童顔な戦士と燃える人
化石燃料はやはり偉大でした。
「それじゃあ、また不定期になるけど。だいたい一ヶ月後をメドに診察ね」
文蔵と由佳里と再び合流したところで誠が美鶴に伝えた。
「りょーかい。んで、今度来た時は鎌錐も持ち込めばいいんだな」
「そうそう。常備兵装の交換とかをやりたいからね」
『ヴゥーヴゥーヴゥーヴゥー』
駐車場に戻ろうと誠に背を向けたところで、マナーモードにされた携帯の着信音が鳴った。 文蔵が舌打ちをして、懐からスライド式携帯を取り出して耳に当てた。途端その表情が酷く強張った。眉間に皺が刻まれ、歯軋りする。
「バァーロォ!! 警察は何やっとるんだ!! 各組合への連絡を済ませてあるのか? 儂は動けん。あぁ、定期健診で出とる。うむ、んじゃな」
鼻息を荒くして文蔵は通話を終えた。携帯をしまうと深く息を吐いた。
「オヤっさん、どうしたんだよ? 何か事件が起こったのか?」
文蔵の通話中の態度を見る限り、あまり芳しくない事態が起こったようだ。それでも文蔵は「お前さんらには関係ないことだ」といって黙秘を決め込んで話そうとしない。
こちらを心配させないための配慮なのだろうが、逆に知りたくなる。それでも文蔵の頑固さを知っているが故に、聞き出す努力をすぐに放棄した。
「んじゃ、帰るとするか。誠さん、仕事頑張ってください」
そう言って文蔵は踵を返した。出口に向かい始めた文蔵を追って、美鶴も由佳里も歩き出す。
「お父さん、またね」
由佳里が振り返って、誠に手を振った。誠が手を振り返してそれに答えつつ、美鶴に意味ありげな視線を向けた。当然美鶴は無視した。
「へー、そうなんか……」
生返事を幾度繰り返しただろうか。
彼女の社会科見学の感想発表会は、まだ終わりが見えそうになかった。
帰路のミニバンで美鶴は嫌になるほど由佳里から、見学した研究施設の内容を熱く語られていた。
「凄かったな~、私もあぁゆう研究とかやりたいなぁ~。あとね、操者の安全強化のためにバイオフィードバックを応用した技術も試作段階だけど出来てるんだって。精神回帰システムの安全性の向上も目指せるみたいだよ。それにね──」
「分かったから!! すんごいのはよく分かったから、その感動を自分の胸の内に仕舞っておいてくれッ」
美鶴は耳を塞いで、顔を窓側に逸らした。行政区に近づいているのだろう。道は大通りになり、既に道路の車両数は数えられないほどに増えている。あの中には企業関係の人間も数多くいるだろう。
彼らはやはり今回の二人の総裁の会談を快く思ってはいないのだろうか。
「なぁ、オヤっさ──」
美鶴は目の前の運転席に納まった文蔵に訊ねようと、口を開いた。
「な、なんだありゃ!?」
文蔵が酷く驚いた声を上げた。美鶴は何事かと座席の脇から顔を覗かせた。
美鶴の眸に焔が映る。
突然、目の前を走行する自動車が大きくハンドルを切った。舗装路に黒くスリップ痕が刻まれる。自動車はそのままガードレールに突っ込んだ。耳を劈く金属音と衝突音が響き、ドンッという衝撃波がこちらのバンの窓を叩く。
何事か、と考える前に文蔵が急停止ブレーキをかけた。身体が慣性力で前方に引っ張られる。隣では由佳里が短く悲鳴を上げた。
「くそったれ、騎士かッ!」
文蔵が悪態をついた。
美鶴の眸は道路のド真ん中で、黒い外套マントに身を包んで立ち尽くす、上背のある禿頭の男を映した。
一目では判別できぬほど人に近似された精巧な容貌。その顔造りは人そのもの。医療用に開発された頃の名残だ。
騎士である証は、二の腕から先の両腕に装備された火焔放射器のみ。その先から大蛇の舌の如き焔が噴き出していた。
「アレは《紅燕》だ。最近犯罪に使用されて、警察の騎士管理棟に保管されていたシロモロだったが、今日然るべき研究機関に配送される予定だったらしい──」
「そこを奪われたと……」
つまりはそういうことなのだろう。美鶴は合点がいった。
ここでいう然るべき機関とは、クロヅカなどの研究開発部のことだろう。
「オヤっさんが受けた連絡はこのことだったのか?」
「おうよ。注意してくれとの連絡だったが、まさか遭遇するとは……」
文蔵は窓から身を乗り出し、後方を確認しながらバンをバックさせる。
唸りを上げて、バンがバック走する。後方を走る自動車が警笛を鳴らすも、意に返さず後進を続ける。視線の先で紅燕の姿が徐々に小さくなっていく。
「儂らは丸腰だ。生身の人間が騎士とやり合って勝てる見込みはゼロだ」
