとって会談の結果を変えることなど不可能であり、素直にその結果を受け止めるしかなかった。
美鶴は一人、放課後の教室で意味も無く、窓の外に広がる景色を眺めた。日が沈みかけ、薄暗くなった校庭には部活動に励む西徳付属高校の生徒の姿が点在して見える。もちろん美鶴は帰宅部に所属していた。
「来週かー。どうなっかな……。総裁同士の会談かー、てか何で近畿圏では国家主席の肩書きなんだろーな、不思議だ。それよりも何で瑠璃も残ってるかが不可解だ」
美鶴は目の前の席に馬乗りで座り、後ろを振り返っている後輩に呆れた。とっくに下校の時間を過ぎているのだ。由佳里も既にマンションへ帰宅しているにもかかわらず、この後輩は何故この教室にいるのだ。
「うち今日は仕事があるんで、小埜崎さんが迎えに来るのを待ってるんですよ。あ、そうだ。先輩はまだ実際に小埜崎さんに会ったことないですよね? 人生初体験ですよね?」
「会ったことはないな」
素直に答えてやる。
「それじゃあ、決まりで。……ところで先輩は何で残ってるんですか? 顔に油性のラクガキを残して何がしたいんですか?」
「………………聞きたいか?」
「遠慮します。どうせ居眠りしていて放置されたんでしょう? 顔に痕が残ってますよ。落書きの犯人は由佳里先輩ですね。絵心があります」
瑠璃の言うとおり美鶴は七限の授業を睡眠学習し、帰りのホームルームも夢の中でやり過ごしていた。幸いに本日は掃除免除がなされた模様で、美鶴は誰もいない教室に一人残される羽目になっていた。どうして由佳里は起こすという努力をせず、起こさず落書きをするなどという努力をしたのだろうか。
携帯に送られていたメールには「まいったかッ(笑)」と打たれていた。
──落書きしたなら、ついでに起こせよッ!! てか何で俺は起きなかったんだッ!!
美鶴は机に突っ伏して呻き声を上げた。そんな美鶴の頬を瑠璃が面白げに連打する。
「いってーよ。やめてくれ」
「誰にいつも会いたいんですか? あぁ、うちにですか。でもごめんなさい。うち先輩を独り占めしたいのは山々ですけど、さすがに由佳里先輩がいるんで憚られるっていいますか……」
「──お願いだから話を聞き入れてくれよ。日本語が通じてくれよッ。あいたいじゃなくて、イタイだよッ」
美鶴の様子に堪えきれないといった様子で、瑠璃はころころと笑い声を上げた。
その様子に美鶴は呆れ、黒板の横にかけられた時計に目をやる。
現在時刻、午後五時二三分。
かれこれ一〇〇分以上眠っていたようだ。美鶴は立ち上がり、欠伸を噛み殺した。
ピロン、と電子音が鳴る。視線を下げれば、瑠璃が携帯のカメラ機能を使用したところだった。
「ほら、記念の一枚ですよ。コレはもう芸術ですね」
瑠璃が携帯の画面をこちらに向け、撮った画像を見せてくる。そこに映る老人を見て、美鶴は絶句した。
鼻の下に伸びる鋭角的な口髭に、頬に刻まれた無数の皺、目尻の線。一瞬我が目を疑ってしまい、美鶴は慌てて自分の顔に手を当てたが、いたって健康な十代の肌だった。
「ここまで本格的に落書きされるなんてな……。怒りよりも驚きが勝りすぎて、何もいえねぇ」
「うちだったら、ほっぺに渦巻き模様を描いて、瞼に黒目を入れるのが限界ですよ。あっと、小埜崎が着いたみたいです。ほら、美鶴先輩も行きましょう」
ぐいぐいと瑠璃が美鶴の腕を引っ張り、廊下へと連れ出す。ひと気の無い廊下は静寂に包まれ、生徒が創る喧騒は皆無だった。
「瑠璃、ちょっと手を放してくれ。顔を洗わせてくれないか?」
「何故ですか? 小埜崎さんもきっと今のままの方が喜びますよ」
「そういう問題じゃねぇだろッ!! 初対面でいきなりこの顔とか、正直きつ過ぎだろッ」
美鶴は瑠璃の手を振りほどいて、水道の方へと向かった。蛇口から吐き出される水の冷たさで、鳥肌が立った。果たして油性のラクガキを落とすことは、この場において可能なことだろうか。美鶴は不安を拭いきれなかった。
「遅いよ瑠璃ッ!! ちゃっちゃと仕事終わらせて、明日までのレポートを仕上げなきゃならないのよ、あたしはッ」
「すんませんしたッ。姉貴ッ!!」
「……今日はどんな設定?」
「五つのグループを従え、族の総頭に君臨する小埜崎さんに従順な部下です」
「相変わらずね、瑠璃は……」
「いえいえ、それほどでも」
「瑠璃、てめぇーは褒められてねぇーぞッ!!」
傍観者でいようとした美鶴は思わずツッコミを入れた。何故か「「おぉッ」」という驚嘆の声が上がった。
美鶴と瑠璃は、小埜崎 叶望が待っている学校の東門へとやってきていた。そこに一台の黄色に塗装されたスポーツカーと女性が二人を待っていた。ちなみに努力の甲斐あり、美鶴の顔の落書きはほぼ落としきった。帰ったら風邪を引かぬように温かなミルクを飲もう。うん、そうしよう。
「ところで君は?」
黒のスーツで身を包んだ女性が首を傾げた。見ればすごい美人であった。すらりとした体躯、肩にかかる漆黒の髪は艶やかで、明るい色のフレームをした眼鏡を掛けている。細く描かれた眉に、キメ細かな肌は透き通る白さだ。
美鶴は驚愕に言葉を失った。瑠璃のことだから年齢をさば読みしていたものだろうと考えていたが、なるほど二十歳と聞いても納得がいった。
「小埜崎さん、こちらに御座しますのが、かの有名な美鶴先輩です」
どこがどう有名になっているのか疑問であったが、美鶴は瑠璃にそう紹介されていた。
小埜崎は急に目を輝かせ、美鶴に歩み寄ってきた。
「なるほどー、君が美鶴君かぁ。文蔵さんのアパートに住んでる子だよね。うんうん、いいよ。いい素材だよ君はッ」
「ん? えっと、オヤっさんと顔見知り何ですか?」
「そうだね。あの人には随分とお世話になったからね。ところで美鶴君」
「──はい?」
「女装してみない?」
美鶴はまばたきを数度繰り返し、脳内で先ほどの言葉を反芻した。さて、この人は突然何を言い出したのだろう。女装? ただの変態かッ。
「そんな悪癖は持ち合わせてないですッ」
美鶴は後ろに後ずさり、首を全力で横に振った。
「もしもーし。小埜崎さん、そろそろ仕事に向かいましょうよ。美鶴先輩の女装画像はうちに任せてください。納得のいく仕上がりにしてみせますから期待してください。それじゃあ先輩、また明日」
瑠璃が小埜崎の背中をぐいぐい押して、スポーツカーの方へと去っていく。去り際に怪しい話をしていたことに、美鶴は冷や汗を掻いた。今後の学校生活では細心の注意を払おう。
美鶴も帰宅しようと駐輪場に足を向けた。ふと視界の隅に人影が映りこむ。
「そうそう、美鶴君。ちょうど良かったよ。君にも言っておこうかな」
ふいにUターンしてきた小埜崎が腕を組み、片手を頬に当てて告げた。
「この前の依頼の時にね、依頼人さんから聞いたんだけど、どうも蛇が出たらしいよ。不確かな情報だけど、警察側にも動きがあるみたい。このこと、文蔵さんにも話しておいてね」
手を振って小埜崎はスポーツカーに乗り込み、颯爽と唸りを上げて走り去っていった。
美鶴は暫く呆然とその場に立ち尽くしていたが、吹き付けた秋の風に身を震わせ、足早に駐輪場を目指した。
自転車を見つけたところで、ふいに思い立ってスマートフォンを取り出し、電話帳に載る相手にかけた。
数回コールが鳴り、相手が出た。
「なんだ、美鶴からかけてくんなんてめっずらしーなッ。どうした? 事故でも起こしたか」
「いや、津野田さんにちょっと聞きたいことが、主に仕事の話で」
「何だよ。俺にも守秘義務があるからな。滅多なことは話せねぇぞ」
通話越しに津野田が髪を掻き乱す音が紛れた。
「蛇が入り込んだってのは本当ですか?」
沈黙が訪れた。風が吹き抜け、落ち葉を彼方へと運び去る。
美鶴は根気強く、相手の反応を待った。しばらくして呻いた津野田が話を始めた。
「はぁ、確定事項じゃねぇが、出現したらしい。クロヅカを筆頭に、複数の企業に脅迫めいた手紙が送られたんだ。内容は首都圏の全人命を人質にしている、今回の会談を取り消させろというものだ。その最後に、殻を破って顔を覗かす蛇が描かれていたらしい」
「それじゃあ、創世の蛇ですか……」
「まだ分からんが、俺たちは厳重な警戒態勢を布かされてる。気をつけろ美鶴。最悪の場合、向こうが接触してくる可能性がある。お前のことは公に出来てないからな、警察が護衛することは難しい」
「俺は一人で大丈夫です。とりあえず、こっちも注意は怠らないようにしときます」
美鶴は通話を終えて、携帯を閉じた。
そして自転車に跨り、夜の街に飛び出した。
「くそッ」
胸焼けのような不快感が消えずに燻っていた。
ここまで読んでくれた方々に。
つまらない、読みづらいなど不満があっても、最後までお付き合いしてもらえたら嬉しいです。つまり完結するまで、読んでもらいたいです。