十分な距離を取るとバンが道端に急停車した。
文蔵が携帯を取り出し、電話帳を開く。警察や組合の仲間に連絡をとるつもりだろう。
数百メートル前方では今なお、紅燕が火焔を吐き出し続けている。このままでは死人が出るだろう。ガードレールに衝突した車両の運転手は無事逃げ出せただろうか。
あまりお人好しな人間を演じる気はないのだが、このまま傍観者でいるのは気が進まない。
美鶴は意を決して、バンのドアをスライドさせた。空気の冷たさが肌を撫で、エンジン音が大きく聞こえる。
「君、何やるつもり!?」
由佳里が驚きに目を瞠ったが気にしない。
「おい美鶴、止めておけ! あとで厄介だぞッ」
文蔵も止めに入ってきたが従う気は毛頭ない。美鶴は背中から止める声が追いすがってきたが、振り払うように駆け出す。バンから六〇メートルは離れただろうか、急にカーゴパンツのポケットで振動が起こる。取り出したスマートフォンが文蔵の名を示していた。走りながら耳に当てる。
「何だよ、やめる気は毛頭ねぇぞ」
通話越しに文蔵が息を吐き出したのが分かる。と、文蔵が話し始めた内容に美鶴の足が止まった。
「仕方あるまい。そう言うと思って調べてやったぞ。紅燕の兵装は腕に仕込まれた火焔放射器のみだ。そして火焔放射器はクセの強い武器。それゆえに使いこなすのは難しく、隙が出来やすい。が、射程距離は数十メートルある。簡単には近寄れんだろう。それに火焔放射器は焔を吐き出しているのではなく、点火された可燃燃料が噴き出されている。その火焔温度は八〇〇度をゆうに越える。上手く周辺の車両を使って距離を詰めろとしか言えん」
文蔵が通話越しに指示した。短時間で調べてくれたのだろうが、正直ありがたかった。少なくとも紅燕の武装が火焔放射器だけであることが知れた。腕さえ破壊できれば、勝ちだ。
「オヤっさん、ありがと」
「使うのは腕だけだぞ。馬鹿なことはするな」
「了解」
美鶴が通話を終えようとするのを、少女の声が止めた。
「気をつけてよ」
心配そうな由佳里の声が通話越しに聞こえた。文蔵が由佳里に携帯を渡したようだった。
「あぁ安心しろよ、俺を誰だと思ってる」
「弟キャラの高校生男子」
思わずズッコケそうになった。おかしすぎる。今この状況で言われる言葉じゃない。
「おい、由佳里……」
「冗談」
由佳里が笑ったのが分かった。心地よい音。不思議にもその笑い声で気持ちが軽くなった。
ありがとう、と声に出さず感謝して通話を終えた。携帯を仕舞い、美鶴は前方の騎士を見据えて走り出す。足の裏から伝わるアスファルトの硬さを蹴って、疾駆する。
紅燕に近づくほどに夕立の時に似た、焼けたアスファルトの匂いが強くなる。周囲の運転手のいない乗り捨てられた車両の陰に駆け込んだ。ここまでで紅燕との距離は五〇メートルほど。現在、紅燕はこちらに背を向け、歩道の人々に対して火焔を放出していた。
一般人がビンなどを投げつけ、紅燕に対抗していた。だが、危険すぎる。既に数名が足などに酷い火傷を負っているらしく、悲痛の叫びがここまで聞こえる。
「さっさとやらなきゃ、まずいか」
美鶴は車の陰から飛び出し、別の車両を目指して猛ダッシュをしかけた。紅燕が盛大に焔を吐き出したおかげか、周辺には乗り捨てられた車両が点在している。その間を縫うようにして、着実に距離を詰める。
「竹ちゃん、彼は大丈夫なのかな? 騎士に生身の人間が挑んだって敵いっこないよね」
由佳里が不安げな声で文蔵に訊ねた。その手足が震えているのは錯覚ではないだろう。
「あぁ、無謀だな。だが、美鶴の場合は、言うなれば一部騎士の状態であろうか」
「一部って、あの右腕のこと?」
由佳里は後部座席から身を乗り出して、運転席に座る文蔵の横顔を食い入るように見た。
「由佳里は知らされてないんだったな。美鶴の右腕はパンドラ製の義腕であり、あれが武器になる」
「でも、合金のパンドラは軽くって、打撃には不向きでしょ。殴るにしても威力は望めないよ」
由佳里は理解しがたい様子で首を傾げた。
パンドラを次世代合金として企業がこぞって扱おうとした要因は、その硬度に対する軽量さである。同じ体積で既存金属よりもパンドラの方が半分以下の質量であり、遥かに堅硬だった。
「そうだ。美鶴の右腕は殴るためのものじゃない。アレは切断するためのものだ。それゆえに軽量化が目指された。折り紙つきだぞアレは。稀代の天才、羽城誠が設計したものだからな」
「えッ、お父さんが設計したのッ!?」
由佳里は驚きに言葉を失った。